この猿、いったいなにものなのだろう?
調べてるうち、またまた奇妙なことがわかってきたので、書き留めておきます。
神楽歌に、こんな不思議な歌がありました。
幣 は 我がにはあらず
天に坐 す 神のみ顔ぞ
宮の幣 宮の幣 神楽歌 「幣 」
御幣は、「みてぐら」と読む。
イワクラが神のよりつく岩であるように、ミテグラは手(=御手)にしたモノに神がよりつき、バイアグラは股の逸物に神がよりつくのです(;・∀・)
いやさらに。
それを持って舞う者もまた、神となるにちがいない。
君も神ぞや 遊べ 遊べ 遊べ 遊べ猿 も神ぞや 遊べ 遊べ 遊べ 遊べ神楽歌 「木綿作 」
南北朝時代の軍記物、「太平記」。
巻27に、「田楽ノ事 付・長講見物ノ事」というくだりがあります。
今年多 の不思議 打続 中に、洛中 に田楽 を翫 ぶ事法に過たり。
■太平記巻第二十七(J−TEXTS 日本文学電子図書館)
貞和6年(1350)6月のこと。
四条の橋をかけるべく、その勧進(=資金集め)として四条河原で、新座・本座がそろって田楽をおこなった。
「日吉山王の示現利生の新たなる猿楽」がもよおされた、と。
それはそれは素晴らしい派手な出し物で、「神変の堪能なれば、耳目を驚かす」。
なかでも、童子の舞はすごかったようです。
新座の楽屋八九歳の小童 に猿の面をきせ、御幣を差上て、
赤地の金襴の打懸に虎の皮の連貫 を蹴 開き、
小拍子に懸て、紅緑 のそり橋を斜 に踏 で出たりけるが高欄 に飛上り、左へ回 右へ曲 り、抛 返 ては上りたる在様 、誠 に此 世の者とは不見、忽 に山王神託 して、此奇瑞 を被示かと、
感興身にぞ余 りける。
猿の面をつけ、御幣をかかげた少年に、山王がよりつく。
神がかりとなった少年は、右へ左へ、桟敷のらんかを飛び跳ねる。
童子は飛ぶものだったらしいです。
「天晴、五歳の童男かぶき跳、稀代の義なり。―時慶卿記・慶長8年9月17日」
そして、童子のはね跳ぶ舞いを見た見物人たちは驚嘆し、やんやの喝采。
されば百 余間 の桟敷共怺兼 て座にも不蹈 、
「あら面白や難堪 や。」と、喚 叫びける間、感声 席 に余 りつゝ、且 は閑 りもやらず。
田楽の熱狂は、さらに高まっていく。
四層建ての巨大な桟敷が作られ、それでも収まりきらぬ人・人・人の群れ。
少年の舞いが立ち現われる頃には、観衆の興奮は狂乱状態に。
新座の閑屋 、猿の面を著て御幣を差挙 、
橋の高欄を一飛 々 ては拍子を蹈み、蹈 ては五幣を打振て、誠 に軽げに跳 出たり。上下の桟敷見物衆是を見て、座席にもたまらず、
「面白や難堪や、我死ぬるや、是 助けよ。」と、喚 き叫て感ずる声、半時許 ぞのゝめきける。
この時、にわかにつむじ風が。
狂気の観客は数百メートルに及ぶ壮絶な将棋倒し、そして桟敷が倒壊する。
刀を抜いて人垣を切り裂く者あり、ふるまいの茶湯を倒して大ヤケドする者あり、
「脩羅(しゆら)の闘諍(とうじやう)、獄率(ごくそつ)の呵責(かしやく)、眼の前に有が如し」。
百数十名の死者を出したという、貞和の桟敷崩れ。天狗の仕業かとも噂された。
其 次の日、終日 終夜 大雨車軸 に降り、洪水盤石 を流す、
昨日の河原 の死人汚穢 不浄を洗流し、
十四日の祇園神幸 の路をば清めける。天竜八部 悉 霊神 の威 を助て、
清浄の法雨を潅 きける。
難有かりし様 也 。
この大惨事を、驚くべき名文でつづる「太平記」巻27。
カタストロフィーにみちびかれ、その後の冷たい雨による「清掃」の描写の淡々。カタルシス。
短いけれど、オペラのような読後感をあたえるくだりです。
この時、何かが起き、何かが人々の間を通り過ぎた。
それは、猿の仮面をかむり、御幣をかかげた、童子の姿。
時代の転換期には、荒神の性質を帯びて出現する、かのもの。(たとえば、「ええじゃないか」もそうじゃないか?)
新編日本古典文学全集 (56) 太平記 (3)
¥ 4,890 / 小学館
( 1997-03 )
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by AMAZ君(改)
屋根の上にましますお猿、じつはこのような途方もない来歴が秘められているようです。
この猿が初期かぶきの「猿若」になっていくのかなあ。
夢野久作「犬神博士」のチイちゃんのアネサンマチマチを思わずにはおれない。
郡司正勝先生の奇跡的名著「童子考」によれば、猿若は腰に瓢箪をつけた新人の小僧さん(=シンボチ、新発意、新法師)の踊りがもとにあるらしい。
瓢箪が男根に見立てられて、雨乞いの道具になるのは、宗方万行のほかにも、磐城の獅子舞に出てくる猿若があって、内業村の住吉神社の祭礼には、素晴らしい男性器を振り回して踊る。忍ぶ軒端に、瓢箪は植ゑてな、おいてな、這はせて生らすな、心のつれて、ひょひょら、ひょひょめくに (『閑吟集』六六)
郡司正勝「童子考」 p110
またしても、歌舞音曲の神が童子の姿で出現してしまいました。そしてフーチークーチーな気配も。
どこから出発しても、結局ここに来ちゃうよ。不思議すぎです。どうなってるんだろ(;・∀・)
御幣猿ひとつとっても、なんとも奥が深いです。
調べれば調べるほど、味わい深い、猿田彦。なんか毎日楽しいこの頃。
それにしても、神楽歌と猿楽田楽の関係は、ゴスペル(=スピリチュアル、霊歌)とブルースの関係に限りなく似ています…「上品」と「下品」と当人たちだけが信じている区別、しかし実質は同じもの。。
overQさん、
次々明らかになっていって、すごいなぁと思って読ませてもらってます。
田楽・猿楽と言われた頃から、お猿さんとやっぱり因縁があったのですね。
百数十名の死者を出したという、貞和の桟敷崩れ。
天狗の伝説とも関係していたりして、ロマンがありますね。
赤山禅院のこのお猿さん、右手に御幣、左手に鈴を持っていたというのもこちらで初めて知りました。
猿田彦を追ううち、どんどん日本史の「地」の部分が見えてきた気がします。
表に出てくる「文化」とはちがうけど、
文字に書かれなかった、もうひとつの日本史があると言えそう。
桟敷崩れの天狗。
長くなるので書きませんでしたが、この猿楽を見に来てた比叡の僧侶が、
四条河原で謎の山伏に逢った。
この山伏が僧侶を連れて飛び、人垣を越えて見物できた、という証言があったとか。
太平記は、新猿楽記から三百年もあとのものなのに、
踊りの描写がそっくりなのが不思議です。
ずっと踊り続けてるんですね、日本人(笑)
そして、赤山禅院の猿。
これが屋根に置かれたのは江戸の終わりか、ひょっとすると明治以降。
その時代まで、猿楽での、童子の山王降ろしが信仰されていたということになり、
この伝承が日本史を貫いているという恐るべき事実が浮上します☆
あと、関係ないですが、BSで先週と今週やってた、ポワロとミス・マープル、すごく面白かったです。
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