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猿田彦幻視行・什 「まとめ・後半」

written by overQ
November 23, 2006

★フーチー・クーチー・マン


フーチー・クーチー・マンは、ブルースの代表的な名曲。
マディ・ウォーターズの曲で、クラプトンとかジミヘンとか無数のカバーがあります。
チンポコがでっかい伝説の男の歌だヽ(´ー`)ノ

なぜ、ここでいきなりブルースなのか。

それはですね、ちょっと前、マーチン・スコセッシ監督・プロデュースの「ブルース・ムーヴィー・プロジェクト」という、映画シリーズを見たんで、その影響が(;・∀・)


ブルースの神様であるロバート・ジョンソンの、いわゆるクロスロードの伝説。
ハイウェイ61の十字路で悪魔に魂を売って、一夜にしてギターの凄腕を身につけた、というもの。
この「十字路の悪魔」がチマタ=道に現われるところが、サルタヒコ=サイの神にちょいと似てるなと思っただけのことでした。

ところが。
この「悪魔」はちゃんと由来があって、ブードゥー教では代表的な神格だということがわかってきた。
ハイチでは、パパ・レグバと呼ばれる。ロアとも。「オールド・ブラック・ジョー」もこの流れにあるものでしょうか。
そして、このレグバ神は、道に住み、現世と霊界のサカイに立って、歌舞音曲の秘儀を伝える、バックドアの神。長い鼻ならぬ角をもち、男根であらわされることもしばしば。
まさに、サイの神そのもの。

この一致は、たいへん興奮しました。
ありえない一致だから。伝播した可能性がまったくない。
にもかかわらず、似ているどころか、まったく同一であること。

そして、レグバは「ボロをまとった老人」の姿で現われる。
まるで、翁のように。

京の丸石神・その3


★猿楽から能へ

「新猿楽記」から400年。
猿楽はその間も、延々と続いている。
時代は変わり、権力はころころ交替し、さまざまな技術革新、生産力の変化で、社会も生活もどんどん様変わりした。
にもかかわらず、猿楽田楽は打ち続く。

おそらくものすごい変遷を経ていて、いろんな駆け引きが各所で展開されたにちがいない。
盛り上がったり廃れたりも何度もあったろうし、権力にすりよったり、大もうけしたり、排斥されたり、無数の紆余曲折。

猿楽を申楽と呼びなおした、観世親子。
貴族に代わって台頭・定着してきた武家勢力とむすんで、申楽=能が確立する。

能の最大の特徴は、「書く」こと。
猿楽田楽が実際にどんなものであったかは、ほとんどわからない。書き残されたものがないから。
しかし、申楽=能の時代になると、いっきょに文献が増える。

世阿弥の娘婿だった禅竹は、能の理論家でもあり、抽象的象徴的神秘的な思考に長けていた。
この人が書いた能の奥義書「明宿集」
ここで、能の翁こそが、あらゆる芸能の奥義であり、詩歌から神仏にいたる、ありとあらゆる「力」の正体であることが明かされます。
翁は石神(宿神)であり、地蔵であり、猿田彦・ウズメでもある。
その真髄においては、老人の姿をもって現われる。

パパ・レグバ。
なぜ、ここに。

それはもう、なぜかといっても、答えようもない。
ユングは、ゼルプストという魂の真髄が姿を現すとき、老賢者の形を借りると述べています。そういうものらしいです。そうとしかいえない。

禅院への参道で

★童子の姿にて

サイの神の大きな岩神さまの近辺には、かならず無数の小さなお地蔵さん。
「お地蔵さん」となにげに呼んでいる、小さな石の神々。

実際には、地蔵菩薩だけでなく、阿弥陀如来、大日如来、夫婦の道祖神、見ざる・言わざる・聞かざるの三猿、大黒様など、なんでもかんでもあり。
もしかすると、今でもいちばん人々の信仰を集めてる神様は、路傍のお地蔵さんかもしれません。町内費もばっちり使われています(笑)

日本中に広く分布して、そこらじゅうにあるお地蔵さん。
しかし、これが何なのか、いつ誰がどのような意図で置いたのか、いまひとつよくわからない。
岩神のまわりでのカーニバル=マーケットとの関係は濃厚。
たんに信仰だけじゃなく、何か実用性があったかしれない。
でもよくわからない。

カーニバルの主体は、遊行のものもいるし、定住していくもの、その中間のものなど、いろいろあったはず。差別的な位置に置かれることもあったけれど、その様態はじつに多種多様だったように思えます。
新猿楽記から世阿弥まで400年、おそらく1000年をゆうに超える期間、打ち続いた風習。ものすごく幅広い展開があったにちがいない。

石についての信仰がどんなものなのか。誰の信仰なのか。石器時代の名残りなのかどうか。
今でもお墓を石で作るくらいは、「伝統」が残っている。石の鳥居の上に小石を投げ置いたり、山頂からカワカケを飛ばしたり。
また、龍安寺に代表される石庭。禅の石立僧だけでなく、山水河原者と呼ばれる人々が関わっているといいます。
この人たちとお地蔵さん、石神との関係はいかに。

虎に乗る

★フーテンの寅さん


風に誘われ、ふらりと旅に出たくなるような気分。
芭蕉ならずとも、気質的にそんな「風狂」のある人々はたくさんいて、誰もがいくぶんかはそんな気持ちを抱いているもの。

寅さんは、実家は帝釈天前のダンゴ屋だけど、彼だけは家族を離れ、風に誘われるまま、生きている。
葛飾柴又帝釈天の商店街に定住した、カーニバルの民の末裔だと思われます。
そして、彼の叩売りの口上こそが、まさに猿楽田楽の流れを汲むもの。

さぁて物の始まりが一ならば 国の始まりは大和の国
島の始まりが淡路島 泥棒の始まりが石川の五右衛門なら
助平の始まりは小平のヨシオってね。
続いた数字が二つ。
兄さん寄ってらっしゃいの吉原のカブ。
二吉が通る東海道。
ニッキの弾正お芝居の憎まれ役ってね。
続いた数字が三つ。
三三六歩で引け目がない。三で死んだが三島のお千。
お千ばかりが女子じゃないよ。
京都は極楽寺坂の門前で、
かの有名な小野小町が
三日三晩飲まず食わずに
野垂れ死んだのが三十三。
四つ。
四谷赤坂麹町 ちゃらちゃら流れるお茶の水 
粋な姉ちゃん立ちションベン 白く咲いたか百合の花
四角四面は豆腐屋の女 将色は白いが水くさいってね。

「新猿楽記」の時代と同じものが、まだまだ死なずにつながっている。猥雑にして、音楽の魂の宿るもの。
寅さんは、パパ・レグバ。笑う時、泣く時、憤る時も、つねに細目の同じ面である、翁の豊饒な海のような無表情。
レグバは不死の神とされ、名もなき人々の immortable(不死の)にして、unexhaustible voice(尽きることなき声)を歌い続けるもの

猿田彦を追いかけるうち、まったく想定しなかった、深々とした場所に達したようです。
この神のこと、私がはじめて気づいたのでしょうか…いや、そんなことはない、はず。
時代を貫き、空間を越え、人が生きるあらゆるところに生息し、音楽の躍動を授ける神。
まあ、疑わしい=歌交わしの話なんですが。きっとキツネにつままれたんだと思う(笑)
そいえば、キツネ=稲荷も石神さまが多く、能=アートの技術系の側面、職能の民の信仰を集めたのでした。


[追記]

そうそう、これを書き忘れていた。
わら天神こと、敷地神社。金閣寺近くの安産の神社。

この敷地という名前がよくわからなかったのですが、
シキ=サキ=サク=サイ
という、サカイの神をあらわす言葉であったと思われます。すでに記紀の段階で、「道敷神」として現われていたもの。

わら天神にも石神さまはあり、またこの神社はもともとは今の金閣寺の位置にあって、西陣の岩神さんなどと結んで、太古の太陽信仰の痕跡の可能性があります。


さらに、シキという音でいくと、安倍晴明の式神。
陰陽師・晴明が、魔術で使役させる、あの式神。
このシキもたぶん、サカイの神(柳田国男もそういってます)。
すると、式神は、魔法みたいなものじゃなくて、実際は人間だったかもしれません(笑)
平安貴族にとっては、サイの神を信仰する遊行の民は、「人間」ではなかった。天狗と呼ばれる存在も、どうやらそうした人々を指していたようですから。
晴明は、そうした人々とも通じていて、闇の仕事を任せたりできたんじゃないかなあ。
式神って、紙を折って作るみたいですが、手紙なんだろうか。請け負ってもらう仕事の内容を伝えた。
紙それ自体を作ってる人たちだった可能性なんかも思い浮かびます。まあ、いい加減な話ですが(;・∀・)


★★猿田彦幻視行・インデックス★★

猿田彦幻視行・壱 「うたがわしい話」

猿田彦幻視行・弐 「サルタヒコ自己紹介」

猿田彦幻視行・賛 於・たら本28「あなたの街が舞台となった本」

猿田彦幻視行・詩 於・たら本28「わが町自慢」第2部−京の町の巨石文明の謎

猿田彦幻視行・悟 「ハイウェイ61の猿田彦」

猿田彦幻視行・勒 「フーチークーチーマンの伝説」

猿田彦幻視行・悉 「童子と翁 其の市」

猿田彦幻視行・鉢 「童子と翁 其の荷」

猿田彦幻視行・究 「まとめ・前半」



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