前回の記事で、不気味の谷現象というのを書いたのですが、途中で続きに書くことを忘れてしまい、別な話になってしまいました(;・∀・)
不気味の谷現象とは、谷亮子が、完璧に近づけば近づくほどイヤミなセレブな人生になってしまう現象を解明したものです(美頬さま説、座布団五枚差し上げます)。
さて、今頃になって、書こうと思ってた「続き」を思い出しました。
この年末のあわただしい時期に、じつにのんびりした展開になっております。
でも、せっかく思い出したんで、「続き」の内容をかいつまんでご説明しておくと。
戦後の日本、昭和30年代40年代くらいまでは、稚拙な社会でしたが、夢があった、なんて言われます。
完全にはあまりに程遠いので、かえって「夢」をみることができた。
一方、平成の世の中は、細かいところまでぴっしりと配慮が行き届いていて、ちょっとしたミスでも大げさに過失が指摘される。
完璧までもう一歩…のはずが、かえって不愉快で、いらいら棒が募り、アラが目立ちまくる。
夢見る余地はなくなり、完全さへのわずかなズレが気になって仕方ない。
中にはイライラに耐え切れず、意味不明で自暴自棄の取り返しのつかないハチャメチャに脱線転覆してしまう人たちもいる。
これは、不気味の谷現象と、よく似てはいませぬか…という話を書こうと思ってたんですよ。はははは(虚笑
ああ、ちゃんと書いてれば、ええ記事になっとたのに(爆
ゲームの話を枕に、現代の世相を斬る…素晴らしい展開だ、ブログの鏡だ(ウットリ
まあ、不気味の谷現象の説明によれば、完璧に近づけすぎないのが、夢見るための大切な条件…「秘すれば花」なので、こんなんで、いいんですよね。稚拙はほめ言葉(慰
ところで、不気味の谷グラフでは、完全さ(リアルさ)が100パーセントになると、親しみやすさも急速に回復して、100パーセントになるように設定されています。
でも、「よりよい社会」というようなものの場合、完璧さが100パーセントになることは想像できない。
99パーセントが、99.9パーセントになり、99.99パーセントになり…と、近傍には近づくけど、完全そのものになることは、けっしてない。
すろと、完璧さを目指せば目指すほど、「不気味の谷」は無限に落ち込む可能性がある…のかもしれません((;゚Д゚)