AZ::Blog はんなりと、あずき色☆: 屋根の上の猿の正体

屋根の上の猿の正体

written by overQ
December 12, 2006

前回の記事で、赤山禅院の屋根の上に、お猿さんがまつられてることを書きました。右手に御幣、左手に鈴を持った、謎の猿。

この猿、いったいなにものなのだろう?

調べてるうち、またまた奇妙なことがわかってきたので、書き留めておきます。

京都府京都市左京区修学院開根坊町18

イワクラ、ミテグラ、バイアグラ

神楽歌に、こんな不思議な歌がありました。

みてぐらは 我がにはあらず
天にす 神のみ顔ぞ
宮のみてぐら 宮のみてぐら
神楽歌 「みてぐら

御幣は、「みてぐら」と読む。
イワクラが神のよりつく岩であるように、ミテグラは手(=御手)にしたモノに神がよりつき、バイアグラは股の逸物に神がよりつくのです(;・∀・)

いやさらに。
それを持って舞う者もまた、神となるにちがいない。

君も神ぞや 遊べ 遊べ 遊べ 遊べ
ましも神ぞや 遊べ 遊べ 遊べ 遊べ  
神楽歌 「木綿作ゆふつくる


舞う猿、跳ぶ猿、踊る猿

南北朝時代の軍記物、「太平記」。
巻27に、「田楽ノ事 付・長講見物ノ事」というくだりがあります。

今年おほく不思議ふしぎ打続うちつづく中に、洛中らくちゆう田楽でんがくもてあそぶ事法に過たり。

太平記巻第二十七(J−TEXTS 日本文学電子図書館)

貞和6年(1350)6月のこと。
四条の橋をかけるべく、その勧進(=資金集め)として四条河原で、新座・本座がそろって田楽をおこなった。
「日吉山王の示現利生の新たなる猿楽」がもよおされた、と。
それはそれは素晴らしい派手な出し物で、「神変の堪能なれば、耳目を驚かす」。
なかでも、童子の舞はすごかったようです。

新座の楽屋八九歳の小童わらはに猿の面をきせ、御幣を差上て
赤地の金襴の打懸に虎の皮の連貫つらぬきふみ開き、
小拍子に懸て、紅緑こうりよくのそり橋をなのめふむで出たりけるが
高欄かうらんに飛上り、左へまはり右へめぐり、
はねかへりては上りたる在様ありさま
まことこの世の者とは不見、
たちまちに山王神託しんたくして、此奇瑞きずゐを被示かと、
感興身にぞあまりける。

猿の面をつけ、御幣をかかげた少年に、山王がよりつく。
神がかりとなった少年は、右へ左へ、桟敷のらんかを飛び跳ねる。
童子は飛ぶものだったらしいです。
「天晴、五歳の童男かぶき跳、稀代の義なり。―時慶卿記・慶長8年9月17日」

そして、童子のはね跳ぶ舞いを見た見物人たちは驚嘆し、やんやの喝采。

さればひやく余間よけんの桟敷共怺兼こらへかねて座にも不蹈ふまず
「あら面白や難堪たえがたや。」と、をめき叫びける間、
感声かんせいせきあまりつゝ、しばししづまりもやらず。


貞和の桟敷崩れ

田楽の熱狂は、さらに高まっていく。
四層建ての巨大な桟敷が作られ、それでも収まりきらぬ人・人・人の群れ。
少年の舞いが立ち現われる頃には、観衆の興奮は狂乱状態に。

新座の閑屋かくや、猿の面を著て御幣を差挙さしあげ
橋の高欄を一飛ひととびとびては拍子を蹈み、
ふみては五幣を打振て、
まことに軽げにをどり出たり。

上下の桟敷見物衆是を見て、座席にもたまらず、
「面白や難堪や、我死ぬるや、これ助けよ。」と、
をめき叫て感ずる声、半時許はんじばかりぞのゝめきける。

この時、にわかにつむじ風が。
狂気の観客は数百メートルに及ぶ壮絶な将棋倒し、そして桟敷が倒壊する。
刀を抜いて人垣を切り裂く者あり、ふるまいの茶湯を倒して大ヤケドする者あり、
「脩羅(しゆら)の闘諍(とうじやう)、獄率(ごくそつ)の呵責(かしやく)、眼の前に有が如し」。
百数十名の死者を出したという、貞和の桟敷崩れ。天狗の仕業かとも噂された。


その次の日、終日しゆうじつ終夜しゆうや大雨車軸わだちに降り、洪水盤石ばんじゃくを流す、
昨日の河原かはらの死人汚穢わゑ不浄を洗流し、
十四日の祇園神幸しんかうの路をば清めける。
天竜八部てんりゆうはちぶことごとく霊神れいしんを助て、
清浄の法雨をそそきける。
難有かりしためしなり

この大惨事を、驚くべき名文でつづる「太平記」巻27。
カタストロフィーにみちびかれ、その後の冷たい雨による「清掃」の描写の淡々。カタルシス。
短いけれど、オペラのような読後感をあたえるくだりです。

この時、何かが起き、何かが人々の間を通り過ぎた。
それは、猿の仮面をかむり、御幣をかかげた、童子の姿。
時代の転換期には、荒神の性質を帯びて出現する、かのもの。(たとえば、「ええじゃないか」もそうじゃないか?)

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猿若

屋根の上にましますお猿、じつはこのような途方もない来歴が秘められているようです。
この猿が初期かぶきの「猿若」になっていくのかなあ。
夢野久作「犬神博士」のチイちゃんのアネサンマチマチを思わずにはおれない。

郡司正勝先生の奇跡的名著「童子考」によれば、猿若は腰に瓢箪をつけた新人の小僧さん(=シンボチ、新発意、新法師)の踊りがもとにあるらしい。

瓢箪が男根に見立てられて、雨乞いの道具になるのは、宗方万行のほかにも、磐城の獅子舞に出てくる猿若があって、内業村の住吉神社の祭礼には、素晴らしい男性器を振り回して踊る。

忍ぶ軒端に、瓢箪は植ゑてな、おいてな、這はせて生らすな、心のつれて、ひょひょら、ひょひょめくに (『閑吟集』六六)

郡司正勝「童子考」 p110

またしても、歌舞音曲の神が童子の姿で出現してしまいました。そしてフーチークーチーな気配も。
どこから出発しても、結局ここに来ちゃうよ。不思議すぎです。どうなってるんだろ(;・∀・)
御幣猿ひとつとっても、なんとも奥が深いです。
調べれば調べるほど、味わい深い、猿田彦。なんか毎日楽しいこの頃。
それにしても、神楽歌と猿楽田楽の関係は、ゴスペル(=スピリチュアル、霊歌)とブルースの関係に限りなく似ています…「上品」と「下品」と当人たちだけが信じている区別、しかし実質は同じもの。。



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コメント

overQさん、
次々明らかになっていって、すごいなぁと思って読ませてもらってます。
田楽・猿楽と言われた頃から、お猿さんとやっぱり因縁があったのですね。
百数十名の死者を出したという、貞和の桟敷崩れ。
天狗の伝説とも関係していたりして、ロマンがありますね。
赤山禅院のこのお猿さん、右手に御幣、左手に鈴を持っていたというのもこちらで初めて知りました。

Posted by: Site icon ワルツ : December 13, 2006 8:54 PM

猿田彦を追ううち、どんどん日本史の「地」の部分が見えてきた気がします。
表に出てくる「文化」とはちがうけど、
文字に書かれなかった、もうひとつの日本史があると言えそう。

桟敷崩れの天狗。
長くなるので書きませんでしたが、この猿楽を見に来てた比叡の僧侶が、
四条河原で謎の山伏に逢った。
この山伏が僧侶を連れて飛び、人垣を越えて見物できた、という証言があったとか。

太平記は、新猿楽記から三百年もあとのものなのに、
踊りの描写がそっくりなのが不思議です。
ずっと踊り続けてるんですね、日本人(笑)

そして、赤山禅院の猿。
これが屋根に置かれたのは江戸の終わりか、ひょっとすると明治以降。
その時代まで、猿楽での、童子の山王降ろしが信仰されていたということになり、
この伝承が日本史を貫いているという恐るべき事実が浮上します☆

あと、関係ないですが、BSで先週と今週やってた、ポワロとミス・マープル、すごく面白かったです。

Posted by: Site icon overQ : December 14, 2006 9:55 PM
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