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猿田彦幻視行・鉢 「童子と翁 其の荷」

written by overQ
November 16, 2006

★小さきもの

地蔵。おじそうさん。

西陣の石神さん、そのお隣さんは日本最初の歓喜天をまつったお寺・雨宝院
このことは前に書きましたが、これまで見てきたことからすると、この地が猿楽田楽のメッカのひとつであったことは、はらたいらに全部(合掌!)くらい確実に思えます。
また、このあたりは、お地蔵さんの多い京都でも、とりわけ地蔵密度の高い地域

お地蔵さんとされる石像は、京都(あるいは日本)のいたるところにある。
京のお地蔵さんは、石の感じからすると、わりと同じような時期に作られたようにも見えます。
こんなにいっぱい、そこらじゅうにあるのですが、誰が何のために置いたのか、よくわからない。
あまりにも数が多いので、単純な信仰という以上に、具体的な利用法・使用法、必要性のようなものがあったかとも考えたりします。

そもそも「地蔵菩薩」であるとも限らない。
阿弥陀・釈迦の形をしてるのもあるし、大日如来や大黒エビス、弁財天、庚申・荒神、夫婦の道祖神、男根、ただの石、丸石、また二神・三神の場合もある。 *1

岩神さまみたいなデッカイものじゃないので、移動したり、盗難・売買もあるらしく、元からそこにあったものかもわからない。
家の中にしまいこまれてるものもあるし、近年になって立派な彫刻に置き換えられたものもある。

わずかに言えそうに思えるのは、猿楽田楽がおこなわれた可能性の強い地域に、多く分布すること。
そして、その地域は「京の七口」。つまり、サカイだ、ということ。

パックマンズ


★地獄にホトケ

地獄にほとけ、という言葉。このホトケは、地蔵尊のこと。

今昔物語集巻十七には、地蔵にまつわるエピソードが、32話も続きます。
そのうち12が「死後に活を得たる話」。つまり地獄で地蔵尊に出会って、よみがえるお話。
まるで、イザナキがヨミから帰るような、よみがえりの物語。

黄泉とのサカイには、道返しの神をはじめ、さまざまな石神が置かれ、何重もの防壁となる…その様子は、記紀に描かれていました
地獄で出会うお地蔵さんもそれとどこか似ています。
罪人が地獄に落ち込んでしまうのを防ぐ、石の神さま。信心を得てよみがえる機会を与えます。 *2

賽の河原、というもの。ひとつ積むのは父のため、ふたつ積むのは母のため。 *3
地獄へ渡る河の手前で、子どもが石を積む

賽の河原は、もともとは現実世界に存在するもの。峠の頂きで道の安全を祈って小石を積んだ場所。
今でも各所に残っています。
サカイを示す道標として、峠を登りつめたあたりに石を積んでいったのが、信仰化していったものでしょうか。
独り一人の旅人がつもり積もった石の群れは、峠の境に、河原のような光景を生むのです。
仏教説話の「賽の河原」も、あの世とこの世のサカイで石を積む、ということ。
お地蔵さん信仰と、境、石、回心(よみがえり)といった点で結ぶもの。

ところで禅竹は、世阿弥の娘婿。
世阿弥といえば、夢幻能
夢幻能とは、現世の人間の姿であらわれたシテが、後になるとあの世の霊となってあらわれる劇。
この世とあの世のサカイを行き来するもの。
そこでは、むしろ、この世界がすでに地獄なのかもしれない。
霊のほうが地蔵のようにホトケのように思われもする。
この世のものには見えぬ浄土の感触を、ほのかに伝え来るもの。
それを幽玄といいます。

ほとけはつねにゐませども 現ならぬぞ あはれなる
人の音せぬあかつきに ほのかに夢にみえたまふ
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梁塵秘抄 (ちくま学芸文庫)梁塵秘抄 (ちくま学芸文庫)

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★童子の時

お地蔵さんとも道祖神ともされる、小さな石像。
なかには大きなものもあるけれど、大半はごく小さいものです。

地獄で出会うお地蔵さんも小さくて、多くは童子の姿。というか、お坊さん=ボーイズラバー(;・∀・)

端正なる一人の小僧出来りて云く…「なんぢ、われをば知れりや否や」(28話)

罪人きわめて多かる中に、一人の小僧あり。形端厳にして、手に一巻の文を持て…。(21話)

其の時に、夢に、年十四五歳許りの小僧の端正なる来て、膝の上に居て、頸を抱て。(12話)

牛飼ふ童の年十五六歳許なる有り。…地蔵菩薩の化身にや有らむ。(1話)

お坊さんたちはけっしてエロ神に仕えているわけではなく、むしろ「酒肉断ち、女境を留めて、もっぱらに地蔵を念じ奉る」。
でも、妙に事細やかな、萌え度の高い美少年描写が次々出てきます。
禁欲的だからこそ、肉なるものの業(さが)、地蔵は美少年として現われねばならないヽ(´ー`)ノ

「新猿楽記」は、例によって罵倒嘲笑しながら肯定礼讃する仕方で、僧侶たちが美少年の尻振り踊りに熱狂した挙句、僧衣を脱ぎ捨てヤンヤの喝采をあげるさまを描写しています。

躍動する道祖神の化身として、すでに夢野久作「犬神博士」も登場させましたが、その主人公は少年。
少女の舞をする美しい少年で、地域の顔役に愛される。いぬじもの、いみじ。

今昔物語集―本朝部〈上〉 (岩波文庫)今昔物語集―本朝部〈上〉 (岩波文庫)

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ある時は石神、ある時は翁、ある時は男根、ある時は童子の姿であらわれる、彼のもの。
結局、彼は何者なのか?

後醍醐天皇が建武の新政をはじめられた頃、二条河原に奇妙な落書が立った、といいます。
「京童」なるものの仕業と。

此比(このころ)都ニハヤル物

  夜討強盗謀綸旨(にせりんじ)

召人(めしうど)早馬虚騒動(そらさわぎ)

  生頸(なまくび)還俗(げんぞく)自由出家

俄大名(にわかだいみょう)迷者

  安堵恩賞虚軍(そらいくさ)

京童の「」は子どもというより、「江戸っ子」の「子」と同じく気風を指すようですが、その気勢の上げ方には童子の面影も通うように思えます。
キップのいい老人には、いつまでたっても少年の面影が残る、というような。

タソカレ時ニ成ヌレハ

   ウカレテアリク色好(いろごのみ)

イクソハクソヤ数不知(しれず)

   内裏ヲカミト名付タル

人ノ妻鞆(めども)ノウカレメハ

   ヨソノミル目モ心地アシ

譜第非成ノ差別ナク

   自由狼藉ノ世界也

犬田楽(いぬでんがく)ハ関東ノ

   ホロフル物ト云ナカラ

田楽ハナヲハヤル也

古代では、こうした「怪文書」は、ワザウタと呼ばれた。
童謡と書いて、ワザウタ。童子の歌。
誰とはなしに歌われて、チマタで評判となって、不安な時代の予表をなす。

歌が生きて躍動する場所には、かならずや、あの神が立ち現われる。
となり童子となって、それはやって来る。

御代ニ生テサマ々々ノ

   事ヲミキクソ不思義共

京童ノ口スサミ

   十分一ソモラスナリ

童子の姿したるものぞ、たずねける。人殺めたること、罪なるか、と。

The children asked him if to kill was not a sin
But when he looked so fierce, his mummy butted in
If looks could kill it would have been us instead of him
All the children sing

Hey, Bungalow Bill
What did you kill
Bungalow Bill?

秋を待つもの


[発展学習]

金春禅竹について調べるうち、中沢新一「精霊の王」に行き当たりました。
この本のテーマは、「宿神」。
サルタヒコを追ってこれまで書いてきたことと、この中沢さんの本とが、同じような話題を扱ってることに気づきました。同じ山を別なルートでたどった感じ。とりあげた資料も禅竹以外は重ならない(でも隣接する)。

この本、前に読んだことあったんですが、この段階になってようやく、その存在に思い至った(笑)
なぜ今まで気づかなかったのかというと、わりと理由ははっきりしてます。

私は「サルタヒコ」「サイの神」「道祖神」というキーワードで追ってきたけど、中沢さんの本では「石神」「シャグジ」「宿神」という語のみで出てくるから。

これはまた、京都の石と、東日本(中沢さんは山梨出身)の石のちがいにもよるようです。(新一氏の父・中沢厚は、山梨を中心とした丸石信仰の研究者でもある。)
東日本は、西日本より、石神信仰がもっとホット。時代も新しい頃まで続いていた。
このちがいの理由は、「精霊の王 第八章・埋葬された宿神」や柳田国男「毛坊主考」、また中沢氏の著書が参考にした「宿神信仰と被差別部落」という本などがくわしいです。(被差別と猿楽田楽の関係については、網野善彦さん、丹生谷哲一さんの研究が参考になります。)
私は自力で(自転車で、というべきか)実物をたどってきたせいか、これらの本の見解と、また少しちがった思いを持ってしまって、もてあましてますが…連想してるのがブルースだし。

禅竹の能論、教祖様系というか、かなりいっちゃってるもので、中沢さんはやっぱりこういうのが好きなんだなあと、あらためて思いました☆ 新一さんは、ありとあらゆる神々を横断する、交換の秘儀に、価値を見出すのだけれど。
私は面白がることはできるけど、入り込むのはちょっと…という気持ち。
猿楽が申楽となり能となる段階では、地が足から離れはじめてて、自分のやってることに理由付け(哲学)をしないといられなくなってる、というのが感想。
新猿楽記の時代だと、哲学とかそんなことはぜんぜん必要ないし思いも及ばない、愚劣なほとばしりだったのだけれど。

…猿田彦幻視行シリーズ、たぶん、あと1回で完結(長いと、2回に分けなければならないかもしれないけど)。
最終回は、落穂ひろい。いっぱい落としてきたものが(;・∀・)


*1 : うちの近辺では、見ざる聞かざる言わざるの三猿は少ない。男女の道祖神は片付けられる傾向があるように見える。男根タイプはまだ見たことがない。
*2 : じつは、閻魔大王も地蔵尊という噂です。西陣から千本あたりの地蔵密集地には、「千本えんま堂」もあり。
*3 : 父のため、母のため。坂=境で父母のため功徳を積む表現は、すでに万葉に見えます。→万葉集20巻・4402


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