柱や壁が音を立てて裂け、部屋の三方を埋めていた本がなだれのように襲来し、身動きが取れなくなった。震災の朝、いつくしんできた本に無言の「殺意」を感じた。四十年かけて集めた書籍をすべて捨て、仮設住宅に移り住んだ。
「新しい詩を書かねばならない」と思い続けた。大勢の人が毛布一枚の領域で
犇 めく部屋には、絶対の孤独がある。
机が一つ。夜具が一つ。他に何もない。買ったばかりの広辞苑を立て、紙に臨む。
科学を教える傍 ら、俳句に親しんできた。
千年に一度の地震体験を句にすることができなければ、駄目だと思う。
地震でひどい目に遭っても、それを客観視し、受け入れることによって人は豊かになる。
科学と俳句の根は、自然を見るという点では同じである。俳諧の一部にある「永続性のない事件である地震を詠むべきではない」との意見にはくみしない。
――和田悟朗(当時71歳)
言葉を失うような現状はいくらでもある。しかし、それは言葉によってしか伝えられないのではないか。
田中康夫は、ゲンチャリを使い神戸各地をボランティアで回った結果、「ありのままを映し出す媒体と評されてきたテレビでさえ、現実を伝えられなかった」と感じ、「言葉によってしか伝えられぬもの」を痛感したといいます。
その結果、彼は長野県知事になるわけで、県知事になることは、言説の徒としての行動の一環としてあったと、田中氏は言うのではないでしょうか。
…そのことを思っていました。
毛布に包まれた母の体は小さくて。身も蓋もない無残な事実ですが、母の大きさはそこにあったと、息子はやがて気づくのではないか。
男たちが助けあげた子供の体は、大きかった。動くし、見つめるし、抱きつくし、声を上げる。手から手へ、命のほうへ運ばれていった。やがて、泣き、笑うはず。
高橋徹さんのお言葉、決意、身が震えるような思いで読みました。 前に市井の無名のミュージシャンたちに心を震わされた経験でoverQさんとさせていただいたやり取りの中で感じたような、民衆の中からわき上がってくるような力を再び感じました。
例えば言葉でしか伝わらない部分もあれば、やはり言葉では伝えられない部分も確かにあって、そういうものを人はあらゆる手段を使って、どんなに不格好でも伝わるだけの手段を尽くして伝えていくべきなんだろうと思います。もちろん言葉も尽くして。
なんだか意味の不明な文章になってしまいました。長文申し訳ありません。
Posted by: だい : October 30, 2004 3:33 AMこちらの記事をよんで、私も大変、感動しました。
今こそ、言葉というものの重要性をひしと感じます。
みえないものを言葉にしてひきだすこと。
みえないものをみることができる人が、
ボランティアの方々や、現地の方々に増えることを、
ただただ祈るばかりです。
田口ランディさんのblogをみて、
また、昨日のニュース23のおきざりにされた犬の報道をみて、
何もできない自分に、ひどくジレンマを感じます。
伝えたいことが、もっとあるのだろう。というきがしてなりません。
やくにたたない報道にも、非常に憤りを感じます。
が、しなければいけないことは攻撃することではないので、何かできないかと考えています。
>だいさん。
被災地にだいぶ物資も運ばれ、ボランティアも入ってきてるようですが、こっちでは過剰、あっちでは不足、という状態は避けられないようですね。
取材陣は、すばらしい機動性があるので、かなり早く現地に到達するけど、報道するばかりで、助けてくれない。
一方、公的機関は、組織なので、上に情報が伝わってから、下に命令が下されて、やっと動き出す。しょっちゅう、おあづけ状態で、現場では不満が募ります。
結局、初めの二三週間は、ひとりひとりがその場その場で判断して動くしかしょうがないらしい。道路の情報ひとつとっても、口コミ以上の情報網はないのが、神戸のときの現状でした。
そして、そのあいだは、実際的な細々した生活の工夫がメイン。
でも、実際的な作業の中で、道路の情報、物資の情報、人手の情報、病人の情報など、生活に必要なものを伝えあいながら、その過程で「言葉」が鍛えられていくんだと思います。
それは、マスコミや公的機関にはできないことなのでしょう(地元のFM局なんかはちがうかもしれませんが)。
そして、「心」の問題も、実のところ、実際にやり取りされる、日常的な言葉の中にこそ、流れているし、また流れるべきものなのではないでしょうか。
それは、被災地だけには限らないかもしれません。
>picoさん。
地震や台風など、報道的には「事件」というジャンルで、すごく非日常的な出来事。
でも、実際の被害の現場では、最初の鉄火場をすぎると、むしろ日常の延長として、めんどくさいことの連続なのにちがいありません。
被災地の支援も、道義的な感動的な何かではなく、日常の細々した「用事」ばかりだと思います。
長期的なボランティアの経験はないのですが、あんまりやる気満々だと、かえって長続きしないような気がしますw
田口ランディは、神戸のとき、紙おむつが足りなかった話を書いてました。老人は、紙おむつのメーカーや型番まで指定して、持ってきてくれといいます。めんどくさいです(笑) そして、めちゃめちゃ日常的な風景でもあります。
公的機関やマスコミで、上からかっこいいこと、感動的なことを言うよりも、日常の言葉の中に、ほんとの「心」があり、高橋徹さん和田悟朗さんの目指す「言葉」もそんなものなんだと考えています。
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