
レンタル半額だったんで、ヒッチコック「めまい」見ました。
もう何度か見ているのですが、今回はたいへん不思議な印象を受けました。
以下は、自分のために書きとめておくメモ。
「めまい」は、ヒッチコックの作品の中でとくにディープとされているものらしい。
「ディープに見える」といったほうがいいのかもしれません。人の目にどのように見えるか、どのように人間の視線をあざむくか。ヒッチコックはそこに情熱を傾けたから。
ひょっとすると、ヒッチコック自身が自作に深遠さを読み込んでしまうということもあったかも、とふと思います。人の目をあざむくにはまず自分から、ともいいますしね。
「めまい」は男が女にあざむかれる物語。男の視線が、幻の女にあざむかれる。
実在しない女。殺しのアリバイを作るため、主人公の男が見せられた幻。その幻の女に恋した男の悲劇。
暗い作品です。全体のトーンも沈んだ感じ。いろんな象徴によってほのめかされる死。悲惨な結末。
謎解きに爽快感はなく、妄執がつきまといます。アメリカでは興行成績が悪く、その後長い間上映されなかったため、幻の傑作と言われていたそうです。
幻の女。これは映画自体を象徴するものと受け取ることも可能です。
実在しないもの。人の目をあざむくもの。作り手の側からすれば、他愛のない仕掛けで、観客は涙を流し、あるいは絶叫し、ときによっては人生を変えられもし、また批評家に絶賛や否定の言葉を吐かせることができる。
傲慢な考えです。でもヒッチコックなら、自分は天井に手が届くと感じたこともあったに違いない。絵コンテ作りが好きで、撮影が大嫌いだったヒッチコック。「裏窓」で、俳優の同一のアップを、まったく違うふたつの文脈に編集して、まったく異なる感情を「演技」させたヒッチコック。
「めまい」は、幻の女と対照させる存在として、眼鏡をかけた身近にいる女の子も登場します。これは、ヒッチコック夫人を髣髴とさせます。眼鏡をかけた様子、賢さと短気さ、一人でくよくよ物思う性格。自分が女性としての魅力に欠けているという自覚。
ヒッチコックの妻アルマは、事実上、ヒッチコックの共同制作者でした。映画監督アルフレッド・ヒッチコックの10パーセント程度は、実はアルマであったかもしれません。ヒッチコックが助言を求めた唯一の人間であり、評価の基準として尊重していた唯一の存在。脚本と編集の段階で製作に深く関与していました。最晩年のアメリカ映画協会生涯功労賞のスピーチで、ヒッチコックは自分の人生の四人の恩人として、編集者アルマ、脚本家アルマ、名コックアルマ、娘の母アルマをあげています。
二人の夫婦生活は安泰なものではなく、アルフレッドの浮気で、さまざまないさかいがあったともいわれています。浮気相手は映画女優たちであったでしょうが、本当は映画そのもの、ヒッチコックが自分で作り出した幻であったのではないでしょうか。
「めまい」の翌年には、大ヒット作「北北西に進路をとれ」を完成、やすやすと汚名を挽回してしまうヒッチコック。縦になっていた地獄と天国の配置を横にするだけで、物語は列車とともに轟音を立てて進行します。さらに次の年には、あの「サイコ」がやって来ます。ヒッチコック、60歳。

DVD ヒッチコック「めまい」 COLLECTOR'S EDITION