ネコというと、かわいいというイメージの反面、「怖い」「呪い」「魔女の使い」「壁に埋められる」といった、邪悪な暗黒面も、よく描かれる生き物。
うちでは今回、その暗黒面を探ってみたいと思います。
かなり、おぞましい話が続きますにゃ(;≡・∀・≡)
フレイザー「金枝篇」を最近ツン読してるので、さっそく索引でネコの項目を探してみると。
ありましたありました。猫。
まず、ここで知っておきたいのは、人類にとってネコが何であったか、ということ。
ペットでも、ネズミを獲る益獣でも、家族の一員でも、お魚くわえたノラでもなかったのです。
食べ物。
ネコは食べ物だった…らしいです( ;≡´Д`≡)
ネコでも何でも、食べられるものは、みな食べ物。
喰うなよー。。トホホ
金枝篇―呪術と宗教の研究〈3〉タブーと霊魂の危機
J.G. フレイザー
¥ 12,600 / 国書刊行会
( 2005-11 )
通常24時間以内に発送
by AMAZ君(改)
よっぽどおなかがすいてたんでしょうね。
我々のご先祖様がそうでなかったとも言い切れませんし。我々が今ここにいるのも、そのお蔭でないとも言い切れない。
…と、なぜか弁解がましい口調になっていますが、私が食べてるわけじゃないですから。ほんとです。
あくまで、本に載ってた話。
ネコさんの耳のところをもてあそびながら、カラアゲにしたら、コリコリしておいしいそうなどと、ゆめにも思ったことないです(;・∀・)
ともあれ、食べる人たちがいましたとさ。
話は、そこから始まる。
ここで、唐突に呪いの基礎講座。食事マナー篇。
食べたあと、食べカスを残してはいけません。
キレイに、骨ひとつ残さず、食べきること。
なぜなら食べ残しがあると、それを使って、喰ったやつに呪いをかけることができるから。
ネコを食べたあとも、ゆめゆめ骨などを残してはなりませんヌ。
どうしても食べきれない時は、けっして人にはさとられない場所に埋めること。
セキュリティの基本です。シマンテックも推奨しています。
一方、猫を飼っている人は、他人に猫を喰われないよう防衛する必要があります。
自分だって、いつおなかがすくかわからないもの。猫は「おいしいいとしいしと」。
その天才的戦略。
飼い猫のシッポをちょん切って、保存しておく。
もしシッポの短い猫を食べようものなら、すっかりキレイに食べても、あるいは食べ残しを隠したとしても、シッポがある。
シッポを使って、喰った奴に呪いをかけることができる。(3巻・第3章「タブーとされる行為」)
夜神月か、お前は。
猫のシッポは、デスノートの切れ端なのか(;・∀・)
…というか、猫食う前に、農耕とかして働きましょうよ? ちがうふうに頭を使いませう。
人類はこのように生きてきたのです。
こうして、村ではシッポの短い猫が闊歩できるようになった、と。
金枝篇、こんなお話が延々と繰り広げられます。
よい子はマネしないように。シッポの長いのも、ダメです。禁止篇。
オルオラネは猫弾きの名手。
すなわち、猫は楽器だった。
ふにゅにゅにゅにゅにゅにゅにゅ
ニイッふにゅナーゴ
ニイッふにゅナーゴ
ニイッふにゅナーゴ
ニイッふにゅナーゴ
ニイッふにゅナーゴ
ギャゴナッふ
ギャゴナッふ
ギャゴナッふ
ギャゴナッふ
ギャゴナッふ
ふ
ふ
ふ
ふ――――るイイイイ
ふ――――るイイイイ
ふ――――るイイイイ
ふ――――るイイイイ
ふ――――るイイイイ(この前後、HTMLでは表現できず)
猫弾きのオルオラネ (ハヤカワ文庫JA)
夢枕 獏
¥ 673 / 早川書房
( 1996-04 )
by AMAZ君(改)
夢枕獏のういういしいデビュー作「猫弾きのオルオラネ」。
猫を抱きかかえ、あっちをこそばせたり、尻尾をつまんだり、肛門に指を押し当てたりして、さまざまな泣き声を奏でさせます。
しかし、18〜19世紀のヨーロッパで、「猫の音楽」は、別なものを意味していました。
革命にシャリヴァリはつきものである。ドイツ語ではカッツェンムジーク、猫の音楽とか猫ばやしという。要するに、気に入らぬ者のところへ押しかけ、笛やドラム、鍋やフライパンを叩いて「民衆的制裁」を加えることである。良知力「青きドナウの乱痴気―ウィーン1848年」
気に喰わない金持ちや政治家の屋敷に夜な夜な押しかけ、その前で一晩中鳴り物を打ち鳴らし、罵詈雑言を浴びせる群集。
王族や高僧も例外ではありませんでした。
記録には残ってないけど、猫も弾いてたかもしれません。
もともとはムラ社会で、おきてを破った家(若い美少年を誘惑した後家とか)を襲撃した風習。
それが都市で、ホーム(村)を失った流民が、新しい標的を見つける。ネットでいう炎上に似たもの。
そして、これが大革命への予兆となり、また茶番となっていきます。
青きドナウの乱痴気―ウィーン1848年 (平凡社ライブラリー)
良知 力
¥ 1,121 / 平凡社
( 1993-10 )
by AMAZ君(改)
時代の変わり目、時節のサカイ目にあらわれる、荒々しい歌舞音曲。
日蝕のとき、騒々しくロックンロールして太陽を取り戻す風習が、世界中にある。
日本で言えば、天の岩戸の、アメノウズメのエロダンス。
日食月食にかぎらず、季節や時流のサカイ目では音を鳴らす。
年越しの時、アジアでは爆竹が鳴らされ、イタリアでは食器が割られ(日本のほうらく割りを思わせる)、パリやロンドン、ニューヨークでは、自動車のクラクションが鳴らされる。
…そうレヴィ=ストロースは書いています。
新入り歓迎会から、維新前のええじゃないかまで、サカイサカイで、猫の音楽が騒々しく鳴り響く。夜明け前の音楽。
時代が変わる時も、猫が泣く。
神話論理〈1〉生のものと火を通したもの (神話論理 1)
クロード レヴィ=ストロース
¥ 8,400 / みすず書房
( 2006-04 )
通常24時間以内に発送
by AMAZ君(改)
「猫の音楽(パリではシャリヴァリ、と呼ぶ)」は、レヴィ=ストロースの神話論理・第1巻「生のものと火を通したもの」の、主要なテーマのひとつ。
天と地、昼と夜、男と女といった反対物の一致(日蝕・結婚・革命)は、秩序に危機をもたらします。
世の乱れを回復するメタファとして、鳴り物が打ち鳴らされ、コードの連続性を取り戻そうとする。(と、よくわからないまま、書いていますが…汗)
かくして、新婚旅行に出かける車は、空き缶の群れを背後につなぎ、カラカラと道を行くのです。
ちなみに、パンチという、有名な英国の風刺漫画雑誌は、Punch, or The London Charivari と言います。猫の音楽なのです。
それじゃあ、時代を変えようと思うなら、猫を泣かせればいいんだ。
泣かぬなら、泣かしてみませう。猫ねこネコ。
ろくでもないアイデア(;・∀・)
18世紀、パリの小便臭い片隅。大革命の、夜明け前。いちばん暗い闇。
植字工。印字の記された判を、リストから拾い出し、並べる職。後の世では、タイピスト。今で言う、「オフィスが使える人」。
グーテンベルクの活版印刷の発明後、幾年月。
業界はイノベーションによって再編され、少数の親方のもとに膨大な植字工の若者たち。
古き良き時代と違って、
もはや親方(勝ち組)になる希望も可能性もなく、職場の一体感も見失われて。
口利き屋(派遣)の命じるまま、やる気なく転々と職場をさまよう。
どの工房も先輩がいっぱい。いびられ辞めさせられることもしばしば。
唯一の「希望」は、親方が死んで、後家になった奥さん(60歳)と結婚すること( ;´Д`)
「猫の音楽」の通奏低音。
財産目当ての歳の離れた結婚。セックスアピールと性病。
植字工は、職業がら、文字を読み書きできました。
出版物を人々に流布できる立場にあった。
地下出版。世を憂い、世をあおる、無記名無責任なビラや壁新聞。京童の落書のように。
大革命への余震となるもの。
あることないこと。「ないこと」を「あること」としようと。
そして、彼らは猫をイケニエにした。
当時、プチ金持ちの間では、猫を飼うことがブーム。
親方の奥さんの大切にする猫を吊るした。
植字工は時々、日記を匿名出版するので、そんな小さな事件のことがわかっています。
この猫が、親方に、さらに王様に変換される時が、やがて来るだろう、と。
時代の変わり目で、虐待され、泣き叫ぶ猫。
いい迷惑だにゃあ(=゚Д゚=))
猫を木に吊るし、水をかけて泣かせて、願をかける。
この風習は雨乞い(晴れと雨のサカイ)などで世界に広く見られ、たいへん古い起源を持つもののようです。
それでは復讐に転じるのにゃヽ(≡`Д´≡)ノ
怪奇小説家のラヴクラフトは、大の猫好き。
膝の上で眠ってしまった猫を起こしたくないため、自分が徹夜したり。
雑誌の「犬vs猫」といった企画に、長大な猫擁護の論文を書き送ったり…定本ラヴクラフト全集のものすごい訳文はこんな風。
猫を崇拝措く能わざる人士は、より瞑想的にして想像力に富み、宇宙に託す願いとては、ただ感動溢るる霊妙なる美の客観的顕現と、自然の持つ柔和にして厳格、しかも悠揚迫らざる非人間的秩序と妥当性の溌剌たる象徴のみとなす人びとである。犬は”与う”、されどネコはただ”ある”のみ。
「犬と猫 Cats and Dogs」(定本ラヴクラフト全集4)
そして、「ウルタールの猫 The Cats of Ulthar」。
It is said that in Ulthar, which lies beyond the river Skai, no man may kill a catスカイ河の向こう、ウルタールの町では、こう言い習わされている。
なんぴとたりとも、猫を殺してはならじ、と。
□The Cats of Ulthar - Wikisource
ごく短い話ですが、ラヴクラフトの「ドリームサイクル」の一部をなす、興味深い作品。
ここで出てくる地名や人物は、別な作品でも登場します。
そして…猫たちが猫殺しに復讐する物語だニャ(≡゚∀゚≡)v
猫は、この世のほかに、もうひとつの世界に住んでいる生き物。
人間には見えないものが、猫たちには見えている。
ネコの怒りの魔力、思い知るがいい。
もうひとつの世界からの力を用いて、彼らは復讐を遂げるであろう。
ちょっと「猫の泉」にも似ています。
サカイ目に住む生き物、それがネコ。
スカイ河は、私が調べている「S+K」になってますね。フィクションなのに。
そうか、「S+K」地名を広めたのは、彼方より来るものらだったのか!
…ますます信憑性が薄れてく(;・∀・)
筒井康隆の名作短篇「乗越駅の刑罰」(1972年)。
衝撃的な結末で、いつまでも記憶に残ります。
懲戒の部屋―自選ホラー傑作集〈1〉 (新潮文庫)
筒井 康隆
¥ 460 / 新潮社
( 2002-10 )
通常3~5週間以内に発送
by AMAZ君(改)
最初読んだ時は、いつものように筒井流のブラックジョークかと思って、笑って読んでいました。
でも、ツツイさん、案外、本気で書いているのかもしれません。
すなわち、本気で自己を罰する気持ちがあったと。
ネタバレになるので内容は詳しく書けないけど、子猫が「四匹」なのが、重要な意味を持っている。
「乗越駅」の数年前、「池猫」というショートショート(1967年)。
家の飼い猫ミイが四匹の子を産んで、母親から捨ててくるよう言いつけられる少年の話。少年は池に子猫を捨てる。
「乗越駅」と同時期の自伝的エッセイ「記憶の断片」にも、このエピソードが出てきます。
「池猫」では母の言いつけのせいにし、また「本当は生きていた」という救いが用意されています。
しかし、「記憶の断片」においては、子供特有の残酷さのみが意識される。
戦争末期でしょうか(時代のサカイ目)、四匹の子猫を抱えた幼い少年は、夕暮れの町をさまよう。家にも帰れず。そのさみしさ。こころ、ぼそさ。
それは親から置き去りにされる通過儀礼のようであり、少年が池に投げ込んだ猫は自分自身であったかもしれない。死と再生の儀礼。
70年代初頭の時期は、筒井康隆が大きく転回するサカイ目。
73年には小松左京「日本沈没」も出現し、日本SFもまた区切りの頃。
SFというジャンルが時代の寵児になる一方、何がSFであるのかわからなくなっていく時期。華々しいように見えて、じつは過酷な上り坂が延々と続く。
筒井康隆の作家としての本気・徹底がここから始まる。坂道をうんうんと石を押して登り続けます。
文学の領域を侵犯し、元いた場所からも新しく行った場所でも、よく理解されないままの、孤軍奮闘。
宮澤賢治の「注文の多い料理店」のように、彼は逆転したイケニエとして自己を捧げることで、死と再生の儀式をおこなったのかもしれません。
「乗越駅の刑罰」がたんなるホラーを越えて記憶に焼きつくのは、そのせいのようです。
>フレイザー「金枝篇」
いやー、さすが国書刊行会、いい本出版してますねー。
そうか、そうか、しっぽの短い猫は食べない方が安全なのか。
ふむふむ。
ややっ?お向かいさんが飼っている猫のしっぽが短いのは、
食べられないようにするための対策だったのか。
ふぅ、世の中にはさりげなく呪術が浸透しているのね。
気を付けなくちゃ。
>猫の音楽とか猫ばやし
で、思い出したんですけど。
ヨーロッパの劇場で、「観客が舞台の出来に不満で
生卵とかトマトを俳優に投げつけた」
なんて話を聞いたりしますが、
猫を投げつけることもある、らしい。
生卵とかトマトとか猫とか、
投げつけるために用意しているのかな、観客。
生卵とトマトと猫が同列、というのが凄い。
「金枝篇」、いつかは読むぞと思ってはいたんですが
そういうことがいっぱい載ってる本だったのですね…
これはツン読にしておいて、折に触れて広げるのが
正しい読み方の本のようですね?
「全部読んだら負け」タイプの本なのでしょうか。(笑)
ちなみにうちの猫の尻尾はすらりと長いです。
てか、喰うなーッ!
「オルオラネ」、私も思い出してたんです。
でも出さなくて良かった。
overQさんの記事で読んだ方が絶対面白いですもんね♪
>ネコは食べ物
ちょうど、「ヒトはなぜペットを食べないか」という本を見つけ
「そうだよなあ」と思ってたところなんです。
やっぱり、食べてたんですね、昔は。
どのあたりから「食べない」という心理になったのか
気になります。
>猫の音楽
私が読んだ『猫文学大全』では
猫とバイオリンの組み合わせが多かったです。
ラヴクラフト、読みたいと思いつつ、
幻想さには惹かれるものの、ホラーテイストがなあ…
と手を出せずにいます。
ああ、でも「ウルタールの猫」、「猫の泉」に似ているなんて。
よ、読みたい…
猫って、ホラーがとっても似合いますよね。
★菊花さん。
罵倒の言葉や生卵と、等価なものとしての、猫。
とっても興味深いです!
ヨーロッパは14世紀にペストがはやって、
その後しばらくはきっと、ネズミを取るネコはものすごい益獣となったはず。
人間よりずっと大切にされたかもしれません。
それで増えすぎたのか…だんだん零落していくように思えます(;・∀・)
ドン・キホーテの中でも、猫は虐待の餌食になってて、
ヨーロッパでは近代になるにつれ、えらい目にあっていくようです。
「シャリヴァリ=猫の音楽」。
もとは村社会で、共同体のおきてを破ったものを制裁するものだったのですが、
都市に流入した人々がそれを持ち込み、
やがて演劇として大流行したそうです。
そして、パリ、ベルリン、ロンドン、ウィーン…と都市部に伝染。
革命の火種となっていくらしい。
これに共鳴した流れ者たちは、自分の運命と、虐待される猫を重ねたんだと思います。
物悲しい話です。。
★四季さん。
猫さん、尻尾長いですか…おいしそ〜(;・∀・)
「金枝篇」は、いちばん大きな主題がイケニエなので、最終的には猫ではなく、ニンゲンさん(というより王や神)の例が怒涛のように出てきます(´ヘ`;)
とはいえ…ですね、かわいい話もいっぱいあって、
例えば、風には結び目があり、これを解くすべを学べば、
気象をコントロールできるのです(とって付けたようですが…汗
金枝篇のすごいところは、これだけの話を、よくも集めたってこと。
多種多様な話が出てきて、
結局、フレイザーは「フレイザー学」という焦点を結ぶよりも、
まとめようもない人類の拡散を体現しているかのようです。
それにしても、大英帝国への文物・情報の集中の異常さ。
世界がそこだけに集まってしまった感じがします。
そして、そのほとんどが、今はもう、当時あった形では失われています。
伝えられてることが本当かどうかも、確かめようもないものも多いのです。。
★LINさん。
ペット(愛玩)、虐待、食べる。
この三者は、たぶん、べつべつな極になってて、
しかも相互に強い磁力で結ばれてて、
かなり難解な問題だと思います。
私にはこの問題は、とうてい解けないです。
これは、「猫」を子供やアフリカなど都合のいい弱者に読みかえると、いきなり生々しい問題になってしまいます。
同じ問題の枠内に、人類は太古よりずっと留まってるようです。
ラヴクラフト。
おすすめはこの作品じゃないですが、最初はどれがいいのでしょう(;・∀・)
これは他の作品と連動すると面白いのですが、これだけ読むとそっけないです(笑)
ラブクラフト、どこから読むべきなのか。
全体でひとつの作品…というような趣きがあります。
大傑作というと「狂気の山脈」ですが、これはポーの「アーサー・ゴードン・ピム」の続篇、という形になっています。
しかも、初めてこれだけ読んでも、世界観がわからないので、なんかよくわからないかもしれません。
かなり、手ごわいです。
だから、死んだ後になって(全集になって)、初めて理解されるようになったんですね。
当人には気の毒だけど、この形でしか、たしかに表現できないものです☆
こんにちはー。
おお、猫と呪術。そして境界に存在するもの、虐待されるものとしての。
「金枝篇」、凄いですね。世界がそこだけに集まって…って、いつもながらoverQさんの世界のことです(・△・;)
古代エジプトで、仔猫の首を折ってミイラにしたものが供物商品として高価に売買されていた…というのを思い出しました。。
罵詈雑言・生卵・トマトと同列の猫…(汗)
★天藍さん。
猫さんたち、扱いやすい大きさのためなのか、どこでもよく虐待されたり、イケニエにされてりしてますね(;・∀・)
エジプトの時から、そうだったんですね。。
イケニエという風習は、最初は狩猟民が海幸山幸の再生を祈って捧げたんじゃないかと思うのです。
狩猟は獲り過ぎるとすぐ獲物が枯渇するから、自然への畏敬の念が強かったのでは、と。
でも、都市ができて、獲物を町で売って、他のものと交換できるようになると、イケニエの性質が変化してくる。
それで、呪いとかになっていくような気がしています。
狩猟と農耕が対比される場合が多いけど、
じつは「狩猟・農耕」と「都市(市場)」が対比してるじゃないかと考え始めています。
おはようございます。
このたびはご参加ありがとうございました。
ダークな猫の歴史…。
呪術に食べ物…呪術はありそうだとは思ってたんですけど、食べるもあったとは。
犬は赤犬(でしたっけ?)が上手いという話があったと思うのですが、
猫だと三毛が上手い、いやキジトラがという話題になったのでしょうか(笑)
『猫弾きのオルオラネ』懐かしい〜。
私が読んだのはコバルト文庫のでしたわ。
★むつぞーさん。
主催者さま、ご苦労さまです☆
尻尾の短い猫のいる理由。
…これはニューギニア近辺の島の話なんです。
よく考えてみると、
「太陽はなぜ西から昇るか」とか、
「蛇にはなぜ手足がないから」とかと同じで、
神話や伝説によくある、「説明もの」になっています。
だから、ひょっとすると、ほんとは食べてなくて、
島に来た西洋人が真に受けてしまっただけなのかも…と今思いつきました。
どうなんでしょう(笑)
オルオラネはういういしいです。
夢枕獏という人は、どこか端のほうからフラッとやって来たような感じがあるけど、
この作品にはその飄々とした風が吹いている気がします!
「青きドナウの乱痴気」と「猫の大虐殺」を書店レジに二冊セットで持って行く勇気のない私は、やはり、アマゾンさんにお願いしようと思う、そんな夜更け、なのです。
Posted by:★ne_sanさん。
「青きドナウの乱痴気」と「猫の大虐殺」はともに、民俗学・人類学を使って歴史を読み解く方向のもの。けっこう赤いです(笑)
徳川時代後期の国学って、神々のことを調べるとともに、全国津々浦々の伝説・習俗も集めてて、民俗学の先駆になっています。
先生の下に弟子を取り、弟子の下にその弟子を…という、いわゆる講(ネズミもあるけどw)の形をとって、全国津々浦々に。
彼らのひそかな目標は、倒幕。反体制です。今はウヨですが、もとはサヨ。
柳田国男はこのことを意識してて、自分の学問を新国学とビミョーな呼び名で呼んだことがあります。
あー。
やはり結構赤いんですね…。
どのみち、日本に限らず、民衆の生活史を扱う場合、微妙なラインに抵触せざるを得ず、結果として赤っぽくなるのかもしれないですね。
網野善彦とか、阿部謹也とか。
★ne_sanさん。
「乱痴気」というだけあって、革命というより、阪神タイガース優勝のようです。
フーリガンというか、ポチョムキンというか(いや、これは革命かw)
時の変わり目で、歌舞音曲が鳴り響く…というのは、人類の定説みたいです。
藤村「夜明け前」は、平田篤胤門下の国学の徒の話。
地下水脈となって幕府(国家)転覆をねらうテロリストの暗い瞳の物語…と言えなくもないです。
ウヨさんたちは、もともとは赤かったのです。猿田彦も赤面の天狗なのですが。。
overQさん、はじめまして。
今回初めてたら本に参加して、TBさせていただきましたのでご挨拶にうかがいました。
フレイザーの『金枝篇』は人殺しの祭司の話から始まるんでしたよね。
それがいけにえの主題までどう発展するのか気になります。「黒いサンタクロース」の記事と合わせて、とても興味深く拝見しました。
またシャリヴァリについては、ついこの間レポートの題材にしようかと思っていたところでしたので、取り上げていらっしゃってびっくりしました。イギリスでいうラフ・ミュージックやスキミントンですね。
Le Retour de Martin Guerre という日本未公開のフランス映画があるのですが、これに出てくるシャリヴァリの描写がなかなか真に迫っていそうでおもしろいですよ。
それでは、初めてのコメントで長々と失礼いたしました。
Posted by:★マオさん。
はじめまして!
このところ、民俗学人類学関係の本をよく読んだりします。
シャリヴァリは「似たようなもの」を探していくと、いろんなところに見つかるようです。
結婚式やクリスマスのパーティーでクラッカーを鳴らしたり、
お祭りで鉦や太鼓を鳴らしてあるいたり。
節句という節目、境目で音を鳴らす習慣は、人類にとってとても古く、普遍的みたいです。
シャリヴァリ。
もとはケルトやゲルマンの頃から(おそらくもっと古く石器時代から)、ヨーロッパの地方地方にあったものなのでしょう。
近代になって都市に流れ込み、都市社会のアウトカーストな人々のうちで、形を変えてよみがえり、革命の気分と重なり合っていった…というのが、大筋の流れのように見えます☆