
レンタル屋での争奪戦に負けに負け続けておりましたが、ようやく今頃になって、「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」借りれました。見ました。
また、逃げたり、追いかけたりしてる、と思いました。
そう…また。
また。いつものように。
考えてみると、スピルバーグの映画っていつも、逃げたり、追いかけたり、隠れたり、捕まえたりしています。いつも、いつも、いつも、いつも。
最初の「激突」からそうだった。トラックが追いかけてきた。
トラックはサメになりUFOになった。
UFOに追いかけられた男は、妻に捨てられたあと、作戦を変えて、自分からUFOを追いかけた。
すると、E.T.では、宇宙人が人間から逃げ回った。
シンドラーはユダヤ人を追いかけ、彼らをナチスの魔の手から隠す。
逃げることと追うことがどんどん交錯してくる。
追う立場の刑事だったトム・クルーズが、未来の罪により追いかけられる犯人に。
トム・ハンクスは、敵地で逃げ隠れしながら、ライアン兵卒を追う。
捕まえ管理した恐竜に人間が追われ、しかし恐竜たちもまた人間から逃げ惑う存在でしかなく。
…この執拗さは何だろう。何十年もひとつの主題で映画を撮った。
しかも、多くは、映画産業のメインストリームを形成。逃げるようにすばやく作品を仕上げた。
商業主義を逆手にとって、何か別なことを成し遂げようとしたとか、そんなスマートな計画的なものではない。
スピルバーグ自身だって、こんな風になるとは思ってなかったにちがいない。
一作一作を撮っていった。見る側も、スピルバーグの一作一作について評価してきた。
ヒットした、しなかった、で、とやかく言ってきました。
軽薄なのか深重なのか、いつもはかりかねて。
期待しているのか、つまらないと捨て台詞を吐く気なのか、見る前の気持ちも定まらないまま。
いつも真ん中にいたので、その位置にあることでばかり、評価し批判した。作品自体をよく見ていなかったかもしれない。
彼はほんとうは、たったひとつの映画しか作ってこなかったのかもしれません。
それは、作品すべてを並べてみてはじめて見えてくる大きな絵で、ひょっとするとご本人もまだよく自覚できてないものかもしれない。
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二十年以上にわたって、スピルバーグの映画を見てきたのに、今頃、しみじみわかりました。
こんなに見てきたのに、見えていなかった。
作家の死後、作品を相互につなげて、はじめて見えてくるものがある。小津だって、そうだった。
スティーブン・スピルバーグも、そのタイプの映画作家かもしれません。長く撮れば誰でもそうなるのかもしれませんが。
未来の人々は、「逃げる―追いかける」という主題が意味するところをめぐって、さまざまな考察を繰り広げるのでしょうか。
いや、スピさま、まだ、死んでませんけどね(w
インディ・ジョーンズやジュラシックなど、新作目白押し。働きすぎ。
何に追われてるのか。何を追っているのか。