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これは何

written by overQ
October 1, 2006


what's your name
posted from フォト蔵

この頃、京都に流行るもの…町家。

最初はあるいは廃屋の再利用として始まったかもしれませんが、町家のリフォーム、いまや、すっかりブーム。
くすんでいた町の一角が、しばらくぶりに訪れると、突如として、小粋なカフェやおしゃれな京雑貨のお店に早変わりしてることも、よくあります。
大企業も参入してるようで、不動産価値も高騰してるにちがいない(笑)

そんな町家で、ふと、気になるのが、上の写真のもの。

なんというか、何というのでしょう(;・∀・)

ワルツさんとこで、「便利堂」のお写真を拝見するうち、何かが気がかりに感じて。
自分の撮った写真を調べてるうち、これが。
たしかに、町家をお店にしたようなところでは、必ずきっと、これがある。

これは、何。何と呼ばれてるもの?
同じとこで作られてるんでしょうかね。

なかなか美しくて、明治の面影もある感じ。
卒塔婆というか、寺院の塔のようでもある、積み重なる尖塔風。これはいったい何を意味するのか?
ちょっとずつデザインのちがいもあるようで、面白いです。
京都じゅうの町家の「これ」を、写真に撮って歩く…なんてのも、楽しい京都の歩き方かもしれません。

しかし、なんていう名前なんだろう。
自分でつけちゃっていいんでしょうか。
京町家の浪漫灯り」…なんてのはどうだろう?

_________


《追記》

お名前、わかりました!
門灯」っていうらしいです。たぶん、英語の garden light の訳物体。
モントーよりは、「浪漫灯り」のほうが、いい気がしますが(;・∀・)

映像に見る近代京都の生活文化

上のサイトで、「明治43(1910)年の四条小橋西」の写真をもとに、解説されています。
たいへん興味深い写真です。

…今とだいぶちがいますねぇ。全然どこかわからない(笑)
時計塔があるのが、面白いです。村田時計店のものらしい。

ふつうは「門灯」はガス灯なんだそうですが、京都は電気が早くから引かれていたので、ひょっとすると電気の可能性もなくはないのかな。
電信柱があって、電線が張っています。

これは、ワルツさんが「たら本27」で取り上げておられた琵琶湖疎水事業で、蹴上に水力発電所が作られたことと関係があるんですよね。

疎水工事は明治18年に着工され、明治25年には電気事業が認可されています。

水力発電所ギャラリー 関西電力蹴上水力発電所 - 水力ドットコム


  +
 
さて、夏目漱石は、明治40年初春、京都に遊びに来ています。
教職を辞めて、東京朝日新聞社に入社した頃のこと。
その様子は、「今日に着ける夕」というエッセイなどに書かれています。

京はさびしい所である。

と漱石は断定していて、文明開化になれた東京からの視点では、当時の京都は、幕末以降さびれてしまった町、と映ったようです。
「人気のない場所にぜんざい屋があって、桓武天皇の亡霊でもお客にするのか」というような、すごい毒舌ぶりも見られます(´ヘ`;)

  +

歴史の夜咄

司馬遼太郎さんの話では、京都は実際、維新以降しばらくは、人口も減少し、産業も衰退、かなりさびれていたそうです。
幕末の頃から、闇討ちや暗殺がまかり通るような、殺伐とした暗闇が広がる、危険な町であったらしい。
維新前後の動乱期から明治に入り、東京を近代化するのに手一杯で、京都などには資本が流入してなかった…ということなんでしょうか。

司馬説だと、これが逆転するのは、京都帝国大学が出来てから。
近代化の拠点のひとつとして、政府から京大にマネーが流入して、これが京都を再活性化させる原動力になったとか。
京大は明治31(1897)年に発足。日清戦争の賠償金を使った事業だったらしい。
この日清戦争マネーが生み出した好景気の波にのって、京都の再活性化は進んだ、といえるようです。

  +

また、疎水事業も、京都の近代化の大きなグランドデザインになりました。
現在の京都の地政学的な配置も、そのときのままで来てる気がします。

京都は、じつは京都の内部で何度も「遷都」してるんです。
桓武天皇の平安京は、ほとんど「目盛り」くらいにしか機能してなくて、清盛でも後白河でも義満でも秀吉でも、あっちこっちに「中心地」を移動させてる。
そして、「遷都」のたび、京都は活性化してきた、という事実。これは都市論として、とても重要なことに思えます。

  +

で、今の京都の繁栄のプリント基板、グランドデザインは、北垣国道(第3代京都府知事)や田邉朔郎(疎水のデザイナー)の描いた都市幻想の中に、いまだ浮かんでいるんじゃないでしょうか。
琵琶湖から京都、大阪湾にいたる、大きな「水上都市」モデルを空想していたようなんですが。

蹴上が流入点になっています。
古代なら「」とか「」と呼んだ場所。粟田口。 *1
蹴上から山科・滋賀に抜ける東海道ラインが、大きく開かれたポート。
近江商人のマネーも、疎水とともに京都に流れ込み、投資されるようになっていたのだとか、聞いたことがありますが(ほんとかどうかはわからないけどw)。

また、蹴上、粟田口にある、都ホテルは、ずっと迎賓館として機能してきました。フィルタリングですね(笑)
このラインが三条・河原町・四条という、京都の中心街へ直結して流れ込む形になってるのが、今の京都。

さらに電気、運河、路面電車(京都は日本で最も早く路面電車が敷かれた場所だとか)でネットワークし、サーバとして平安神宮を造営。
たぶん、岡崎のあたりを、「中心地」にしたかったんでしょう。そうはならなかったけど。

平安神宮は、桓武天皇をまつり、大極殿の8分の5の縮尺モデル。応天門として巨大な鳥居を築き、時代祭りというものまで設置した。

でも、蹴上をポートとして開けたことを桓武天皇が知ったら、激怒したかもしれませんが(笑)
激怒というより恐怖でしょうか。陰陽師・安倍晴明も、けっして許さなかったにちがいないw
風水的にはよくないけど、もう東京が首都だし、天皇もおられんし、こういう形になるようです。

  +

京都の歴史を、グランドデザインの変遷…中心地の遷都としてみていくのは、なかなか面白いです。
都市は水路のよう。流れとよどみをどう作り出すか。ネットワークとフィルタリング(ファイアーウォール)の構築…それが都市の生きた「かたち」になる。
迷信と合理主義、マネーと人脈、流行と古代が入り組んでいて、たいそう複雑。
同じ場所で、えんえんと都であり続けるのは、やっぱり難しいし、不可能なことみたい。
東京にも、同じことが、いまや、言えるのかも。
徳川時代は、思い切って江戸に「中心地」を移したので、300年もった。
それをそのまま継いでしまった東京は、江戸後期の商業主義の悪弊と同じ病に苦しんでいる…なんていうことが、指摘できるかも。
ひょっとして、私は京都遷都(還都)論者なのだろうか。。

…と、えらいたいそうな「京都論」みたいになっちゃいましたw


*1 : 俗に「京の七口」と言うそうです。パソコンで言うところのポートのようなもの。外との出入り口。鞍馬口、荒神口、粟田口、若狭口、大原口、丹波口、長坂口、東条口、竹田口…あれえ、九口あるよ(;・∀・)


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コメント

浪漫灯り、いいですね!
これは、明治期のガス燈(瓦斯灯?)だと思います。
屋号がはいってるんですよね。
さて、どこで作られたのでしょう。きになります。

町屋倶楽部というサイトを、随分前からお気に入りにいれているのですが、そちらには解説はなかったです。
http://www.machiya.or.jp/index.html

物件は、賃貸2万〜あるようですが。。。笑

Posted by: pico : October 1, 2006 3:11 PM

★picoさん。

いろいろ調べるうち、追記で書いたとおり、「門灯」と呼ぶらしいことがわかりました。
門灯は、でも…もひとつです(笑)
それならやっぱり「浪漫灯り」のほうがよさげですヽ(´ー`)ノ

もともとは「京都の鬼門を守る猿」というような記事を書く予定だったのですが、
調べてるうちなかなか複雑でうまく書けずにいました。

明治の京都のこと…漱石から司馬遼太郎の発言をふいに思い出して、
ワルツさんがたら本でとりあげておられた、疎水のことなんかも思い合わせるうち、
人や文物の流れが京都の時代時代の顔を作ってることに、はたと気づきました。

鬼門を守る猿は、サルタヒコで、これは交通のカミサマなんですね。

なんか、京都という都市の秘密について、重要なことがわかってしまったかも。
都市って、水路みたいなもので、どんなふうに流れを作り、よどみや関を作るかが、繁栄の秘訣のようです☆

Posted by: Site icon overQ : October 1, 2006 8:22 PM

overQさん、こんばんは。
「門灯」と言うのですね。お陰で、賢くなりましたー。(*^。^*) どうも有り難うございます。
京都は、電気が早く引かれたので、門灯はすたれてしまったというのも意外です。(そうなのか。。)
でも、結構、町家には残ってますよね。
ビジュアル的には、ある方がより明治の薫りがしますね。
ここに屋号などを書かれてるのと趣きあります。

そして、疏水との関連も解説して下さってありがとうございます。
すごく興味深く読ませて頂きました。
疏水事業は、桓武天皇や安倍晴明さんを怒らせただろうっていうのは、うんうん、分かります。方角とかよりも実用という感じですものね。
そうそう、工事の計画段階では、福沢諭吉が大反対していようです。

Posted by: Site icon ワルツ : October 2, 2006 2:05 AM

★ワルツさん。
門灯、どこで作ってるんでしょうね。
屋根の上に乗ってる神様「鍾馗(しょうき)さま」、あれは作ってる方、発見したんですがヽ(´ー`)ノ

京都はずうっと、いろんな時代を通じて「都」だったので、都市計画も何種類もある
…そういう観点から京都の町並みを見ていくと、すごく納得するものがあります!
福沢諭吉は反対してたんですね(笑)
諭吉はやっぱり「文化」の人で、都市計画とか、土木で物理的な根底をくつがえしてしまうのが、「野蛮」な気がしたんでしょうか?


Posted by: Site icon overQ : October 2, 2006 7:20 PM

門灯?の名前がわからずネットで探していましたらこちらに
たどり着きました。そしてもう少し検索した結果、名前が判明しました。
どうやら、門灯ではなく「軒灯看板」というそうですよ。参考までに

Posted by: aki : December 11, 2006 6:47 PM

たいへん有益な情報アリガト!(´▽`)ございます。

>軒灯看板

うーん、読めないです(;・∀・)
ノキトー?

検索すると、売ってるお店も出てきましたヽ(´ー`)ノ
これでうちにも付けれるぞ…と思ったら、
300000…30万円!
はうううう。

…自作してみようかと思います(笑)

Posted by: Site icon overQ : December 12, 2006 7:32 PM

「のきとうかんばん」って言うそうですよ。
昨日、そのお店に行って現物見てきましたよ〜。
木屋町三条の飲み屋街にこんな粋な店が
あるなんて〜ちょっと感動でした。

銅版細工の最高の技術が結集されているそうです
自作されたら是非、独占販売させてくださ〜い♪ (笑)

Posted by: aki : December 12, 2006 9:48 PM
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