この本を、大きいの、小さいの、いいのに悪いの、くさいのやダサイの、スケベなのいい加減なの、セコイのもう少しやせた方がいいの、もっと仕事をした方がいいの、早く借金を返して欲しいもう少し待って欲しいの、今度酒を飲みたいの、遊びに来て欲しいの来なくてもいいの、この本を只でもらおうとしてるのや、その他僕の友人達に…1981年に出版された「ヘンゼルとグレーテル」、大友克洋はこの作品を、上のような言葉ではじめています。
この作品を掲載の機会を与えてくださったヤングマガジン編集部の方々、国際部、映像部の方々、手伝ってくれたスタッフ、いつも支持し、応援したくれた読者、そして、手塚治虫先生に…
大友さん、大人になりました(w生前の手塚は、少なくとも表向きには、大友にけっして好意的な批評を与えませんでした。
「デッサン力があるだけ」ともいい、「いつまで続くか」ともいいました。
その苦さを知った上での、決意の表明。
自分はデッサン力があるだけではなかったし、これからもあなたの志をずっと守っていく…。
本気で、真正面から、いちばん重いものを受け止める。
とはいえ、初期からの大友ファンは、「童夢」以前の、のん気な(?)大友さんに、一抹の郷愁もおぼえることもあるかと。
大友克洋作品の網羅的データベースとして有名な、Apple Paladice。
このアップル・パラダイスという名前は、大友の未完の長編から採られたはず。
マンガ奇想天外に六話だけ連載。第二章のはじめで中絶。1981年の出来事。
完成すれば、大友の最初の大長編になるはずでした。意気込んで望んだ作品。
でも…うまく続けられなかった。
物語は、宇宙船内の労働組合(!)の話だったらしい。
アキラもそうでしょうが、マンガやアニメの中では、正義についての社会主義っぽい理想が、熱いものとしてよく登場します。
物語のクライマックスとしての、革命。
勧善懲悪のスタイルとしての、権力vs反抗者。
リアルでの社会主義は、よど号ハイジャック犯に象徴されるように、悲惨な結果になっとります。
たぶん、魔球を現実の野球で追究すると笑えるように、リアルでやっちゃうと変になってしまう。
ところが、フィクションの世界では、社会主義っぽい意匠は、主流だったといえそう。
大友、押井守、高畑勲・宮崎駿といった代表的なアニメのクリエーターに、その傾向ははっきり見える。
善悪対決の構図にリアリティを与える要素として、左翼的な理想主義は効果的でした。
また現実における失敗をフィクショナルに取り込み、複雑化・潜在化・象徴化することで、より物語のダイナミズムを増した感じです。
権力、抵抗、裏切り、体制、金、欲望、正義、真実…。
フィクションの中では不思議と、社会主義は、「魔球」と並んで、もっとも成功した仕掛けとなりました。
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これって、何なんでしょう。
神話は、お話の中では黄金に輝きますが、現実に持ち出すと別な物質に変わってしまうのでしょうか。逆賢者の石。つまづく人も多いようです。
ちょっと、話をハズして、高野文子さんのことを。
高野文子「黄色い本」は、手塚賞を受賞。
高野さんは、デビュー当時からの大友の盟友です。
マンガ奇想天外には、大友・高野に並んで、いしかわじゅん、吾妻ひでお、福山庸治、坂口尚といった名前が見えまする。ニューウェーブと呼ばれてました。関西ではひさうちみちおがいました。
メディアが人気取りのために作ったジャンルではなく、本当に新しいマンガの波が台頭していました。ニューアカデミズムとかとシンクロする現象なんでしょうね。でも、マンガのほうが、早かった。
高野文子は、「黄色い本」を書いた動機を、大友克洋のせいだ、といってます。
大友さんが、何かの折、「高野の正義を示せよ」と言ったとか。
それで、高野は正義を示しました。
「黄色い本=チボー家の人々」を読む高校生の物語。
革命の正義を語る本の中の人物たちと、田舎で日常を営む女学生の対比が、笑いと悲哀をまじえて描かれます。
面白いのは、本からマンガへ、フィクションからフィクションへ、革命の伝説が語り継がれてること。
いや、フィクションからリアルへ、黄金を変質させずに、そっと隠し伝える方法が、ここでは黙示されたのかもしれないんですが。
高野さんは以前も、「美しい町」という作品で、組合活動を、活動員の妻の視点から描きました。
微妙な作品です。
まるで、大友のような人を保護し揶揄し、批判し弁護するかのような。鉄幹に対する晶子のような。ドン・キホーテとサンチョ・パンサのような。
正義を叫ぶ人を、当事者の視点ではなく、一歩下がった場所(日常)から眺めています。
まなざしに肯定と否定が、ゆるやかに入り混じっています。
私は高野さんの視線に共感します。
共感するというより、同調してしまう。
高野さんは、こんなまなざしで、大友の活動を見守っているのかしら。
君よ死にたまうことなかれ…
現在、大友の正義は、手塚の遺志を継ぐことと重なっているように見えます。
アニメに没頭するのも、手塚がかつてそれを夢見たから。
「メトロポリス」。手塚の原点である作品。
そのアニメ化にあたった大友の脚本は、ストレートすぎて、現在的とはいいがたかったかもしれない。
「スチームボーイ」では、どうなってるだろう。興味は正義の行方。
スチームはスチームパンク、ボーイはアストロボーイ。
科学と勇気の物語。十万馬力。ららら科学の子。
科学が卑怯と結びついて生じる悪。これと戦う、科学を勇気と結ぶ少年の正義。
アニメが市場と結びついて生じる悪。これと戦う、アニメを勇気と結ぶ少年の志。
舞台となる蒸気機関時代のイギリスは、また社会主義の揺籃時代。
産業革命、ラッダイト、労働組合の発祥。
大友がこの時代を選んだのは、偶然ではないと思います。
それも、打ちこわしをおこなう大人の視点ではなく、少年の目線で、時代を描く。
これが、もともと大友が持っていた斬新な視線から、一貫したものなのだと思います。
それにしても、フィクションにおける、執拗な正義の追求。
現実では、大友さん、「活動」なんてしたことも、しようと思ったこともないはず。
エンターテーメントと呼ばれているものの本質は、じつはこの辺りにありそうな気もします。