昨夜はBSで「犬神家の一族」を見ました▼・ェ・▼
犬神といえば、猿田彦シリーズでは、けっこう何度も登場してきたもの。
犬の首を使った呪いの術。
最初は夢野久作「犬神博士」。
この時は呪いの術としての犬神というより、小説の主人公の、名もなき旅芸人の少年が、猿田彦=アメノウズメの化身のようであったから。
でもすでに、マディ・ウォーターズの歌に登場する、ブードゥのウィッシュボーン(願をかける骨)…Black Cat BoneやMojo Toothが、犬神じみたものであることも連想したのでした。
→猿田彦幻視行・勒 「フーチークーチーマンの伝説」
その後、白川静翁の漢字研究で、サイ=口が重要な呪具であるとわかり、ここでまたしても犬神が登場。
「哭」とか「器」という漢字は、犬をイケニエにし、その血をサイという聖杯に受けたことを示すものだった。
キリストの血を受けたホーリー・グレイルが聖なるものとされるのも、じつはこの風習が残響しているのではないか…という憶測もしてみました。
→賊猿幻行・無 「サイって何? その弐」
犬じもの 道に伏してや 命過ぎなむ
山上憶良が、旅の途上で死んだ大伴熊凝を悼み、彼の気持ちになって詠んだ長歌(万葉集/巻五 866)の最後のフレーズです。
犬じもの。「道」を枕詞風に修飾する、「犬のごときもの」。
肥後国(熊本)の大伴
相撲取りを都へ連れのぼる一行にお供している途中、安芸国佐伯郡(広島)で亡くなります。享年18歳。
道の途中、人生の途中で死んだもの。サカイの子。
行路死人歌、と呼ばれたりします。万葉にいくつも、このタイプの歌がある。
行き倒れの人を丁重に弔うのは、古代の重要な風習。
そもそもは路上の死者はマレビト=神であり、その骸を弔うのは道の巷を聖別する儀式だったようです。
白川静によれば、「道」は異族の首をかかげて進んでいく様であり、また犬をイケニエにして道を清める風習が、「哭」「器」といった文字に反映している
…このことはすでに書いてきました。
一方、犬神の呪術は、犬を頭だけ出して土に埋めて餓えさせ、エサをそばにおいて発狂させた後、首を切り取り、そのミイラを呪具として用いる、呪いのワザ。
また、ミイラにした犬の首は、往来の激しい道に埋めて、交通する霊気を吸収させて、強い呪いのツールとして養成します。

犬神の術は、いつの間にか呪いの術になってしまったけれど、もともとは道を聖化するものだったんじゃないでしょうか。
「道に埋めて人々の往来により霊力を増す」というのが、その名残りのように思えます。
白川翁の漢字の話と犬神を結びつけると、そんな解釈も出てきそうです。
そして、行路死人を弔う歌に現われる、「道」を枕詞風に修飾する言葉としての、「犬じもの」。
これは、犬のイケニエによる道のキヨメの風習が底に響いているのかもしれません。
犬死という言葉もあります。
今ではいい意味に使われませんが、路上でのたれ死ぬ人がもはや神ではなくなった時、「犬死=無意味な死」というイメージに転換してしまったように思われます。
まさにカミの意味が見失われてしまったのでした。
本来の犬神…道を聖なるものとする風習は、この列島のより古い民が持っていたのかもしれません。
大伴熊凝は佐伯郡で死にました。
佐伯は、讃岐や安芸や阿波や播磨などにある地名。人名としても一般的です。
佐伯とは何か。
5、6世紀ごろ、大和朝廷の征服によって捕虜になった蝦夷(アイヌ人)が、佐伯部。(渡辺照宏・宮坂宥勝「沙門空海」)
風土記では、佐伯は土蜘蛛とも呼ばれ、穴居していたと書かれています。
サヘキは、「騒ぐ」とか「さえずる」と縁語らしくて、わからない言葉を話すバルバロイだとする語源説があり(司馬遼太郎「空海の風景」)、またサイの神と結びつける説もあるらしい。
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by AMAZ君(改)
佐伯部は讃岐・安芸・阿波・播磨などに配置された。
彼らを管理する国造は、佐伯直の姓を賜る。
さらに中央で地方の佐伯を管轄したのが、佐伯連。(「沙門空海」)
この佐伯氏と大伴氏は非常に近しい関係。
大伴熊凝が佐伯郡で死ぬのはつながりがあります。
佐伯連のご先祖さまが、大伴室屋(新撰姓氏録)。
大伴室屋の祖霊は、天孫降臨の際に随伴(=大伴)していた道臣命。
また「道」が出てきました。
犬神の風習は四国や中国地方のものらしいですが、佐伯の配置とそこはかとなく重ならなくもないのです。
佐伯さんは道を清め、道そなえする。道の呪術に通じ、道の土木や石のしるべを知るもの。異族への交渉・圧力といった荒事もしたかもしれない。
道―犬神―行路死人―佐伯―サイの神
縄文人、とでも呼んでみる存在を背景に、ぼんやりとつながりが見えるような見えないような。
そして、讃岐の佐伯氏からは、やがて日本一有名な佐伯さんが登場します。
佐伯真魚(さえき・まお)。
僧としての名は、空海。
空海のことは次回あつかう予定です。
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by AMAZ君(改)
さっきの山上憶良の歌、もう少し前のところに、
玉桙の 道のという表現が出てきます。隈廻 に
「玉鉾の」が道にかかる枕詞。
「犬じもの」はこの歌しか用例がないのですが、「玉鉾の道」はたくさん出てきます。
鉾といえば、祇園祭の鉾。
祇園祭に限らず、多くのお祭りで鉾はマストアイテムですが、これは道を清める呪具(白川静)であり、ここから神の依りつく「玉鉾の」が、道の枕詞となるようです。
祇園社に属し祭りをおこなう清水坂の坂の者は「犬神人(いぬじにん)」と呼ばれました。
中世のことです。たぶんに差別的な呼称。道を清める役。
路上の死骸を片付ける(道のキヨメ)などさまざまな雑役に従事し、柿色の覆面姿。荒事を得意とし、歴史のさまざまな局面で重要な役割を果たします。アウトカーストであるがゆえに可能な荒業に従事する(徳川時代の「お庭番」という隠密・忍者とも類縁するらしいのです。四乃森蒼紫を思う)。
覇者とならんとするものたちは、彼らをコントロールすることに躍起だった。
網野善彦さんをはじめ、中世の研究者の著作に、詳しく描かれています。絵巻物でもあちこちに顔を出す(顔は出さないのだけど)謎めいた存在。
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by AMAZ君(改)
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by AMAZ君(改)
古代以前では、世界はまだ未知に取り囲まれており、道はどこかとどこかを結ぶ線ではなく、どことも知れない彼方に通じる、謎の通い路。
そこを通ってやってくるのはマレビト。
でも中世あたりまで来ると、道はだんだんとただの通路になってくる。地点と地点を結んでいるに過ぎない。
やって来るのも、かつては神だったけれど、やがて敬意を払われなくなって鬼となり、ついには霊力を失ってただの肉となる。
おそらくもともとはアイヌの熊送りのような死と再生の儀式。生と死をつなぐサカイとしての道に関わるものだったはず。
それが、だんだんとただの死体処理のように思われていく。
サカイへの感性が失われていく、ということ。
ただ、芸能や職能のような異能の場では、サカイの感受性を尊重する風が残る。
ファンタジスタと呼んだりするあの神業の感性が、サカイの感覚。
制御し得ない力の流動をとらえ、ときめく感受性。
もっと好い言葉が見つかるかも知れぬが、今は仮に“霊地感覚”と名づけて置くとしよう。人が寂しい山野の間をあるいて居て、不意に何とも言えない異常な心の動きを覚えることがある。それを我々の先祖たちは、先ずその地点がもつ特殊の力と解して居たのである。たとえば路の辻、川の落合い、山の峠に近い柴折塚から、いわゆるサイの川原の石積みまで、同じ体験が積重なるにつれて、霊地の目に見えぬ力はますます加わり、後々はひとつの信仰体系を長養したかと思われる。東日本の広い山野では、私などの少年の頃まで、そうした新旧の遺跡が充満して居た。
柳田國男「民俗信仰の跡を繋ぎ留める」昭和33年
犬神人は柿色の覆面という異形の姿をしていました。
「もののけ姫」で病をわずらったタタラ場の人々が、この姿で描かれています。
柿というと、万葉集では柿本人麿。
人麿もたくさん行路死人歌を作っていますが、柿本氏というのが、どうも行路死人を弔う儀礼に携わっていたらしい。柿色はその色。
…と、この説は折口信夫か柳田国男の著作で読んだと思うのですが、どこだったか忘れちゃったよ(;・∀・)
ノートのどこかにメモってあるんですが、発見できずorz
じつのところ、万葉集が作られた動機が、行路死人を弔う石器時代的な風習とかかわりがあったかもしれない(だって旅の歌ばっかりだもん。なぜにそんなに旅するのか。寅さんみたい)…という話を書いてみたいのですが、長くなったのでまたの機会に(それまでにノートを整理しなければ)。
人麻呂は自分が行路死人になってしまうのですが、行路死人と一体化して詠むというのが、憶良の大伴熊凝の歌にも見られて、それが弔い方の真髄だったのかどうか。イヨマンテはそんなものらしいのですが。
団十郎の柿色もこの流れにあるのかなぁ。
いろいろわかってきたとはいえ、さらに謎は深まるようです。
連休中に猿田彦シリーズ、終われるだろうか…終わりたい(笑)