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カフカと飛雄馬、その罪と罰

written by overQ
January 27, 2005

巨人の星 タイピング養成ギプス星飛雄馬とフランツ・カフカはよく似ています。
次のような点で。

・父が怖い。
・そこはかとない罪の意識。
・自己を罰するかのような自虐的人生。
・恋愛は繰り返すが結婚には至らない。
・少年の面影を残したまま。
・魔球と魔宮。

巨人の星 雄飛編 Vol.5飛雄馬はもちろん「巨人の星」の主人公。といっても、若い人はもう知らないのかもしれない。
でも、燃える瞳や養成ギブス、消える魔球、ひっくり返るちゃぶ台、物陰から見守る姉ちゃんなど、無数のイメージは、ある世代の日本人の心の重要な部分を形成しています(当人が自覚する以上に)。
お笑いネタで取り上げられることが多いのですが、通しで読んだり見たりすると、ぷっと吹き出しながらも、きっと猛烈に感動してしまう。
バフチンというソ連の文学研究者が、ラブレーの文学を解析して、グロテスク・リアリズムという概念を打ち立てましたが、「巨人の星」の表現こそがまさにGRなのかもしれない。

飛雄馬少年。
家の壁に空いた、ちょうどボール一個分の穴。そこから、速球が飛び出してきて、向かいに木に当たって、またもとの穴に戻っていく。
針の穴を通すようなコントロール。

病的であると同時に笑いも誘うエピソードの数々。少年・飛雄馬は、身も心も父にたわめられている。運命がその小さな肉体に刻印されている。
文字通りたわめられているのであって、その表現はやがてあの大リーグ養成ギブスに到達します。これは多くの日本人の深いトラウマになっていて、カフカ「流刑地にて」を読むと、日本人の脳シナプスは、処刑マシンと養成ギブスを、きわめて近い場所に配置するのです。
その直感は、たぶん正しい。 *1

  +

巨人の星 青雲編 DISC2父によって、たわめられた少年。
カフカもそうでした。
カフカの父は、地方の貧農の出身。裸一貫、身ひとつからの叩き上げで、ヘルマン・カフカ商会をプラハで営むに至った男。
体つきはずんぐりとして筋肉質。猪首で日本の武者のよう。赤ら顔で怖い面相。
父の商会の跡継ぎとなるべきさだめの息子フランツ。
父は、息子に自分に欠けている唯一のもの…すなわち「学問」を身につけさせようとしました。できる限り最高の教育を受けさせたのです。日本でも、よくある父子関係です。
しかし、息子フランツは、父ヘルマンの願いを叶えることはできませんでした。
どうにかこうにか法律の試験にパスして、とりあえず労働者傷害保険局に就職。
父から逃げたかったのです。自分自身を見つけたかった。
と同時に、父の願いを叶えられなかった(あれだけの教育を受けさせておきながら)。家族の柱になれないダメな息子、という罪の意識にもさいなまれる。
父の作り物ではなく、自分自身になりたい。でも、自分自身になることは、それ自体が罪なのだ。家をないがしろにしてまで、実現したい自分自身だと? わけのわからない文章を書いては、引き出しにしまいこむことが、それか。そんなことに何の意味がある?

父・一徹は、夜空をあてどなく指差し、「巨人の星になれ」と繰り返し息子に告げた。
星飛雄馬の人生は、父との戦い。それは、中日コーチとなって敵対する一徹に対するものだけではない。
むしろ、自分の内面にいやおうなく構築された父との戦いでもありました。
野球の現場で、一徹と戦うこと自体、父の思惑にはまること。
「巨人の星」では、飛雄馬が、父や野球から逃げるエピソードが繰り返し現われます。闘争を逃走と読み替えること…でも、やっぱりそれは不可能だった。

巨人の星 青雲編 Vol.8飛雄馬は、球質が軽いという理由で、本格派の速球投手になれない。
ここから、ニンジャ道が始まります。
真っ向勝負ではなく、逃げることが、飛雄馬の魂の見つけた、生き延びるための方法。
父=野球の思惑を実現すると見せかけながら、じつはそれを裏切るような形としての、魔球。それが、飛雄馬の見つけた自分自身。たいへん窮屈で無残な生です。 *2

そればかりではない。
魔球の中に、生き生きとした自分を見出すことさえ許されない。
魔球という邪道に走る飛雄馬は、忍者でいうところの抜け忍。罪人。追われるもの。罰を受けるべきもの。
左腕で達成された三つの魔球は、どれもどこか自虐的でした。実際、大リーグボール3号は、飛雄馬の左腕を破壊し、野球人生を奪う(はずの)ものでした。
破滅。崩壊。逃げることが最終的にたどりつく出口はカタストロフィ。はじめから、そんなことはわかっているのです。
なぜなら、逃げることは、引き伸ばされた罰であり、それ自体がすでに処刑の一部なのですから。

  +

Kの領域に入ってしまいました。
Kは、引き伸ばされた処刑を執行されている。そして、最後が死であることは、初めから明白。
人生とは、引き伸ばされた処刑であり、その終りは死。
「審判」や「流刑地にて」だけではなく、カフカの作品はことごとく、処刑の方法の探究。いかに奇妙な、まわりくどい処刑を行うか。
アメリカは広大な流刑地であり、城の下に広がる町は牢獄。(「失踪者」「城」)
断食を処刑ではなく、芸(=魔球)と呼んでみることの韜晦。(「断食芸人」)
虫に変身したり、門の前で待ち続けたりすることも、芸なのか。(「変身」「掟の問題」)
逃げたと思えば、橋の上から飛び降りてしまう自分。(「判決」)
おびやかす動物たち、おびやかされる動物たち。(「貂」「こうのとり」「禿鷹」)
パクリと喰われるネズミ(「小さな寓話」)。
地下の底の謎の生き物(「巣穴」)。
空から降る拳。(「町の紋章」) *3

なぜ、そんな迂遠な処刑法を編み出すのか。
処刑者ができる限り、罪の自覚に至らないようにさせるため。罰を受けていることにさえ気づかないなら、その罪を自覚しなくても済む。
しかし、自分自身から逃げ去ることは、不可能なのです。自分で自分を罪人とさだめ、罰を与えているのに、そのことから逃げ出そうとする矛盾。逃げれば逃げるほど、罪の内実が克明になっていく。 *4

逃げることは、処罰の回避であるはずなのに、逃げること自体が処罰になってしまう、という逆説。
生きることは、死の回避であるはずなのに、生きること自体が死と地続き。

   +

巨人の星 雄飛編 Vol.9カフカに妹と恋人たちがいたように、飛雄馬にも姉と恋人たちがいた。
そして、結局、誰とも結ばれなかった。
カフカも飛雄馬も、男の顔ではない。少年のまま。大人になることを許されないもの(カムイなんかもそうですね。漫画家のなかば無意識な表現が、いかに適切か)。
恋はするが、結ばれることはない。すでに処罰の過程の中にあるものに、結婚など許されるはずがない。独身者という罪人。独身という罰。
飛雄馬の恋人ミナは不治の病で死にますが、カフカを取り巻く女たちの多くは、ナチスによって処刑されます。
カフカの最愛の妹オトラは、非ユダヤ人といったん結婚します。のんきな夫で、ユダヤ問題の存在すらよく気づけない男だった。差別してないのではなく、差別の存在を知らなかった。でも、そんな人は、いったん状況が整えば、差別の罠にたやすくはまる。
オトラは自分の意思で離婚し、ふたたびユダヤの星を胸に貼る人となる。彼女もまた自分自身になろうとしたのです。離婚によってフツーのユダヤ人に戻ったオトラは、収容所送られ行方不明。兄はとうに死んでいました。

  +

新巨人の星 (1)星飛雄馬は、左腕が壊れた後も、ふたたび戻ってきます。「新・巨人の星」。
代打専門の要員となって、巨人軍に復帰。しかし、すぐにニンジャ病が発症し、スクリューのように体を回転させるスライディングの話になります。
そして、あの「大どんでん返し」。
飛雄馬は本来右利きであり、父・一徹が無理に左利きに矯正していたことが発覚。
父にたわめられたのではない右手で、投手としての再起にかける。
針の穴を通すコントロールは失われ、ノーコン剛球投手・星飛雄馬の誕生。
「新・巨人の星」では、一徹の死も描かれます。
それで、飛雄馬は、父のくびきから逃れ、生き生きとした自分を見つけられるのか。
しかし、結局、やっぱり、魔球に帰っていきます。蜃気楼ボール。罪の意識のきっかけは父にあるかもしれないけれど、すでに内面化されて、自分自身の一部になっているから、逃れようもない。
同時期の漫画「野球狂の詩」では、水原ゆうきの魔球は、魔球ではなくドリームボールと呼ばれますが、飛雄馬のはやっぱり魔球。夢じゃなく魔。ふたたび、魔に陥る。
そして、最後はまたしても、背中を見せて去っていく飛雄馬(いちおうメジャーを目指して旅立ったことになっている)。終わった感じのしない、未完の気分。
右腕の魔球・蜃気楼ボールは、その正体が明かされないんです。まるで、城のようです。
完全な処刑は、それが行われたことさえ気づかれず、また罪人がそもそも初めからこの世に存在しなかったとさえ思わせる。無。 *5


*1 : ラテンアメリカ文学を日本で最初に発見した人のひとり、寺山修司。
彼は同時に梶原一騎漫画のモーレツなファンでもありました。マルケスも「巨人の星」も、グロテスクリアリズムの宝庫という点で一致していたから。
*2 : より細かく見ていくと、魔球の起源は一徹の魔送球。川上哲治によって邪道と宣告されたもの。巨人の星になど、はじめからなれるはずのないさだめ。飛雄馬は、父を憎むと同時に、深く愛していて、じつはカフカもそうではないかという視点が開けてきます。
*3 : 労災保険局で、カフカがした仕事のひとつは、指切り機械の改良。どこかの工場で使われてる機械が、扱いが難しくて、しょっちゅう職工の指を切断してします。
カフカは、指のない手のイラストをふんだんに用いて、機械の欠陥を指摘し、改善を促しました。以降、事故はなくなったそうです。
指なしのイラストは、ずいぶん克明で、たぶんカフカはそれを見て、うっとりしたでしょう。みごとに罰されたものへの憧れで。
*4 : ふと家を出たまま帰らない夫ウェイクフィールド。ホーソーン「ウェイクフィールド」が、カフカの先駆といわれるのは、逃げることの先輩だから。
ウェイクフィールドは何十年もたってから、我が家に戻ってきます。
逃げることをやめたのか。
その時点では、我が家に戻ることが、より効果的な処罰だったからではないでしょうか。
*5 : 飛雄馬は、矢吹丈になれなかった。あるいは、「新巨人の星」の終りから、「あしたのジョー」が始まる。
ジョーは父も由来も持たない風来坊。父の代わりになるのは力石徹ですが、ジョーは力石を完全に内面化すると同時に、同じ道を力石以上にまっすぐ歩き、真っ白に燃え尽きて、罪も罰もない彼岸に達します。Kとは別な世界なのです。やっぱり、ちばてつやの存在が大きいのでしょうか。
カフカと飛雄馬は似ていても、カフカと梶原一騎はほどんど似ていないのが、面白いです。


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