たら本18回目は、a daydreamのBryumさま主催で、お題は、「心やすらぐ本」。
この頃、お経を読んでいて、鳩摩羅什の漢語訳のすばらしさについて書こうかとも思ったんですが、
宗教で心やすらぐのは、あまりにも本格的すぎて、何を書けばいいのかわからない(笑)
で、今回はちょっと趣向を変えて、「読む」ではなく、「書く」で、心やすらごうと思います。
★伊勢物語を書こう
本はふつう活字を目で追って読むもの。でも、それだけではなくて、本にはほかの使い道もある。
お経なら、意味わからなくても、音読したりします。頭で読むのとはちがって、声に出したり、体を使うと、ずいぶんリフレッシュされるものがあるはず。
体を使うと言えば、書写もそう。
今回は、テキストを書き写して、心やすらごうという、ワークショップ風の趣向なのです。
でも、般若心経では、ありふれてて面白くないんで、選んでみたテキストは、伊勢物語。
ひらがなが何よりの魅力。
ごく短い章に分かれていて、全体としても短い。どこからでも読める、書ける。
また、ネット上で貴重なむかしの本がいくつか公開されてて、お手本にもってこい。
で、ほんとなら、墨と筆を用意して書くところですが、あえてパソコンで、マウスで書道に挑戦してみたいと思います。
お手本は、九州大学付属図書館所蔵の「伝為家筆本伊勢物語」。
ソフトは、Ougishi Liteというフリーソフトを使います。
★かなの感覚
かなについて、少し。ひらがな・カタカナの、かな。
かなといっても、もともとは漢字。漢字の音を借りて、日本語を漢字で表記する。
でも、漢字は画数が多いし、つづけ字も書きにくいというので、どんどん崩されていく。
中国語だと、ひとつひとつの漢字は意味の切れ目だけど、
音だけ借りた日本語では、意味は上下の文字と続いている。
これも、崩しが生じる理由でしょうか。草書よりもはるかに崩して、かなが出来てくる。
しかし、かなで何より画期的なのは、「崩す」という感覚・気分そのもの。
そのぞんざいさ、その軽やかさ。
そのあいまい、そのルーズ。
やわらかで、野放図。
抵抗ではなく、なしくずし。
直線ではなく曲線、縦横じゃなくて斜に構える、線じゃなくて、かすれ。
ずれる、ぶれる、ゆれる。
漢字でゴリゴリやるのが本道だと思い込んでいた堅物にとって、かなは衝撃。
面と向かって抵抗されるのじゃなく、下のほうからフニャフニャとやって来て、骨抜きにされる。
★いせものかたり
伊勢物語も、そんな「かな感覚」でもって、書かれていると思うのです。
物語は、在原業平らしき人物の恋のあれこれを、ごく短い断章でつづれ織るもの。
業平的人物は、「むかし、をとこ」と呼ばれ、名前も時代もあいまい化されています。かな感覚。
「むかしをとこ」は、ひとりの人物というには矛盾した話も出てくる。しかし一方では、これらの「をとこ」たちは複数ではなく、何か「むかしをとこ的」とでもいう、あいまいな焦点でもって、ひとりきりの人物像のような気もする不思議。
ぞんざいな、影のような、輪郭のない主人公。この世でおこなわれる無数の恋、その主体は、本当はただひとりの「をとこ」なのかもしれません。
いちおう年代記みたいな並びになってるけど、それもしっかりしたものではなく、ゆるい。ぼんやりと霧のよう。
それでいて、流れはちゃんとあって、そのたゆたいが、恋の未練の切れそうで切れない消息にシンクロします。
同じ時の恋の話が、複数の章で語られる場合。人物のキャラクターや、お話の感じが、章によってちがっていたりします。ちょうど、噂話がそうであるように、人によって語る話が少しずつ食い違う。
それを平然と、つながるものであるかのように並べてしまう、無造作。そのズレ、ブレから来る、奇妙な感覚。ああでもない、こうでもないと、思いあぐねる、つらさ・せつなさと、鼓動があう。
*1
伊勢物語は、かなの感覚で読みたい。
研究するように読んではダメでしょう、やっぱり。頭で読んではダメだもの。Don't think, feeeel.
理解するのではなく、泳ぐ。意味を捉えるのじゃなく、流れる。
たぶん解説とか書いてる学者先生のやりかたでは、百万年研究しても、伊勢物語は読めない(笑)
伊勢物語の名前も知らない、恋に忙しい十代二十代の人のほうが、どうしたって「をとこ」や「をんな」の心になる。自分にひきつけて誤読しないと、読んだうちに入らない。正しく読もうとしても、読めない。
読む人には読めず、読まない人に読める、まことに不思議なテクストとなっています。
つらい恋のさなかにある人が読むと、ひとつひとつの言葉にハラハラしたりします。たぶん、それをアハレと呼ぶ。読みきるとか、読みこむとかより、こうしたアハレのひとつふたつが貴いです。
「本意にはあらで、心ざし深かりける人」
本当はそうあってはならないと意識ではわかっていても、心がどうしても思ってしまう、あの人。ホイニハアラデ、ココロザシフカカリケルヒト。
心がハラハラとすると同時に、恋のつらさは大昔から幾多の「をとこ」「をんな」によって感じられてきたものとわかる。転生。無数の恋は、ただひとつの恋。この感覚には、何かしら心やすらうものがあります。
★そして、書く
余計なゴタクはこれくらいにして、さっそく書いてみましょう。
まず、Ougishi Lite をダウンロードして、インストールします。
手始めに、何か書いて見ます。
いきなりマウスで、なかなか達筆です。自画自賛、自己陶酔の世界。うーん、がんだむ(寒
しかし、武田双雲先生も、まず自分が持ってる美しさの感覚を信じるのが大事だと、言ってました。たしかに言ってましたから。
かなの本来のあり方からしても、気分が何より大切なはず。そうでしょう、そうではありませんか、いやそうにちがいない。
お手本の通り書いてては、かなの流麗さは出ませんからね。自分の手と、Ougishiを、ただ闇雲に信じるのです。考えず、感じるのです。
それにしても、Ougishi はすごいなあ。
なんか、いろんな書家の書体もできるみたいです。たのしいです。字じゃなくて、絵もいけますね。
次はお手本(伝為家筆本)を見ながら、伊勢物語を書いてみます。
大切なのは、お手本をトレースするのではなく、あくまで自分の感覚で書くこと。武田双雲のホームページを見て、書道気分をつけてから、書くのもいいかも。
ふっふっふ。我ながら、驚愕の出来のよさ(笑)
なんか、ホンマモンみたいです。
「手書きブログ」に挑戦して、人々に戦慄を与えたダメ字の私の筆とは、とうてい思えませぬ。
しかし、Ougishiを使えば、このとおり。シロウトなら、十分だませるシロモノが出来上がりましたw いや、まず自分がだまされる。
まあね、七回ほど書き直しましたが(;・∀・)
うまくいきすぎて、心やすらぐというより、ちょっと高揚感があります。
「みちのくのしのふもちすり
たれゆゑにみたれそめにし
われならなくに」
陸奥の忍ぶもぢずり誰ゆえに乱れ染めにし我ならなくに
ひらがなは、今われわれが活字で使ってるのとは、ちがう字体もあり、また同じ音にも、複数の字が当てられたりもします。
例えば、「の」は、「乃」を崩した字と、「能」を崩した字が使われています(3文字目と5文字目)。意味のある使い分けもあることもあるようですが、ないことも多くて、じつにいい加減です。かな感覚。
一個一個のひらがなを、先に練習してから書くと、続け書きがしやすいかも。
これで毎日一章ずつ書いて、ブログを作ることもできますね。
全部書けたら、プリントして、和とじ本を作るのも楽しそう。和本の作り方は、先日、古本まつりのワークショップで教えてもらったし。
あと、今から練習すると、年賀状対策としてもおすすめか。
[お手本に使えそうな、伊勢物語の諸本]
早速、ダウンロードして使ってみました。
タブレット持ってないので、タッチパッドによる
ひょろひょろ文字ですが、不思議とじょうずに見える!
年末も近づいてますし、年賀状に使えないかしら、これ。
と思ったら、overQさんも同じことを考えていましたか(笑)
宗教といえば、今、高村薫の『新リア王』読んでいるんですが
なんか仏教って広すぎてつかみどころないなあというのが
今の正直な感想。
むしろoverQさんも書いているようにお経を音読したり
写経することによって
体がほぐれてくるんじゃないでしょうか。
あとは寺で出されるような質素な食事は体にいいとか。
でも長時間にわたる座禅は血液が鬱血して、
エコノミー症候群にならないのかなあとか思ったり
ついついそういう物理的なことに考えがいってしまいます(・∀・;)
このソフト、すごいですよね!
筆の入り抜きがカンタンに作れるので、文字だけじゃなくて、マンガを描く人にも使えそうです。
仏教は歴史が長いので、いろいろあるみたいに見えますが、本質はとてもシンプルかもしれません。
中村元の現代語訳大乗仏典というシリーズが、わかりやすいです。まあ、読んで理解する、というようなものでもないのでしょうが。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4487732824/azblog-22/ref=nosim
刊行途中で中村元先生が亡くなってしまわれまして、中途半端なところもあるのですが、
そのせいで逆に、つまみ喰い的に読みやすくなってます(笑)
「論書」「般若経」はむずかしいので後回しにして、
「法華経」「維摩経」「浄土経典」あたりから読み始めるのが、よいのではないでしょうか。
大変わかりやすく書かれています。
禅寺の精進料理については、水上勉「土を喰う日々」「精進百撰」がおすすめです。
読んでも面白いし、実際のレシピ本としてもとても使えます。少ない材料で、手早くできるのもいいです。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4006020252/azblog-22/ref=nosim
フリーのフォントで文字遊びをすることがたまにありますが、Ougishiはすごいですね。
草書は読めないので、すごいと思っちゃいました。
「伊勢物語」は古文の授業でさわりを読んだくらい。もはや内容は忘却の彼方です。
年賀状の季節になりました。その手のソフトに任せれば、毛筆もさらさら。いい時代になりました。
Posted by:overQさん、こんばんは
Ougishi Lite、少し使ってみました。こんなソフトもあるのですね。
マウスではちょっとやりにくいけど、感動。
かつて、王義之の「蘭亭序」を書写して自己満足にひたっていたという恥ずかしい思い出があります。
それにしても和漢の世界は奥が深い。
しのふもちすり、ネジバナですね。春になると草むらに見る野のラン。
そのころからあったんですねぇ(←当然
こんばんは。
仏教については、おっしゃるようにきっと本質はシンプルだと思います。
ただ、そこに至るために、世界や宇宙や、肉体や感情や精神や、とにかくあらゆることを分析していこう・・とするので、もうとにかく煩雑になってしまうのでしょう。
ただまあ、肉体と精神をべつに見ないので、LINさんご指摘のように体をほぐすのも必須ですよね。
ちなみに分析的な見方がお好みの場合、東洋文庫で出ている『ミリンダ王の問い』はおもしろいです。
ちょっと中級者向けかな・・。
中村元先生はもう基本中の基本ですね。中村先生が日本人で、日本語で本を書いてくれることにただ感謝です。
そして、いつもながらoverQさんの懐深さには感服します。
「鳩摩羅什の漢語訳のすばらしさ」とは、私はとうていその域には追いつけません。また、教えてやってくださいー。
overQさん、綺麗ですね。これを見てるだけでもとってもとっても安らぎます〜。
紹介して下さった伊勢物語のお手本も、見せてもらって心がすーーっとしました。
私も草書 少し書いたりします。(参考というほどでもないですが)
overQさんもおっしゃってる「変体がな」(文の中のかなと調和しやすいように平安時代の能書家たちの作った漢字、の=乃とか能) と、もともとの語句として出てくる「漢字」とは混同しやすいので、書く時、漢字(もともとの)の方を、なるべく「独立」させる事です。もしくは筆では、大きめか太く書きます。お手本の伊勢物語もそういう感じになってます。
また、年賀状などに「みちのくの〜」のような短歌を書く場合、そのまま書かないで「散らし書き」をします。(よりべっぴんさんに見せるため。笑)。散らし書きの構成は、多種多養で幾通りもあるので、overQさんがおっしゃってるように、楽しんで自分流で行けばいいのですが・・もっとも無難な例としては・・
*上の句と下の句に分けそれぞれを左右のまとまりとして考えます。
*次に一句を紙の右方に一行分ぐらいあけ、中ほどから少し上に書きます。
*次に第二句をその左に二字分ぐらい上から書きます。
(リアルで書く時は、そこで墨を継ぎ)、
*第三句をその左にずっと下げて書きます。
*それから二行分ぐらいあけて、第四句を第二句より少し下がった所から書きます。
*最後にもう一度墨を継ぐのですが、そして第五句をその左に二〜三字ぐらい下げて書きます。左方の余白は右方よりも広くあくようにします。
(横書きにしましたがこんな感じです。)
みちのくの
しのふもちすり
たれゆゑに
みたれそめにし
われならなくに
overQさん、こんばんは!
オー!本当に色んなフリーソフトがあるのですね。
鉛筆やペンだと普通に書ける文字もなぜか筆を使うとダメダメになってしまうので、書道は苦手でした(-ω-;)
これならまるで上手になったように思えるので気分いいです(*´Д`)
漢字よりひらがなの方が難しいです〜。マウス使いが下手なのかしら。
Ougishi、すっごいですねえ。
字の上手い人(特に毛筆)は無条件で憧れちゃう。
なのに、自分も王義之のようになれちゃうとは!
(王義之はひらがなは書かないでしょうけど・笑)
伊勢物語、私もNARUさん同様古文の授業で
さわりをやった程度なので、すっかり忘れてます…
あんまり恋する乙女じゃないんですけど(笑)
「feeeel」を大切に読んでみたいものです。
overQさんこんにちは!
このソフトプリントアウトして半紙に出すことできるのでしょうか?(笑)
小中と夏休みの書道の宿題が大嫌いでした。
書道六段の弟に代筆して貰ったら入賞して褒められてしまう始末(笑)このソフト15年前にあれば・・・
書き写すって楽しいですよね。
でも字が下手なのがコンプレックスなので
PCに打ち写していました(笑)
リサガスのかわいいノートを買って
かわいいお料理ブックを作ろうかしら。
私のキャラじゃないんですが(笑)
写経と言えば思い出すのが京都の苔寺
行ったことありますか?コケを見たいのですが
値段と写経に抵抗があって行けていません(T_T)
★NARUさん。
Ougishi、だんだん使い方がわかってきました。
けっこう細かい調整ができるので、慣れてくると、いろんな書体が書けそうです。
さらにフォトショップで加工して(笑)、細かいカスレなども演出すると、筆では不可能な境地も見えてくるかも。
ものすごい邪道で、きっと怒られますが(;・∀・)
なんか年賀状が楽しみになってきました☆
★nyuさん。
かつてチェスの天才カスパロフに、ディープブルーが勝利してしまったように、
Ougishiが、王義之に勝ってしまうという、おそるべき事態が到来するかもしれません(笑)
しのふもぢずり=ネジバナ、検索して見ました。
そうか、この草なんですね。たしかによく見ます。
「もぢずり」って、なんでそんな名前なのかなと思ってましたが、
「もじり」「ねじり」から来てるんでしょうね。
かなの伝本では、「もちすり」と濁音なしで表記されるので、
現代の活字本でも「もちずり」とか「もじすり」とかいろいろなんですが(笑)、
「もぢずり」が正しいようです。
もぢ=文字と縁語になってるかなとも思うのですが、
「みだれ」と草花のねじれた形態も、文字−映像のメディアをまたいで(!)、縁になってる可能性も濃いですね。
やっぱり、古典は、奥深いです☆
★shosenさん。
ひょっとすると、今、私たちが宗教と読んでいるものは、ほぼ同じ時代、同じ地域で、相互に影響・反発しながら生まれてきたかも…などと、この頃思っています。
もっと極論すれば、宗教はひとつしかないとも。
宗教対立という現実は、やっぱりとても悲しいです。
どんな宗教でも、そのいちばん大切な部分で、殺し合いを禁じるもの。
でも、怒りにとらわれてる当事者たちは、宗教の根本を守るため、戦ってるつもりなのです。
それがとても悲しいです。
中村元博士は、元(はじめ)というお名前の通り、サンスクリット原典にかえって、仏教を研究された方。
鳩摩羅什や玄奘とちょっと似てますね。
鳩摩羅什は、よく考えると、サンスクリットも漢語も、彼にとっては外国語。
外国語から外国語への翻訳をしたんですよね。
しかも、祖国・亀慈国は、いわば彼のせいで滅びる。
すごい話です。
漢語圏で仏教が栄えたのは、鳩摩羅什の漢訳のおかげと言われるそうですが、ほんとにそう思わせる、すばらしい訳です。
★ワルツさん。
かなというのは、ほんとに面白いですね。
漢字を崩して書くのは、中国にもあると思うんです。
でも、かなのようには崩さない。
かなは、漢語そのものじゃなくて、あくまで音を借りて、「日本語」を表記するもの。
中国文化のほうがレベルが高い、と思って切磋琢磨してた当時のニッポン男子諸君には、
女房たちがはじめた「かな」は衝撃だったはず。
それは、日本にも独自文化があるじゃない、という、すごい反抗声明だった。
しかも、対立しない。やわらかい。
中国もいいけど、日本だってもともと、ちゃんとヒトは生きてるの。
このあり方は、すごいです。テロリストに教えてあげたいです。
他を殺さず、自己を主張する。
漢字は、わりと、うまいヘタがわかりやすいのですが、
ひらがなは、なんというか、わけわからんです。
骨董とかと同じで、究極的には、理屈じゃなくて気分が支配するとしか、思えない(笑)
これは、中国にもヨーロッパにもインドにもない、日本的な思想=生き方で、それが当時の人にはとてつもない衝撃だったんだろうなと思います。
これから、ワツルさんに教えていただいた方式で、書いてみますね。
書いてるうち、またずれていくでしょうが、まあ、それはそれでよいのだと思うことにして☆
★みらくるさん。
このソフト、使えます。
何度か練習すると、自分なりの使い道が見つけられそうです。
書体自体を支配するのじゃなくて、あくまでタッチだけ、調整するものなので、自分の筆跡は残る。
ペンでしか書かない人にとって、筆で難しいのは、入り抜きだけど、それが自動でできてしまうので、
ペン段階で字に味のある人は、いきなり能書家への道が開けるかも!
★四季さん。
なんか、ソフトの紹介記事みたいになりました(笑)
でも、このソフト、そうとう使えそうです。
筆のタッチだけを変えるソフトなんで、文字に限らず、絵にもいけそうです。
伊勢物語は、恋愛のいろんな場面を走馬灯のように走っていきます。
面白いのは、きっと正しい読解よりも、自分にひきつけて誤読したほうが、テクストの本性に近づけること。
すごくあいまいに書いてあって、学者的な読解だと、あーもいえる、こーもいえる、としか言えない。
でも、思いがハラハラしてる人だと、一語一語に深読みができて、
シンプルな表現なのに、百万語を費やした長編のように読めるところがある。
伊勢物語の作者は、意図的に、そういうものを制作したとも思われます。
いわば、恋のロールシャッハテスト。
自分の本当の思いが、ここに反映されるようにできています。
文学作品としては、極上のもの。
個人的は、源氏よりも、ずっと好きなんです☆
★Bryumさん。
弟さん、六段っすか!
それは、ぜひ、Ougishiで、だましてあげてください(笑)
年賀状で伊勢物語か何かの一節を送りつけて、びびらせてあげたいですねぇ。
書道をかなりやってる人でも、ひらがなは不得手な人、多いそうなんです。
漢字の格式ばったうまさとは全然ちがう領域らしい。
先生の言うとおり書いても、それだけではダメなようで。
何がうまいかヘタなのか、ほんとはたぶん誰もわかってないんです(笑)
苔寺はむかし、まだ京都に住んでない頃、行きました。
記憶にほとんど残ってません(TдT)
でも、その後テレビで見た、あざといほどの苔は眼に焼きついてたりします。
たぶん、今後、苔寺に行ったとしても、テレビの映像しか記憶には残らない気がします。
思えば、このパターンは、京都の名所ではけっこう多い。
たいへん悲しいですw
overQさん、ごめんなさい。
文字がいっぱいならんでいるので、
斜め読みして、文字ソフトをダウンロードしました。
写経は好きです。体にすぅっとはいってきますよね。
伊勢物語は、家にはないので、猫村さんじゃあだめですよね〜。いくらんでもね〜。はぁ〜
西行か子規にしようかとも思ったのですが。
よくよく考えたら、墨ですって書くほうが、体によさそうですね。
でも、このソフトは、早く使ってみたいです〜
「がんだむ」をみて、ふら〜りとしちゃいましたよ〜。
ああああ、なんだか、酔っ払いが遊びにきたみたいですね。
ぐだぐだですみません。
また、でなおします。すみません。
初めましてこんばんは、 TBして頂いてありがとうございます。おかかと申します。よろしくお願いします。
実は、前回のたら本企画の時から、拝見させて頂いておりました。すごく面白い記事を書く方だなぁと、感銘を受けています。
『読む』だけでなく『書く』ことによって、心をやすらげてしまうといった観点が、とても新鮮で素敵です。わたしは、こういうワークショップ的な事も好きなんで、楽しく拝見させて頂きました。
こちらからも、TB返しをさせて頂いてよろしいでしょうか。お願いします。
これからも、ちょくちょくお邪魔するかと思いますが、よろしくお願いします。
では、失礼します。
★picoさん。
頭痛のほう、お加減いかがでしょう。
少し前の足のはれとも一連のものなんでしょうか。
頭痛は原因がよくわからないことが多いので、
ゆるゆる体全体をいやしていくのが、遠回りのようで近道なのかもしれませんね。
このソフトで猫村さんを模写しても、筆の綺麗な入り抜きが出て、けっこう様になりそうですヽ(´ー`)ノ
★おかかさん。
こんばんは。
こちらこそ、はじめまして!
今まで字がすごく下手で、コンプレックスがあったのですが、
このソフトを使うと、すさまじく邪道ながら、いきなり上級者みたいに書けたので、たいへん感動しました(笑)
ワークショップ風といえば、これから造本をやってみようと思ってるんです。
文庫をハードカバーにしたり、和とじ本を作ったりする仕方を、先日習ってきたので、
ちょっとずつ作っていきたいなと思っています☆
トラクバク、ども。書道はちょっと心得があるので装丁の仕事とかで使わせてもらってるんですがさすがに変体仮名はぜんぜん活躍の場がないので連綿のやり方とかもうすっきり忘れちゃってましたよということに気づきました。
Posted by: Rym : November 9, 2005 9:04 PM★Rymさん。
こんばんは。
申しわけございません。すさまじく邪道な書道をやっております(笑)
じつは、書道の人にも見てもらいたい気持ちもあったんです。
欧米の人など、漢語圏じゃない外人さんって、すんごい漢字を書かれたりします。
あれって、でも、あの方向だけにわき目もふらずまい進したら、
これまで知られてない、美しい図形としての文字が誕生する可能性があるのでは、と思ったことがあります。
でも、よくよく考えてみたら、「かな」こそ、まさにそれ。
中国の書道の伝統からしたら、すごい邪道だったはず。
今では、すっかり「道」になって、筆のよしあしとか、姿勢がどうとか言われがちな書道ですが、
じつは「ちがう道」があるのでは、と思えてなりません。
それは、いわば音楽におけるヒップホップのようなもの。
楽器すら買えない連中が、CDの登場で安価になったレコードをスクラッチして、「音楽」をでっち上げたように、
パソコンを「弾いて」、書道をでっち上げてもいいのではないか…大げさに言えば、そんなこと、思ったりしました☆
わたしもさいしょは書道の堅苦しい感じが嫌いでいつも胡坐かいてたし、あと臨書とかもあまり興味なかったので端から我流に走ってだめな生徒でしたよ。邪道です。そんな感じで厭厭ながら五段(高校のときなので特待生のひとつ下のランク)までがんばったのですがあんまり基本が身についてないばかりか、いつまでたっても仮名が絶望的に苦手です。今回また挑戦してみましたが、やはりどうみてもOugishi&overQさんの勝ちでしたよ……泣。みつを
Posted by: Rym : November 10, 2005 3:13 PMoverQさん、おはようございます。
私も、ダウンロードして遊んでしまいました。
猫とか鳥とか落書きしたら、和風テイストの素敵なイラストに変身。
来年の干支の戌に挑戦しなくてはいけませんね。
さて、伊勢物語。筒井筒とか出てくるヤツですね。
私はこれを授業で習ったとき、その内容にすごく腹が立ったのですよ。
男が、思いを寄せていた女性の家を覗いたら、女性が自分でご飯をよそっているのを見て冷めてしまったというお話があったんです。
なんて上っ面でしか判断できない嫌なヤツなんだろうって。
今は、他の本の影響もあって在原業平は古代の粋なプレイボーイだと認識しておりますけど。
昔は相手の顔とか見る機会もないうえ、ワビサビの世界なので、仕方ないですよね。
自分の食いしん坊ぶりを振り返って、反感を覚えたのだと思います。(笑)
★Rymさん。
五段はすごいです!
かなが難しいというのは、みなさん、おっしゃいますね。
やっぱり、原理的にちがうところがあるんでしょうか。
紀貫之のような人は、大陸文化に追従するのではなく、独自の日本文化を探そうとした時、かなを見出したのでは、と思えます。
漢字に対抗するのじゃなくて、いっけん追従するように見えながら、じつは内側からむしばんで、改変してしまう(笑)
日本は、漢字だけじゃなくて、かなの文化を混在させたところが、独特なのでは、と考えています。
★ブラッドさん。
こんばんは!
伊勢物語の「むかしをとこ」は、たいへん変なヤツで、
人間というより、影みたいな感じがします。
なんか、すぅっと生きてて、すぅっと死んじゃいます。
気分しだいで行動してて、矛盾に満ちてる(笑)
しりあがり寿の漫画「真夜中の野次さん喜多さん」に出てくる、ホモで薬中で優男の喜多さんと、感じが似てます。
気分という風に吹かれて、あっちにふらふら、こっちにふらふら。
「食べる」とか、生きることにちゃんとつながることが、苦手そう(;・∀・)
ほとんど生の感触がなくて、恋の募る思いだけが、かすかに命をこの世につなぎとめている。
漢字からかなを生み出した、なよなよ感が、その「うすさ」につながっているようにも思えました☆
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