カフカの友人にアルフレート・クービンという人がいます。
Alfred Kubin。クビーン、クービーンと表記されることも。
1877年生まれ。カフカより五つ六つ年上の画家。
日本ではそれほど知られていませんが、幻想的な画家として好事家には愛される存在。ネット上にも公式サイト(?)あり。
ゴヤ、クリンガー、ルドン、ムンクといった系譜につらなると考えられます。
クレーやカンディンスキーら若い仲間とともに、「青騎士(デル・ブラウエ・ライター)」というグループを形成(パウル・クレーの作品を最初に買ったのが、クービンらしい)。
象徴主義の継承者で、表現主義者の同志を持ち、シュールレアリスムの先駆…というのが美術史的な位置。
とはいえ、19世紀末から20世紀前半、めまぐるしく画壇の流行が変わる時代にあって、新形式には目もくれず、独自の道を進みました。
本の挿絵もよく描きました。
ポー、ホフマン、ネルヴァル、ドストエフスキーといった幻想性の強い作家の作品。
挿絵の仕事は70冊あまり、生前出版のデッサン集も20冊を超え、千点以上の作品があるようです。
1959年、82歳で死去。カフカの倍ほど生きてます。
★カー様とクーちゃん
カフカはクービンを非常に尊敬していたようです。
自分と近いものをこの人に見出し、また先行者として恐れや、場合によってはやっかみも抱いていたように思えます。
クビーンの特徴。彼の顔の動きは非常に激しいが、やや単調。同じ筋肉運動によって、実にいろいろな異なったものを描き出す。彼が座っていたり、立っていたり、背広を着たりするだけだったり、オーバーを着ていたりするのに応じて、年齢、背丈、頑丈さ加減がいろいろ違ったふうに見える。いかにもカフカらしい描写。同時に、クービンの絵の作風にも言い及んでいるかに見えるのが、すごい。カフカの日記 1911年9月30日―「決定版カフカ全集7」
彼はぼくの腕の一部を見て、「あなたは本当に病気ですよ」と大声で言った。そしてそのときからぼくをずっと寛大に扱ってくれるようになり、あとになって他の連中がぼくを売春宿に連れて行こうとしたときも、それを止めさせた。別れ際にも、遠くから、「レグリンですよ!」と大声で叫んだ。日記
カー様にとってクーちゃんは、下剤の人として認識されていたようです。そこはかとない愛情で結ばれる先輩後輩な二人。
カフカはクービンに自分に似たものを感じていたようです。
クービンの父は退役軍人。カフカと同じく、骨太な親父。そして息子は軟弱、蒲柳の質。
ピアノに堪能だった母は、クービンに物語と音楽の楽しみを教えたが、若くして亡くなる。その直後、初めての性体験。
一方、息子を軍人にしたい父。父との確執で、クービンは自殺未遂など精神的危機も経験したようです。
画家になってからも、最初の妻があっけなく死んでしまう。母のことを思い出したのか、精神的に不安定になるクービンを、画家友だちの妹が看病し、それが新しい結婚に結びつく。新妻を得てようやく、自分なりの道を見出し始める。カフカはその時期の友人。
そういえば、クービンの父は退役後、国家測量士をしてるんですね。
測量士。「城」のKが名乗る職業。国の形を測定する仕事。
軍人の天下り先で、たぶん年金なんかもよかったんじゃないでしょうか。
クービンの父の職業が、「城」のKの職業のヒントになっているのか…。
うーん、「はらたいらに三千点」とまではいかないけど、「竹下景子に1500点」くらいの確率で、そうかもしれない。
ただ、Kは測るべき国をもたない測量士でしたが。
さらにクビーンについて。夫の優柔不断さにいらだつ妻のような文章。そして、カフカがクービンを非常に高く評価していたこともわかります。みんななぜ彼の重要性に気づかないんだと。
たとえ自分がそれについて述べた意見によって他人との絶対的な不一致がわかっても、他の人のその最後の言葉を、ともかく同意する調子で繰り返して言う癖。これは腹立たしい。―彼のいろいろな話を聞いていると、人は彼がどんなに値打ちのある人物かということを忘れてしまう。日記
★「対極」
画家クービンは、一冊だけ長編小説を書きました。
「対極―デーモンの幻想」die andere Seite: Ein phantastischer Roman
原題は、「もうひとつの側面 the another side」というような意味らしい。ある幻想ロマン。初版は1909年。
*1
幻想小説としてたいへんな傑作です。ものすごく面白いです。当然挿絵入り。
[あらすじ]というような話。ある日、主人公の少年時代の友人からの使いだというものがやって来る。
そんなに親しい友人というわけでもなかったが、目の輝きが印象に残った友人パテラ。
彼は今、とある経緯で莫大な財産を受け継ぎ、ヨーロッパ一の富豪になっている…と使いの者は言う。
そして、ジンギス・カンの末裔たる碧眼の種族の隠れ住む天山山脈でひそかに、人口数万の夢の国ペルレを形成しているのだと。
やがて友人の誘いにしたがい、妻とともにペルレにおもむく主人公。
そこは、古いものしか持ち込みを許されない国であり、奇矯な人々が不思議な生活をいとなんでいた。
アマゾンのカスタマーレビューでは、村上春樹「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」に影響してるんじゃないか説が。
「対極」にはクービンの描いた町の地図がついてるんですが、これが「世界の終り」の地図とそっくりなんで、この説が出てきてるように思います。
影響があるか…といわれると、まあ「篠沢教授に500点」くらいの確率で(笑)
村上春樹への影響は疑わしいけど、カフカへの影響は絶大です。
「城」や「審判」はこの作品なしには考えられないといえるほど。
夢の国ペルレの創造者パテラは、人間というより神。神というよりデミウルゴス。世界を創造した狂気の神。
後半は、ペルレにアメリカからの新しい住民ヘラクレス・ベルが流入、彼がルシファーとなって、神パテラに反抗する、というもの。
瑣末で暗い街の描写が、同時に神学的な象徴性を持つ…という発想を、カフカはクービンのこの作品から学んだように思えます。
パテラにはなかなか会えない。会うためにはお役所で手続きを踏まねばならず、それもいつまでたってもいっこうに処理されない。
と思えば、パテラらしき人物が、薄汚い土工の姿で主人公の妻に目撃される。
宮殿深くかくまわれているかと思った謎の神のごときパテラが、手ずから世界を作る土工の姿に。
物語の後半は、カフカとはちがって、「決着」がちゃんとつく。
この終り方が作品の見どころ。ある種のカタルシスがあります。カフカが下剤をイメージしたのは、正しいかもしれない。
★薄明の画家クービン
クービンは、カラーの作品をほとんど描かなかった。
たいていはペンによるデッサン。虚無を暗示する白黒の描画。
いわゆるデッサン力、写真のようにホンモノらしく描画することを、拒否している向きがあり、ちょっと見、ヘタクソに見える絵もあります(でも、ちゃんと描くときはちゃんと描けるようなので、意図的なものらしい)。
特徴的なのは、線をいっぱい描いて、線で線を消してしまうような、ゴチャゴチャした悪夢のような描き方。諸星大二郎系とでもいうか。
ぼくは、夜の眠りにおいてのみならず、いつも夢を見ていると信じている小さなミミズクの仲間だ。しかし、昼間の夢は、理性の強烈な輝きによって、たいていはかき消されてしまう。昼間のこの緊張した状態は、僕の場合、長く続くことは稀だ。その状態が弱まる際に、しばしばぼくの周りに歪んだ像がひしめいているのがわかる。ある状態から他の状態へ移行する瞬間が、ぼくにとっては芸術的にもっとも実り多い瞬間だ。「忘れかけた国から」―『クービンの素描』解説
最近になってやっと、ぼくの内にあって適切な形を得ようとしているものが、精神的な中間領域―すなわち薄明の世界であることがわかるようになった。ぼくのつくったものはすべて、この半陰陽の薄明領域の烙印を持っている。…明らかに動揺している特別な瞬間に、ぼくは、あたかも地下のどこかに、あらゆる生命をたがいに結合させる神秘的な液体が流れるかのような、ある予感に襲われる。「薄明の世界」―『クービンの素描』解説
というのが、クーちゃんの人類補完計画。最後にもうひとつだけ。
カフカは、作品を創作することを、「書く」とは呼ばず、「引っかく」と言った。
ペンで紙を引っかく。
固いペン先で、紙の繊維を傷つけるように引っかく…ペン画に固執したクービンも、塗るのではなく、引っかくことを好んだようです。
世界に関わりあうも、べったり塗りこまれることはなく、やっと爪先で引っかかる程度。
世界に反抗するも、破壊したり刺したりできず、ガリガリ引っかくばかり。
クービン様 啓上
…いま私は、バルト海のまわりをあちこち動いています。あなたはきっと美しい地所の静寂のなかにひたって、お仕事をしていらっしゃるのでしょう。そのあなたのお仕事が私にどれほど意味を持っているか、やはりもう一度申し上げさせていただきたいと思います。
F・カフカ 拝1914年7月22日消印のはがき―「決定版カフカ全集9」
[本]
・対極―デーモンの幻想…挿絵入り。野村太郎訳。法政大学出版局。
・クービンの素描版画と素描 新装…野村太郎編。
・「裏面―ある幻想の物語」…「対極」の別訳。なぜか同じ1971年に二冊の翻訳が。河出、モダン・クラッシックス。
・ウィーン 聖なる春…池内紀編。「対極」の訳の一部あり。
・ミュンヘン―耀ける日々ドイツの世紀末 3…クービン自伝の翻訳の一部があります。
・Alfred Kubin: Aus Meinem Reich/from My Realm…洋書なら画集がいっぱいあります。
へぇ、あのカー様にこんなご友人がいらしたのですね。僕のイメージではカー様って、友だちもいなくて家でひとり膝をかかえてグスグス言ってるイメージですけどねぇ。
ちょうど「変身」のグレゴールくんから家族を抜いちゃった感じです。……よく考えたらそれってまったく救いが無いかも(笑)
ごめんなさい>カー様
僕の想像は「井森みゆきに全部」くらい的外れのようです。
(´・ω・‘)
日本語でクービンを紹介する文章って、ネット上ではこれだけかもしれないんで、
ちょいと長々と書いてしまいました(;・∀・)
カフカはけっこう友だちは多かったみたいです。
社交的というわけではないけど、話すとすごくいい人だったようで、
みんなから大切にされました。
尊敬する人も多かったようです。
ヤノーホという年下の友人が書いた「カフカとの対話」という本が、
カフカのちょっと聖者めいた雰囲気を伝えています☆
外ずらは聖者めいてるんですが、
日記だとグチと悪口ばっかりで面白いです(笑)
それもいかにもカフカ的なヘンテコなグチ。
あと、女性関係はけっこう出入りが多い人。
手紙のやり取りのある数人の女性のほか、
旅行に行くとかならずアバンチュールがあったようです。
当時はサナトリウムとか保養所とかがブームで、
健康旅行によく行くカフカですが、
目的はもっと不健康なものだったかもしれません(;・∀・)
カフカの小説の登場人物は、でも、たしかに孤独ですよね。
主人公とへんな動物しか出てこないパターンがすごく多いです。
これはかなり重要なポイントかもしれません。。