カフカ作品に登場するキャラクター。その配置には、ある法則があります。
「膝から下」に置かれることが妙に多いのです。
例えば「変身」のグレゴール・ザムザ。
ベッドの上で目覚めるところから始まる物語。
虫となった彼はやがてソファの下にもぐりこむことで、ささやかな安住を得る。ザムザの見る世界は、膝から下にだけ広がっている。
今後、自分の人生をどのように秩序づけるか、邪魔されずにゆっくりと考えることができる。しかし、心ならずもひらべたく床に這っていると、天井は高いし、まわりがガランとしていて、どうしてだかわからないが、不安でならないのだ。もう五年ごし住み慣れた部屋ではないか―半ば無意識に、かすかな恥じらいを覚えながら、彼はこそこそソファーの下に這いこんだ。「変身」池内紀・訳
つまり食事を運ぶ妹の、膝より下の位置。
もっと口にあうほかの食べ物を持ってきてくれるだろうか? 妹が自分からそうしないなら、そのことを注意するよりも、むしろ飢え死にするほうがましだと彼は思った。その一方でソファーの下から這い出てきて、妹の足もとに身を投げ出し、何かいい食べ物をねだりたくてたまらない。「変身」池内紀・訳
「城」。
Kは居酒屋で身を隠す。カウンターの下であり、つまりその位置は女(フリーダ)の足の下。
「測量士のことはすっかり忘れていた」
と、フリーダが言った。そして自分の小さな足をKの胸にのせた。
「ずっと前に帰っていったのね」
「姿を見せなかった」
と、主人が言った。
「ほとんどずっと玄関にいた」
「ここにもいなかったわ」
そっけなくフリーダが言った。
「隠れているのかもしれない」
と、主人が言った。
「見たところ、信用がならない」
「隠れるなんて勇気がないと思うわ」
そう言いながら、フリーダは足をKに押しつけた。何か晴れやかな、自由なものをKは感じた。さきほどは気づかなかったことであって、それがなお高まった。つづいて彼女が笑いながら口にしたからだ。
「もしかすると、この下にいるのかもしれない」
言うなり身をかがめ、すばやくKにキスすると、すぐに身を起こし、つまらなさそうに報告した。「やはり、いない」「城」池内紀・訳
膝から下の安住の地。
「掟の門」では、主人公は門の前に「子どもっぽくなって」うずくまっている。巨躯の門番のちょうど膝から下の位置。
すっかりぢぢんでしまった男の上に、大男の門番がかがみこんだ。
「欲の深いやつだ」
と、門番は言った。
「まだ何が知りたいのだ」「掟の門」池内紀・訳
「流刑地にて」で処刑機械を発明した「先の司令官」の墓は、町はずれの喫茶店のテーブルの下にある。
「墓が見たいんだとよ」
テーブルのひとつを脇にずらした。たしかにその下に墓石があった。粗末な石で、テーブルの下に隠れてしまうほど背が低いのだ。小さな文字で碑文が切り刻まれていた。読み取るためには膝を打って屈みこまねばならなかった。「流刑地にて」池内紀・訳
カフカが好んで書いた動物物語。
貂、ジャッカル、こうのとり、大きな尻尾をもったカンガルーのような動物、猿、二十日鼠、もぐら。それにオドラデク。
膝から下をその生息場所とする。
この先、いったい、どうなることやら。かいのないことながら、ついつい思案にふけるのだ。ややつは、はたして、死ぬことができるのだろうか? 死ぬものはみな、生きてるあいだに目的をもち、だからこそあくせくして、いのちをすりへらす。オドラデクはそうではない。いつの日にか私の孫子の代に、糸くずを引きずりながら階段をころげたりしているのではないか? 誰の害になるわけでもなさそうだが、しかし、自分が死んだあともあいつが生きていると思うと、胸をしめつけられるここちがする。「父の気がかり」池内紀・訳
オドラデク、すなわちカフカの書いたものは、膝から下にある。
おそらく膝から上の世界(目的、意味、価値、解釈)を見上げることをしない。糸くずを引きずって、床を這う。
+
長編作品のもっと大きな構造でも、このことは同じ。
「城」を見上げることなく、Kは城下町を這いずり回る。彼の仕事は測量士。膝から下が彼の仕事場。上は見上げない。
「審判」では裁判官にも上級審にも達することはなく、裁判は粛々とどこか上のほうで進行し、Kはその周辺を犬のようにめぐるだけ。
「失踪者(アメリカ)」のカール・ロスマン。アメリカの下層をかけまわるばかり。そもそもニューヨークに到着した時、彼は自由の女神の「膝から下」に位置した。
速度を落としてニューヨーク港に入っていく船の甲板に立ち、おりから急に輝きはじめた陽光をあびながら、彼はじっと自由の女神像をみつめていた。剣をもった女神が、やおら腕を胸もとにかざしたような気がした。像のまわりに爽やかな風が吹いていた。
「ずいぶん大きいんだな」「失踪者」池内紀・訳
剣をかざす巨大な自由の女神。
「掟の門」の門番のように、入ることを拒むもの。
入ることを拒む女性。
アメリカに上陸したカール・ロスマンは、女性に力ずく押さえつけられる。
「動けるものなら動いてみたら」
「猫め、メス猫め」
怒りと恥じらいでカールの胸はつまった。
「頭のいかれたメス猫め」
「言ったわね」
クララはすぐさまカールの首に手をまわし、力をこめてしめあげてきた。カールはあえぎはじめた。クララはもう一方の手をカールの頬にのせ、しまいにピシャリとやるような仕草をした。
「一発くらわせようか」
とクララが言った。「失踪者」池内紀・訳
クララという、カールと似た名を持つ女に、おさえこまれる。
そもそもカールが渡米しなければならなかったのは、年上の女中に誘惑され、その女中に子供ができてしまったからという。
クララのときと同様なマゾヒスティックな「誘惑」があったのではないか。
+
カフカのM。
カフカの短篇「変身」は、マゾッホの「毛皮を来たヴィーナス」へのオマージュだと言われています(岩波文庫解説、またドゥルーズのマゾッホ紹介文の脚注)。
主人公ザムザ Samsa は、ザッヘル・マゾッホ Sacher-Masoch をもじったもの。また、グレゴールは「毛皮を来たヴィーナス」で女主人がM男クンに与える名前。
Mはまた、当時のオーストリア=ハンガリー帝国におけるマイノリティのMでもある。床を這いずるもの。上を見上げて直視することはない。
「変身」の最初のほうに出てくる「雑誌から切り取った絵」。これは「毛皮を着たヴィーナス」に出てくるティツィアーノ作「鏡に向かえるヴィーナス」だろうか。
+
フロイトのフェティッシュ論。
「毛皮を来たヴィーナス」の読んだあと書いた論文らしい。
要するに少年が、女性にはまったく陰茎がない、という自分で見た事実を認めるのを、拒んでいたということである。いや、これが真実のはずはないし、なぜなら、もし女性が去勢されているのなら、自分が男根をもっていることも脅かされることになるから、そこで、自然が用意周到にもまさにこの器官をあたえておいた、一片のナルシシズムがこれに抵抗する。
女性にはおちんちんがない。それを見てしまった少年は、自分も去勢されるという恐怖を覚える。
もはや上を見上げることはタブー。見てはならないものが見えてしまうから(;・∀・)
女性の中にペニスの代替物になるものを見出そうとする。それがフェティッシュになっていく。たとえば、足フェチ。
…というような説。正しいかどうかは疑わしいけど、マゾッホを読んで論文を書くフロイトは、きっとカフカのMと同じ時代同じ社会同じマイノリティの同じ病気の中にある。
下着フェチについて、フロイトは、「男根がない」と気づく一瞬前、まだ脚と下着しか見てなかった、恐怖を知らなかったやすらぎを再現するものだ、という解説します。
婚約と婚約解消を繰り返し、結婚にはたどり着けないカフカ。
40すぎても、少年の頃と同じ顔をしているカフカ。
職業作家にはなりきれないカフカ。
長編小説が完成できないカフカ。
核心部分に到達できず、そのまわりを逡巡するKたち。
オーストリア=ハンガリー帝国のユダヤ人カフカ。
ドイツ語という外国語で書くカフカ。
カフカのMには快楽はないのです。
それはあまりにもささやかな膝から下の楽園。見上げることは禁じられている。見上げてもじつは空っぽの空があるだけではないか。
「断食芸人」で、断食を芸としている男は、やがて人々からあきられても、やっぱり断食を続けている。
サーカス一座の片隅の檻の中で、誰からも忘れられている。
ある日、檻が監督の目にとまった。立派に使える檻だのに、藁くずを入れたまま放っておくとは何ごとか。問われても誰にも返答ができなかった。一人が日数板に目をとめて、断食芸人のことを思い出した。藁くずを棒でかきまわすと、なかに断食芸人がいた。
「まだ断食しているのかね」
監督がたずねた。
「いつになったら止めるんだ?」「どうしてほかに仕様がなかったのかね」
「つまり、わたしは――」
断食芸人は少しばかり顔を上げ、まるでキスをするかのように唇を突き出し、ひとことも聞き洩らされたりしないように監督の耳もとでささやいた。
「自分にあった食べ物を見つけることができなかった。もし見つけていれば、こんな見世物をすることもなく、みなさん方と同じように、たらふく食べていたでしょうね」
とたんに息が絶えた。「断食芸人」池内紀・訳
断食芸人には、妹は食事を運んでくれなかったようです。
グレゴール・ザムザの死が、家族に生の華やぎをもたらしたように、断食芸人の死後、檻には命の横溢した精悍な豹が入れられる。アイロニカルなサクリファイス。生贄はやせているものが好まれるらしい。
気づいただろうか? 膝から下とは、十字架を背負って坂をのぼる、イエスの配置だと。K世界では彼は磔刑にはいたらず、ただ十字架を背負ってこれを無限に運び続けるばかり。。
カー様はMだったのですね。
そういえば「流刑地にて」の機械はSMチック(笑)
機械文学ってあるらしいですね。
overQさん、カフカのゲームがあるのご存知でした?http://abc.net.au/gameon/kafkamesto/game/default.htm
視点が揺れるので酔っちゃうのですが
城があったり、バッドエンドだと虫になっちゃったり
カフカっぽさ満載です。
ゲーム、ちょっとやってみましたヽ(´ー`)ノ
ガイジンさんはすごい! たいへんカフカ度高いです。作るの面倒そうだなぁ。。
カフカはM男なんですが、そこから快楽を得ることを拒絶してるように見えます。
それは、なんというか、この世界に対して挑戦してるような態度。
「世界と自分の戦いでは、世界を応援せよ」とカフカは言った。
彼は自分の作品が世界に読まれることを拒絶していたし、そうなる可能性も生前は感じたことがなかったはず。
Mだけど、たいへん「男らしい」ともいえて、このふたつの概念は矛盾しないようです。。
拝見して「なるほどぉ」と、うなっちゃいました。
そうかそういう見かたもあるのね。たしかに言われてみればカフカは常に膝から下がその居場所ですよね。
僕はカフカに、他の作家以上に何かを感じてやまないのですが、もしかしたら僕が同じくM男だからかも(笑)
σ(^_^;)
いやぁ、それにしてもよく読まれてますなぁ。量的にはもちろんだろうけれど、質的にすごいです。世の中の「今月○冊読んだぜ、スゲーだろ」とか威張ってる人々に、僕は尊敬を抱けないんですが、overQさんはすごいですよ。
(*゜▽゜ノノ゛☆拍手
ふむ。
またカフカが読みたくなっちゃったッス。
カフカを読んで、もう5年あまり…。
ずいぶんのんびりした読書です(笑)
全集は、でも、こういう読み方が楽しみのひとつなんでしょうね☆
だんだん自分のゴタクが少なくなって、
作品自体の引用で何かを語ることができるようになってきた気がします。
作家の生み出したものというのは、
見かけ上の秩序のほかに、
いろんな地下通路や見えない扉があって、
意外な場所と場所がつながりあってる
…全集でゆっくり読みつづけると、
むしろ本を読んでないときに、
ふとそんな水脈を発見するようです。