生きていくものにとって、愛と死は避けられないから。
愛と死によって生じる別れも、生きとし生けるものみなが経験するもの。
別れは、学校の卒業のようなささいなものでも、
やっぱり小さな愛と小さな死の組み合わせで出来ているようです。
愛にはふたつの愛があるとホイットマンの詩にありました。
ひとつはくっついていく愛で、もうひとつはどこまでも離れていく愛。
くっついていく愛は、生きているものどうしの愛で、ふたつがひとつになろうとするもの。エロス。
離れていく愛は、神への愛だといいます。無限の距離のあるものへの愛。アガペー。
しかし、本当は死によって引き裂かれてしまった愛のことではないか。くっつこうにも、死によって、無限に隔てられてしまった、愛。
「あはれ」という言葉が、愛と別れでできているのは偶然でしょうか。
「ああ、あれ、まあ」という嘆息が語源だといいます。言葉もない。悲痛なばかり。
おそらく文学とはこの主題をめぐってやっと書きつけられた言葉だし、
宗教にとっては、その存在理由ですらあるかもしれません。
たら本、第二十二回は、てらブログのshosenさん主催、お題は、
「サヨナラだけが人生か? グッドバイの文学」
別れ。
ダンテはその思い姫であるベアトリーチェに、9歳の時出会ったといいます。
少年の初恋。誰しもが経験するこの無垢の思いを、ダンテは生涯抱き続けた。
ダンテにとっては、ベアトリーチェは世界のすべてであったでしょうが、
ベアトリーチェにとってダンテはほんの知り合いにすぎず、ほとんどゼロだったでしょう。
片恋。無限の隔たり。
それでもよかった。
通りをすれちがうとき、挨拶をかわすだけで、ダンテの胸はいっぱいになった。
人の妻となったベアトリーチェはほどなく病に臥し、死んでしまう。享年24歳。
それはダンテにとっては生きることの意味がすべて失われたということ。
ダンテ・アリギエリはそれでも、愛に生き延びる道を見つけようとします。
こうして書かれたのが「新生」、そして文学の至宝「神曲」。La Divina Commedia 神聖なる喜劇。
喜劇とは、逆境ではじまるかもしれないが、最後には幸せにいたるものとダンテはいいます。
一方、政敵に死刑宣告を受け、故郷フィエンツェから追放の身となるダンテ。
祖国との無限の隔たり。そして正義とは無限に隔たった現実。
隔地を転々と放浪、時には飢えもしながら、地獄篇は書かれたと伝えられます。
+
神曲は地獄・煉獄・天国の三つからなる。
地獄は九つの層に分かれています。
そのふたつ目、第二圏は、「肉欲」の罪により、地獄に落とされたものの場所。
ちなみに第三圏は「大食の罪」。七つの大罪のうち、肉欲は大食より軽いのです。
そこでダンテは若い頃、噂に聞いたことのある二人に出会う。
フランチェスカとパオロ。悲恋のふたり。
政争を和睦させるため、政略結婚させられることになったフランチェスカ。
お見合いに現われた青年は清く美しく、彼女は結婚に同意します。
しかし結婚してみると、男は無骨な醜男。足に障害があったと伝えられます。
お見合いの時に現われたのは、その弟パオロだった。
しかしいったん承諾した結婚。また政争をしずめる意味もあるもの。
あきらめて結婚生活に耐えるフランチェスカ。
パオロへの思いは胸に秘め、けっして表に出してはいけない。
けれどもあるとき。
フランチェスカはパオロといっしょに本を読んでいました。
互いに思いは胸に秘めて、やましい気持ちはなかったのです。
ただ、ときどき視線がかちあうと、ちょっと顔を赤らめたりもしたのです。
読んでいたのは、ランスロットが恋におちる物語でした。
恋人同士がキスするくだりを読んだ瞬間、ふたりは互いの思いに気づいてしまいました。
パオロは震える唇でそっとフランチェスカに触れた。
「その日わたしたちはもう その先を読みませんでした」
フランチェスカと義弟パオロは、やがて不義の現場を夫におさえられ、
その場でふたり抱きあいながらの姿で、剣で貫かれ死にます。
地獄においてもふたりは剣に貫かれたまま、一心同体で、愛欲の嵐に吹かれています。
Amor condusse noi ad una morte.愛は導いた ふたりを ひとつの死へ。
Love has conducted us unto one death.
地獄 第5曲
una morte(ひとつの死)の中に、amor(愛)が隠されています。
死によっても引き裂かれることなく、むしろそれゆえにひとつになる二人。
ダンテはこの愛に、激しい羨望を感じるのを禁じえなかったでしょう。
+
一方、ダンテは、死によって分かたれたはずのベアトリーチェに、自分の書く書物の中で再会します。しようとする。
読書を通じてたがいの思いを知ってしまうフランチェスカ=パオロの自然さとの、微妙なずれ。
再会したものの、いきなりベアトリーチェから罵倒に近い非難をあびるダンテ。
堕落した生活を指摘され、人生最大の屈辱を感じる。
「ダンテ自身、このような展開になるとは思ってなかっただろう。
それまでに何の伏線もない展開だ」と指摘する研究者もいます。
ウェルギリウスが人間の理性を象徴するように、神の叡智をあらわすベアトリーチェ。
ダンテは神曲の登場人物であり、また神曲の作者でもあって、
このふたつは離れたり近づいたりします。
死によって分かたれた愛を生き延びさせることが、神曲の目的でした。
神曲の中で、ベアトリーチェとの別れはこのように訪れます。
e quella, sì lontana
come parea, sorrise e riguardommi;
poi si tornò a l'etterna fontana.そして彼女は遠く
あるいはそっと微笑み見つめたかと思うと
それから背を向けて、永遠の泉のほうへ去った。and she, so far away,
Smiled, as it seemed, and looked once more at me
Then unto the eternal fountain turned.天国 第31曲
lontana(=far away)、はるか遠く。
それがダンテとベアトリーチェの位置。
微笑みと最後の一瞥は、つつましやかなもの。ほんとに彼女は微笑んだかどうか。
彼女の去る様子を示す動詞は、torno(=turn)です。くるりと背を向ける(あるいは視線を神の方へ向けてしまう)。
etterna(永遠)は、lontana(遠く)と韻を踏み、泉を形容するというより、turnのほうを修飾するかのよう。
「彼女は私に対して永遠に背を向けた」
「神曲」という作品を完成することで、死によって分かたれた愛が取り戻せるわけではない。
別れは解消されない。それは絶対のもの。もう二人がひとつになる機会は永遠に失われた。
それが世俗のものであり、地獄に落ちる肉欲だから…というのはタテマエで、
ダンテの心はこの白い天国に悲痛な思いをも感じていたのではないか。
むしろ、そのことを確認することが文学なのでしょう。あはれ、ということ。
当人が当初意図していたのとは、ちがう場所へ、ダンテの筆は彼を導いた。再会を意図した(au revoir)のに、さよなら(adieu)になった。
しかし、それを書き終えたとき、その無惨とさえいえる結論に、ある荘厳ささえおぼえはしなかったか。われわれ人間が、この無惨を肯定する。Good bye 神の良き御傍に。
矛盾してはいるけれど、問題に答えをもたらすのではなく、問題はただ問題のまま、厳然として残る。それが答え。
この正直さゆえに、神曲はとてつもなく強い作品でありえていると思います。
O luce etterna che sola in te sidi,
sola t'intendi, e da te intelletta
e intendente te ami e arridi!おお、永久の光。自らのみの内にあって(父)
自らのみが知り(子)、自らのみに知られ(精霊)
そして知り(父)、愛し(子)、笑いさざめく(精霊)のも、自らにおいて。O Light Eterne, sole in thyself that dwellest,
Sole knowest thyself, and, known unto thyself
And knowing, lovest and smilest on thyself!天国 第33曲
+
ダンテ「神曲」よりずっと短いけれど、よく似た作品として、一茶の「おらが春」をあげておきたいと思います。
56歳で娘が誕生しためでたさが、やがて娘のあっという間の死によって悲痛な別れとなります。「おらが春」という題名も、divina commediaっぽい。
岩波文庫は、父の臨終を看取る「父の終焉日記」併録。
その身を如来の御前に投げ出して、地獄なりとも極楽なりとも、あなた様の御はからい次第あそばされくださりませと、御頼み申すばかり也。ともかくもあなた任せのとしの暮 一茶
「神々は、来るべき世代が何か歌うべきことを持てるように、人間たちに不幸を用意する」とは、オデュッセイアにある言葉。
人間が生きてなしたことのほとんどすべては忘れ去られますが、不可解で残酷な世界のかたわらで、あてどなく記されたいくつかの言葉だけは残る。
それは詩となり歴史となる。答えが記されているからでなく、答えのないがゆえに。
[関連サイトなど]
■Digital Dante Project - ILT…イタリア語原文、英語訳2種、ドレ・ボッティチェリ・ダリの絵など。至れり尽くせりのサイトです。英訳者のロングフェローは、奥さんを火事で亡くして、その悲しみを埋めようと「神曲」の翻訳に取り組んだそうです。
■ダンテ「神曲」を読む!…これがたぶんいちばん読みやすい日本語訳かも。ペンギンクラシックス版の英訳から。すばらしいです。改行して欲しい(笑) あと一年(何が?)。ペンギンクラシックの英訳者は、推理作家のドロシー・L・セイヤーズ。
■GIAPPITALIX 00…神曲のイタリア語はそんなに難しくないようです。ということは、Degital Danteで英語訳とあわせ読めば、なんとか読めるのではないか。単語は、このサイトのPDIC用辞書で調べることにして。…ということを今、やろうとしているのは私。ダンテの端的な表現をぜひ原文で音読したいヽ(´ー`)ノ なお私の記事中の引用の訳は、きわめてたよりないです(´ヘ`;)
◆ボルヘスの「神曲」講義ボルヘス・コレクション…結局、文学のことはボルヘス先生に聞けばよいのでした。ウェルギリウスをダンテは、dolcissimo(「やさしい」の最上級) duca(導き手)と呼びますが、まさにそんな存在。誰よりも本を愛しながら、失明によって無限に本から隔てられた人。
こんにちは、いつもありがとうございます。
「神曲」は、いつかきっと読みたいと思っていましたが、その内容についてはほとんど知りませんでした。
しかし、この記事を拝見して、もっと読みたくなりました・・。
overQさんが書かれるように、「矛盾してはいるけれど、問題に答えをもたらすのではなく、問題はただ問題のまま、厳然として残る」から、それにさいなまれつつ、生きていく力となるのでしょうか。いつも、とっても考えさせられる文章に感謝です。
ここで坊さんとして思い起こすのが、仏教の基本世界観である「無常」というヤツですが、その不条理の中にこそ、前へ進めるエネルギーが生まれうるとも解釈できますね。
ちょっと前に「JMB」のTB企画でもネタにした、トーマス・ドルビーの「I Love You,Goodbye」は、どうもそのあたり連想させて大好きな曲です(笑)
Posted by: shosen : March 17, 2006 11:40 PMおおー、「神曲」だ!!
先日はありがとうございました。やっぱり「una morte」の辺りは、何度聞いても感銘を受けてしまいます。この部分だけでも「あなたが感銘を受けた本は?」に出したいぐらい。あ、本そのものよりもoverQさんの解説を。(笑)
そして
>当人が当初意図していたのとは、ちがう場所へ、ダンテの筆は彼を導いた。
そう考えると、色々なことがしっくりきますね。
本来、作家さんが「登場人物が勝手に動き出して」と言う辺りから、小説はぐんと面白くなったりしますけど、神曲に関して言えばどうなんでしょうね… 違う場所に導かれたことによって、作品としては荘厳にはなったかもしれないですけど、やっぱり地獄篇の方が生き生きとしてるように思えて仕方ないです。フランチェスカとパオロにしても、地獄に突き落とした政敵たちにしても、強い思い入れを感じるし。放浪生活の中で書いたということも、力強さを出してるんでしょうね。
それに対して天国篇は、ダンテが自分の気持ちを昇華しきれないまま、悟ってしまったような気がしてしまって。この作品を書くことによって昇華したと言えるのかもしれないんですが。
本当は、ダンテはベアトリーチェと一緒に地獄に堕ちたかったんでしょうに、ベアトリーチェを永遠の女性として祭り上げてしまったために、逆に一緒にいられなくなってしまって、それどころか永遠に失ってしまうんですね。それに気づいてしまった時のダンテさんのことを思うと… うーん、なんとも気の毒です。
Posted by: 四季 : March 18, 2006 8:44 AM★shosenさん。
主催者さま、ご苦労さまです!
長々と書いてしまって申し訳ないです…(;・∀・)
前から神曲について書こうと思ってて、
とりあげるのは、初めと終わりの二箇所だけだから短く書ける
…はずだったのですが(笑)
ボルヘス先生によれば、神曲は誰もが読むべき本で、
「これを読まないというのは、
文学が私たちに与えうる最高の贈り物を遠慮すること」らしいです(゚ー゚*)
翻訳は、河出の平川祐弘訳が読みやすいです。
でも解説が少なくて、これだけではわからんことも多いです。
あんがい、記事でご紹介した方の個人訳がベストなのかも。。
★四季さん。
こないだ四季さんのところで書いたので(練習させてもらったみたいになりましたが…汗)、
短く書けるかなと思ったけど、やっぱり長くなっちゃいました。。
神曲を読んだ人たちの感想を聞くと、
みんな最初は地獄篇がいちばん面白くて、
でも何年も読んでると、今度は天国篇が面白くなってくるものだそうです。
これは多くの人がそう言ってるので、そういうものなのかもしれません。
天国篇は、とにかくわからん(笑)
何が書いてあるのかさっぱりわからないです。
ニーチェのツァラトゥストラのような哲学問答で、象徴の意味をていねいにたどっていく必要があるのでしょうか。
でも、原文をみると、やっぱり音がすばらしいですね。
おどろくべきものです。
韻が意味を踏み越える!音楽でわかった気になる!
たぶん、翻訳にはこれが欠けていて、イマイチなんでしょうね。
天国篇で「問題」が解決されてない…という読み方は、たぶん異端です(笑) 火あぶり。
あと、ラテン系の文学は、英米系とちがうノリがあることにも気づいてきました。
神曲はいっけん緻密に構成されているけど、英米の機械のような緻密さとはちがうみたい。
矛盾を平然と抱え込んでいて、むしろ生物の体とか自然のメカニズムに近い。
そして、最後は荘厳な場所に出る。お約束なのか?
終わりのスタイルが大きく違っているように思えます。
あんがい、エヴァンゲリオンが近いかも(;・∀・)
あの作品も、「ハリネズミのジレンマ」(近づこうとするほど、相手を傷つけてしまう)という最初の問題が、
一切解決しないけど、なんかすごい終り方なんです。
おぉぉー『神曲』ダイジェスト(?)ですね。
あまりの大作で手を出せずにいます。今も、まだ出せなさそうです…(^^;
しかし「これを読まないというのは、文学が私たちに与えうる最高の贈り物を遠慮すること」とまで言われると読みたくなるのが本好きの性。
いつか心構えを整えて読みたいものです。
神曲ってオペラのようにドラマティック。
いや、もしかしてもうオペラになっているのでしょうか?(・∀・;)
overQさんのこの記事を読んですっかり満足しました。
もう本物は読まなくていいや(笑)
うっかり集英社のを買おうとしてました。
読むなら河出なのですね。
リンク先の『ダンテ「神曲」を読む』は
あれが全文なのですか?まとめじゃなくて?
だとしたらすごい。
しかしなにゆえスヌーピーが?(笑)
スヌーピーが地獄の門番なんですかね?
★高さん。
こんばんは。
長くなってしまい、なんだか申し訳ないです。
内容が内容なだけに、この長さになってしまいました(´ヘ`;)
最初は地獄篇が面白いです。いろんな人が出てきて。
長く読んでいると、天国篇が面白くなってくるそうです。
今回、この記事を書いて、ちょっと扉が開いたかなと思うように、今なっています☆
★LINさん。
神曲のオペラ。
神曲全体のオペラはないみたいですが、
このフランチェスカの話は、ダヌンツィオが物語化し、
それをオペラ化したものがあります。
まあまあ有名な作品みたい。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005HW80/azblog-22/ref=nosim
リンク先の個人翻訳は、ペンギン版を全部訳しておられるようです。
再来年になると、著作権が切れるので、おおっぴらに公開できます(笑)
カッコの中に書いてある注も、非常に簡潔で要を得ていて、読みやすいです。
最初に読むとしたら、いちばんいい訳のように思えてならない。。
スヌーピーは地獄の番犬ケルベロスのつもりではないかと思われます。ちがうのでしょうか。。
overQさん、こんばんは。
パオロとフランチェスカの悲恋。
>「その日わたしたちはもう その先を読みませんでした」
この訳、科白。この部分、私もすごく印象に残ってます。
決して「神曲」をoverQさんの様に読んでいるわけではないのですが、それぐらい美しくて心に残る部分だったのだと思います。
overQさんのこの記事を読ませてもらって、改めて少しずつでも読んでみたいなぁと思いました。
はぁ。私も、神曲はおそれおおくて。。。
でも、overQさんの解説を読んでいると、ペドロ・アルモドバル監督のトークトゥハーを思いだしてしまいました。(全然違うのですが)
彼は、舞台脚本をいくつもてがけてきた方なので、神曲の影響が根強いってこともあるんだろうな?と思ったりです。
こちらにご紹介のオペラは、是非!みてみたいです。
「おらが春」はよいですね〜。
年をとるごとに、その深みがわかってきて、風景などをみていて、突如として、その言葉が入ってくるのが不思議です。
ベアトリーチェといえば、ねるさんがお子さんの名前を、ベアトリーチェに。とおっしゃってらっしゃたのを思いださいました。
その時は、何だか仰々しい名前だと思っていたのですが、なるほど!ねるさん、素敵☆
overQさん、こんにちはー。
面白そうだなぁと思いながら、敷居が高くて遠くから眺めていた
「神曲」に、こんな風に触れられてとても幸せです。ありがとう
ございます。
河出の平川祐弘訳ですね。
『ダンテ「神曲」を読む』、ほんと、改行希望(笑)。
「あはれ」は、愛と別れの音から出来ている、なんて。
本当に美しいことを言うお人ですね、overQさん。
overQさん、こんばんは。
ダンテ、「新曲」という名前は見聞きしていても、内容など全く知りませんでしたヾ(´▽`;)ゝ
でも、皆さんがおっしゃるようにoverQさんの記事を読んだだけで一つの短篇を読んだような気持ちになれました!
あと最初の「くっついていく愛は、生きているものどうしの愛・・・離れていく愛は、神への愛だといいます。無限の距離のあるものへの愛。」ってとこにオオーと思ったり。
ホイットマンの詩ですかφ(..)メモメモ
『神曲』原語で読まれてるのですか!!あわわ(≧▽≦)
私など大学の授業で「煉獄篇」をちらっと読んだだけで
それすらさっぱり覚えてないです。恥
キリスト教の生死観を知らないと理解できないという
ハードルを自分の前にわざと置いて今まで避けていましたが
ダンテの恋愛物語として読めばよいのですね!開眼。
詩は声に出して読むもの、とどなたかがおっしゃってました。
神曲はあの時代初めて口語体で書かれた文章ですし
なおさら音で感じる(Don't think. Feeel!)のも大切なことかも。
リンクの日本語訳すごすぎ(・・;)。絶句しました。
まずこれを読みストーリーを頭に入れてから
原語に挑戦してみようかなと思わせてくれました。
しかしoverQさん、マルチリンガルの道まっしぐらですね〜。
★ワルツさん。
神曲は、ボルヘス先生が絶対に面白いと言ってるのですが、
一回目読むと、地獄篇はまあまあ面白いのですが、全体としてはよくわからない(笑)
ひとつは詩なので、原語で読まないとわからないところがあるせいですね。
でも、ところどころは扉が開いていて、
フランチェスカのエピソードは短いけど、
短いがゆえに、圧縮力がすごくて面白いです。
地獄・煉獄・天国と三つの世界でできているけど、
神は天国じゃなくて、三つの世界をともに作ったことも重要な気がしてきました。
見かけとは違う、ほんとの構造をもっているかもしれないとも、だんだん思ってきています。
ボルヘスによれば、人間の生には、これぞという一瞬があり、それは人生そのものより大きく強く、永遠でさえあって、
だからその一瞬を取り出して記録すれば、詩になり、人の記憶に残っていくのだ、といっています。
パオロとフランチェスカの読書もまた、そんな一瞬であったようです。
★picoさん。
アルモドバルはスペインなので、神曲もある程度は読めそうですね。
ポルトガル・スペイン語だと、「銀貨二枚くらい読める」らしいです。ボルヘスが言っていました。意味不明です(笑)
アルモドバルって、ラマンチャの男だから、やっぱりドン・キホーテなんでしょうかね。
ドン・キホーテは、神曲と相補的な関係にあると思います。
神曲の持つ神学的なまじめさを、徹底的に笑いに変えれば、ドン・キホーテになりそうです。
「神曲」の映画化は、トリコロールのキェシロフスキがやってるみたい。遺作のようです。また三部作みたいです。
でも、現代劇で、神曲はあくまで下敷きにしてるだけのようです。
★きみ駒さん。
アリガト!(´▽`)ございます。
神曲は、神学的なものと思って読むと、どうしても堅苦しくなるのですが、
(とくに天国が…ベアトリーチェは説教たれまくりですw)、
ボルヘスの解説を読んでたら、そういう読み方はどうも正しくないみたい。もっと楽しめ、ということらしいです。
もともと、すごくくだけた言葉で書いてあって、
地元の人たちがよく知ってるような「ご近所さん」たちが登場人物。
その人たちを、地獄やら天国やらに振り分けるという、なかなかカドの立つ行為なのですが(;・∀・)
かなり俗っぽさもあって、人間的な正義の思いで貫かれてて、いろんな運命があって…というものに今は思えてきています。
Posted by:★みらくるさん。
神曲はなかなか入口が見つからない、城砦みたいなところがあるのですが、
このフランチェスカのエピソードは、大きく開いた窓になっています。
愛は、地獄でも天国でもamorという同じ語であらわされてて、
世俗の愛と天国の愛は、やっぱりほんとうは底では通じ合ってるのかもしれません(異端ですがw)。
むしろホイットマンのほうが、くっつく愛(adhisive)、離れる愛(amatic)としっかり区別していて(笑)、
見かけ上は神学的にがっちり構成されてる神曲のほうが、むしろ地獄・煉獄・天国で、いろんな場所が通じ合い、
抜け道やどこでもドアがあるのではないかと思えます。
★ねるさん。
神曲は、原文をのぞくと、音がほんとうに素晴らしいです。
当時の人はもっぱら朗読したようで、
ミケランジェロは全文暗唱していたそうです。
本がそんなにない時代なのに、
神曲は非常にすばやく流布していて、
それも暗唱しているせいなのかなと思います。
語呂がすごくいいので、おぼえやすいにちがいないです。
見た目でも、ひとつの連には、同じ字が多くて、
いかにも音がたたみかけられてる感じが見えます。
あの日本語訳の人はすごいですヽ(´ー`)ノ
あれはとてもいい訳のような気がします。
引用した33曲のところも、あの人の訳なら、三位一体のことが書かれてるのが、よくわかる。
神は知り、キリストは愛し、天使は微笑むんですね。
なぜ天使は微笑むのだろう。
微笑む、という語は、天国ではところどころ出てくるんですが、今、それが気になっています。。
overQさん、こんばんは。
「神曲」の紹介記事、たいへん興味深く拝見させていただきました。
このような文学に触れられたことが嬉しいですし、ちょっと賢くなったような気さえいたします。
しかし、overQさんの記事は、興味深かったのですけど、「わかりやすい日本語訳」へ行ったらクラクラしてしまいました。登場人物多すぎ。もう、お腹いっぱい。(笑)
「最高の贈り物」だそうですが、ご遠慮させていただこうと思います。。。
★ブラッドさん。
こんばんは☆
超大作「神曲」を、なんとか概説していました。
ぜんぜん力及ばなかったですが。。
登場人物は多いです。
ただ、ひとりひとりを順番に尋ねていくようなスタイルで、
物語みたいに同じ人物が何度も登場するわけではないので、
ダンテとウェルギウスとベアトリーチェと神さま以外は、
おぼえる必要はあまりないです(笑)
いったい、全部で何人出てくるんだろう。。
Posted by:神曲ってこんな話しだったのですね。
高校生の時、ルネサンス、ダンテ、神曲って覚えました。
ブラマンテ、叙情詩集
デカメロン、ボッカチオ
それらも同じような話しなのでしょうか…。
それにしても
>una morte(ひとつの死)の中に、amor(愛)が隠されています。
>死によっても引き裂かれることなく、むしろそれゆえにひとつになる二人。
これ素敵!
これはイタリア語なんですよね?
なんかoverQさんぽくないセレクトって思いました。
世界の名作を解り易く読めて満足です(笑)
★Bryumさん。
ダンテは、ルネサンスのはじまり、中世の終わり。
ダ・ビンチなんかとは、200年も離れてるんです。大昔の人。13世紀。
「神曲」の愛は、アラビアンナイトとか、アジアのものと、むしろ似ていたりします。
まだまだアジアのほうが、はるかに豊かだった時代です。
amorのモーと、mortのモーは、ひょっとすると同語源なのかもしれませんね。
だって、あまりにも、愛と死って、フィットするもの。
愛の人であるoverQにふさわしい作品です(爆
突き刺しちゃうほうの人、ビッコで醜男の夫、美少年の弟をお見合いにつかわさねばおれなかった男、男の間では評価の高い男、
彼も、けっこう気になる存在だと思いません?
なんというか、もう、刺すしかないでしょう(笑)
彼も地獄に落ちてるにちがいないですが、その運命を肯定しながら、
そして弟と妻の不義を祝福しながら、刺したのではあるまいか…と思えます。
愛の人overQさん
絶対、神曲なんて読むことはないと思っていて
overQさんの記事を見て満足したのですが
この男、非常に気になり、とっても読みたくなりました。
ひとまず集英社文庫の本を読んでみようと思います。
前回のタランベールの夢を図書館で借りて読もうとしてみたのですが頭に入りませんでしたw
規則性のない文字列にしか見えませんでした(笑)
神曲は脳内昼ドラを連想しながら読み進めたいと思います♪
★Bryumさん。
愛の人overQです。
神曲はあまりいい翻訳がなくて、集英社文庫のやつもちょっとヘンテコ(;・∀・)
原文の麗しい感じが、日本語ではなかなか出ないようです。
イタリア語の音の魅力が半分以上を占める作品。
フランチェスカの物語のほかに、地獄の最後のほうで出てくるウゴリーノという人の話も、ちょっとホラーみたいで怖くて面白いです。
Posted by:overQさん、こんばんは。
「たら本」のトラックバックからお邪魔しました。
ダンテ・・・名前は知っていましたが、こんなに深い濃い生涯を送った人だったのですね。
とても勉強になりました。
ありがとうございました。
「神曲」挑戦してみようと思ってます。
トラックバックもさせていただきましたm(_ _"m)ペコリ
★ひろみさん。
こんばんは。
ダンテさん、波乱万丈で、なかなか思いの遂げられなかった人生。
故郷に帰れなかったことは、ベアトリーチェを亡くしたこととシンクロして、
その望郷の思いで、「神曲」を生み出したのではないかと思います。
だから、神曲の中で、ベアトリーチェは、フィレンツェの象徴にもなっているようです☆
OverQさんこんにちは(^^)
遅くなり申し訳ございません。
まさか『神曲』がくるとは…
きっと手に取ることのない本だと思っていました。
でも、OvreQさんがその気にさせてくださいました。ありがとうございます。
★ねあ。さん。
こんばんは。
なんかめっちゃ気合いれて書いてしまいました(;・∀・)
うちの記事はいつも長いのですが、今回も長い長い。。
「神曲」、ていねいに読むとやっぱり面白いし、すごいです。
言語でできることの、ほとんど完全な何かを達成しています。
もっといい翻訳や解説があるといいのになあと思いました。