あらすじやオチを紹介すると、「ネタバレ」ということで、価値が損なわれる本や映画。
逆に、繰り返し読んではじめて、理解が及ぶような作品も存在する。
読み方・見方もいろいろ。
初めから順番に読んでいって、次の展開がどうなるかが楽しみな読書。
逆に、いったん全体を把握した上で、細部を味わっていくことで、よくわかるようになる読書。
多くの本は、両方の側面をいくぶんかずつ、持ってるでしょう。どちらの読み方も可能な本もあるでしょう。
ドストエフスキーを評価する人は、ふつうドスト作品を繰り返し読んでいます。繰り返し読まないと(また他のドスト作品も読まないと)、見えてこないものがそこにはある。
推理小説は、もし謎解き…犯罪の種明かしにだけ興味があるなら、繰り返し読むことはあまり意味がないはず。
でも、ジェットコースターのように、何が起こるかわかっていても、繰り返し楽しいというような、巧みな音楽的展開の作品がある。
また、チェスタトンになると、奇想天外なトリックが描かれながら、むしろはじめにタネがわかっていて、その扱われ方の手腕を味わうほうが面白いのではないかとまで、思いたくなる作品もあります。
作品の細部は、全体を把握した上で読んだほうが、よくわかるし、面白い。
チェスタトンは推理小説の中では、すこし特別な位置にあるらしい。面白く読むための読み方がちょっとちがうのが、その原因。
チェスタトン型の作家というと、日本では、久生十蘭とか、前にご紹介したことのある日影丈吉とか、渋澤龍彦が少年期に心酔した大坪砂男とか。塔晶夫(中井英夫)も、このタイプに属すように思います。
津原泰水も、どちらかといえば、たぶんこの系譜。
これはね、でも、売れない系譜でもあるのです(笑) 死後、売れるというか(;・∀・)
そんな前置きとあまり関係ないのですが、今夜の九十九夜は、「叔父の覗き穴」。
叔父の覗き穴
戦争から戻ってきた時
叔父には
覗き穴が取り付けてあった。覗き穴は
首の付け根にある
小さな暗い窓で
覗くとたいていは闇の中
地獄の烈火がはためいていた。
砲弾が貫通した後に施した処置だとも
軍が兵卒の管理のためしつらえたとも
兵隊どうしの無謀な賭け事に
付き合わされた挙句のことともいうが
さだかでない。
躰の小さな人だったのに
穴から覗ける闇は広大であった。
ときどき叔父はいなくなったが
それは自分の穴の中へ
オウム貝のように
引きこもっているから。
したがって叔父を探すには
この穴から覗き込めばよかった。
しばらく覗いていると
目が慣れてくる。
すると蝙蝠のように逆さまになって
ぶら下がる叔父がそこに見出せた。
「おーい、叔父さん」
呼びかけると返事もしないが
ぐるりと裏返って
叔父は穴から出てくるのだった。戦争に行く前は
負けん気の強い
やんちゃな少年だったという。
「何度泣かしても
自分の意見は頑として曲げない
意志の強い弟だった」
と父は言った。
しかし戦争から戻った叔父は
部屋に引きこもりきり。
話しかけても答えることもなく
姿勢正しくじっと部屋の隅にいて
自らの闇を覗き込んでいるのだった。「ほら晩御飯できたから
叔父さんを呼んできて」
とよく母に言われたものだ。
家族の誰もが
なんとなく薄気味悪がって
叔父の部屋には行こうとしない。
だいたい部屋に行ったところで
たいていはがらんとして誰もおらず
そんなときは叔父は
自分の覗き穴に引きこもっているのだ。
叔父を呼び戻すのが
いつの間にか家族の中で
ぼくの役回りになっていた。
「いやだよー」と口で入っていたが
本当は穴を覗き
場合によってはその中をたどるのが
怖くもあるが
ほのかに冒険心を
くすぐられるのでもあった。最初は覗き込んで
叔父の名を呼びかける程度だったが
慣れてくるとだんだん
中に入ってみるようになった。
叔父もまた
ますます深いところまで
引きこもるようになったので
穴の手前から呼びかけるだけでは
もう呼び戻せなくなっていた。穴の入口からしばらくは
暗い廊下がつづく。
両端に点々とろうそくのような
ゆらゆらした炎が燃えている。
それらは大食の業罰で
自らの脂肪に
火を放たれた肥満者たちだ。
うめき声が洩れぬよう
喉笛は深く引き裂かれていた。
表情はとろけた脂肪でゆがみ
富の重みでひしゃげて
泣いているような
笑っているような。奥に進むにつれ
さまざまな罪にあおられ
火勢は強くなる。
地獄の業火らしく
熱も光も出さずに燃えている。
実際、手をかざしても熱くなく
むしろ冷たくて
体がブルッとなる。
それから急に不安になる。
自分がこれまで生きてきた人生は
罪と過ちの連続だったのではないか。
まとわりついた気がかりを
振り払うように進む。
蛇の舌になめられるような
ぬめりけのある嫌な感触がずっと残る。叔父がよく行く場所がある。
廊下の突き当たり近くにある七つの扉。
そのうちのひとつは
階段を上がったところにある
分厚くて重い木の扉。
開くと広大な密林が広がる。
奥のほうには
長い触角を持った
巨大な虫たちがいる。虫の目は赤くほのかに輝いている。
これまで食べた人間の
罪の炎で燃えているのだ。
とげの生えた太い触角は
自他に残酷な生殖器官を連想させる。
まだ食べさしの罪人が
腕や足をもがれたまま
息絶え絶えにぶら下がっている。
虫にはそれが誇りらしく
たくさんぶら下げるほど
アピールするものがあるらしい。
虫の腹は
ずっと奥のほうまで広がっていて
見えない。
業の消化に時間がかかるのだろう。
何年もかけて
人の苦痛をゆっくり吸収するのだ。虫はときどき
猛烈な勢いでその長い首を振り
触角についた人間のカスを
振り落とす。
人を殺さない範囲でちぎって
命のあるほうは口に入れ
その苦痛を消化吸収し
ないほうはカスとして捨てるのだ。
また触覚をうねうねとうごめかし
人間団子を作り出すこともある。
うねる触覚は
情欲に狂ってもつれ合う
何千匹もの蛇のようだ。
自分本来の形を忘れてしまい
それを取り戻そうと
躍起になって
いつまでもいつまでもうねり
形を変え続ける。叔父はそのうねりの波の中で
もまれていることが多かった。
苦労して引きずり出すと
たいていぼろぼろの小間切れ。
砕片を集めて箱に詰め
蓋をしてその上から体重をかけ
押し寿司でも作る要領で固める。
蓋を開けると手品のように
再生した叔父が出てくる。
ただシルクハットの中の鳩とはちがって
まるで元気がなく
そもそも生気というものが感じられない。
苦味に耐えるような表情は
苦痛だけが
搾り取っても搾り取っても
奥からまだまだ湧いてくるせいだ。
ぼくはオタマを使って
アクをとるように
叔父の苦悩をすくっては捨てる。
しかし苦い汁はいつまでも
いつまでも湧いてくるのだった。そんな叔父でも穴の中では
気まぐれに話をすることもあった。
虫の正体は
叔父が戦争で失った右足と
生殖器のなれの果てだという。
うねうねうねるのは
それで戦友たちを犯し続けるため。
封じ込めきれぬ怒り。
同性愛者だった叔父は
さまざまないざこざの挙句
規律を乱す無法者として
戦場でペニスを切り取られた。
その傷がもとで右足が壊疽を起こし
切断の憂き目。
「敵は向こうではなく
こちらにいたわけさ
おれの場合」
と叔父は言う。戦争は短期で勝利する
…見込みであった。
あらゆるデータが
わが邦の勝利を約束していた。
しかし戦争は長く長く続いた。
物資は不足した。
叔父たちの部隊は
オモチャのような武装で
夢見るような補給計画にもとづき
前線の密林に送られた。
「コウノトリが食料を
運んできてくれる」
叔父たちはジャングルで
喰えるものはすべて喰い
喰えないものもすべて喰った。
敵の姿を見たことはなかった。
やせ細り熱病や風土病で
うなされて見る幻と戦った。
そんな戦争があるのだろうか。
「それが戦争というもの」
勝つ見込みで始めた戦争だった。
戦略の精密さは
鳴り物入りで喧伝されていた。
負けるはずがなかった。
将軍たちの面子がいつの間にか
国家の威信にすりかわる。
それを守るため
日々兵卒は浪費された。
全国民がもとろも玉砕しようと
守るべき威信は存在するのだった。戦争はいつしか崇高な
人が生きる価値の源泉として
君臨した。
「前線の向こうに
本当に敵はいたのだろうか」
若かった叔父たちは
何と戦うかも知らなかった。
一兵卒が
複雑な世界情勢を知る由もない。
命令に忠実であることが
兵士の第一のつとめ。
士気を高めるため
鬼の姿を思い浮かべる桃太郎たち。
「じつは長くなりすぎた蛇が
自分の尾を敵と思い込んで
噛みついただけだったか」
痛みは敵の攻撃。
ところが我が尾を撃つもの
反撃すればするほど
ますます痛みは広がるのだった。
世界はのたうち
疲労で怒り狂い
やがてやみおとろえた。狂気の大元。
たぐり寄せれば
自分自身に行き着く。
「君と世界が戦うときには
世界のほうに味方しなさい」
自分は自分で自分を去勢することでしか
平和は保ち得ないものと考える。
戦争の放棄。
去勢とともに彼の
生きる意味も失われたという。
そんなものじゃないだろうと
ぼくは心の中で叫ぶけど
叔父を説得する何ものも
持たないことも知っている。
穴の中の叔父は狂人だった。
外に引きずり出すと
弱い生き物のように丸まって裏返り
もとのおとなしい廃人に回帰した。
烈火のように赤く
燃える戦争を内包したまま。叔父はしばらく
ぼくらの家族と暮らしたが
ある日ふいに消息をたち
部屋のどこにもいなくなり
穴もなくなってしまった。
父や母は悲しく険しい顔をしながらも
内心ほっとする面もあったにちがいない。
叔父はどこに消えてしまったのだろう。
誰も詮索しないが
あるいは薄々気づいているからかもしれない。
叔父はいる。
すぐそこにいる。
赤い焔(ほむら)の影がさっと
世界を横切る。
穴は消えていない。
彼の闇は世界を呑みこむほど
大きく広がった。戦争はまだ続いていた。
街は罪の業火で夜も赤く輝く。
ぼくらの部隊はその密林の中を
自己と他者、敵味方、戦争と平和
愛国と亡国の区別も見失って
潜行していくのだった。
一気読みしちゃいましたぁ。面白い!の一言です。
追伸 この前叔父さんに、会いましたよ(w
穴には怖くって、入れませんでしたけど…
うちの庭に咲いてる青いサルビアの花のことかとおもいました。
なんとなくこわいんです、青いサルビア。
それでいて秋のおわりまでずっと咲き続けるんです。
★うるとらまりんさん。
なぜか、「叔父さん」という登場人物が好きらしくて、
九十九夜ではこの後、他にも叔父さん物が登場予定です。
叔父―おいの関係って、財産や女性の所有・分配に縛られにくいため、
自由なものになりがち、という社会学の研究があるんだそうです。
★美頬さん。
青いサルビア。
青が、なんとも独特の青ですね。
奥深いというか、底が知れない感じ。じっと見つめてると、星が見えそうな。
真昼の夜は青いのかもしれません☆