「なぜ」と「どのように」肩を震わせて
「なぜ?」
と問う。
大人たちは黙っている。
大きな手を
小さな背に
あてがうけれど
言葉は見つからず
空を見上げたまま。9才の僕。
大人になったら
きっと「なぜ」に
答えられると信じてた。
今では大人たちの
沈黙の理由がよくわかる。「なぜ?」
と問う。
身を震わせて
全力で
立ち向かうように。
大人の用意できる答えは
「どのように」だけ。
仕組みならわかる。
科学の威力だ。
対処法、善後策。
予防措置、解消法。
スイッチを押せばミサイルが
悪いやつを懲らしめるように
おとなな大人は
解答を教える。昨日と今日は同じ日と
昨日までの平和な日々
思う自分であったのに。
昨日と今日は別な日と
今日は思うほどつらい時。
人生で通り過ぎる
何度かのそんな時。今でもまだ
「なぜ?」
と問う。
中途半端に詰め込んだ
「どのように」
だけを満載して
答える代わりに黙っている。
黙って肩を震わせて
あいかわらず
「なぜ?」
と問う。
子供のまま。「なぜ?」の悲痛に
対抗できる「どのように」は
ないものか。
僕はこうする。
悲しみを悲しむ。
痛みを痛む。
それしかしょうがない。
ごまかしようもないものだ。
それから
それでも
そのうちに
時はすぎる。食べる。
眠る。
歌う。
走る。
手をつなぐ。
独りきりで生まれてきたものが
独りきりで死ぬことの孤独を
どんな幻も覆い隠せないと
知ってはいるけれど。
食べて眠って
歌って走る。
思えば子供の頃から
そんなふうに生きてきたんだ。
気づきもせず
教えられもせず
ちゃんと生きてきた。
命は不思議。
自分とは違うところで、
( )←ここに間投詞。ああ、とか、HAHA!、とか、ぷひゅー、とか、
言葉が生きている。
ありがとうございます。
今から、エントリーする内容と合致していて
とてもとても不思議です。
やはり、overQさんは、目にみえないものがみえるのですね。
前の記事「命はめぐる」は、ふと感じたつながりを書いていっただけだったんですが、なんだか書いてから、自分でもいろいろ考えました。
思いをまとめてたら、なんとなく詩になりました。
もうちょっと元気のいいのにしたかったんですが、ちょいとしんみりしすぎたかな。
とても不思議な、見えないつながりの力を少し感じることができた、ここ数日の気分でした。