寓話、といいながら、何を寓意しているのかよくわからない。
意味のわからない寓話…というのは、実際にはよくあります。
作った当人がどんな寓意をこめようと、ちがったふうに理解される寓話もある。
どこかがかゆいのだけれど、どこがかゆいかわからないような。
何かを意味しているはずなのに、何の意味だかわからないような。
夜見る夢のような。
大切なことを告げているのに、それが何かわからない。
考えてみれば、宇宙そのものだって、そんな寓話のひとつなのかも。。
今宵の六十六夜は、「しっぽ」。
「寓意のわからない寓話」を寓意とした寓話。
わけわかんないや…
しっぽどれほど愛情をもって
尻尾をつかんだとしても
動物はおびえ
怒り狂うにちがいない。
なぜなら自分に尻尾があると
気づいてはいないからだ。
それは謂れなき恥辱以外の
何ものでもない。
しかしながら
放っておくわけにもいくまい。
尻尾はどんどん長くなっている。
いつ誰が踏んづけても
おかしくない状態だ。
そして踏まれて動物が
怒り狂うさまを見て
面白がってわざと
踏むような輩が
つぎつぎと現われるだろう。
そうなる前に
誰かが愛情をもって
そうっと尻尾を
握ってやるに越したことはない。
知られようと知られまいと
大切な役回り。
そのために生まれてきた
ということさえ
ありえるのではないか。
懺悔室ですね。
それとも、花様年華の穴のようなものなのかな。
2046が楽しみです。
しっぽの結末・・・
数年前に、大きな手術をしたことがあります。
麻酔から覚めたときは、首から下はまだ覚めてない状態で、
もしくは、あまりに激しい傷みで、
自分の体でないものがくっついてるように感じました。
時間がたつにつれ、傷みは増してきて・・
すごく痛いのに拘らず、生へむかっているのを感じたことも覚えています。
怖いのは、何も感じないということなんですね。
こちらの寓話を読んで、ふと、そんなことを思いだしました。
picoさん、こんばんは。
>怖いのは、何も感じないということなんですね。
そういえば、先日も、別なエントリーで、「痛いものを痛いと感じられない」「リアルなものがリアルでない」、そういう状態を、克服していきたい…というような、コメントをいただきました。
考えてみると、肉体を忘れて生きて生けるような状態が長く続くと、リアルが実感として失われるのかもしれません。。
花様年華は大好きな映画です。カメラがすばらしい。小津や成瀬の傑作を見ているよう。しかも、完璧なカラーで。
「どちらが誘ったかはどうであれ、私たちはもう始まっている」