1911年、プラハのはずれに、アスベスト工場が建設された。
ヘルマン株式会社のアスベスト工場。
ヘルマンとは、ヘルマン・カフカ。のちにフランツ・カフカの父として知られる。
工場設立とともに、息子フランツは、共同経営者とされた。
「午前は(労働保険協会に)勤め、午後は工場。夜はまた家でひと騒ぎ。まったくひどい一日」
父は息子に、工場経営の責任者となることを、期待した。
親子の確執は深まっていく。
カフカの死因は、アスベストによる悪性中皮腫ではないのです。潜伏期間を待つことなく、彼は結核で死ぬから。
この死は、二番目に用意されていたもの。カフカには、およそ四つの死が待ち受けていた。
1918年、カフカはスペイン風邪で危篤状態に陥る。
このとき、プラハをかりそめに統治していたハプスブルク家は崩壊。
カフカは、危篤を脱した。職場(保険協会)に復帰してみると、ハプスブルクの紋章はことごとくはがされ、公用語はチェコ語になっていた。
1924年の「ほんとうの死」は、二度目のもの。
もし、これを乗り越えたとしても、ナチスによるユダヤ人虐殺が待っている。
そして、万が一、それをかわすことができたとしても、アスベストが彼の肺に仕掛けられていた。
父の呪い。これでは死にたくなかっただろう。
恋人や妹たちを収容所に贈らずに済んだとも思えない。
彼は小市民であり、無名の作家、あるいは無力な独身者。運命は変わっただろうか。
「城」は死による切断を欠けば、あるいは万里の長城のごとく果てしなく続いたかもしれない。
四重に死に囲まれた男。
フランツは賢明に、二番目の死に服した。犬のように。
世界と自分の戦いでは、世界のほうを応援すること。
−フランツ・カフカ
overQさん、お邪魔します。
イキナリですね。こんなタイムリーな話題(アスベスト)と絡んでカフカが登場するとは思いもよりませんでした。ビックリ!!
僕は「城」を読んだ直後の感想は「・・・・・・??」だったのですが、なんだか最近になってKがいつまでも城にたどりつけないことへの焦燥感みたいなものを感じるようになってきました。
ところで、カフカって父親とはそんなに根深い確執を抱えていたんですか。なんだか「判決」を思い出しました。
過去記事でもカフカに触れられていますが、今はまだ読まずに楽しみにとっておいてます。もう少しカフカの他の作品を読めたら拝見させて頂きます。
kyokyomさん、こんばんは。
意外なところで登場するアスベスト(笑)
まさか、カフカにアスベストとは、という感じですが、
石綿という材料は、ほんとに広く使われてて、近代発展の一翼をになってきたようです。
カフカと父は、大変深い溝がありました。
お父さんは、田舎から裸一貫でプラハに出てきて、たたき上げで財を築いた男。
ずんぐりと太ってて、粗暴で、やり手で…というタイプ。
自分に学問がなかったので、息子には最高の教育を受けさせた。
で、育った息子は、あの通り病弱で(笑)、能力はあるのですが、人の上に立つタイプじゃない。
よくあるパターンですが、父は息子に跡を継がせたいけど、息子はそれが嫌でたまらない。
売れない小説なんか書いてるわけですから、非難ごうごうですw
家ではケンカが絶えなかったようです。
でも、プラハから出ることはできないカフカ。
深夜に小説を書くことは、カフカにとって大きな逃げ道だったようです。
しかし、作品の中にも、父の影は色濃く追いかけてくるのですが。
ふむう。。。父との確執で苦しむカフカさんには悪いとは思いますが、それで作品の質が深まるのなら決して悪いことではなかったのでは・・・それは勝手な言い分ですね。
なんだか、カフカが父との確執や生活の束縛から逃れて深夜に原稿に向かってコリコリ書いている時間だけは創作の喜びに浸っていたらと思ってしまいます。ゴッホなんかもそうですが、ああいう生前にほとんど作品が売れないクリエイターってそれでも創作の喜びを感じられてたのかなあとつい考えてしまいます。
カフカと父の確執については、もう一歩踏み込んだ議論もあるようです。
父-息子の関係が、ユダヤ教やキリスト教における、神と人間の関係と、パラレルなんじゃないか、と。
カフカ自身、この平行関係を意識していて、
現実的な問題と、形而上の問題が、共鳴する中で、創作していたのではないか
…そんなことを、考える人たちもいるようです。
カフカにとって、小説を書くことは、問題から逃避するつもりが、問題にからめとられるようなところがあり、
また問題にからめとられることが、問題を解決することでもあって、
たいへん錯綜した逆説があるように思ったりします。
なかなか、いろいろ、奥深く読めますね。