先日のたら本11でご紹介した、「東方旅行記」。
LINさんは初版本を入手されたらしいです。ちょっとうらやましいw
picoさんは第二版をお持ちだそうで、私の持っているのは第三版。
けっこうレアな東洋文庫ですが、三拍子そろいましたヽ(´ー`)ノ
記念にもう一度、「東方旅行記」の危険な魅力について書いてみます。
…ちょっと書き切れなかったことがあるのです。
じつはね、私、この本は、悪魔が書いたんじゃないか、と思っているのです…( ;´Д`)
カタイから大小のインドへむかう人はカディルヘと呼ばれる、大きな王国を通り抜けるだろう。そこには、ひょうたんのように大きな果実があり、熟したものを割ると、中に肉も血も骨もある獣が一匹はいっている。それはまるで毛のない子羊みたいである。
マンデヴィル「東方旅行記」
大ベストセラー「ダ・ヴィンチ・コード」。「東方旅行記」が書かれたのは、14世紀後半。ダ・ヴィンチは、その100年後の15世紀後半の人。
この時代、異端の考えは、ヨーロッパよりも、むしろ東方世界によく残っていた。
東へ東へと追いやられた、異端の思想。
たとえば、中国で景教と呼ばれたネストリウス派のキリスト教。その教えは、イエスの中の神性と人性を区別するものだったとか。オリエントで根強い影響をもっていたらしい。
おそらくこうしたものの影響なのでしょう、イスラム教の聖典「コーラン」も、イエス(イーサー)を、神の子ではなく人間…ただし、偉大な預言者だと、繰り返し語っています。
13〜15世紀、マルコ・ポーロからルネサンスの時代。
ヨーロッパに流入したのは、イスラムの医術や天文学だけではなかった。
オリエントに保存されていた異端思想も、こっそりごっそりヨーロッパに忍び込んだかもしれません。。
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さて、「東方旅行記」。前回も引用したリンゴの話。
この国では、一年のある時期、楽園の林檎と称するものを売っている。甘くて美味。どこを切っても、その真ん中に十字架の形が見える。けれども、八日たてば腐敗する。だから遠国には持っていけない。また、アダムの林檎と称するものもある。どれをとっても片側に、まるで人間の歯で噛んだような、歯の跡がついている。さらに…
マンデヴィル「東方旅行記」
そのさきには、ピタンという別の島がある。その島の住人は、土地を耕したり、種をまいたりしない。飲み食いもしない。きれいな人々であり、血色もよく、体つきもりっぱである。というのも、彼らは小人であり、島に自生している野生の林檎の匂いを食物としている。家郷を離れて遠くに旅立つときは、きっとその林檎をたずさえていく。なぜなら、林檎の匂いをかげないと、たちまちに死んでしまうからである。
マンデヴィル「東方旅行記」
楽園にリンゴはなる。リンゴは、知恵の実で、楽園に住むものは食べることが禁じられている。
しかし、楽園の外に広がる、荒涼の現実世界では、「知恵」は必要なもの。そこでは、人は、「悪」とともに生きるすべを模索しなければならない。
楽園の住人は、外界では生きられない存在。無理に外界へおもむく場合、食べることはできないが、かわりにリンゴの匂いを嗅ぐ。かろうじて「罪」をまとい、現実の邪悪に適応を試みる。
…子供にスタンガンを持たせるような話ですw
「悪」は罪なのですが、現実を生きるためにはそれは不可欠。使いようをよく考えねばなりません。
…悪魔のささやき、異端思想。。
ユダヤ人はイエスをはりつけにしたわけでなかった。そう思い込んだだけだ。神はイエスを、死のない自分のところに運び去り、イエスの似姿をユダ・イスカリオトの中に移し変えた。ユダヤ人はイエスを十字架にかけ、それがイエスであると信じた。ところが、イエスは生きたまま昇天したから、やがて全世界を救いに舞い戻ってくる。
マンデヴィル「東方旅行記」
ただ、もしユダが身代わりだとすれば、いきなり話は劇的な展開に。
あるとき、イエスは、ユダが自分と見かけがそっくりだと気づく。そして、ユダがすでに、自分を金で売ったのも知っている。
「では」と悪魔がささやく。「ユダを身代わりにして、生き延びてはどうか」
この誘惑…そして、イエスの煩悶。。
自分は神の言葉を伝える貴重な存在。それに対して、ユダは師を金で売るような卑劣なやつ。
ユダを身代わりにして、自分が生き延びて、それがいったい何の罪になるのか!
…悩み苦しむイエス。「罪と罰」みたいです。
そして、ユダを身代わりに生き延びたイエスの前には、ソーニャならぬ、マグダラのマリアが!
思いっきり異端です。火あぶりです。イエスは、復活によって、その神性を証明するのですから。
マンデヴィル Mandeville のつづりは、悪魔 DEVIL と人間 MAN のアナグラムなのです。
「東方旅行記」には、このように、キリスト教が整備される中で捨てていった、悩ましい寓意をはらんだ伝説がいっぱい。
異端にされてしまった伝説は、信仰に関する本質的な問題と結びついています。「答え」が見つけられない難しい問いなので、捨てられていったのではないでしょうか。
でも、生きていくうちでは、このような「難問」に出会うこともある。
宗教が、異端の煩悶を切り捨てた「きれいごと」でしか、答えを示してくれないなら、人はむしろ悪魔と取引するようになるかもしれません。
マンデヴィルやダ・ヴィンチの時代、教会は極度に腐敗するのです。。
こんにちは〜
わたし、子供のころ「イエス・キリストは日本に逃れ、青森にお墓がある」と聞いたことがあります。
十字架にかけられたのは身代わりだった、とも聞きました。
子孫もいたとか聞いた気もします。
おそるべし青森。「東方旅行記」もダヴィンチコードもコーランもびつくり!
参考→http://mytown.asahi.com/aomori/news01.asp?c=5&kiji=303
美頬さん、こんばんは!
この青森の話、私も子供の頃、聞きましたが、燃えますね!
よくよく考えてみると、異端にされたキリスト解釈が伝播したものの可能性が高いです。
マグダラのマリアと結婚して子供も子孫もいた、という話まであり、
「生き延びたキリスト」というのは、世界的に伝播してるように思えます。
イスラム教自体が、そのバリエーションのひとつ、という衝撃の解釈がw
じつは、私、以前、キリストとユダが双子の兄弟で、死の前後に入れ替わる、という話を書いたことが!
http://www.overcube.com/blog/archives/000164.php
http://www.overcube.com/blog/archives/000165.php
あまりの偶然に、なんか、ちょっと、怖くなってきました☆
小説読ませていただきました〜
萌え兄弟・・(以下自粛)
すみません。トラバさせていただきました。
これからもすてきなお話、お聞かせください!
青森のイエスとその弟の墓。
レンヌ・ル・シャトーの、イエスの子孫の伝説。
コーランが伝える「十字架にかけられたのは別人」説。
この三つを並べると、
「イエスが磔にならず、生き延びた」という説、
つまり、「イエスが神の子じゃなくて、人間として再生した」という考えが、
かなり広く伝播していた可能性が出てきます。
これって、新説かも(笑)
でも、「神の子」というキリスト教の正統の考えは、
やっぱりどうしても「疑問」を生みます。
この一点をめぐって、宗教は分裂したといっていいかもしれません。
イエスの正体。
これは、真理の正体とか、愛の正体とか、情熱の正体とも結びついてて、
当時の人々も、現在の私たちも、じつは同じ問題を考えてるのかもしれませんね。
イエスの正体も謎ですが。
仏舎利もおもしろいですよね。
先日、石川県に関わるお仕事をしていて、
石川県に、モーゼの墓(ミステリースポット)がある。
ということを始めてしりました。
これって、有名な話なのでしょうか?
妄想が暴走したのか?
観光誘致で、誇大表示しすぎたのか?
とにかく、びっくりしました。
人間って、愚かでかわいい生き物ですね。
Posted by: pico : April 1, 2005 12:00 AMpicoさん、こんばんは。
イエスの伝説とか、遺品と称するものとかって、
民間レベルでは、じつはいっぱいあるようです。
聖書や教皇の正式発表とはぜんぜんちがうイエスや使徒の伝説・遺物が、
それこそ仏舎利のように、各地にばらまかれているみたいです。
日本にさえあるというのも、なんかすごいです。無謀ですw
イエスが生きた場所は、ヨーロッパ(ギリシャ・ローマ)ではなくて、
オリエントのいちばん西の端なんですよね。
だから、フィクションが現実を上回るのかも、と思っています。
アラビアンナイトと同じ伝統で。