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三人目が登場する。

written by overQ
August 21, 2005

プレイメイトシスター 三つ子のセクシーダイナマイト先日、帰省の際、電車の中で。
斜め前の席に男の子が一人。小学年くらいでしょうか。
同じ顔の子がすぐやって来て、ああ、双子、と思いました。
しかし、しばらくすると、もうひとり登場。

双子さんはわりとよくお見かけするけど、三つ子というのははじめてだったので、ちょっと衝撃がありました。
人目の登場は、なぜかいささか感動的でもあり、しかも、なんだか笑えました。三番目は笑劇ファルスとして登場するのです。

なんというか、つ子というのは、双子とはだいぶちがったものだと感じ入ったのでした。
よく双子の神秘とか言って、一人が怪我をしたら、もう一人にも突然アザのようなものが現われて…なんて、マンガや小説に出てきます。フィクションの中では、双子って神秘的で、なぜかいつもちょっと悲劇的。

でも、三人目が登場すると、話は変わる。
怪我をして、神秘だ奇跡だと騒いでる二人の前に、人目が現われ、「オレはなんともなかったよ」と茶化してしまえば、とたんに神秘の紫の影は消え去る。

  +
  
漱石の作品には、三角関係が登場します。

ひとりの女性をめぐって、ふたりの男…と読むのが普通。でも、ボーイズ・ラブの色眼鏡で見ると、答えはすっかり違ってくる。三角への視点を、まぜっかえす。三つ目の眼で見る世界。

男と男。対立しているんじゃなくて、愛し合いたい。でも、常識が邪魔をしてる。自分で自分の気持ちに気づけないでいる。
常識、それは女という形をしていて、二人の間に入りこみ、邪魔立てする。男は女を愛するもの、という暗黙の常識を強いられる。

いや。女は「二人目」ではなく、「三人目」。求められるものではなく、二人(男と男)の間に入って、邪魔立てするもの。「2」になって安定したいのは、男と女ではなく、男と男。
二人の男のもどかしい、自覚なき愛を茶化し、混乱させ、無意味にしてしまう、トリッキーな存在として、登場する、女。三角関係についての、奇妙(クイア)な理解。
男と男の、ある意味、射程ゼロな愛に、無限な距離をもたらすもの。それはゼロ。それは無限。

迷える子ストレイ・シープ」と美禰子が口の内で言った。四郎はその呼吸いきを感ずることができた。(「三四郎」)
ちょっと混乱しながら書き綴ってみるのです。

  ++

坊ちゃんの時代―凛冽たり近代なお生彩あり明治人漱石で好きなシーンは、三つ
ひとつは、坊ちゃんの冒頭。
二つ目は、こころで「私」が危篤の父をおいて「先生」のもとに取って返すシーン。
そして、三つ目は、明暗の温泉。

「坊っちゃん」はなぜ市電の技術者になったか―日本文学の中の鉄道をめぐる8つの謎坊っちゃんの冒頭は悪漢物のはじまりに似てます。
例えば西遊記のはじめのほう、まだ頭にワッカをはめられてない孫悟空が、上を下への大暴れするのに、思いをはせてもいい。あるいは水滸伝のようなものでも。大説が小説に変わる。

親類のものから西洋製のナイフをもらって奇麗な刃を日にかざして、友達に見せていたら、一人が光る事は光るが切れそうもないと云った。切れぬ事があるか、何でも切ってみせると受け合った。そんなら君の指を切ってみろと注文したから、何だ指ぐらいこの通りだと右の手の親指の甲をはすに切り込んだ。さいわいナイフが小さいのと、親指の骨が堅かったので、今だに親指は手に付いている。しかし創痕きずあとは死ぬまで消えぬ。
愛は何もかもを超える。
私の帰省先は姫路ですが、姫路には瀬戸内に妻鹿という町があります。そして、妻鹿の沖には男鹿島という島がある。
伝説では、オス鹿が海を泳いで渡って、メス鹿のもとに通ったとか。
これって、伝説じゃなく、ほんとの話なのかも。前にテレビで見たのですが、カナダのどこかの湖にも島があり、そこにオス鹿だけが住んでて、交尾の時期には、メスのいる陸地に泳いでくるんだそうです。
萌える話です。愛はどんな壁も越える。というより、障壁を越えるから、盛り上がる愛。

こころの第二章「両親と私」の最後で、私は危篤の父をおいて、先生のもとに取って返す。ここで、私−先生の関係は、オス鹿−メス鹿のそれを髣髴すべきなのでしょう、ボーイズ・ラブ式によれば。

私はまた病室を退いて自分の部屋に帰った。そこで時計を見ながら、汽車の発着表を調べた。私は突然立って帯を締め直して、たもとの中へ先生の手紙を投げ込んだ。それから勝手口から表へ出た。私は夢中で医者の家へけ込んだ。私は医者から父がもう三日さんちつだろうか、そこのところを判然はっきり聞こうとした。注射でも何でもして、保たしてくれと頼もうとした。医者は生憎あいにく留守であった。私にはじっとして彼の帰るのを待ち受ける時間がなかった。心の落ち付きもなかった。私はすぐくるま停車場ステーションへ急がせた。
明暗の温泉は、「温泉、温泉宿、女」があやしく融即しています。増改築を繰り返して、迷路みたいになってる温泉宿って、実際にもよくありますが、あれは女。

最初の彼はほとんど気がつかずに歩いた。これが先刻さっき下女に案内されて通った路なのだろうかと疑う心さえ、淡い夢のように、彼の記憶をぼかすだけであった。しかし廊下を踏んだ長さに比較して、なかなか自分の室らしいものの前に出られなかった時に、彼はふと立ちどまった。「はてな、もっと後かしら。もう少し先かしら」 電灯で照らされた廊下は明るかった。どっちの方角でも行こうとすれば勝手に行かれた。けれども人の足音はどこにも聴えなかった。(「明暗」百七十五)

迷路と鏡。
カフカ的には、迷路の定義は、出口があるという噂があって、しかしけっしてそこへはたどり着かないもの。求めれば求めるほど遠のくもの。幾重にも幾重にも折れ重なった襞。女。番目に現われて、笑いと混乱と支離滅裂で、「その瞬間」の到来を無限に先延ばし。まだ、逝っちゃ、だめ。過程を楽しむものなの。私と真理の恋路を邪魔する、永遠の迂回路。第三の存在。アニマ。
真理は遅延し、境界はあいまい化、涯てには鏡が置かれ、そこに映るのは、見知らぬ自己。ちょっとデキスギ、ちょっとヤリスギだけど。

彼はすぐ水から視線を外した。すると同じ視線が突然人の姿に行き当ったので、彼ははっとして、眼を据えた。しかしそれは洗面所の横に懸けられた大きな鏡に映る自分の影像イメジに過ぎなかった。鏡は等身と云えないまでも大きかった。少くとも普通床屋にそなえつけてあるものぐらいの尺はあった。そうして位地の都合上、やはり床屋のそれのごとくに直立していた。したがって彼の顔、顔ばかりでなく彼の肩も胴も腰も、彼と同じ平面に足を置いて、彼と向き合ったままで映った。彼は相手の自分である事に気がついた後でも、なお鏡から眼を放す事ができなかった。湯上りの彼の血色はむしろ蒼かった。彼にはその意味が解せなかった。

  +++

…そんなふうに、むりやりな誤読をしてみる。
もう漱石を長いこと読んでないのでした。記憶の中で「私の本」になってしまっている、漱石。
このまま、もう一生、漱石を読まずにいれば、テキストはなく、ただ「私の漱石」だけがあり、私が私を読むように曲折していく。涯てには鏡が置かれている。

西遊記 BOXすべての本は、そんなふうに、私の中に解放される。
三蔵法師は、万巻の経典を背負って砂丘の襞を越えながら、考えなかったでしょうか。最近、ときどき蔵法師のことを考えるのです。
経典に真理はあるのか、読む自分に真理はあるのか。
たぶん、経典にこそ真理はあり、自分にはない。しかし、それならば、経典はこの沙漠の砂粒でもよく、また長安のちまたで立ち聞きする、草草の噂話でもよかったのではないか。家族も青春も捨てて始めた私の旅。しかし、それは、徒労ではなかったか…読書と同様に。

仏(真理、正しい読書)を前にしての、蔵の煩悶。
しかし、その傍では、例の三人組(八戎・悟空・悟浄)が師匠を茶化して、笑いこけているにちがいないのです。
まさにそれ自体が、読まれゆく経典であるところの、蔵の旅。蔵の生。
番目の笑いあるかぎり、蔵の旅は終りがない…読書と同様に。



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コメント

こんにちは〜
帰省先が姫路とは・・びっくりしました。うちの子たち、姫路の学校に通ってます。わたしも姫路で働いていたことがありました。知らないままこちらに通ってました。なにかに牽かれていたんでしょうか。妻鹿ならぬメガ・シティーの鏡の迷宮にいたはずが、お釈迦様の手の平のなかだったとわかってしまってびっくり!、って感じです(笑

Posted by: Site icon 美頬 : August 22, 2005 5:41 PM

美頬さん、こんにちは。

姫路なんですよ、地元☆

先日、帰省したとき、加古川の図書館に行きました。
なんか丘の上の、クルマじゃないと行きにくいところにありますね(´∇`)

私が古書まつりで100円で買った「鬼桃太郎」という本が、陳列ケースに展示されてました。100円なのに(笑)

コンサートホールにも行きました。尺八のコンサートしてました。木造でキレイでした。

あと、小野市の市営の温泉にも行きました。ゆぴか。
これはとてもよかったです。
できたばかりで、非常にキレイで、のんびりできました。
小野市って、道路や公共施設が異様に綺麗で、どうなってるんでしょうね。

と、ローカルな話題ばかり書いてしまいましたヽ(´ー`)ノ

Posted by: Site icon overQ : August 24, 2005 10:52 AM

そうそう。西播磨のローカル話っていえば(笑
うちの村には「大避神社」って神社があって、これは秦河勝にまつわるとかゆーんですけど、千種川って川沿いにいっぱいあるんです。
そんでもって、この千種川の上流を鬼桃太郎さのやうに?ズンドコさかのぼってドンドン行ってみるとそこには! 蘆屋道満のお墓、ってのがあるんだそーです。ご存知でした? 
参考http://www.kouiki.sayo.hyogo.jp/townsayo/kannkoujyouhou/omonasisetutomeisyo/kankou.html

というわけで、ここはぜひともヤスミン☆に「『蘆屋家の崩壊』リターンズ」ってのを一筆ものにしてもらいたいなんて思ってるってワケなんです。
ここにこう書いておいたらヤスミン、書いてくれないかな? (マジ

Posted by: Site icon 美頬 : August 25, 2005 11:49 PM

こんばんは!
とても面白い話ですね☆
蘆屋道満が播磨の人で、播磨には遊行の陰陽師が多数いたというのは、夢枕さんの本で読みました。
なぜだか、すぐそばに、ライバル清明の墓もあるようですね(笑)

清明塚は、けっこうたくさんあるらしくて、
江戸時代の名所地図みたいなのに、
伏見稲荷と東福寺の間くらいのところに、塚があったと、
図入りで書かれています(現存せず)。
この塚の図と、千種川のと、きわめて似てます!

室町時代と推定、とサイトには書かれてますが、同じ時期、同じ人々によって作られた可能性があり、興味深いです。

姫路城の始まりのあたりにも、陰陽師って、けっこう暗躍してるらしいのです。
城の下には、かなり人柱が埋まってるかもしれません。。


Posted by: Site icon overQ : August 26, 2005 9:54 PM
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