猿田彦を追う旅。
京の町を自転車でめぐりながら、ふだんあまり気に留めてこなかった路傍の風景をたどる旅でもありました。
旅は思いのほか、深い場所にたどり着いたように思えます。
考えも、多少まとまってきたようなので、ここにあらましを書きつけておこうと思います。
もしかすると私がはじめて発見したことも多いような、あいかわらずの疑わしい=歌交わしの話なり(;・∀・)
文章は長いのでアレですが、写真だけでも楽しんでもらえれば☆
★ギャートルズ時代
大きな岩石たちが、京の町なかのところどころで、カミサマとして祭られている。
それが旅の始まり。
これらの石は、あるいは、文字で歴史が記されるようになった時代よりも、ずっと以前からあったのかもしれません。
石の一部は、夏至の一直線に並ぶようにも見え、太陽崇拝の痕跡をとどめるものにも思える。
あるいは、たんに先史時代の人々が、家事などに使うため集めておいた石が残り、あとからそれを見た人が、「これは昔の人にとって大切な神だった」と考えるようになったのが、祭られる始まりかもしれません。
★記紀
記紀では、イザナキがイザナミを黄泉にたずね、もう彼女がこの世のものではなくなったことを知って泣く泣く引き返す時、道に次々と投げ捨てたものが、これらの石になったとされています。
黄泉比良坂をさえぎる大きな石にはじまって、道には点々と、石神が置かれていった。
「時量神」なんて名もあり、古代の時計か、季節を読むカレンダーとしても、これらの石が使われていた可能性も見えます。
道に点々と置かれた石の正体が、もう記紀の時代にはよくわからなくなっていた気配がある。
それらは道しるべでもあり、疫病などの侵入を防ぐ境界のしるしでもあった。
★サルタとウズメ
石神として祭られている岩石は、サイの神と呼ばれ、しばしばサルタヒコだとされています。
サルタヒコは、天孫降臨の際、いきなり道の真ん中に出現して、天孫ご一行をさえぎり、「私が道案内して差し上げましょう」と名乗るもの。
道しるべであり、サカイを守る存在でもあるもの。サカイに置かれた石と同じ。
さらに面白いのは、アメノウズメがサルタヒコと名乗りの儀式(=歌垣、歌交わし)をしていること。
ウズメちゃんは、天照大神が岩戸に身を隠された際、その前で踊りを踊った神様。
さえぎる岩を開く、エロ踊りが得意な子。巫子の先祖。
岩の前で、踊るということ。
その踊りはエロいのもポイント。
猿田彦は鼻の長い神とされ、男根で象徴されることが多い。ウズメちゃんとの組み合わせは、縁結びと子宝のご利益。
岩のまわりで歌い踊り、そして女と男が交わうことが、この疑わしい=歌交わし話のメインテーマ。
かくして、ウズメちゃんとサルタヒコは、歌舞音曲の神として伝えられているのでした。
★猿楽田楽
エロくて、お下品。でも貴賎を問わず、人気は絶大。
歌や踊りだけでなく、奇術やアクロバット、漫才や猿まわし・猿芝居、競馬や相撲、賭博など、大道芸なら何でもあり。
寺社の境内のような、自由で無法な場所でおこなわれ、市場が立つ場所でもあり、男女が出会う場所でもあった。
ここで富が交換され、技術や知識のような情報がかけめぐる。
モノの値段が決まる場所でもあり、神の声を聞き、時代の勢いが決する場所。
現在もつづく「お祭り」の起源にあたるもの。
お祭りには夜店がつきものだけど、あれが猿楽田楽的カーニバルの名残り。
今でもお面を売るし、金魚すくいや風船釣りなど、賭博=占い的なものもいっぱい。
「お祭り」が、「村の中心」ではなくて、逆にサカイでおこなわれる、というイメージ。
村の中でやるというより、村の外からやって来るものと交わる、市場のようなもの。
京都では、岩神のそばには、かならず古くからの商店街があります。
それは富をもたらす、と同時、災いを運んでくることもある。しかし、それなしで、共同体単独では、生活が成り立っていかない。
また、村は「受け手」であるだけではく、もちろんよそに行って「売り手」になってもいい。当たり前のこと。そうやって商売は成り立つ。
サイの神は、歌舞音曲といった芸能の神であるだけではなく、木工品・金属・漆など技術系の職能の神でもある(職能民は石神を稲荷として祭ることが多い。たとえばお辰さんや宗旦くん、相槌さんなどの稲荷)。
そして、近世に入ると、商売繁盛の神になっていく(たとえば繁昌神社)。
★後戸の神
このような祭りはお寺や神社の境内でおこなわれた。そこにはしばしば石神さまがいた。
大きな岩があり、小さな地蔵さんたちが置かれた。
西陣の岩神さん(+聖天雨宝院)、五条道祖神社(+五条天神)、出雲路幸神社(+上御霊神社?)などなど。
お寺や神社には、メインの神さま・仏さまとは別に、脇に小さなホコラや社があるもの。それらが猿楽田楽用の神であるらしい(調査中)。
サルタ・ウズメ、大聖歓喜天、大黒・エビス、弁財天、稲荷、そこにしかないオリジナル神…といったものが祭られる。「後戸の神」と言ったりもする。
なんとなく邪道で、エロの匂いがある神々。カーニバル的。
境内においても、さらにそのサカイを守る位置に置かれた。
例えば、百万遍・知恩寺の後戸らしい、百丸神社。
平安中期に書かれた「新猿楽記」に、「百太夫」という天才猿楽師が出てきます。
この男は、セックスシンボルだったらしく、その後も、「百太、百太丸、白太」などの名で、このフーチー・クーチー・マンは出現する。
遊女の祈るもの、百太丸。男根を象徴する存在だったらしい。
百丸神社は、これを祭ったものかもしれません。
寺社にとっては、境内での市場カーニバルは、経営の基盤であり、また布教の場所。
さらにカーニバルの深みに自ら身を投じる仏教者もいた。空也や一遍の踊念仏がたぶんそういうもの。
この流れは浄土宗や日蓮宗、日本の仏教が民衆のものとなる際の、力の源となっていく。
(後半へつづく)