AZ::Blog はんなりと、あずき色☆: 六十六夜 第47夜 「マスオ外伝」

六十六夜 第47夜 「マスオ外伝」

written by overQ
September 17, 2004

プロ野球はスト決行らしいですね。
ストというのはストライキのことで、ストライクじゃなくキなのところが、何か心惹かれます。階級的な訛りでしょうか。
このジャンルの用語は、ピケとかデモとかゲバとか、二文字が多いのも、なぜだろう。モボ・モガとおなじくモダニズムの言葉つきに属してるんでしょうか。
さぼる、って言葉も、もとはサボタージュから来てるんでしょうね、たぶん。

さて、六十六夜も、土日は休みますが、それはストではなく、サボ。
月曜も祝日なんでサボっちゃうかもしれません、映画祭もあるし(怠
その代わりといってはなんですが、今夜のやつはスーパー長文。たいへん迷惑な長さとなっております。
内容は、フグタマスオ。滅びます、磯野家。
純文学度の高い(汗)、たいへん読みにくい文章となっております。申し訳ございません。
よっぽどお暇なときにでもお読みくださいませ<(_ _)>

マスオ外伝

その日もフグタマスオは
いつもの高架の駅で通勤電車を待っていた。
夏の初めだった。
通学する高校生がもう少なかった。
その朝は早く目覚めた。
短い破片のような夢をいくつも
いくつも見たけれど、どれも
憶えてはいなかった。
ふた電車分いつもより早いはずだ。

空は清んで青かった。
マスオが見上げるとさあっと細かい霧のように薄い
薄い雲が空を一瞬よぎって
マスオの顔をぬらした。
淡い虹が高架から見渡せる丘のほうに現れ
逃げるようにしてすぐ消えた。

会社のあるほうとは反対
方面に向かう列車がしずかに停まったとき
マスオはもうその電車に乗り込む誘惑に
抗することができなかった。
そうしてフグタマスオは失踪した。
その時間郊外へと向かう列車にはひと気がなく
マスオは車内を独り占めできた。
車窓からは遠目に磯野家のある街角のあたりが見えた。
見慣れた景色はあっという間に過ぎていく。

見知らぬ駅に降り立つ。



見知らぬ駅に降り立つ。
高架の駅はいつものプラットフォームとそっくりで
マスオはまた元に戻ってしまった、これから
またいつもの日常が始まるだけだと
ふと夢の中のように思考している。
しかし改札を抜けるとき、ああ
いつもの定期は使えないと気づいて
切符を買いなおす。

駅前モール街はこの時間まだひと気が少ない。
マスオは音のないただ空気の
しゅるしゅる抜けるだけの口笛吹きつつ
その地下街を闊歩する。
七十年代以来何度も増改築されたモールは
草食動物の内臓のように複雑に地下で入り組み
やがて新造された白い宇宙戦艦のような
駅デパートへとたどり着く。

若い、やせた、髪の短い女がひとり
三重の透明な扉の前ですでに
デパートの開店を待っている。
待っている。女は待っている。
フグタマスオを待っている。
待っていた、ずっと。
フグタマスオは見知らぬ街で見知らぬ女に
やあと声をかける見知らぬ自分を見出すだろう。
「そういえば、確かにずっと、フグタ
あなたを待っていたような気がする」
そうハチスという奇妙な名を名乗る女は笑う。
嗅いだことのない香水の匂いがする。
マスオは通りすがり眼鏡屋の
店頭に出された回転棚からやすやすと
サングラスを万引きし、かけると
「フグタ」とだけ呼び捨てられる男になった。
ビジネススーツに安物のサングラス。
それが始まりだ。

地下から出た途端、突然夏が二人を襲う。
光が強すぎる、視界が歪む、空が
レンズのように盛り上がっている。
閉じた目にまぶたの血の色が燃える。
女はあまりのまぶしさにただ笑っている。
ここはどこなのだろう。だれもいない。
駅正面から真新しい片道三車線の道路が
まっすぐに伸び緩やかにのぼって丘の上に消えている。
駅前のロータリーには卵形の歩道橋が懸かり
マスオの視界の歪みを補強する。
それにしてもひと気がない。空には
雲ひとつなくて、あるのはただ
太陽だけ。死の熱線。
女は駈け、マスオはまるでそれと琴線で
つながれてでもいるかのように不自然な
引きずられるような姿勢でその後を追う。

フグタフグタフグタと女は呼び
ハチス君の名はハチスと心の中つぶやきながら
マスオはその女の跡を追うのであった。
路はどこまでもまっすぐに伸びる。
ずいぶん走ったはずなのに一向に前に進んだ気がしない。
しかし振り返ってみれば駅はもうはるかに遠く
陽炎の彼方に揺らいでいる。
路はゆっくりと上り坂になり
しがないサラリーマンとして二十代を浪費
してきたマスオの脚に歩みはきつくなるばかり。
これは丘ではない、とマスオは気づく。
ここは山だったのだ。
山。ヤマ。ヤマ…

…記憶の井戸に落ちていく。
マスオが子供の頃のことだ。
小学校の裏手に山があった。
汚くて暗い山だった。
町が街になる前、マスオの親が子供の時分には
里山として大切にされ雑木林の手入れもされたそうだが
今では無数のゴミが散乱し
道は外来の雑草でうっそうとし
不良高校生が女を連れ込んでレイプするとか
大学生が首吊り自殺するとか
片腕のせむしの精薄が子供を追いまわすとか
暗い差別的な噂が渦巻き、小学生たちの心に
なぜか心地よくもある影を提供していた。
山はマスオたちの探検場所だったのだ。
ある日マスオは仲のよかった友だちと二人で
山に入った。

ああ、あの子の名まえ、なんだっただろう。
奇妙な失念だと今、大人のマスオは思う。
子供の頃のことは忘れにくいというのに。
山田とか鈴木とかよくあるような名前だった。
それはわかるのだが、バテているからだろうか。
ハチスからだいぶ引き離されてしまった。
のぼりはますますきつくなる。
汗でスーツのジャケットが嫌なにおいを立てる。

山でマスオとその名まえを失った友だちは
雑草に覆われた古い道を見つけた。
草を掻き分け蜘蛛の巣を払いながら二人は進んだ。
干からびたコンドームがたくさん落ちているのを見つけ
大騒ぎしたりしているうち、広い場所に出た。
池、工場、アパート。
池はでかい水溜りほどの小さな池で
水はバスクリンでも混ぜたような濁った
人工的な緑色で澱んでいる。
たぶん工場からの排水のせいだ。
その工場は古びた看板から靴下工場と分かる。
しかし今も活動しているかどうか判然としない。
アパートは二階建てのバラックで
六部屋ほどしかなくおそらく工員の寮だろう。
マスオは肩を掴まれた。ひ。だれだ。せむし男か。
恐怖の瞬察ののち反射的にふり返ると
やせた、髪の短い、若い女がにこりと笑いかけてきた。
白い肌、細くて長い首。平らな胸。
女は子供二人をアパートの部屋に招きいれ
暑いでしょうと冷えたお茶を入れてくれた。
部屋は大人の男の足の匂いがした。
隣の部屋に敷いたままの布団が見えた。
お茶は飲んだこともない変な味で
帰り道マスオと友人はその正体について話し合った。
その後、何度か山を探検したけれど
二度とあの池のある場所にはたどり着けないまま
マスオたちは中学生になり、その友だちとも疎遠になって
もう山に探検に出かけることもなくなってしまった。
高校のとき現国の教科書に載っていた民俗学の文章で
山姥の話を読んだとき、マスオはなぜか
あのやせた、若い、髪の短い女のことを思い出したものだ。
若い、やせた、髪の短い山姥。白くて細長い首。

ハチスはあの女にそっくりだ。
きっとあの女にちがいない。
あれから二十年近くたっているというのにか。
そうだ、ここではそんなこともありえる。
ばてた。疲れた脳が見せる錯覚だ。山姥。不老不死。

丘の上のあたりは、宅地として開発され、綺麗に升目状に
道がつけられてはいたけれど、家は
いまだほんの数軒しか建てられておらず
どの造成地にも短い雑草が風にそよいでいた。
どれも似たような道ばかりのなかハチスは
くじを引くように不意に右に左に折れその道をずんずん進み
幹線道路からはどんどん離れて宅地の端
赤土の斜面の上にまだ雑木林が残るあたりまできて
振り返った。
雑木の作る影の中に、
開発されたての売出し中の宅地には
まったく不釣合いな古い大きなアパートがそびえていた。
それは、アパートというより洋館と呼びたくなるような
古いが格式を備えた共同住宅で
ファサードといえるほどの時計台つきの正面玄関をもち
その両翼に二階建ての棟が幾部屋も伸びていた。
これがあの池のほとりのアパート?とマスオは妄想への固執から
そろそろ引き際と感じ始める。
しかし、それは現実への帰還ではなく
新たな、よりはるかな非現実へとわが身を
忍び込ませることに他ならないのだが。

ぎこぎこぎこと西部
開拓時代の安酒場のようにその
古アパートの扉は両開きに開く。
ひんやりとした空気。まるで何十年も前の
夏という季節がまだ人に優しかった頃の
日蔭のすずみにも似た。
目が慣れてくると、板張りの廊下が闇の
奥へと伸びているのが見える。
よく使い込まれた廊下特有の深い
つややかな照りが、木質の上等さを伝えている。
みしみしみしとかすかな軋み。
向こうから犬が二本足で歩行してくる。
タマサロブゥ、と仏語みたく女が呼ぶ。
大きな犬だ。二本足で歩行?
ちがうちがう、アフガンアウンドだ。
首と足が長いから、真正面から近づかれると
二本足出歩いているように見えたということ。
犬は毅然としていた。飼い主の帰還にも
何ら媚を売るそぶりはなく、ただ出迎えに
表まで現れ、すっくと立った首の上の
小さな頭についた瑠璃色の眼で
人間を見つめていた。
長く伸びた銀色の体毛からは高価な
香水の匂いがした。飼い主が見栄で
つけさせているのではなく、まるで犬自身が
自己の格式の象徴として
その香りを帯びているかのよう。
タマサロブゥの前では人間は
醜い猿類の一種にすぎないとわかる。
ハチスは犬を撫でることもしない。
個人主義が尊重される。

どの部屋にも誰もいないから。
鍵がかけてある。
勝手に部屋を使ってはダメ。
フグタは私の部屋で私と一緒に暮らそう。
廊下を歩きながらハチスは
まるで結婚の宣誓を神前で誓うように
マスオのほうは見ずに、ただ前方の
廊下の先、闇の奥だけを見据えて言う。
言葉は事務的すぎてかえって祝詞のよう。
あらかじめ仕込まれた催眠術の
命令のようにマスオはその言葉に
自分が逆らえないことを知っている。
マスオのペニスは勃起していた。
ひどく疲れたとき、性欲とは
無関係に勃起するあの仕方でその器官は
自足的に充血していた。
ハチスがそれに気づいていることも明白だった。

部屋に入った途端、ハチスは
マスオのペニスを強く、本当に強くだ
つぶれるほど握り締める。
血が逆流して一瞬心臓がぎゅっとなった。
泣きそうな表情をしている自分が
犬の瞳に映る。そうマスオは感じる。
タマサロブゥはフロイトのような謹厳なまなざしで
事態の推移を見守っている。
ハチスの握りがあまりに強かったので
マスオの勃起は縮退し、ペニスは
緩まって小さくなって、とうとう
睾丸までも含め、ハチスの手のひらにやすやすと
包まれてしまう。それでもまだ彼女の手は
握りを緩めないからマスオの
男性器は縮み上がって体の奥に
引きこもる動作を見せる。
脅されたイソギンチャクのように
それは今や雌化することで事態を
切り抜けようとしている。
マスオはまた子供の頃のことを思い出した。

十二歳の頃、彼は第二次性徴を迎え
しかしホルモンの一時的異常だ
男性ではなく女性になりかけていた。
胸が膨らみ、体の線がやわらかくなった。
そのせいでいじめられるせいで頭頂に
円脱ができたせいで髪もそれを
隠そうと伸ばしたせいで女の
カッパみたいになった。
男でも女でもなく
子供でも大人でもない。
人でもなくて、カッパとか
架空のそれが
何か知らないものであったあの一時期。
それはほんの二月も続かぬ間の出来事で
マスオは嫌な思い出であることもあって
もう忘れていたのに。

ハチスはこぶしで柔らかな小さな
包茎化した塔を生意気な小動物を
懲らしめるように先端から押しつぶしていく。
それはもう従順にたおやかなものとしてやわらかく陥没し
マスオの股間には女のフィストを
受け容れるほどの穴が形成される。
いやそれはマスオの願望が見せる錯覚だ。
彼はペニスをつぶされながら射精し
精は前に放たれるのでなく
自らの内なる女性性に向けて
内向する。マスオは女のように
半開きの口ではああとため息をつく。
ハチスの煙草くさいキス。
彼女の股間をお愛想程度に
マスオが指でさすると
そこは成型されたショーツで硬く閉ざされ
その硬質な感触にマスオは
ロボットのようだと思う。

食事、セックス、買い物、散歩。
そんな毎日で、余暇に
マスオはハーブを栽培し
庭にレンガの柵を作り
鶏を飼い、潰しては喰い
巨大なショッピングモールで迷子になり
タマサロブゥを引き連れ山へ雉を狩りに行く。
ある日ハチスが、もうお金がなくなったから
といって、稼いできますわと出かけ
それっきり何日も帰らない。
マスオの金はすぐ尽きる。俺はどうすればいいの。
ハチスは出がけに、バットもあるし
包丁もあるよ。道行く見知らぬ人を
襲い強奪のこと、と音も立てず息だけで笑いながら
捨て台詞した。よろしい、その
悪質なジョーク、真に受けよう。
夜をケムール人のように疾走する。
どこまで行ってもどこまでも
見知らぬ街が続く。どこかわからない場所で
どこの誰とも知らぬ人をその背後から
襲う。バットで頭を叩き、割る。
鶏どもで十分練習してきた。敏捷な
子供だってなんなく捉えて見せよう。
手始めに老女の頭蓋骨を割った。
鈍い音がした。倒れていく途中でも
二度叩いた。頭部がアスファルト上に
平板に広がるまで叩きつづける。
地面を叩いて自分の指の骨を折った。
痛くない。興奮しているからか。

そうだろうか。マスオは
以前の自分なら、と内省する。
以前の世界にいた以前の自分なら
他人の痛みでも痛いと感じられた。それが
今では自分の痛みさえ感じることが出来ない。
悪魔は冷たくない、彼には
温度がないのだ。残酷の思いなど
まるでなかった。ひきつるような
冷笑の喜びも、傲慢の高みから
人を見下した気でいる卑屈も。
狂気の冷たい炎さえ背筋を這い登ることなく。
以前なら目の前で人が転んでも
その痛みが伝わるようであったのに
いつの頃からだろう
マスオは自分の魂の底にある
かたくなな自己が溶けてかわりに
あらゆる命へとつながる扉が
固く閉ざされてしまったと思うのだった。
もう自分は命ではなかった。
永久なるものとも無限なるものとも
その縁は失われた。
彼は浮遊し喪失していた。
自分自身の肉体でさえ
もう痛みも悲しみも伝えてはくれない。
子供の頃のあたたかな思い出の切れ端さえ
よみがえってはこず、かわりに
あの悪臭を放つバスクリングリーンの沼。
メタンガスが湧いてねちっこい泡があがる。
マスオは自分がそこで窒息し白濁し腐乱した
河童だと思う。河童。河童と山姥。山姥の餌。

どこをどう走ったかわからない。
とにかくマスオはアパートに戻っている。
返り血ひとつ浴びてないビジネススーツのマスオ。
空調の効いた部屋で一仕事おえたサラリーマンの風情。
本当に殺したか。八人襲ったはずなのに。
手には確かに二十数万の金が握られている。
かすかに血に濡れている。
翌日になってもマスオは事件が
報道されてないようだと思う。
よくはわからない。アパートにはテレビがない。
駅前の売店も新聞は売り切れていた。
ハチスは帰らない。次の日
ハチスは帰らない。次の日
ハチスは帰らない。次の日
ハチスは帰らない。次の日
ハチスは帰らない。次の日
ハチスは帰らない。次の日
ハチスは帰らない。次の日
ハチスは帰らない。次の日
ハチスは帰らない。次の日
ハチスは帰らない。次の日
ハチスは帰らない。次の日
ハチスは帰らない。次の日
ハチスは帰らない。次の日
ハチスは帰らない。次の日
ハチスは帰らない。次の日
ハチスは帰らない。次の日
磯野家へ戻ろうとするが
道が見つからない。次の日
ハチスは帰らない。次の日
ハチスは帰らない。次の日
ハチスは帰らない。次の日
ハチスは帰らない。次の日
ハチスは帰らない。次の日
ハチスは帰らない。次の日
ハチスは帰らない。次の日
ハチスは帰らない。次の日
ハチスは髪の毛を短く切って、前とは
違う化粧をして帰ってきた。
匂いが違う。詐欺したら警察に
つかまっちゃってという。
私、誰でもないから、釈放されたから。

事の顛末はこうだ。ハチスは
もう何年も都内の最高級ホテルの
スィートを借り切っている。
そのホテルを利用する紳士淑女を
スィートの占有者だという肩書きで
次々だまして金を借りる。
うまい投資話を持ちかけるなんて
いかにもだましてるって手は使わない。
正直に金欠の旨を申し出る。
男たち女たちの想像では彼女は中部地方のとある
金満家の未亡人で
膨大な資産を有し、手持ちの金がないのは
それらさまざまな形態の資産を
日本紙幣やクレジットに換金する手間が面倒だという
ただそれだけのこと。
本当の金持ちというのはそういうものなんだ。
彼女の身につけたものを見るがいい。
さりげなく希少なブランド品をまとって
何世代もかけて日本人にもやっと実現した身のこなし
成金では思いもつかない20世紀初頭の富の痕跡
何人もの著名な知人。
彼ら彼女らはかってにハチスの
身の上を想像し、感心する。
しかしさすがに不況下の日本
貸した金が返らないと訴える輩も現われる。
バブルの頃とは違うのだ。
ハチスはつかまるが、どこの誰とも知れない。
指紋その他彼女に関するどんな情報も
当局には皆無である。
自分が誰かを証明しない限り
解放されないのが建前だが
彼女の身元を保証するというけなげな会社役員もいること
ホテルの宿泊代もいつも滞りなく支払われている。
こうして警察はこんな
不可解な女に係わり合いになっても
立件はおぼつかないと判断
告訴しかけた男も示談に応じる。
法的には実在を証明できない女の罪を
問うことなどできはしない。

マスオが八人も殺して二十万円しか
手に出来なかった顛末にハチスは大笑いし
水商売の女の部屋に空き巣にでも入れば
すむことなのにと、その方法を
事細かに説明し始める。
拘置されてたとき、知り合ったこそ泥から
仕入れたネタらしい。
ハチスは出かける前よりずっと
若返ったようだ。
マスオは自分がひどく老け込んだように感じる。
ハチスはひどくよく喋るようになった。
この女の声はこんなだっただろうか。
思い出せない。この町に来てからの記憶は
薄らいでいくばかり、順序もはっきりしないのだ。
時間はまっすぐに流れるのでなく、空間化して
向こうから別なのが流れ込んできたり
こっちにあったはずのがどこかへ流出したりする。

そんなある日、ハチスはジャラジャラと
鍵を鳴らし廊下を歩き
フグタに部屋をあてがうと宣言する。
もう何年も開かれたことのないドアを開けると
埃の積もった部屋にはミイラ化した老人の
遺体があり、この人の年金
実はまだ振り込まれてるんだという。
各部屋にこうした老人が配置され
その年金の額は相当のもの。
嘘だ、そんな簡単に騙し取れるものか。
人間のすることだもの、規則はどうであれ
それを運用するのは人間。規則は
石で出来ていても、人間は血と肉で出来た気まぐれ。
ハチスはシェイクスピア劇のせりふのように
言葉のつれづれだけでそうのたまい、マスオはここがもう
もといた世界とはまったくちがうのだということに
あらためて気づく。テレビの
外側にあったのはこんな世界なのか。
こんな世界から自分たちは見られていたのか。
この世界の住人は一体どんな
思いでわれわれを見ることができたのだろう。
わけがわからぬ。

ハチスはマスオを監禁し
性欲を増長させて、愉しみに使った。
何日も放置して人恋しさに
たまらなくなったところを見計らい
セックスした。ナメクジのような性交。
ナメクジのように出会ってから互いの
雌雄を決した。行為の途中でさえ
性を交換し、犯したり犯されたりした。
さまざまな穴。突起物。柔らかいもの固い物。
魚のような動き。虫たちのようなうごめき。
やがてマスオは髪が薄くなった。
いつの間にかなぜだか指紋が消えていた。
もう自分はどこの誰だか分からないのだ。
ハチスは、フグタってこちらの世界では
実在じゃないからね、と説明する。
君が誘い込んだのか。
違うよ、フグタが自分から出てきたんじゃないの。
直前に何かあったんじゃないの。わたし、テレビ
見てないから知らないけど。
憶えてないの?
憶えていなかった。鏡を覗き込むと
年取った子供のような自分の顔があった。
妊娠したといって、けっこう
大きな胎児を棒でマスオに
引きずり出させ、血を抜き、日に干して
干からびてから玄関の靴箱の裏に貼り付けた。
すでにそのような胎児らがいくつも並んでいた。
犬のそれらもあり、ごちゃ混ぜに貼り付けられていた。

そんなある日の昼間、突然警察のがさ入れがある。
これまでのあらゆる罪を洗い清めるときだ。
しかしハチスはとうにいない。
監禁されたマスオは被害者として救出される。
大事件だ。各部屋の老人のミイラも
靴箱の胎児たちも回収されている。
よかったよかった。
救急車に載せられるとき、マスオは自分の姿が
もう透明になっているのに気づく。
救助隊員たちも自分たちが何を運んでいたか
もう忘れてしまったようだ。
今なら戻れるかもしれない。
彼は坂道を駆け下り、駅へと急ぐ。
なるほど駅にはそれだけがセル画で描かれた電車が
一台きり停車している。
すかざす飛び乗りマスオの帰還が始まる。
ガタンゴトンとアニメにありがちな
いかにも電車風のしかし現実の電車とはちがう音がし
列車は走り始めた。
車窓からショッピングモールが見えた。
白髪を振り乱して走る山姥が見えた。
何から逃げているのだろう。いや
追いかけているのか? 何を?
そうか、俺を追いかけているのだな。
何百年も生きている老婆はハチスの
怒ったときの顔をしている。
しかし彼女にはこの電車は見えないのだ。
マスオと視線のあうこともなく、ただ
髪を振り乱してショッピングモール内を走り回っていた。

マスオは帰ってきた。
あの町についた。
風がなかったのに、ひゅるるるるというような音がした。
なんだろう。
マスオは自分の髪の毛が抜け落ちるのを見た。
真っ白だ。顔を触ると皺だらけ。
そうか、俺は浦島太郎なのだ。
いや、そんな生易しいものではない。
マスオは干からびてゆく。骨が現われ、それも
粉のように朽ち果て、町全体も
砂の城が乾燥し崩壊するように崩れてゆき
マスオの灰塵を呑み込んで砂丘化する。
ほんのわずかな風でそれは高く
高く舞い上がり、お祝いの紙ふぶきみたいだ。





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コメント

きゃーーーーーー
おもしろかったです。謝々

Posted by: pico : September 18, 2004 7:13 PM

picoさん、お読みくださったのですか!
ありがとうございます。
「マスオ外伝」
あまりにも長大なので、かなり恐縮しておりますw

この作品、長編の一部なんです。
波平が磯辺でぼんやり釣り糸をたらしながら、ふと磯野家に二階を増築しようと思いつくことから、物語は始まります。
永遠の時間の円環が、徐々にほころびを見せていく。
また、子どもたちはテレビで「ドラえもん」を見ているのですが、最終回の予告が出て、話題となります。
ドラえもんの円環的時間がテレビの中で崩壊していき、同時進行して、サザエさん一家も「現在」の侵入で壊れていく。。

かなり「悪意」をかき立てて書くことになるので、書いてるとすごく疲れます(笑)

マスオ外伝に出てくる、高級ホテルのスイートに住んでる女の話は、実話を基にしてます。
ホテルで一番高い部屋に、何年も滞在してる中年の婦人がいて、金持ちや著名人にたくさんの知り合いがいて、お金も借りている。
結局、詐欺だったことがわかったのですが、警察は彼女が誰なのか、法的に特定できなかったそうです。
偽名と偽のプロフィールしかなく、指紋も戸籍も来歴も、何一つたしかなことがわからない。
やむをえず不起訴処分。90年代初めの事件です。

Posted by: Site icon overQ : September 19, 2004 12:50 PM
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