帰ってきたよ、猿田彦幻視行!
というわけで、まだ続くのか、このシリーズ(;・∀・)
「続」ならぬ「賊」として再スタートしてみます。
「賊」はかつて暴走族の人が自らを呼んだときのイントネーションで、「ゾク」と発音します。そこんとこ夜露死苦(死語)。
さて、第1回はこの石から。
弥次「おや、こいつはまた、べらぼうな場所に登場しやがったな」
喜多「まあ、弥次さん、立派なのを産んだねぇ…」
と卵のようなこの丸石。
道のど真ん中にお出ましです。じゃまです。
真夜中のヒゲの弥次さん喜多さん (ビームコミックス)
しりあがり 寿
¥ 714 / エンターブレイン
( 2005-10-24 )
通常24時間以内に発送
by AMAZ君(改)
これは、安藤広重「東海道五十三次」、日坂の場面。
小夜の中山の名物、夜泣き石。
小夜の中山。
この「小夜(サヨ、古くはサヤ)」は、もちろん、サイの神のサイから来ています。
サイの神のサイは、「さえぎる」のサイ。境界の神。
峠や境、橋のたもと、都への入口、道が集まり分かれるチマタ、市の立つ庭に置かれる、石神さん。
ファイアーウォールのようなフィルタリング機能を持ち、「鬼は外、福は内」、
また旅人を安寧にみちびく、道路交通の神であり、
商業と職能と芸能の、マーケットの神さま。
絵のように道のど真ん中に、とうせんぼして配置するのが、古来よりの由緒正しき設置方法。
「邪魔」とは、魔をさえぎり、福を通すこと。
思えば猿田彦神もまたそのように、天孫降臨ご一行の前に、さえぎるように登場し、やがてこれを道先案内した。
中山峠は東海道の三大難所のひとつ。国境(くにざかい)。
サカイに置くのが、サイの神。
坂(サカ)―境(サカイ)―サイ。
関(セキ)の置かれる位置でもあるし、宿(シュク)の立つ場所。
安倍晴明の式(シキ)神なんかも、(戻り)橋のたもとに置かれたサカイの存在。
セキ―シュク―シキ―サイは、みなこの同じ、境界の異名。
みなさんがお住まいの地域にも、きっと必ず、この「S+K(またはY)」の音を持つ地名人名、社寺などがあると思います。
橋のたもとや、町の入口、古くからの商店街、街道の宿場町、国境の坂道、それに祭りの盛んな神社などなど。
そして、その付近にはたいてい、石神さまがまつられているもの。
日本だけじゃなく、海外でさえ、この「一般法則」は成り立つんじゃないか…と思い始めています。
「S+K」こそ、われわれが神と呼ぶものの、いちばん古い名前だったかしれない、と。
この石。
夜啼き石、と呼ばれています。
「夜泣き石」と呼ばれるものは、検索するとわかるけど、日本中にたくさんある。
夜泣き石の近辺には、夜になるとチャルメラを鳴らして、幻のラーメン屋台が現われるといわれています。
いわゆる百鬼夜行とは、そのラーメン屋に並ぶ妖怪たちの行列だったらしい。
…って、嘘です( ;´Д`)
泣くのはチャルメラじゃなくて、赤ん坊。石から生まれる赤子の伝説。
東海道の要衝ということで、江戸時代の終わりごろには非常に有名だった伝説らしい。
名物といったほうがいいかもしれない。広重はいくつか夜啼き石の絵を描いています。
この伝説を元ネタにした、馬琴の読本「石言遺響」があり、また明治になってからも東京では、ハリボテの石の中に子供を入れて泣かせる見世物があったとか。
この見世物が評判だったのか、あとでホンモノの「小夜の夜啼き石」を東京で展示した時、「なんだ、泣かないのか」と馬鹿にされたという、文明開化の音がする逸話も伝わっています(笑)
なぜ、サカイに置かれた石から、子が生まれるのか。
ウブメ(産女、姑獲鳥)、という妖怪がいます。
橋とか、街道が町から出る口のあたり、山のふもとに、夜な夜な立つ女。
手には赤子を抱いていて、道行く人に子をあずける。あずけられてみると、その赤子はみるみる、石のように重くなる重くなる…というやつ。
またサイの河原というものもある。
ひとつ積むのは父のため、ふたつ積むのは母のため。
幼くして死んだ子は、地獄へも極楽へも行けず、三途の川のたもとにとどまって、石を積む。
冥土と現世のサカイである、サイの河原。
サイは、たんに地理的境界ではなく、生命と死のサカイもあらわす。
命が出たり入ったりする境界上にも、サイの神が立ち現われる。
夜泣きする赤子の伝説が、サイの神の石神と結び付けられるのは、このアナロジーのせいのようです。
*1
すでに書いたように、童子または翁として現わされることの多い、サカイの神。
赤子と老人。生まれ来る時と死に逝くの時の姿。
子泣き爺も、ウブメ・夜泣き石伝説のバリエーションと思われますが、赤子と爺の結びつきは、深い因縁がある、というわけです。
さらに、サカイが地理的境界だけじゃなく、生死の境界でもありえることを踏まえたうえで、次のふたつを読んでみると、従来とは違った興趣が得られるかもしれません。
それぞれ、西行と芭蕉が、小夜の中山でよんだもの。
年たけてまた越ゆべしと思いきや 命なりけり小夜の中山 西行命なりわづかの笠の下涼み 芭蕉
「命なり」は、「命鳴り」とも「命泣き」とも縁をなす…と、感得してもわるくはない。
…この話、まだまだ続きます。。
近所にSKもしくはSYはないものかと探してみました。
市川市の国府台にある里見公園に夜泣き石があるのですが
国府台の隣が国分、その隣が曽谷という町でした。
まさにSY!
またSKではないんですが、わが船橋市には
神々廻(ししば)という神々しい名前の土地があるんですが、
なんとそこにはどどーんとゴルフ場ができてしまってるんですね。
平安時代からの由緒ある清戸の泉はそのゴルフ場の中に…とほほ。
白洲正子の『西行』には「小夜」は「狭谷」なんじゃないかと
書いてあります。
それから夜啼石ははじめは神が降臨した
岩座だったのではないかとも。
こういうのって、調べだすとおもしろいですね。
★LINさん。
おお。「曽谷」は、あらゆる意味で、疑う余地なく、サイの神さまです!
(これについては、次の記事で詳細に取り上げさせてもらいますね。)
どうやら、日本中どこにでも、ゴロゴロあるらしいんですよ、サイの神。
さらに興味深いのは、この、里見の夜泣き石。
これが、馬琴「八犬伝」のいちばん大モトにあったものなんです。
里見家の姫の悲劇。
すると、馬琴は、小夜の夜泣き石についても書いて、千葉の夜泣き石についても調べてたことになる。
これは、かなり重要なことで、はっきりと指摘した人はもしかするといないかもしれません。
千葉の夜泣き石は、今は里見家の説話になっていますが、おそらくそれ以前にもすでに「夜泣き石」と呼ばれてたと思います。
お産のとき、子が死んだり、母が死んだりした場合に、その霊をまつる風習が、たぶん縄文時代にはすでにあり、その名残りじゃないかと思われます。
神々廻は、たいへん興味深いですね。
これがなぜ「ししば」と呼ばれ、この漢字を当ててるのかは、うすうすは想像できますが、それはまたおいおい「賊猿幻行」で触れることができると思います☆