「昭和−工場=平成」
という妙な公式をふと思いついたのは、
近所を散歩して「日本の川ってすごくきれいになったなあ」とぼんやり考えた時のこと。
日本の川はここ十年くらいでどんどんきれいになってるそうです。鳥も魚も戻ってきた。水草もぼうぼう生えている。
工場が減ったせい…らしい。
電気料金が石油高騰のわりにはあまり上がらないのも、工場が減って電気が余っているからだとか。
工場は海外に行ってしまった。中国は公害でえらいことになってます。
よく散歩する近所の道は、昔の名前では大原道。
日本海から京都に鯖を運んだ道、鯖街道。それが京の街に入るちょうど入口。
古い旅館や料亭が今でも残っています。
でも大原道、そんな古い時代のものより、目に付くのは、むしろ「昭和」の痕跡。
1970年代まで、カネボウの紡績工場があって、工員さんたちの町だったそうです。
文化住宅から工場に通う数百メートルの道が、ちょうど大原道だった。
お風呂屋さん、洋服店、布団屋、時計屋、お好み焼き、赤提灯、歌声喫茶、名画館…行員さんたちの生活の跡が、そこここに残っています。
戦後昭和というのは、日本が世界の工場になっていった時代。
町には工場がいっぱいあった。
工場というのは、製鉄や自動車・化学の大工場もあれば、
「こうば」と読むような、下請けの小さな無数の工場も。
小さくでも技術も誠意もガッツもすごかった。未来が見えてたから。
そんな工場を中心にできた町並みが、戦後昭和の風景。
寅さんや金八先生に出てくるような、川の土手道。夕暮れ。
お化け煙突が向こうに見える。
河原には野球少年たちの声。
土手を降り、町に入れば、土管の置いてある空き地。
ダンプが水たまりを跳ねる道。
自転車で酒・醤油を運ぶ御用聞きのお兄さん。
ゴム跳びをする少女たち。
高架下のおでん屋台が準備を始める。
自動車・電化製品、世界中で売れるものをたくさん作り出してきた、ニッポン。
右肩上がりの時代。
工場のある町を通じて、豊かさは町中の人々に行き渡った。
工場があって、コウバがあって、工員さんがいて、工員さんの生活するさまざまがどんどんできて…。
町自体が、富の分配・再分配のシステム。
世界から流れ込む富。その公正な分配方法をめぐって、労使対立とかも起きたんでしょうか。
日本の豊かさ、世界の豊かさは、自分が作ってる、という実感は働く人の手に、はっきり感じられた…とまで言えば大げさでしょうか。
いろいろ曲折はありながら、日本は全体として豊かな国になっていった。
昭和の町が懐かしいのは、こうした富の循環とも関係してるのかもしれません。
昭和の風景が失われると、人は不安になる。もう豊かさは自分のところに回ってこないんじゃないか。勝ち組・負け組。格差社会。
*1
統計では必ずしも確認できないとも言われる現象ですが、ぼんやりとした不安が人々の心を捉えてる。
六本木ヒルズも、芸能やスポーツのスターも、別な国の人のように見えているんでしょうか。
平成。
バブル以降、日本の富は目減りしてるのかなあ。これもいろいろ意見があるみたい。そもそも豊かさなんて、はかれないものだし。
目減りする富を取り合うゲームとしての平成…という悲観的なイメージに支配される人も増えてるか知れない。
たしかに政府も財政に汲々として、国民より政府自身の存続を優先してるみたいに見えなくもない。
誰ももう、富の全体量を増やそうなどとは、考えないらしい。未来が描けない、と。
日本が新しい世界商品、すごい財やサービスを生み出して、世界を変えることって、もうないのかなあ(詠嘆)。
理系が、零落した…ですよね、平成。
戦後昭和の物を作った人たち。
かつてアニメヒーローの背後で優しい目をしていた「博士」たち。
今はおたくと呼ばれてるんじゃないか。
工員になるべく教育養成された人材は、働きに出る工場がない。
まじめで勤勉寡黙で手仕事が好きで、人付き合いはちょっと苦手。
あんまり愛想よくすると、人をだましてるような気がしてしまう、損な性分。
行く場所がなく、引きこもる。ヒトよりモノが好き。
でも工場はない。工場のある町もない。
彼ら彼女らをオトナとして迎える社会が消滅した。昭和の町はない。イニシーエションを通過できない。子どもの心のまま、バーチャルな世界をさまよってるんだろうか。
民俗学で、昔祭られてた神が零落して鬼になる、というような話を聞くけど、ちょっとそれを思い出します。
昔の日本映画を見てると、大人の人たちが集まって快活に笑うシーンが出てくる。あれが不思議。今はそんなふうに笑ってる大人の集まりを見ないから。
今笑ってる集団を見ると、楽しくならずに、なんか怖い。入っていけないもの。要塞みたいに門は閉じている。沙漠で飲み水を確保するように、ぎりぎり笑いを保っている。理性が笑ってるんじゃなくて、狂気が笑ってるかも。そんな気になることがある。
本田宗一郎ってきっと快活に笑い、快活に怒鳴っただろうな、とふと思う。そうでもないのかな。過去を理想化してるだけだろうか。
社会全体にたくさんの本田宗一郎がいて、快活に笑い、快活に怒鳴っていた時代。笑うときも怒鳴る時も、ひとりじゃなかった。そういうものをふと思う。
80年代のシリコンバレーにもそんな雰囲気があったのかなあ。
世界を変える商品のふるさと。ビートルズだってそんな若者の集まりだった。あの雰囲気。
平成の今では完全に死語となっているけど、それはたぶん「青春」と呼ばれるもの。
規則規則で正義を言い立てるものに反抗し、精神論ばっかりで手作業のともなわないものに本当の大胆さを見せること。頭ではなく体が感じ、精神じゃなく手と目で捉える、未来の希望。
…そんな浮世離れしたことを考えながら、昭和の痕跡を求めて、ぼんやりと大原道を歩くことがあります。
工場が戻ってくることはもうないでしょう。新しい何かを生み出せるかな。それはわからない。楽観はまったくできない。理系さんには貴種流離譚が待っている。
シズマドライブとでもいうか、新しいエネルギーが開発できたらすごいのにな。人類は宇宙にも出て行ける。それはあまりにも大きい夢なんだろうか。制御できる核融合は、結局、自身の重力で自重する太陽だけなのだろうか。宇宙に放散される太陽エネルギーを拾い集めるすべさえないのだろうか。
…それにしても写真、どれも妖気、ただよいました。なぜだろ(゚д゚ヘ))))))〜
私も子供時代は昭和、それでも親からは「昔はもっと自然が多かった、子供はのびのびと遊んだものだ」などなど聞かされていました。その私が遊んだ畑も田んぼも川辺も今はありません。友達と遊んで5時になったらそれぞれが帰路につき、家々のあかりがつき、ご飯やおかずのにおいがただよってきて・・・。本当にそうだったんですけどね、昭和。なんだかしんみりしちゃいます。
Posted by: ふらんす : February 7, 2006 11:24 PM昭和って、なぜだか夕暮れの思い出と結びついてます。
あかね色の空の下、晩ご飯を思いながら、家路につく。
晩ご飯が「家族」を意識する、重要なコミュニケーションの場でした。
最近は、晩ご飯の時間帯に家族が全員そろうことが少なくなってしまいましたが。
社会構成の変化、生産や経済の仕組の変化によるもので、
たぶん江戸時代や明治にもああいう家族団らんはあまりなくて、
戦後昭和独特のもののような気がします。
もう戻ってくることのない、あの時代。。