AZ::Blog はんなりと、あずき色☆: トルストイを読もう、とあるイケメンの人が言った。

トルストイを読もう、とあるイケメンの人が言った。

written by overQ
July 4, 2006


若い人々から、何を読んだらいいかと訊ねられると、僕はいつもトルストイを読みたまえと答える。すると必ず、その他には何を読んだらいいかと言われる。他には何にも読む必要はない、だまされたと思って「戦争と平和」を読みたまえと僕は答える。

クイズ。
これは、誰の文章でしょう。…さらに、こう続く。
あんまり本が多すぎる、だからこそトルストイを、トルストイだけを読みたまえ。
文学において、これだけは心得ておくべし、というようなことはない、文学入門書というようなものを信じてはいけない。途方もなく偉い一人の人間の体験の全体性、恒常性というものにまず触れて、充分に驚くことだけが大事である。

誰の文章?
ヒントは、まったく想定外だけど、じつはイケメン。
同じ人の、ちがう文章からも。またトルストイ。
例えばトルストイの「戦争と平和」でも「アンナ・カレニナ」でもよろしい。あまり長すぎて読めない、といわれるかもしれないが、すこし我慢して読んでいけば、必ず面白いことがわかる。単に筋の面白さという点から言っても、あんなに面白い小説はないし、人間というものがよくわかる点で、あんなに豊富にいろいろなことを教えてくれる小説はない。しかも特別の教養などは少しも必要なくて、ただ読んでいけば教わることができるのである。

戦争と平和〈1〉岩波文庫

答えは…この人。

小林秀雄全集〈第7巻〉歴史と文学・無常といふ事

山岡士郎
…じゃなくて、小林秀雄。(「トルストイを読み給え」全集8、「雑談」全集10)

…少し前、小林秀雄の新しい全集を読みました。

面白い。
全集なのに、イッキ読みみたいな感じで、矢継ぎ早に読んだ。
文庫で読んだことのあるのは飛ばし、小さい文章を主体に読んでいった。

めくるめくような楽しさ。
面白さは、「知的に興味深い」じゃなく、直接「笑い」でもあった。
笑いは、シニカルで茶な笑いもあるけど、いつも人間を肯定するような笑いを志向している。
ただし、それは思いの方向であって、けっして成し遂げられないのだけれど。
笑えるけど…熱く泣ける、ことは、あえて寸止め。
「カラマーゾフ万歳!」に至る論文が完結しないように。ドストエフスキーの元のテキストが「続篇」を予告して始まるように。

小説というものは、どうも19世紀で終わったらしいね。20世紀になってからは、もうろくな小説は出ていない。将来も出る見込みはない。そう僕は考えている。これからの小説は、一般に、各国でそういう傾向が見えているように、だんだんと社会的な大衆的な読み物というものになるだろう。第一流の表現というものは、もう小説という形式では現われまい。そんな気がしている。(「コメディ・リテレール」全集8)
言葉は「書かれている内容=情報」ではない。「新しい、有益な情報」をあちこちブラウズし収集しても、ほんとは何も得られない。
結論じゃなくて、「言葉つき=かたち」を味わうこと。
そこに書き手の存在感があるから。
破片みたいな存在であっても、それは存在している。自分という、破片のごとき存在が存在するように。(誰がこの広大莫大な宇宙で破片以外のものでありえる?)
その実感…が生きること。
最新で、すぐれた、有益で、金を儲けて何が悪い情報は、「私」が生きることの実感と、関係がない。
いろんな批評を読んでしまうと、いろんな意見が互いに相殺して、結局何も言わない原文だけが残る、という感じを、どうしようもない。
批評は誰でも早く獲物がしとめたい猟師のようなもの。
ドストエフスキーはこういうものだと、うまくウサギを殺すように殺してしまって、そうして見せてくれる。
ウサギを、一匹二匹と見せられているうちは、まだ面白い。
ウサギの死骸がしこたま積み上げられるとなると、閉口する。
…昔の人は、原文というものを非常に大切にした。古典と呼んで。(「コメディ・リテレール」全集8)

書くのは、音楽のアドリブと同じで、ひとつひとつの言葉が、無意識からついて出る。
考えた結論を書くのじゃなく、書きながら考えている。
書くことが生きること(安吾)。それは、職業的な書き手だけでなく、言葉を本能としたすべてのヒトにいえること。
答えによって生きるんじゃない、答えようとして生きている。問いと一緒の生。

ネットの先端で、端的でやたら刺激的で、闇雲にわかりやすい文章=情報を読みつづけて、偏った脳。
それをほぐして、元に戻す効能を、秀雄全集に感じた。

アンナ・カレーニナ (上巻)新潮文庫

で、トルストイ。
トルストイでしょう、まず。
若い人はトルストイの名前も知らない人もいたりしますが、それはたいへん有利な条件。
むかしは権威や教養でトルストイを読んでた(大元は、小林秀雄に原因の一端がw)。
今は、新人として、トルストイを読むことができる。ネタバレ、まったくなし。世界の中心で愛を叫び、その端っこでトルストイを読む。
アインシュタインは、ガンジーの死去に際して、「こんな人がこの世に実在していたことを、未来の人類は信じることができないだろう」といったけれど、トルストイもそんな人です。


21世紀になって、新潮社から、「小林秀雄全集」と、それに脚注をつけた廉価版「小林秀雄全作品」が出ています。
脚注がうざいと思ったら全集。全集は、ジャケの秀雄がイケメン。山岡士郎やモルダーやギンコをホーフツ(笑)

イケメンとしての、コバヤシヒデオ。これは新たな発見かも(゚ー゚*)
秀雄は入試問題に頻出した「ブンガクの神様」でもないし、「あいまいで非論理的、翻訳不能」と排除してめでたしめでたしな存在でもない。
小林秀雄は小林秀雄。固有名の反復。「同姓同名」という楽しいエッセイもある。
ポーズもとりまくりです。秀雄って、そんな人らしいんです、ほんとは。(この話はまた別記事で書く予定。秀雄全集はネタの宝庫、笑いまくり…(;・∀・)
以下、秀雄ミニ写真集。

小林秀雄全集〈第1巻〉様々なる意匠・ランボオ小林秀雄全集〈第2巻〉Xへの手紙小林秀雄全集〈第3巻〉私小説論小林秀雄全集〈第4巻〉作家の顔小林秀雄全集〈第5巻〉文芸批評の行方小林秀雄全集〈第6巻〉ドストエフスキイの生活小林秀雄全集〈第8巻〉モオツァルト小林秀雄全集〈第9巻〉私の人生観小林秀雄全集 (第10巻)小林秀雄全集〈第11巻〉近代絵画小林秀雄全集〈第12巻〉考へるヒント小林秀雄全集〈第13巻〉人間の建設小林秀雄全集〈第14巻〉本居宣長小林秀雄全集〈別巻1〉感想

小林秀雄全作品〈1〉様々なる意匠ランボオ詩集小林秀雄全作品小林秀雄全作品〈3〉おふえりや遺文小林秀雄全作品〈21〉美を求める心



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コメント

小林先生、カコイイですね、しびれますね。
私も、全集、ほしくなってきました。
アハ体験の茂木先生が書いてましたが
「小林秀雄の講演は志ん生」だそうです。
それを読んでから、小林秀雄には興味があったんです。
講演集、売ってないかなと検索したら、ありました。
http://www.mitsukoshi.co.jp/shinchousha/product/detail/k_list1.asp
ほしいかも…
>「新しい、有益な情報」をあちこちブラウズし収集しても、ほんとは何も得られない。
私もちょうどここ数日、そのことについて考えてたんです。
ネットってまさにそうじゃないですか。
情報はたくさんあるんだけれど、それだけ。
ブログこそ、そこを解決する場所になるはずだったのに
結局、ほとんどの人が、情報を書いているだけ。
芯というか、本質というか、まんなかがすっぽり抜け落ちた
カスカスした情報。
芯はどこにいってしまったのでしょうか…

Posted by: LIN : July 5, 2006 2:09 PM

 さすがは究極のメニュー!!(違うって)


>言葉は「書かれている内容=情報」ではない。「新しい、有益な情報」をあちこちブラウズし収集しても、ほんとは何も得られない。
>結論じゃなくて、「言葉つき=かたち」を味わうこと。
>そこに書き手の存在感があるから。

 ものすごく共感です。
 思わず縦ノリでブンブンうなずいちゃいました(笑)。

 しっかしぃ。
 活字離れが叫ばれて久しい現在、果たしてどれだけの人が、言葉を情報以外で感じることができるでしょうかねぇ。現代の読者って、テレビや娯楽が忙しくって小説をただ一度、サラッと読むだけしか時間が無いですもんね。それで名作の奥まで感じるのは難しいと思う。
 そのせいか、リアルでもブログ等のネットでも、とにかく「文字の表面だけを読むのが正しい」って姿勢が大半ですからねぇ。読書感想にしても文字とストーリーに触れるばっかりだし。そこから何か、ってのが無いんですよね。

 んま書き手も悪いとは思いますがね。
 現代社会ではもう、トルストイやドストエフスキークラスの人間が生きていける仕組みじゃないですからね。だって作者も生活しなきゃいけないもん。そして生活すると、どうしても生活臭さが出ちゃうし、長い時間かけて作りこむのも難しい。
 トルストイクラスの本格派小説が作れる時代はもう終わってるんでしょうね。
 もっといっぱい読みたいな。

Posted by: Site icon ろぷ : July 6, 2006 7:46 PM

小林秀雄は、私たちが大学受験の頃は、入試問題によく取り上げられて、「ブンガクの神様」に祭り上げられてました。
一方で、秀雄の次の世代の人は、乗り越えねばならない父性でもあって、敵視することで、自分を作ってきたようなところがある。
批判がじつは裏声では誉め言葉になってる。

でも、21世紀に始まった新しい全集で、そうした「しがらみ」から解放された小林秀雄がはっきり見えてきた感じがします。

新しい全集で発見したのは、ヒデオって、かなり豪快な人、ということ。
ガッツ石松みたいに「伝説」がいっぱいある(笑)
これは、だいぶネタもたまってるので、近日記事にする予定です。
かなり衝撃的内容です☆

講演は、CDがあるんですが、ちょっと前までは入手可能だったんですが、今絶版中。
オークションで高値になりつつあります。
たぶん、もうじき、新潮社が再版するか、新しい版が出るかすると思うんですが。
ひょっとして何か著作権上の問題とかかわっているのか…そうなると、オークション相場は高騰しますが(笑)


ネットは最近、データ・マイニングなど、「情報」という概念そのものを見直すような動きも出てきています。
膨大な情報から、有益・無益を判別して、検索するアルゴリズムを考えるうち、
「有益な情報」とは何なのか、情報の価値そのものをめぐる問題も考えねばならなくなってるみたいです。
これは最高の難問です。

小林秀雄が一番熱心に考えたのは、物の価値を考える時、その形そのものが大事、ということ。

形をいい加減に「要約」して、「本質」をわかった気になって、「情報」をブラウズして、世界も他人も、何もかもわかった気になってしまう。

でも、実際の物の形、人の形、言葉の形は、いろんなように読み取れる。
いろんなふうに読み取るうち、結局、さまざまな「解釈」は背後に消えて、「その物」だけしか残らなくなるはずだ…。

小林秀雄は面白いです。
どこからでも読める。結局、ひとつの同じ問題だけを考えていた人だから。

Posted by: Site icon overQ : July 6, 2006 8:12 PM

小林秀雄のお写真、特に真ん中へんの階段を登ってるのは、歩き方が山岡士郎そっくり(笑)
山岡士郎キャラって、意外と伝統があって(ブラックジャックが起源?)、何か日本人の神話的元型なんでしょうか。不思議ですw

この頃はブログのツボみたいなものはだいぶわかってきて、
いわゆる「人気ブログ」もひょっとすると作る気になれば作れるんではないかと妄想したりします。
でも、かならずしも妄想ではなくて、ノウハウもわかってる気もすることがある(それが妄想だが…汗)。

でも、尊敬する山岡士郎なら、そのようなことができるとしても、けっしておこなわないであろう(笑)

この頃チャレンジしたいなと思ってるのは、長文…それも、あいまいでほのめかしの多い長文を書くこと。
そのようにしてしか、捉えられない現実があるから。
それも、人に読ませるという意図ではなく、自分が生きるために書く(笑)
だって、この世界を生きているのは、まず何より、「私」だから。

近代ヨーロッパに起源した「小説」というジャンルは、滅びた。
これは、この50年くらい、いろんな人が言ってることで、基本的にはもうコンセンサスさえあることのようです。
ただ、文学は、言葉とともにつねにあって、いろんな形でよみがえる。

ちょっと気になってるのは、英語圏のネットの文章で、長文がすごく多くなってきた、ということ。
それも、ウェブ2.0とか言ってる、理系の人たちの文章で、それが起きているように見える。
言葉の細かい曲折を使わないと、表現できないような「現実」に直面している。
ほのめかしや、言い直し、言い澱みがある。
…これは、かなり面白いかな、と思っています。

Posted by: Site icon overQ : July 6, 2006 8:35 PM
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