新シリーズももう七回目。
今回はかなりブラックで、怖い内容。どこまでホンマかは保証の限りではない(というか、いつもそうですが…汗
道という字は、道路を示すっぽい「しんにょう」に「首」が入っています。
この字について、白川静はどう考えたか。梅原猛氏との対談を見てみると。
猛: 先生のご本を読むと、何でもないような字が全部、神様と関係がある、ということになる。私なんか、「道」の先生の解釈にはびっくりしました。異族の首を持って歩くなんて、あれは本物の生首を持って歩いたんですか。
静: 字の構造の上ではそうです。本当にね、首を持って進むという字形です。…支配の圏外に出る時には、「そこには異族神があおる、我々の祀る霊とは違う霊がおる」と考えた。だから祓いながら進まなければならないんです。
猛: 実際に生首を持って歩いた。生々しいなあ。
なんだそうです。「道」という字に、首が入っているのは、そういうわけらしい。
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さらに、対談は続く。
静: 例えば、「辺塞」という場合の「辺」の元の字、「邊」、これは鼻を上に、人の身体を横向きにして台に置く形。髑髏棚という首ばっかり並べたのがありますね。これは身体を全部、死体を置いとる訳です。…
猛: 先生の話を聞いているとおぞましい霊が次々出て来るようで(笑)。
ドクロ棚…((;゚Д゚)
「ありますね☆」と同意を求めておられる静翁ですが、うちの近所にはないです。いや、ひそかに祀られてるのかもしれない。
みなさんのご近所には、ありますでしょうか、ドクロ棚。魔よけになるらしいので、町内にひとつくらいは作ったほうがいいのかなぁ。そんな気がしてきました。今度、町内会で相談してみようと思います。
県この字は、「道」をちょうど逆さにしたもの。すなわち、「首」を逆さにして、木の枝にぶら下げた形…つまり生首を木に「懸」けたもの(。>。)
真実真理の「真」は、「ヒ」の下に「県」を置いた形。これは、行き倒れの旅人の怨霊を祀ったもの…それが真実なのか。。
「道」で用いる生首は、異族つまり客人=マレビトのものでなければならなかった。来訪した神を殺し、まつる。
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イキのいいマレビトが手に入らなくなったためなのかどうかはわからないけれど、動物さんたちもいろいろ、イケニエにされます。
器という字は、前回も触れたように、イケニエ犬のまわりに、「口=サイ」という器を四つ並べたもの。犬牲の血を器に受けることで、サイは清められる。
これは「器」の術と同じものなんでしょうねえ、やっぱり。
「器」とか「哭」「厭」とか、わりとありふれた漢字に、このようなおぞましい秘術がかくされていたとは。
犬塚という地名や苗字が全国に大量にありますが、つながりを感じてしまってスマソ、犬塚君(後輩、サックスが巧い人です、いつもお世話になってます)。
兄アニジャを意味するこの字は、もとは「口=サイ」を高々とかかげた姿。
横にサイをおさめるテーブル(どくろ棚)を置くと、「祝」。「悦」よろこびもまた、この仲間。血の匂いがします。
ニワトリも、身近にいたせいか、よくイケニエにされたようです。ブードゥーでは、映画なんかに出てくるシーンを見てると、よくニワトリを使っていますが、実際のところはどうなんでしょう。
柳田国男と書簡のやり取りをしたネフスキーというロシア人学者(美形)。
彼がアイヌの調査をしながら、柳田に送った手紙の中に、アイヌはヤマイヌやキツネのほか、フクロウのドクロを持ち歩く、というような話が出てきます。
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梟フクロウはこの字。静翁によれば、鳥頭を木上につけた形。「さらしくび」と訓する用例もあるようです。
漢文の用例を見ていくと、五月五日に梟の羹(あつもの=煮つけ、スープ)を作る風習があったこともわかります。柱の傷はおととしの、五月五日の、フクロウのイケニエ。。
…と書きつつ、いや、ひょっとして、「あった」じゃなくて、今もあるんだろうか。
犬神も…どこかで誰かがやってるような器がしないでもない( ;´Д`)
今もおこなわれてるのは、イワシの頭。
節分に、鬼をはらうとして、イワシの頭を家の入口にさらします。
「異族の首をイケニエにして、サカイにつるす」風習が、ものすごく簡略化されたものだと思われます。
これが、サイの神の正体…と、およそ考えていいのかもしれません。「鰯の頭も信心から」というコトワザがあるくらいなので、もうその意味・霊力はすっかり忘れ去られているわけですが。

聖も、サイが出てくる字。
「耳」と「口=サイ」と「壬(てい)」。「壬」は、つま先立ちする人間の姿。サイの器を持ち、耳をすまして、神の言葉を聞いている。

賢も、聖と似たような意味を持つ字。もとは下の「貝」はなくて、「臣」と「又」だった。
「臣」は、形をよく見るとわかるように、目のこと。「又」は手。
目の中に手を入れて、傷つけている様子(えぐり出したのだと思います)。
つまり、目を傷つけて、盲となり、神に仕えた。「臣」「妾」は、もとは神に仕えるもの。多才であること(=能。職能・芸能の能)は重要な条件。
「賢」とは、神に仕えるべく盲目となった巫視。
…次回は、この、「神に仕えるため、目をつぶしたもの」「杖を突き、足を引きずるもの」について書く予定です。ギンコと鬼太郎、一つ目小僧、ダイダラボッチ。
◆文字講話…白川静入門としては、この文字講話のシリーズがおすすめ。1999年から、一般の方を相手に語った講義録です。テロ事件などアクチュアルな問題にも触れて、白川学の射程の広さがうかがえる内容になっています。
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