★犬神博士
夢野久作の驚異的傑作「犬神博士」。
「ドグラ・マグラ」じゃなくて、「犬神博士」。
この作品から夢野を読み始めるのが正攻法…そう思ってたんですが、検索してみると、意外と読まれてないらしい感触。なぜ。
ドグラ・マグラのほうばかりが有名になっちゃったせいみたいだけど、ドグラマグラは奇書、そうとうな難物。実際、夢野久作はよくわからないというイメージが流布する始末(;・∀・)
で、まず犬神の宣伝から書き始めてみました。
犬神博士の作者が書いた作品として「ドグラマグラ」にアプローチするのが、のぼりやすく、見晴らしの良いルートと思います☆
その「犬神博士」。
「犬神家の一族」と「目羅博士」を連想してしまいそうな題名だけど、実は探偵小説ではないのです。
犬神博士という題名から想像されるような幻想的猟奇的作品というのでもない。
似た小説が見当たらない、と鶴見氏は言います。小説じゃなくて、むしろオイレンシュピーゲルなんかを思わせる。
主人公は7歳か8歳の少年。
年齢も名前も、性別すらはっきりしない、異能のお子様。牛若丸というか、悪魔くんというか、八犬伝8人目の剣士・犬江親兵衛ちゃんというか。
どこから来たのか、どこへ行くのか、わからぬ遊行の大道芸人。
血のつながってない父と母に拾われて、父の叩くパーカッションと母の三味線に合わせて、少女のふりで踊る。
エロダンスで警察に捕まるところから、話はどんどん転回。
地元の権力者、労働争議、民権運動、右翼の大物と、日本の深部のメカニズムを戯画化し、ひっかき回していく、謎の子ども。
路上からはじまり、路上に終わる、語り。
人間というより、なにか神のようなタッチを残して去る。
少年は猿田彦の化身なんだと思う。
★遊行の大道芸人たち
猿田彦にみちびかれ、サイの神と呼ばれる巨石のまわりで、なにやら妖しげな歌舞音曲のまつりがおこなわれていたらしいことがわかってきました。
猿楽田楽。
新猿楽記、また今昔物語集や宇治拾遺物語に断片的に現れるのは、寺社で神楽のタテマエでおこなわれる、多種多様な大道芸の見世物。
エロと笑いを主題とし、歌舞音曲、コント、競馬、人形遣い、小人たち、猿回し、手品(唐術)、ジャグラー(品玉)、アクロバット、相撲、琵琶法師の物語、ブレイクダンス・ロボットダンス(無骨、有骨)。
ありとあらゆる出し物が工夫され、その面白さに人々は、「腹がよじれ、顎がはずれた」(腸を断ち、頤を解かずということなき)と言います。
京の町から貴賎を問わず、あらゆる人々が見物に訪れた。美しい少年踊り子に熱狂する僧たちの姿も書き留められています。
*1
出し物が終わると、熱狂した人々は、ひいきの猿楽師にこぞってプレゼントを投げ、投げるものがない人々は、服を脱いで投げる始末。
道俗男女、或貴賎上下、被物・禄物、雨の如く雲の如し。
★ホンキイトンクウーマン伝説
貴族や僧侶以外の人々。
書き言葉の外部に存在していたため、あまり記録がなく、歴史に埋もれてしまいがち。記録ではなく記憶に残る人々。
それをあえて記述した点で、新猿楽記は貴重なもの。
いろんなことが、その記述から透けて見え、推測できます。
・陽石(おちんちんをかたどった石)のまわりで大道芸がおこなわれること。
・有名な芸人が何人もいたこと。京の各所で連日おこなわれていたこと。
・見世物としての集客力は絶大であったこと。
・寺社はこの見世物の盛況と連動して富を蓄え発展すること。
・聖天歓喜天・弁財天など性の匂いのする神がまつられているのは、この見世物とかかわってのこと。
下品と荒々しさの中に、じつは繊細とケレンがあり、アート(芸能)の本質である、「力の流れ」の中でいかに巧みに振舞うか、瞬間瞬間のひらめきにいろどられていた。
超高速で回転するがゆえ、静止して見えるコマのように。
新猿楽記作者の藤原明衡はそれが読め取れたため、どの猿楽師がどんな特徴を持つか品定めをしています。
でも明衡はたぶん例外的な人で、貴族の多くは、自分で熱狂しておきながら、顰蹙の目で見ていたでしょう(笑)
新猿楽記で最初に語られるのは、老妻。齢六十。
夫はまだ40過ぎで「好色甚だ盛ん」。老妻が財産家の女だから結婚したものの、年が離れすぎてることに、今さら後悔している。妻の様子というと、
白髪たること朝の霜の如し。
面の皺に向かえば、畳々とたためること暮の波の如し。
上下の歯は欠け落ちて、飼猿の頬の如し。
左右の乳は下がり垂れて、夏の牛のふぐり(=キンタマ袋)に似たり。
化粧を致すといえど、敢えて愛する人無し。
あたかも極寒の月夜の如し。
媚び睦ぶること為すといえども、さらに厭うもの多し。
しかし、老妻は、あきらめない。
なお盛熱の陽炎の如し。吾が身の老衰を知らずして、常に夫の心のなおざりなることを恨む。
恋慕の涙は、面の上の粉を洗い、愁嘆の炎は、肝の中の朱を焦がす。
明衡は大好きな猿楽田楽のノリのままに、調子よく文章をつづっていきます。
四六駢儷体の漢文で、罵倒と嘲笑が畳み掛けられていく。
これが最後のほうまで来ると、むしろ肯定と礼讃の響きを帯びてくる不思議。
神楽と並行して、顰蹙を買いながらおこなわれた猿楽田楽。
神に捧げるゴスペルのそばで、眉をしかめられながら奏でられたブルース。
なぜだか、このふたつの歌舞音曲は、その卑しさとその光輝が、よく似ているようなんです。
★百太夫の伝説
遊行の大道芸人。
住処を持たず、路上を家、歌舞音曲を友として、チマタを遊行するものたち。
名も持たず、年齢も性も超越して、どこからかやって来て、どこかへと去っていく、世界の追放者。宇宙の孤児(outcast of the universe)。
犬神博士は彼らのなれの果て。
相撲、競馬、能狂言、歌舞伎、あるいはお祭りの夜店、寅さんなんかも、この流れから出てきたもの。
*2
サルタヒコの子ら。
「犬神博士」の時代設定は明治の終わりくらいかと思われ、戦前くらいまではまだ旅の大道芸人は存在していた。
夢野久作は福岡の人。父は右翼の大物。謡曲教授を職としていたこともあり、禅僧として托鉢で大和路を放浪したことも。
処女作は童話「白髪小僧」。藍丸国王がこの世界で最初にできた石神の呪いを受け、白髪小僧として、ニセの王の君臨する世界を遊行する。犬神博士とかよう設定。
父の君臨する国で、遊行の中から、べつな人の道を探ろうとした久作。「犬神博士」は、久作が父に向けて投げつけた火炎瓶のような作品になっている。
もともと百太丸がオチンチンのことで、それを名前にしたのか。百太丸がセックスシンボルとして伝説化して、男根を意味するようになったのか。
ともあれ百太丸といえば、セックスマシーンとしてつとに有名であったにちがいない。
*3
★フーチークーチーマン伝説
Gypsy woman told my mother
'fore I was born
You got a boy-child coming
gonna be a son of a gun
Gonna make pretty womens jump and shout
And then the world wanna know
what this all about俺が生まれる前、ジブシーの占い女が
母ちゃんに告げた。
もうすぐ生まれてくるこの子は
すごい男の子になるよ。
女の子が跳ね回り、叫び狂って喜ぶような
大立者(son of a gun)さ。
世界がこれはいったいどうしたことかと
たまげてしまうくらいのね。
まさに百太丸=犬神博士伝説。
特別な子ども、sun of a gun、悪魔とも神とも知れない、とてつもない異能児が生まれてくる。
彼は世界を変えてしまう。
I got the black cat bone
and I got a mojo tooth
I got the John the Conquerer Root
gonna mess with you黒猫の骨も持ってる。
呪いの歯も持ってる。
征服男根王ジョンも持ってるさ。
キミを夢中にさせるもの。
ブラック・キャット・ボーン。ブードゥーの呪物。
黒猫がいますな、これをお鍋に入れますな、茹でますな、猫は苦しみもだえますな、世界を呪って死にますな、
その骨に祈ると、どんな願いもかなう
…という、ブードゥーの動物イジメな恐ろしい呪物のこと。
不思議な一致なのですが、犬神博士の最初で、犬神の説明がある。
犬を地面に頭だけ出して埋めますな、食べ物を目の前において、ハァハァさせますな、しまいに犬は物欲しさに狂ってきますな、その狂気が最高に達したところで首をちょん切る、
この頭に祈ると、どんな願いもかなう
…という、民間信仰の動物イジメな恐ろしい呪物のこと。
みなさんを夢中=メチャクチャに(mess)させるもの、と言う。
ブルースと、日本の遊行の芸能民には、なぜか共通性がある。
もっと驚くべき共通性がある。
★パパ・レグバの伝説
クロスロードの悪魔とは、ロアとも呼ばれ、ブードゥーのもっとも代表的な神レグバ Pa;a Legbaのこと。
扉や街道、運命の支配者。十字路に棲む、気まぐれなトリックスター。追い詰められた者に、逃げ場を指し示す神。
儀式で最初に呼ばれる神であり、歌舞音曲の神。五条道祖神と同じく、能の翁のような老人の姿をしている。
まさに、サルタヒコそのものなんです。
*4
人類が石器時代から親しんだ神。身近でもあり卑俗でもある神。
キリストやホトケさん・アマテラス、名前のある大きな、かしこまったカミサマがやって来ると、そっと端にどけられる神。
名もなき神であり、さまざまに呼ばれ、そうであるがゆえに、不死である神。
今も日本中の路傍にころがる石神。Like A Rolling Stone.
京都の町の小さなものに目を凝らし、ひそかな声に耳を澄ますうち、そんな隅っこの神様の輝きに気づいた。そのときめきと吐息、さざめくささやきが聴こえるところまで来ました。
これは神秘的なことというより、大地に叩きつけられるように生きる人々のうめきが、歌になるということなんだと思う。
フォークナーがノーベル賞演説で、immortable(不死の)、あるいは unexhaustible voice(尽きることなき声)と呼んだもの。
もともとは名もなき、文字を知らない人々のもの。それが書き留められ記録され洗練されて芸術になる。それにつれてパワーと魔法は失われていきます。
マディ・ウォーターズは、デルタブルースを都市(シカゴ)に持ち込みエレクトリックギターで演奏して、成功した大立者。
しかし演奏の合間にこんなことを言っていました。
男がブルースの気持ちになるのは、食べものがない時と恋した時。今でも、綿花畑で歌ってた時と同じ気持ちで歌っている。
[参考サイト]
◆Papa Legba - Wikipedia, the free encyclopedia