On the heavenssea of heaven 天の海。On the sea of heaven
the waves of clouds rise,
and I can see
the moon ship disappearing
as it is rowed into the forest of stars.
まるでSFかファンタジーの扉の言葉(エピグラフ)のよう。
これは…何?
でも、これは Manyoshu。
from the Kakinomoto Hitomaro Collection。
つまり、万葉集・巻7の巻頭歌(1068)。
天を詠める。リービ英雄さんが英訳した万葉集の歌です。天の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ
右の一首は、柿本朝臣人麿歌集に出づ。
たら本、第24回は、Ciel Bleu の四季さん主催、「五感で感じる文学」。
わりと最近(2004年11月)、岩波新書からリービ英雄著「英語でよむ万葉集」というコンパクトな本が出たので、今回はこれを取り上げてみたいと思います。
この本、まずレイアウトが機能的。
見開き、右ページに原文、左ページに英語。
万葉の原文は現代人にとってけっして読みやすいものではないので、むしろ英語のほうがすらっと頭に入る。
いつもと逆さまの順序で、訳文から日本語の意味をたどる。
…この奇妙な倒錯に、この本の不思議な気持ちよさの秘密が隠されています。
で、ページを繰ると、次の見開きが解説になっています。
この繰り返し。どこからでも読める。
取り上げられている歌は、およそ50首ほど。
英語と日本語の言葉が脳に入ってくる速度、場所、入射角のちがいが、心地よい刺激となって、万葉の新しい魅力がひらけてくる。
解説の文章もいいの。万葉集に対する静かで深い感動が伝わってくる。
万葉の世界文学としての普遍性から、翻訳の一語をめぐる逡巡とひらめき、そして個人的な思い出もあって。
ゆるやかに思いあぐねたり、熱血して論じたり、文章のメリハリにちょっと「小説」のような雰囲気があるんです(じっさいリービ英雄は、日本語を母国語としない、日本語小説家なのだ)。
十九歳の秋にぼくはリュックに万葉集の古い文庫本を入れて大和に出かけた。もうすでにそんな旅をする人はほとんどいない時代だったのに、京都から奈良まで歩いた。一日目は宇治に泊まり、二日目は奈良、三日目は山辺の道をとおって飛鳥へと向かった。十一世紀から八世紀、そしてやがては七世紀へと時間を「南下」する感覚で、古へ、さらに古へと動いた。
いま振り返ると、あの頃は恥かしいくらい「外人」だった。…はじめての大和の風景を…よくわからない膨大なテキストを手に、何とか読もうとしていた。(P10)
+
万葉集は、こうである、と思ったとたん、まったく違った相を見せてくれる。巻から巻へと、万葉集を翻訳しようとする者は、いくつものことばの芸を次つぎと要求される。(P66)詩。
恋人と二人で見上げる星空は、口に入れてみたわけでもないのに、「甘い」と表現されるかもしれない。
もうけ話を「おいしい」といったりもするし、若気の至りを「青い」と表現したりもする。
野球で死球は、バッターよりもピッチャーに「痛い」と解説されたり。
視覚が味覚で、年齢が色彩で、気持ちが触覚で、あらわされる。
五感が相互にクロスし、混ざり合い、侵蝕しあった表現。
巧みな言い回しは、「詩的」とか「ブンガク的」、あるいは「旨い」と呼ばれるだろう。
詩の始まり。
そして、そのような五感をクロスする感じは、言葉の上で、はじめて可能になる。
Words are flowing out
like endless rain
into a paper cup
"Across the Universe" by The Beatles
On the sea of heaven
天界の海で。
…天界は実際に見える星空というより、なかば空想、思いのうちにある。
the waves of clouds rise.
雲の波が立つ。
…もこもこフワフワと綿のような雲は、眼で見る触角。ズの音のたたみかけ。わたつみ。わたずみ。わたつ、うみ。あわたつ。
and I can see
the moon ship disappearing
隠れていく、月の船。
…半月から三日月にいたる月が、船の形をしているのが、この歌の発想の元。
ズだった濁音は清音に変わり、たゆたう船は重さを失い、同時に姿(存在)も消えていく。
as it is rowed into the forest of stars.
星の木立の中へと漕ぎ出して行くように。
…林を渡る風の音がする。肌にその感触。
五感を横断していく。どれかひとつの感覚にとどまることはない。揺れる。揺らぐ。渦巻く、r音の感触。その中で「何か」を垣間見せるよう。
たぶん、我々には未知の、もうひとつの感覚において、それは実在であるもの。
五感をクロスすると、脳の中でその表現がしみこむ場所が、いつもと変化する。その新鮮さが呼び覚ます、覚醒と幻想。
+
五感だけでなく、この小さな本の中で、「詩」は、日本語と英語をクロスしていきます。
むしろそのせいで五感をわたる言葉の面白さが際立つ。
国語ごと、五感ならぬ語感があって、脳にしみ込む速度や突き刺さる角度もちがっている。そのことをあらためて思う。
それに万葉集、そもそも「日本語」で書かれているわけではないですから。
日本語にはまだ書き言葉がなく、中国語と交錯しながら書かれた。
書きとめられたことのない口づたえの言葉を、文字という別な場所にクロスする。
天海丹 雲之波立 月船 星之林丹 榜隠所見
+
また、英訳されたものを読むと、アラビアンナイトかワンピースの中で歌われるものから翻訳されたかのようにすら、見えます。
英語になってみれば、原作がペルシャ語なのか、朝鮮語なのか、そんな出自の問題を超えて、ごく自然な、無国籍な表現として成り立つ。(P79)七世紀、奈良は長安に次ぐ、世界第二の国際都市。万葉の歌人の中にも渡来人がいるという。かならずしも日本語を母国語としない歌人たち。
+
枕詞。
地名などの上に定型としてかぶせられる。ちょっと紋切り型で退屈な、しかも意味不明なものも多い比喩、と思われがち。
ある書評で言われた。ひとつの枕詞を読むと、その新鮮さに感動する。しかし、まったく同じ枕詞が、また一首、また一首と使われると、作者の独創性を疑う。五度も六度も同じ表現に出会うと、苛立ちすらおぼえる。ところが、そのひとつの枕詞を百回も読むと、作者一人ひとりの独創性を重んじる近代文学とは違った、歌一首一首を越えた大きな表現の流れに気づき、また違った感動をおぼえると同時に、近代文学とは違った必然性に気づき納得もする、という。(P114)
When can I make my way to you,
urging my horse
across the crystal shallows
of the Saho ford,
where the plover cries?千鳥鳴く 佐保の河門の 清き瀬を 馬うち渡し いつか通はむ
「清き瀬」を crystal shallows(水晶の浅瀬)と訳したことで、歌は例えば七夕の伝説と通じて、いっきょに神話性を獲得する。向こう岸は彼岸(死後の世界)でもありえます。
日本語と英語のあいだをacrossすることで生まれる、言葉の水晶の輝き。
+
across=あいだ。に、詩はある。詩は捉えられない。どこにも落着しないから。
五感のあいだに。語感のあいだに。他国語のあいだ。生と死のあいだ。男と女の、問いかけととまどいのあいだに。
揺らいでいるあいだだけ、見えて、止まると、もう消えてしまう。
最後に、たとえば、この、枕詞の赤と黒。
赤黒、そのどちらにもとどまらず、揺らぐ思いのあいだで、この英訳は何かを顕現させる。
茜さす 日は照らせれど ぬばたまの 夜渡る月の 隠らく惜しも (169)The crimson-gleaming sun
still shines,
but that the moon is hidden
in the pitch-black night it crosses-
alas!
こんな番組があったんですね。
http://www.nhk.or.jp/shiruraku/200505/thurseday.html
見たかった〜。
リービさんといえば、最近、何か受賞されたような…
検索したら『千々にくだけて』で大佛次郎賞を受賞されてました。
最近、梅原センセイの『隠された十字架』を読んで
万葉集にも興味が出てきたところです。
枕詞も研究すると、いろいろ歴史が見えてくるみたいですよね。
でも、こうやって並べてみると、日本の古語って
やっぱり美しい。
リービさん、書評などに取り上げられやすいタイプですね。
この本も出たとき、新聞の書評欄にたくさん取り上げられたようです。
自然とメジャーな位置に来てしまうようなタイプ。
この本は、英語と日本語とふたつ並べる。
それだけのことなんですが、非常に面白いです。
たぶん、リービさんの万葉集英訳だけを読んでも、こんなには面白くない(笑)
和英を行き来することで、詩が生き生きとよみがえってくるんです。
そのメカニズムが知りたくて、ちょっと詳しく書いてみました。書きすぎたけど(;・∀・)
万葉集は、「読み通す」という本じゃなくて、手元にあって、あちこちを繰り返し読む本かなと思います。
あと、やっぱり難しいので、ゆっくりと、書き写すくらいの速度で読まないと、味わいが出てこないです。
万葉集は他の歌集とは全く別物で、無数の謎があり、まだ誰も読めた人はいないといっていいもの。
そうでありながら、ほんとに直接、心に訴えてくるような歌も少なくない、という、不思議な書物です。
こんにちは。お久しぶりです。(´∀`)
万葉集の英訳・・!和歌もとうとう国際化される時代になったんだなぁ・・・。俳句も外国で大人気みたいだし、なんだかうれしいです。
和歌は小学生の時カルタ取りのために覚えました。でも意味は全然わからなかったですね。音や調子のかっこいいものから覚えて、それから中学で古典を習いだして、そしてようやく今現在になって「和歌っていいなあ・・・」と思えるようになりました。
英訳のほうはオペラの歌詞みたいな感じ(?)ですね。いっそ「ます」や「のばら」みたいな短い歌は和歌で翻訳すると面白いかも?
overQさん、こんにちは。ご参加ありがとうございます〜。
わあ、こういう本があるんですね。
原文と英語を並べたら、確かに英語の方が理解しやすそうです。それに中ほどに書いてらっしゃる英語と日本語の対訳も、なんだか英語と日本語の相乗効果で、どちらか一方だけ読むよりも、すごく想像力が刺激されるような気がしました。美しい〜。
以前mort_a_creditさんが紹介されてた三好達治氏の「詩を読む人のために」を読んだ時に、せっかく口語詩よりも定型詩の方が自分にすんなり入ってくるのに気づいたのに、それ以降全然詩に触れてなかったんです、そういえば! これはぜひ読んでみたいです。
Posted by:overQさん、こんばんは。
すてきな紹介ですね〜。
こんな本があるなんて知りませんでした。
原文と英文が並んでいるというのもいいですね。両方読んで、想像力の翼を羽ばたかせたいです。
それにしても冒頭の和歌。さすが柿本人麻呂!といったところですね。
★moji茶さん。
相撲もガイジン力士が台頭する時代。
日本らしさは外人さんに学ぼう(笑)
これは、でも、理由があるんだと、今回思いました。
この英訳も、英語だけだと、ややパワーに欠ける。
でも原文だけでも、生き生きとした感じがない。
ふたつを行き来することで、突然、「詩」になる感じがするのが、ほんとに不思議でした。
大げさに言えば、これがほんとの意味での国際化だし、愛国心なのかも。
スモウを再発見したガイジン力士も、スモウがいちばんクールな格闘技に見えてるんじゃないでしょうか☆
Posted by:★四季さん。
万葉集はすごく面白くて、しかもいろんな観点から面白いのですが、
最初に入るところが難しい。
リービ英雄のこの本は、小さいけど、とてもよい入口になってるなと思いました。
リービさんはまちがいなく、世界でイチバンの文学として、万葉集を捉えてます(゚ー゚*)v
万葉は、日本・朝鮮半島・中国といった東アジアが交流しまくった時期の産物。結晶といってもいい。
それを、「ガイジンさん」であるリービ氏が、再発見するのは、すごくスリリングなことだと感じました。
解説も、学術的というより、エッセイになってて、
前の見開きで原文と英語を行き来した眼を、すらすら行を追うのに使うのが、心地いいです☆
また、リービさんの解説、
私小説的な独白から、「世界文学としてのマンヨー」という高踏なところまで、
書き流す感じで振幅してて、それも面白いです。
続篇を激しくキボンヌです(笑)
たぶん企画もあるんじゃないかと思いますが。
英訳と原文、ふたつ並べる、ということが、もうそれ自体、「詩」なんですよね☆
★高さん。
この本はヒトマロの歌をたくさん取り上げてて、
人麿ってほんとにすごいと、あらためて思いました。
英語におけるシェイクスピアのような、
まさに日本語のマスター、究極の匠として、ヒトマロは存在するんだなあと。
それと、万葉仮名が楽しいです。
「月の船 星の林に」の歌も、
表記では「月船 星之林丹」となってて、
ほんとのところ、どう読むのかは、
読者が「翻訳」しないといけない。
「月」はたぶん「着く」とかけてあって、
「丹」の意味も、じつはいろいろ考えこむところがあります(長くなるので書けないですがw)。
まだ誰も気づいてない、別な読み取り方が隠されてる可能性が十二分にあって、
ちょっとダ・ヴィンチ・コードみたいです☆
リービ英雄さん、すごい人です。世の中にはいろんなものに感動して、それを実際自分で形にしてしまう天才がいらっしゃいますが、彼もそうなのだろうなぁと思いました。
心惹かれる記事を書いて下さったoverQに感謝してます。。
万葉集の独特のリズムは、英語になっても生きているのかな?って思いました。
古今和歌集や新古今に比べて、素朴、荘重、雄大。五七調で、強く言い切る形の助詞止めな。また、ますらおぶり(男性風)も。
万葉集が、他のに歌集に比べて、枕詞が多く用いられてる所は、overQさんのおっしゃるように、英語によって、その枕詞が浮かび上がるのが面白いと思いました。
万葉の心を忘れてしまった日本人より、もっとそれを持ち続けておられる不思議な人ですね。ホントに。
Posted by:★ワルツさん。
この英訳は、その企画を思うと暴挙といってもいいくらいですが、
実際に翻訳されたものを見るととても素直で、案外可能なことだったのかなと思わせもします。
われわれは日本語が母国語なので、現代の日本語とのちがいをはかりながら、読んでしまうんですね。
それがなくて、ざくっと、万葉の本文自体に、直接アプローチすると、意外とふつうな詩の感動がある。
万葉がますらおぶりと呼ばれるのも、
じつは万葉人はそんなことは思ってなくて、
あとで古今と比較されることで、そう見えるようになったもの。
ということは、英語と比較すれば、また別な万葉が姿を表すということでもあり、
実際、この本の万葉集はすごく新鮮に見えます。
違う視点からアプローチすることで、新しい可能性が発見される。
これは日本の文化ではよくあることなのかもしれませんね。
紀貫之は、中国文化を必死で吸収しようとしていたとき、ふと振り返ると仮名文化を発見した。
浮世絵と印象派とか、アニメとハリウッドとか、あるいはスモウとモンゴルとか、
今も、外国からの視点で新しい可能性を見出されるものは尽きないようです☆
ステキな本ですね。
英語は全然ダメな私ですが、思わずamazonの買い物かごに入れてしまいました。
声に出して読んでみたいです。
ovarQさん、おはようございます。
すごい本を見つけられたのですね。
なんとも興味深いです。
閉鎖的なイメージのある昔の日本ですが、独自の文化は芸術を生み出し、その中に間違いなく万葉集などの和歌も含まれるわけですが、英文と並ぶことによって、その芸術性が際立ちますね。
あらためて万葉集の魅力を感じると共に、著者のリービ英雄さんにも興味が沸きました。
NHKの番組、見られなかったのが残念です。
★小葉さん。
この本は読んでみると、不思議な気持ちよさがあります。
なぜ気持ちいいんだろうと思って、この記事を書いてみました。
英語の勉強にも、じつは適していて、その点でもオススメかなと思います☆
解説のところはエッセイ風で、リービさんの一本筋の通った、でも安直じゃない人柄が、たのもしいです。
★ブラッドさん。
リービ英雄さんの番組、最後の一回だけ見たのですが、気骨があって、ちょっと明治の日本人みたいでした。
万葉集は、中国で書き言葉(漢字)に出会うことで、
日本列島で口承されてた歌の価値が、再発見され、
「詩」になったものではないかなと考えたりします。
漢字(中国文化)だけでも、列島の風習(歌垣)だけでも、万葉集にはならなくて、ふたつの出会いで生まれた感じです☆
★きみ駒さん。
今回は、みなさんに読んでもらえそうな本が選べました(笑)
ここんとこ、こんな本があるとご紹介するものの、
そういう本があると知ってもらえば十分というような記事が続いてたんですが、
今回は手にとって読んでいただけるものにできたと思います。
英語が苦手だと、ちょっとあれなのが難点ですが。。
Posted by:★kotaさん。
お元気そうで、なによりです!
ハンドルネームも変わられ、ご職業も新たになられて。
なんと木地師さん。すごい☆