今回のJMBさま連携TB企画は、1周年&300突破記念企画(おめでとうございます!)
My Music Taste
いちばん思い入れのある音楽
…となると、私は、John Lennon。
それも、主夫時代のレノンさんが残した、とってもラフなデモテープ。ロスト・レノン・テープ。
95年の大晦日でしたっけ、ビートルズ・アンソロジーが放送されたのって。
目玉は何と言ってもビートルズの新曲「フリー・アズ・ア・バード」でした。
「ジョンが死んでるのにどうして新曲?」と思ったけど、じつはレノンさんは、主夫時代にもたくさんの曲を作り、録音してた。フリー・アズ・ア・バードも、その一曲。
ダブル・ファンタジーを引っさげてスターティング・オーバーしたときは、「主夫をやってる間は一度も楽器に触ってない」なんて言ってたんですが。
これらの音源は、Lost Lennon Tapes と呼ばれます。
ジョンの死後、88年からアメリカのラジオ番組で公開。
音源は一度盗まれたので、ロスト、と呼ばれるんだそうです。返却されたのには、あるいは何か裏取引があったのか…などと思ったり。
膨大な量があります。
ビートルズ時代からソロ時代にわたるさまざまなアウトテイク、デモテープ、そして主夫時代に作り録音したものがあります。
一部は公式版のあちこちに入っていますが、すべてを聴こうと思ったら、海賊版によるほかないでしょう。
主夫時代の自宅録音については、ふつうはデモテープと考えられています。作った曲を楽譜に書く代わりに、録音で記録したもの。
だから当然、完成形ではなく、下書きやメモのようなもの。
でも、私は、そうじゃないのでは、と思っています。むしろ、意図して、このようなラフなテープ録音を作成したかもしれない、と。
以下の話、信憑性は保障しかねます(笑) 私の聞き方にすぎず、たんなるフィクションかもしれません。
レノン・ファンは世界に億の単位で存在するはずですが、こんなこと言ってる人はあまりいないようなんで、たぶん信憑性は薄いのです…私ひとりの思い込み、妄想( ;∀;)
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そもそも、レノンはなぜ、商業音楽から退いて、主夫をはじめたのか。
理由はいろいろあるのです。アメリカ永住権も取れたし、子供も生まれたし、アップルのいざこざも一段落したし、レコード会社との契約も終わった…といった外面的理由もあります。
また、内面的な理由としては、ロックスターという自分のあり方への疑問も、あったのではないでしょうか。
レノンのニューヨークの友人に、ジョナス・メカスがいます。
メカスは、ナチスの迫害を逃れ、リトアニアからニューヨークに移民してきた映像作家。代表作「リトアニアへの旅の追憶」は、インディペンデント・ムービーの最高傑作のひとつ。レノン夫妻が映っている作品「時を数えて、砂漠に立つ」もあります。(→「メカスの友人日記―レノン・ヨーコ・マチューナス」)
メカスの作品群は、16ミリで撮った、ドキュメンタリーというか、日記のような映像。手ぶれやピンボケ、ぞんざいなフレームワークと、とてもラフで、でもそこが魅力。
メカスは、自作を、Private Movie (私的映画)と呼んでいました。
そのメカスを高く評価していたジョン。
ひょっとすると、レノンもまた、音楽で同じことをやろうとしたのではないか。
「プライベート・ミュージック」を作っていたのではないか。
商品化される音楽に対して、私的な音楽のあり方を、探していたんじゃないか。
だから、まさにあのラフな録音こそ、作ろうとしていたそのものだったんじゃないか。
そんな気がするのです。
大量生産される音楽ではなく、プライベートな日常に、当たり前に存在する音楽。
完成や競争を目指すのではなく、その瞬間を楽しむだけのもの。そして、次の瞬間には消え去るもの。
失敗したり、ためらったり、調子に乗ったり、途中でやめたり、やり直したり、ちがう曲になっちゃったり…そんないちいちの音の所作が楽しげな、主夫時代のレノンさん。鼻歌を歌ったり、なれない楽器でコードを探しあぐねたり。
でも、それがもともとのジョン・レノン。ビートルズは商品やスーパースターである前に、音を楽しみ、音を遊ぶ人だったはず。
ポピュラー音楽のあるべき姿を、レノンさんは模索していたのではないでしょうか。
主夫時代の作曲は、Double Fantasy や Milk And Honey の元曲も含めて、40曲あまり。
名曲ぞろいです。ちゃんと録音すれば、シングルでチャートを狙える曲も多数。ジョン・レノンという人は、名曲しか作れないようです。
多くは内省的な内容で、深く落ち着いた雰囲気があります。
そして、音楽するのが楽しそうです。(→この話題は、以前にも書いたことあります。こちら)
[フリー・アズ・ア・バードについて]
フリー・アズ・ア・バードは、おそらく「チベットの死者の書」から取られています(と私は思い込んでいます)。
死者の魂は、肉体を離れて、鳥のように自由になる、という考え。
Whatever happened to the life that we once knewという一節も。「かつての生がどんなものであったにせよ」とも訳せます。
テイクのひとつでは、曲を始める前に題名を、
Free As A Void
と、わざとまちがえて言っています。「無としての自由」。無は、仏教で言えば、空。
この曲が、ビートルズの再生となったのは、思えば輪廻みたいで不思議です。(チベット仏教的には、輪廻したら、解脱できてなくて、ダメなのかもしれませんがw)
プロモーション・ビデオも、死者の魂が鳥になって、自分の生を振り返るようでした。
overQさん、ご参加&TBありがとうございます。
力作のエントリ、なるほどですねー。
商業主義の頂点に立って、全てが手に入った時、
そんな方向に行きたくなるのは信憑性があります。
なかなかに深いお話、面白いと思います。
JMさん、一周年おめでとうございます!
ジョン・レノンの音楽活動の中で、じつは主夫時代がいちばん好き、という、ヘンな私ですw
この時期のジョンは、作曲では得意なギターじゃなくて、ピアノを主に使ってます。
ギターだと、手がおぼえてるコード進行になりやすいので、あえて不得手な楽器を使ったみたいです。
「音楽はやってない」といいながら、じつはひそかに新しいことにチャレンジしていたジョン。
生きてたら、やっぱり、音楽シーンはずいぶんちがったものになってただろうなぁ。。ほんとうに残念です。
前に、overQさんがジョンレノンの主夫時代と彼の音楽でお話させてもらいましたね。
その時も、旺盛に作曲し続けていたという彼に驚きました。
主夫時代のレノンって、彼の一生で一番安定していたのでしょう。
若いときのロックンロールやってる痛々しさを浄化したような。
何だか、不思議人間overQさんとレノンが重なります〜!
ワルツさん。
私は主夫時代のジョンが好き。
海賊版を買いこんで、ずいぶん聞き込んだことがあります。
たぶん主夫レノンの研究家を名乗れるくらいですw
といっても、この時代のジョンを重視してる人って、すごく少ないんですが(トホホ
ジョンはこのころ、よく旅行もしています。
日本にも何度も来てて、寺町二条上がったあたりの散髪屋さんで、髪も切っています☆
香港にひとり旅したこともあって、
それが「スター」じゃない自分自身を、十代以来はじめて取り戻す経験だったらしく、
深く感動したらしい。
じつは、その直前、二度ほど自殺を考えていたようです。
そんな大きな人生の危機を乗り越えた矢先に、あのような死が待っているとは。。
「スター」である自分を乗り越えたのに、スターの虚像を追うファンに殺されたのは、
あまりにもむごい、皮肉な運命でした。