猫には三つの名前がある。
とT.S.エリオットの詩にあると、イタごろのねるさんが書いておられました。
三つの名前というのは、ひとつ目は、家族がいつも呼んでる名前。モモとかこばんとか、ピピとかワルツとか、ドラえもんとかホリエモンとか。
二つ目の名前は、猫が尻尾をピンと立たせる威厳を与える名前。Munkustrap, Quaxo, Coricopat というような。
問題は三つ目の名前。これは人間にはけっして見つけられない。理解も想像もできない名前。猫自身だけが、その名前を知っている。猫が物思いにふけってる時には、きっとこの名前について深遠な思想を展開している…のだそうです。
★迷子の子猫ちゃん
ウィトゲンシュタインという哲学者は「ライオンがしゃべったとしても、人はそれを理解しないだろう」といったとか。
哲学者が瞑想していたのも、きっと「三つ目の名前」についてだったにちがいない。
おかげで、ウィトゲンシュタインが沈黙せず語り得たとしても、われわれはそれを理解できないですが(;・∀・)
「わたくし」はいかなる人物をも名ざさず、「ここ」はいかなる場所をも名ざさず、「これ」はいかなる名をも名ざさない。だが、それらは名と関連している。名はそれらを介して明らかになる。物理学が、これらの語を用いないことによって特徴付けられていることも、真理である。−「哲学探究」410さて唐突ですが、このような猫や哲学者の事情を踏まえたうえで、『いぬのおまわりさん』を歌ってみる。
すると、困ってしまった「ワンワンワワン」も、泣いてばかりいる「にゃんにゃんにゃにゃん」も、じつは泣き声ではなく、
人が理解も想像もできない何か(それを言葉と呼ぶこともままならぬ、なにか)かもしれない…といえるかもしれません。犬のおまわりさん、語り得ない物の前でも、沈黙せず、とりあえず吼えてみたのではないでしょうか。
聴きなれた童謡が、不意に謎めいた歌に見えてきました。。(あと、不思議な名前の童謡といえば、サッちゃん)
★万葉集の最初の歌
そんな『いぬのおまわりさん』と、とてもよく似た、名前にまつわる詩があるのです。
それは、なぜか万葉集。巻第一の巻頭歌「泊瀬朝倉宮御宇天皇代 天皇御製歌」。
万葉集のいちばん最初の歌。
似てると思ってるのは私だけかもしれませんが(;・∀・)
雄略天皇の歌とされています。
籠 もよ み籠持ち掘串 もよ み掘串持ち
この岳 に 菜摘ます兒
家聞かな 名告 らさねそらみつ 大和の国は
おしなべて われこそ居 れ
しきなべて われこそ座 せわれこそは
告らめ 家をも名をも[大意]
すてきなカゴとスコップをもって
この丘で菜を摘んでる女の子。
あなたのおうちはどこですか。名前は何ですか。何を隠そう、私こそ大和の支配者。
ぜんぶことごとく私のものなんですわ。私こそ告げましょう、家も名前も。
★たのしい歌垣
ナンパの歌です。
自分の地位・権力を利用して言いくるめようとしている点、ちょっとセクハラかもしれません。
歌垣、という風習がありました。東アジアに広く分布する、結婚の習俗。
*1
花いちもんめです。
「あの子が欲しい、あの子じゃわからん」というやつ。名前がわからんのですね。
春(あるいは初夏)、新緑が美しい小山などで、人々が集い、歌い、結ばれる。歌垣では、名前が大事。
カガイとも呼ばれ、筑波山が「本場」だったらしい。「常陸風土記」には、
というような、マニアックなプレイの歌も存在します。筑波山麓混声合唱団です。語り得ない物(=三つ目の、本当の名前)の前では、人は沈黙せず歌うらしいのです。未通女 壮士 の
行き集ひ かがふかがひに
人妻に吾 も交はらむ
わが妻に 人も言問へ
今でも、中国南部の少数民族はやってます。テレビで見ましたが、とてもかわいくて、ロマンチック。やってるのは、けっこういい年したおばさんとおじさんだったりしますがw
日本でも戦前くらいまでなら、あったようです。「夜這い」なんかも、歌垣のなれの果てだとか。
そもそも「歌」の起源は歌垣にあるともいわれ、恋するものどうしの呼びかけあい。源氏物語でも、まさにそのように使われています。
恋しくて、その名思い…。
村と村の境でおこなわれることが多いようです。
山とか岡とか、坂とか道とか巷(道の交差する所)とか。
市や社が立つ場所でもあり、また虹が出たら、そのふもとが「その場所」になったり。相撲もここが大元かもしれません。
共同体どうしの結婚でもある。…交換するわけです。
物を交換する市や、神との交換の場である社も、いっしょにあったりします。
★なぜ歌垣が巻頭歌か
さて、万葉の歌に戻ると。
この歌も歌垣の歌だけど、もうちょっと抽象化されたというか、神話的な儀礼めいた感じがある。
「菜摘ます児」。
いちおう、ナツミと呼んでおきます。
ナツミ、あれでしょう、人間じゃないでしょう。
歌垣は春におこなわれるらしい(あるいは初夏?)。長い冬を耐えた命が、息を吹き返す瞬間。
新緑の岡の上のナツミは、そんな春の力を象徴する女神のような存在。
カゴやクシは、女神のマジカルな道具。魔女のホウキとか、カードキャプターのステッキとかと同じ。
そんなナツミに、共同体の王が声をかけ、結ばれる。春の力との一体化。
しかし、ナツミの本当の名前は、人間の理解も想像も超えているのかもしれないですが。。
相手の本当の名前を知ることは、相手の力をわが物にすることでもあるわけです。
*2
これは共同体がその命を更新するための、重要な儀式。
…だから、万葉の巻頭に置かれてるようです。
また、雄略天皇の歌とされていますが、雄略天皇は、ちょっと特別な存在。日本書紀でも、記述が多め。
雄略=おおしく治める、というような意味でしょうか。すごくマッチョな英雄として伝説化され、書紀の中でも、いろいろ女の子に声をかけまくりますw
「女の子に声をかける」「女の子の名前を知る」ということが、その土地や国(あるいは何らかの力)を支配していくこと、攻略していくことと、同じ行為なんでしょう。
相手が名前を言わなかったら、今度は自分のほうから明かそうとしてるのが、かけひきとして面白い歌です。実際の歌垣でもやってそうなゲーム性がある。
たんに結婚習俗としての歌垣ではなくて、もっと神話的なとらえ方。
春の力を大和の国にもたらすための、王の儀礼。もとは、よその国を攻略した状況を儀礼化したのであったかもしれません。
ナツミの本当の名前を知ることで、春の力が共同体にもたらされる。
そういう祭りの歌だったんじゃないかと思ったりします。
…でも結局、本当の名前、わかったのかなぁ。。
この歌に続いて、万葉集では、国見の歌が記載されています。
歌垣→国見(小高い岡から国を見渡して、自分の国の繁栄を思う風習)はセットになってるようです。
非常に謎めいて、しかも美しく力強い歌が続いていく、万葉集の冒頭。知性と野生の区別なき同居がすばらしいです。
…と書いてきましたが、この万葉の巻頭歌、諸説紛々で、非常に手ごわいもの。そもそも、万葉仮名(漢字)で表記されるので、読み方自体、確定しない(笑) 想像も理解も超えてるのかも。
思えば、かなり大胆な奇説を展開したかもしれません。
[原文]
籠毛與 美籠母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家吉閑 名告紗根 虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居 師吉名倍手 吾己曽座 我許背齒 告目 家呼毛名雄母
◆万葉開眼…古代歌謡の碩学・土橋寛博士の万葉入門書。ちょっとおすすめ。
overQさん、こんばんは。
私、この雄略天皇のお歌、大好きなの。
歌のリズムもいいし、場面の雰囲気のほほえましいし。
この時代、「名前」を聞くと言う事は、今で言う求婚することにもあたるとか、聞いた事があります。
雄略天皇に名をきかれた乙女が何も言えず頬を染めて下を向いている姿が目に浮かびます。
可愛いな。(私もこんな初々しい女の子になりたいです・・むりむり?笑)
天皇も、一目ぼれした彼女の持ち物を一生懸命ほめているナンパぶり(overQさん、最高!!(^o^)丿)が憎めない。
「まあまあ、なんというステキなお籠でしょう。またへらも何というステキなおへら(笑)」
持ち物には魂が宿るというけど、いとしい乙女そのものに天皇には思えたのかも。
万葉集は、ホント、愛情の歌集と言えますねー。
おおー、興味深い解説をどうもありがとうございます!!
今日読んでいた本(「すばらしい新世界」池澤夏樹)に
ちょうど歌垣のシーンがあって、シンクロに驚きました(@_@。
overQさんのおっしゃるように、舞台は中国とネパールに挟まれた
チベット系の土地。そこで相手の名前を聞く踊りが繰り広げられます。
名前を知ることで、相手の輪郭がよりくっきりする気がしますね。
話がずれますが、ネットではほぼみんなHN(第1の名前?)を持っている。
特に気が合う人とは、メールを交換して本名を名乗る。
そうすると、その人ともっと親しくなったように感じられる。
ま、ネットの世界はちょっと特別でしょうが、名前の持つ意味
それを知ることの大きさにあらためて考えちゃいました。
ご紹介の万葉開眼を読んでお勉強させていただきます。
こんにちは〜
本当の名前という問題について、「ゲド戦記」を思い出してしまいました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%89%E6%88%A6%E8%A8%98
アーシュラ・ル・グイン作。アーシュラは「阿修羅」の意味(違
「千と千尋の神隠し」もまた、本当の名前を奪われてそれを取り返す物語でありましたっけ・・
歌垣ですが・・カラオケで恋の花、咲かせるってのも、歌垣の現代版じゃないかしら、と。違うか・・
overQさんはカラオケとか、なさいますか?
★ワルツさん。
万葉はすごい歌がいっぱいですが、この巻頭の歌は、ほんとに古代じゃなきゃありえない、不思議な力がありますね。
どうも、万葉や記紀の時代の人にとっては、雄略天皇といえば「オス」って感じらしいw
それが、最高のほめ言葉として、そうらしいんです。
なんかすごい世界ですが、かなり大げさに、願望充足的に書いてあるようです。
「菜摘ます児」が単なる人間じゃなくて、春の息吹を象徴する神的な存在と見るのは、
ひょっとすると新説かもしれません。
でも、恋する男性の目には、今も昔もかわりなく、女性は「神的」に見えるのかもしれませんがヽ(´ー`)ノ
★ねるさん。
歌垣は、最近すごく詳しい調査記録の本が出てるそうです。そのうち、また読んでみたいと思っています。
花いちもんめがあるくらいだから、日本のお祭りや習俗にも、けっこう残ってるものがあるんじゃないかな、とも思います。
今回の記事は、万葉集を読んだことない人にも興味持ってもらえて、なおかつ、研究者の人が読んでも面白がってもらえる…というようなものを書こうとして、長くなっちゃいました(笑)
ハンドルネームと「本当の名前」の関係も、古代の名乗りとそっくりで、不思議な再現で、面白いですね☆
Posted by:★美頬さん。
ああ、ほんとですね、ゲド戦記!
本当の名前を知ることが世界を知ること。
千と千尋もまさにこれでした。
あるいは、本当の名前だけでできた、本当の世界が、このかりそめの世界のすぐ近傍に、重なり合って存在する…。
オリエントの考え方のような感じもします。
日本語でも、動物や魚の名前とか、体の名前(て、め、みみ、くち)は、語源がよくわからない語が多いです。
魚の名前なんて、完全に孤立した語みたいに見えるものも少なくない。
たぶん、もともと外国語だったけど、その元の言語が失われてしまったので、孤立語になったのではないでしょうか。
地名は、古代の朝鮮語で読むと意味がわかるものがあるそうですが。
ちがう言語で世界を見れば、世界も少しちがって見える。
失われた言葉も、その元になった言語体系や、話していた人々がよみがえれば、ちがう世界が見えてくるのかもしれませんね。
いや、じつは、私たち一人一人も、同じ「日本語」を話してるようでいて、ちょっとずつ、用語や文法は異なっているので(だからモノマネも可能になる)、
ほんとは一人一人が「自分語」を話し、自分世界に住んでいるにちがいないのですが!!
あと、カラオケでは、鋼鉄ジーグをよく歌います(;・∀・)
overQさん、こんばんは!
>相手の本当の名前を知ることは、相手の力をわが物にすることでもあるわけです
最初、柔道を思いついたのですが、なるほど、相撲がありましたね。
相撲トリビアネタを辿ったら、いろいろなふくらみがありそうですね。
歴史あるものは、今より自然と近いので、いろいろな魔力が通じてるように思います。
京極本の陰陽道で、名前とは呪である。
この考え方に、開眼したことを思いだしました。
3番目の名前までには、まだたどり着けないのですが、
わがやの猫達、6にゃんそれぞれ、名前通りの性格に育っているのが、不思議でなりません。
どういうことなんでしょうね。
★picoさん。
たぶん現代人であるわれわれは、
自分の本当の名前を知らないでいるようです。
歌垣って、市場とも同じ源らしいのです。
商品の名前は、売買の中で決まる。
売り手が一方的につけてそれがうまく行くこともあるし、
買い手がつけた名が噂として広まって通名になることも。
でも、本当に根強い商品って、売買の時の名前は変えながら、生き延びて行く。
本当の名前は隠されたままなのかもしれません。
歌垣も、結婚にいたるときは本当の名前を明かし、
その場だけのお祭りの時は(笑)、うその名前でアバンチュールしたんじゃないかとも思います。
相撲も、名乗りから始める勝負。
朝青竜が強いのも、ほんとの名前がモンゴル名で、知ることが難しいせいなのかもw
陰陽道では、名前が呪(=祝)。
不立文字である禅には通用しないと、京極堂は絶叫してましたね。
名前って何なんだろう。
考えると、ほんとに不思議です。。