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三十三夜 第22夜 「兄者」

written by overQ
May 29, 2004

暑いです、京都。

数日前、夏と冬どちらが好きかという話になって、夏と答えましたが、撤回します。
冬。今、猛烈に君のことが恋しい。
冷蔵庫に入れ忘れても、肉が腐らなかったあの日々。
視界の端で何かが動いても、ゴキブリかと恐怖する必要のなかったあの頃。
息が白かったね。鍋焼きうどんのなべを持つとき、セーターの袖をのばすだけでよかった。
朝、窓の外がほのかに明るいとき、サッシを開くと、雪が積もっていたっけ。
何もかも懐かしい…。

もう何をかいてるかよくわかりませんが、今夜のは「兄者」。兄という字は、ネを付けると祝いに、ロを付けると呪いになりますが、まあそういうようなことです。ユダとイエスの物語。


cover

兄者

父の遺言はこうだ。
「お前には双子の弟がいる。
生まれてまもなく人手に譲った。
弟を売った金でお前を育てたのだ。
西の沙漠の大きなオアシスの町に
弟はいるだろう」

十六の秋、東の蛮族との間で戦争があった。
初めて出た戦場で右目の視力を失った。
父のような立派な戦士になりたかったが
片目では思うように剣が振れない。
二十歳になるのを待って沙漠の隊商に加わった。
食料、雑貨、骨董
貴金属、小動物、噂と、百八扱う商人として
砂漠をめぐり歩いた。
三年かけて砂漠を一巡
借金は消えたが財産いまだ無し
妻を娶るのもままならぬ。
ふと父の遺言を思い出した。


沙漠には千のオアシスがあり
そのうち大きな都市は13。
弟の売られた先の家も定かでない。
探すよすがは自分と同じ年恰好
そしておそらく同じ顔だちということ。
手がかりはあまりに乏しく
商いのついでの捜索では
たいした成果も上がらなかった。
諦めかけていた二年目のある日
異邦人から人まちがいされる。
これがたどるべき糸の端だった。

異邦人が間違えた男は
沙漠の村々を訪ね歩き
人の病や罪をかざした手で癒す。
神の子を名乗り
かたりの罪で官憲から追われてもいるが
奇跡は本物であり
崇拝者は日増しに増加しているという。
弟であろうか。
神の子か。笑わせる。
その父の名を知るものがここにいる。

話を聞いてむしろ興味を失った。
探し始めて二年、その間に
商売はちょっとした成功を収め
蛮族の女との間に二児をもうけた。
どのみち共に沙漠を旅する身
やがてどこかで出会う運命もあろう。
そう思って弟のことは打ちやっておいたが
そのときすでにさだめの糸は
固く結び付けられていたのである。

七年がたった。
沙漠の大半は東の蛮族が支配するところとなり
隊商には重い税が課された。
商売はいっこうままならぬ。
隊商を組むのも半年に一度が精一杯。
六人もうけた子どもの五人までが餓死した。
棺を買う金も無く困窮のきわみ。
妻が最後の頼みとどこぞから
あやふやな話を聞きつけてきた。
神の子を名乗る大罪を犯すものがいるらしい。
その首には千金の賞がかけられている。
その男と男を崇拝する宗徒の群れが
このオアシスの北に野営している。
信者にまぎれて男を襲うのだ。
失敗は覚悟の上。
もはやほかに生きるすべは無いのだから。

夜を待ち、野営地におもむく。
宗徒の群れは膨大
ひとつの町ほどの群集が寝静まっていた。
神の子を名乗るものの姿を探したが
ようとして知れぬ。
あちこちで聞き訊ねてみるのだが
どの返事も寝ぼけ眼であいまいだ。
語気を強めて問いただせば
朝になればわかるさとあくびをされ
毛布の中に逃げ込まれる。
教祖なら群集の
中心あたりに位置しているはずと
目ぼしいあたりを探してもみた。
しかし、それらしい姿は無く
信者に問いただすと
神の子は中心ではなく
片隅にいるだろうという。
もう夜が明ける。
ひもじくて足腰も立たぬ始末。
襲撃などとても無理だ。

群衆から離れて独り途方にくれていると
信者の一人がパンを一切れ差し出している。
ありがたい。もぎ取るように手にするが
あまりの小片であり
口に入れたとたん泡と消え
一口で飲み干せてしまう。
それでも礼だけは言おうとすると
「あなたはパンをお持ちではないですか」
と笑いかけてきた。
何の話だ。しかしふと気づくと
右手にパンを一塊つかんでいる。
どういうことだ。
野営地をさまよううち
どこかで盗んできたか。
ともあれ飢えには勝てぬ。
判断する前からがっついていた。
あっという間に平らげる。
まだまだ空腹だ。耐え難い。
苦痛の表情を浮かべていると
「あなたはまだまだパンをお持ちだ」
みると傍らには
パンが両腕に抱えきれぬほど積まれている。
これは夢かも知れぬとふと思ったが
獣の目をしてともかく喰らいつく。

ようやく空腹をいやして
冷静を取り戻し、話しかけてきた信者を見た。
昨夜、神の子が中心ではなく
隅にいるだろうといった男だ。
口いっぱいにパンをほおばった私を見て
静かに微笑んでいる。
余ったパンを分けてくれないかと言う。
分けるも何も自分のものではない。
勝手に持っていってくれ。
男が目で合図すると
山と詰まれたパンを群集が一人ずつ
順序だって持ち去っていく。
いつまでたっても
パンは尽きることがなかった。

「あなたが神の子なのか」
「いや、神の子は私ではない。
飢えに苦しむもの、病んだもの
罪びと、彼らが神の子である。
誰もが手を差し伸べずにはいられない。
神の子が光を発しているからだ。
飢えているあなたは
確かに光り輝いていた。
だからこうして一切れのパンをささげた。
そしてあなたはそれに答え
奇跡により
信者すべてにパンをおさずけくださった。
あなたが神の子だ」
輝くような声で男はそう答えた。
悪魔の誘惑である。
わかっていた。しかしすでにパンは咀嚼され
わが血と肉に溶けた。
男は飢えを知らぬころの自分そっくりだった。
弟だ。すでに自分になりすまし
妻を我が物にした。
私を誘い出し、この茶番を仕組んだ。
私とすり替わり運命の道筋を交換する気だ。
すべてが稲妻のようにひらめき理解された。

なんということだ。
復讐の時を待っていたのだ。
売られたことをずっと根に持っていた。
群集はすでに私を神の子と信じている。
官憲の姿も見える。
彼らの背後に弟はいて
妻を抱き寄せ賞金を高々と掲げ
こちらを見つめていた。
笑っている。いや
あれは自分ではないのか。
よくわからない。予告された裏切りだった。
初めから弟などいなかった。
神の作りし世界で唯一ゆるされた商いは
神のものを神に返すことだけ。
神の子を売り払い
「私」は私の横顔の刻印された金貨を手にする。
世界は我が物だ。
やがて人はこれで神をも買うようになるだろう。
世界についてのすべての知識が
今、私になだれこむ。

…磔にされた男が絶叫している。
名も知らぬ父に呼びかけているのだ。
群集は奇跡を期待している。
期待すればするほどそれは
遠ざかる。
起きてもそれとはわからぬ形で
姿を現わす。
夢を見続けろ。醒めているものには
見えぬ世界があるのだ。
にわかに黒雲が湧き起こり
世界を闇に変える。
やがて天が割れ
巨大な腕が突き出し
わが子を引き取って去っていく。
まぶしすぎて誰の目にも見えぬ出来事だ。
あそこにいるべきだった。
しかしここに残っている。
背に乗せた金貨は重く
足は砂に深く沈みこむ。
世界の重さをはじめて感じる。
うんざりしながら一歩
また一歩と前に突き出していく。
男の無残な死を確認しながら
女は私の腕を強く抱いたあと
突然それをふりほどき
死んだ男の元へ戻っていった。
死者を選ぶという選択がありえたことを
なぜ気づかなかったか。
いいだろう。ようやく一人きりだ。
行き先は決まった。
灼熱の砂漠におもむくのだ。
そこは容赦ない東の蛮族が支配する国。



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