昨日、苦労して手に入れた、幻の直木賞作家・朱川湊人(以下、ミナトン)の本、今読んでおります。
正統派のホラー短篇。今の季節にぴったり。郷愁が恐怖につながっている(フロイト「不気味なもの」)快作です。
さるにても、直木賞をとったばかりなのに、なぜに本屋に本がないですか。
どうやら、もともとの出版部数が少なくて、大きい書店が平積みしてしまうと、もう出版元の在庫もなくなる。
それで、近所の中規模の本屋さんには、平積みどころか、本が一冊もない、という状況のよう。
ミナトン、まだ著作が四冊くらいしかなくて、映画やドラマにもなってないし、名前が売れてなくて、それで初版刷り部数も控えめらしいです。
今、必死で重版してるようですが、初版は、ちょっとレアかも。
判官贔屓というか、なんか妙に応援したくなってきましたヽ(´ー`)ノ
ヤスミン(津原泰水)のほうが、作家の格としては、あるいは上かとも思いますが、ミナトンはこれから、ゴンゴン売れるという楽しみがありそう。大作もすぐ出そうな予感があるし(次作は「かたみ歌」)、映画やドラマもきっと来るデスよ。
株でいえば、ミナトンは短期で勝負でけそうです。ヤスミンだと、かなり長期、ひょっとすると死んでからしか上がらんかもしれませんが( ;∀;) 「赤い竪琴」は直木賞候補にならんのでしょうか…そのつもりで書いたのではなかったのか。。
で、今夜の九十九夜は、「銀の翼」。
これで、90夜で、残るはあと9夜。今週は休んで、セレクション会議を開いて、来週から再開する予定です。
銀の翼「夜になるといなくなるの」
と妻が言う。
猫のことだ。
もう13年も飼っている老猫である。
毎晩というわけではない。
月水金の夜にだけ
どこかに出かけて夜明け前
汚れた姿で帰ってくる。
ごみ収集の曜日と一致する。
どこかでゴミでもあさっているのか。
ちゃんとエサも与えているのに。朝になると
冷蔵庫横の
熱気で床がちょっと暖かいあたりに
何事もなかったふりをして
丸くなっているけれど
腹の裏側に乾いた泥の塊が
ところどころこびりつく。
歩いた痕が点々と
床に灰色の足跡を残しているので
すぐばれてしまう。怒っても猫は
いつものように
怠惰なあくびで答えるだけ。
あくびをするだけマシという。
それでもそれはそれなりに
反省を示しての態度だと
動物学の本には書いてあるそうだ。果たして月水金の夜
猫はどこへ行くのか。
金曜の夜、猫のあとをつけてみる。
われら夫妻はベッドルームに
引き上げたふりを装い
猫を油断させてから
そっと抜け足差し足。
ベランダから庭に出て
猫が通うドア下の小さなネコドアの
前でじっと待ち伏せる。
植込みに隠れ
びくびくしながら怪しい時をすごす。夜半をとうに過ぎて
ようやく猫が顔を出す。
右に左にけわしい視線。
感づかれたか。
やがて前足だけドアを踏み越え
そこでもまた止まって右左。
納得いくまで調べぬいた後ようやく
まるでもう一匹が出てくるかのように
のんびりと後ろ足がドアをくぐる。
すうっと伸びた尻尾が
ドアの端にしつこくかかる。
それで突然ほんの二三歩の踏み切りで
ひょいとコンクリート塀の上に飛び乗ると
狭い場所をつんつんと
気取った風に歩き始める。キャットウォーク。
猫は他の種を嫉妬させる動物。
運動能力の高さだけではない。
その立ち居振る舞いが
どこまでも優美。
脊椎動物の中でいちばん
骨の数が多いらしい。
彼らには重力は
魚にとっての水の如く
拘束ではなく愉しみなのだ。
誰も見てない一人きりの姿が
すでに自慢げである。
なんてムダに高慢なやつだろう。それにしても
月光に照らされる中
銀に光る背ですいすい歩く姿。
足取りが高く軽い。
恋人のもとにでも通うのか。
隣家の間の塀を
ひょいひょいと歩いている。
首につけておいた鈴が
チリンチリンと鳴る。
夜の巡礼のよう。
お札をおさめにまゐります。
妻は見張りに残して
裏手にまわり
彼が来るのを待つ。塀にかかる隣家の松の影から
ふいに現われたと思ったら
もうスタンと地上に降りて
ゆるやかに走り出した。
そして消えた…
と見えたのは
横路地に入り込んだから。
子どもが好んで通りそうな
狭い階段路地。抜け道。
猫は歩数歩幅の計算も
瞬時にこなせるのか
段差を同じテンポで刻んで
音楽のように登って行く。
ついていくこっちは
何度もつまずきそう。
石をでたらめに積んで作った
やけに長くて不規則な階段なのだ。彼との差が開く。
追いつかねば。
焦ってきた。
なりふりかまわず
全力でかけのぼる。
人間の意地ってものだ。
妻へのメンツもある。
肩で息をつき
必死で登る。
もう気づかれているだろう。
階段を見上げると
やつ
いちばん上でこちらを振り向き
つぶらな虹彩を広げている。
その頭上
雲ひとつない空には
巨大な満月がぽっかり浮かぶ。
彼は煌々と
スポットライト浴びたスターような
得意げな表情。一段飛ばし
二段飛ばしで
むきになって階段を駆け上った。
やっと一番上まで来たが
すでに姿はない。
階段路地を登りきると
わりと大きな街路に出た。
古い町並みだ。
うちのある新しい宅地とはちがう。
路地ひとつ隔てて
こんな場所があったとは。
昭和のにおいがする。
不思議な場所。いつか来たことがある。
そんな気がした。
子供の頃だ。
祖母は猫を買ってはならぬといった。
ぼくは捨てに来ただけだ。
何も知らなかった。
半年たってお正月
お年玉をくれた祖母は
言った。
「わしもこの正月
自分にお年玉に
新しい三味線を買ったのだよ」
猫を捨てた場所は
三味線横丁と呼ばれていた。
そんなマンガみたいなことが
ほんとにあるなんて。
知らなかったんだ。
たまたまそこに捨てただけ。
静かで
誰にも見られないで
猫も自分が捨てられてことに
気づかないと思えたから。
思えたのに。そう。ここ。
三味線横丁である。
猫婆ァと呼ばれる老婆が住んでいる。
猫婆ァはふたりいて
双子で姉は三味線の
妹は謡いのお師匠さま。
手習いに近所から
老若男女がやって来る。
身入りはいいが
最近妹のほうのボケが始まった。
長屋では姉妹の行く末について
要らぬお世話の心配で持ちきり。
美人姉妹でお師匠様で
前の戦争で勝ってから
日本の町民文化の華とて
ちやほや暮らしてきた二人には
急に世間が肩身の狭いものに
感じられ始めた。
世間の見えざる手にもまれ
足蹴にもされるうち
老姉妹は猫婆ァになった。
月夜の晩に猫を狩る。
三味線作りというのは口実。
弱いものを追い詰めて
とうとう殺してしまうのが
楽しい。闇の中で
双子の白髪の老婆に会う。
夜光するように思える。
「あんたかい」
「ほら××さんのお孫さん」
「ほおう。大きく育って」
「肉付きもいい」
冗談かと思った。
でかい網を
頭からすっぽりかぶせられる。
笑っていると
姉のほうが網を救い上げる。
猫婆々(妹)に大の男の私が
軽々と救い上げられ
背に担ぐかごの中へボイと。
コトリだ。
まだ私は愛想笑いを笑っていた。
顔が元に戻らない。
笑い声が出た。それが
籠の中の猫たちと
唱和した。
にゃあにゃあにゃあ。
ぎゃあぎゃあぎゃあ。なめし皮でかみそりをギラギラ研いで
老婆たちは猫を切り裂きはじめた。
自分は何度もこの夢を
見たことがある。
そう思い込もうとした。
いつものように醒めるはずだと。
いつものように醒めるはずだと。
しかしかみそりが腹を裂き始めると
私はこれが初めてで
一度きりの体験だとさとる。
「毛がないね」
人間だからだ。
でも声は声にならず
にゃあにゃあと
ぎゃあぎゃあと
猫どもの叫びに混じって掻き消える。「皮が白いよ」
「皮が白いね」
「よいものであろ〜か」
「よいものであろ〜よ」
じゃんじゃんじゃんと
しゃみをつまびく動作で
ほくそ笑みをかわし合う姉妹。
その顔は猫の顔で
吊り上った目の端で
こちらをしっかりねめつけている。
私は自分の猫を呼ぼうとした。
でも猫にはまだ名前がなかった。
ずっと猫
猫と呼んだきり。
どこ。どこにいるんだ。
今度生まれ変わったら
ちゃんと猫にも名前をつけなさい。
行きはよいよい、歸りは…。
遠くで雷の音がしたかと思うと
ザーと長屋の屋根に雨。
天がひっくり返ったかのような
土砂降りだった。
腹を切り裂かれて死にながら
私は天井を見つめていた。
その上の屋根には
いま猛烈な豪雨が降り注いでいる。
その様子を想像しようとした。
なぜだか妻に申し訳なかった。ふたりに子供はできなかった。
いろいろしたがだめだった。
今では話さないようにしていた。
つらさややさしさは
物質化しないと形骸化する。
やさしくふるまい
肩に手をかけてる。
彼女は何もかも気づく。
気づかれていると知っていた。
気づかれていると知っていることも
気づかれてるとも知っている。
愛は初めからなかったもののように
朝になると消える夜霧のように
私たちのもとを去った。
ふたつの体が
枯れた潅木のように
寄り添うすべもなく
裸であちらとこちらに
突っ立っていた。
わけもなく彼女が怒ると
いつも妻に申し訳なかった。
わけもなく彼女に怒ると
いつも妻に申し訳なかった。
申し訳ないから
妻が死ねばいいと思った。天井は雨漏りの跡が這い
その文様は猫の額。
うちの猫の額だ。
ああ、君の名前は
なんだったっけ。
妻は君に名前を
つけたのではなかったか。
「銀の翼だよ」
猫婆ァたちが言った。
し。し。銀の翼のある大きな猫にまたがり
少年の姿で夜空を飛んだ。
月は昼間の太陽なんかより
はるかに大きな光源として
夜空に球体を浮かべていた。
銀の翼にまたがって
自宅へと戻るのだ。
妻は心配しているだろうか。
うまくいったんだ。
猫を取り戻してきたよ。
彼女に自慢したくて仕方がなかった。
でも上空から見ると
家は廃屋になっていた。
鉄線で囲われ
来春コンビニエンスストアが作られると
看板には出ていた。
そうだった。
もうとっくに離婚していた。
猫はわたしについてきた。
でもいつの間にかいなくなった。あの時もそうだった。
三味線横丁は昭和の初めに栄えた長屋街。
ぼくの子供の頃にはすでに
廃屋の群れになっていた。
だからぼくは猫をそこに捨てたのだ。
猫はすでに冷たくなっていた。
祖母が薬殺したからだ。
抱くと固くて冷たくて
ぼくの好きだった猫とは
すっかり別な物体に変わってた。
そしてぼくは
猫の顔をした双子の老姉妹の話をでっち上げ
学校中に言いふらした。
母が先生に呼び出され
二人で説教された帰り
母はぼくにアイスクリームを買ってくれた。
めずらしく母もアイスを買って
夕暮れの帰り道を
ふたりで食べならが帰った。
祖母のかげで
ふたりはひそかに同盟していたから。
三味線横丁は取り壊されて
パチンコ屋とハーゲンダッツと
カメラのナニワになった。
猫はどうなったろう。
埋まったままなのかな。
お墓を作ったときも
あれには名前をやらなかった。
名前はあったんだ。
でもあの固い体を抱くと
もう思い出せなかった。それから私は
猫を飼っても
名前をつけないことにした。
そうか。そうだった。
妻にこの話をすることがなかった。
別れるとき
何か言い残したことがあると思った。
私はあの後すぐ
外国に行ってしまった。
13年後
戻ってくるとこの国は
何から何まですっかり変わっていた。
故郷の町は震災に会い
区画整理で
街路はまったく見知らぬものとなっていた。
妻と別れてからは結局
ずっと外国にいるようなもの。
銀の翼に乗って
私はそんなことを考えた。
そう。銀の翼だ。
彼女は確かに
その名をお前に与えた。
信じられるだろうか。
それは私があの埋めた猫に
つけた名前と同じだった。
銀の翼。
ふたつとない
めずらしい名前だというのに
彼女はそれを言い当てた。
この不思議のことを彼女に告げてない。
まだ、愛している。
私は廃屋の床から猫を抱き上げた。
猫の体は熱く柔らかかった。