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鬼のカタリ・後篇

written by overQ
May 19, 2007

鬼。この列島の先住民の残した痕跡のひとつ。
もともとは絶対多数派で、そもそも我々の直系のご先祖さま。
いろいろゆえあって、その来し方を隠したりあらわしたり。
かくして、ありとあらゆるところにその痕跡をとどめている。

百鬼夜行と葵祭

前回の続き。

何を書こうとしてるかと言うと、
百鬼夜行のことです。
じつは葵祭が、百鬼夜行の元ネタではないか、
…という根も葉もない憶測(;・∀・)

葵祭は、加茂氏にとって
(あるいは平安京よりはるか以前の先住民にとって)
きわめて古く重要なお祭りのはずだけど、
応仁の乱の頃から元禄まで、200年ほど、
途絶えてた時期がある。
じつはそのときも、一部「有志」が、
祭りを続けていたんじゃないか。
それがやがて、百鬼夜行と
呼ばれるものになる
…というような線で、
ありもしない根や葉を、
伸ばしてみようという魂胆(゚ー゚*)

ふたつのことがある。
ひとつは、鬼と呼ばれたのが
どんな人たちだったかということ。

前回は、それを書こうとしました。
金太郎(坂田金時)という、カタリのヒーローが、
鬼退治の四天王なのに、なぜか
一方では、鬼自身の属性をもって、
カタられてきたこと。
そのカタリ手もまた、鬼の来歴。
土蜘蛛の塚は、同時に源頼光の塚でもあり、
頼光はヨリミツではなく、ライコウ(=雷公)と呼ばれたこと。
などなど。

…今回は、それとはまた別な角度から、
見ていくことにします。

もうひとつは、平安京以前、
はるか以前のこの地域の生活。
先住者たち。
京都の北のあたりは、加茂氏の地。 *1

春に山から降りてくるもの

加茂氏的世界

冬の間、八瀬や上賀茂のような山里にこもり、
春になると、狩猟と採集の場である
下鴨や紫野に降りてくるもの。
新緑の頃、山で新生した神(ミアレ)を、
鴨川の合流点である下鴨に運んでくるもの。
自然の新生したパワーの伝道。
その名残りが御蔭祭。

お運びする神さまでもって、狩場の道々を聖化する。
…それが、葵祭。
もともとは、御蔭と葵は、一体のもの。
新生した神をもって巡行し、
道の辻々、これぞという特異点を感じたら、
そこをサカイとして、カミをおろしていく。
カミは分割してもそのパワーが減らない存在。

「道」といっても、ワダチも舗装もなく、
ただの野っぱらだった。
神さまが巡行したそのルートが、
その年の狩猟採集の道となる。

S+Kの正体。
ひとつはその年の聖化された道の辻々。
神である自然との
交換(=モライとイケニエ、狩猟採集と死出)の場。
そして各所から来訪する民どうしが、
たがいの神となって、物々交換をし、
男と女が交わる場所。
物を交わす市であり、歌を交わす歌垣。
交換と交歓の場が、道のチマタであり、
サカイ=S+K。

…これが、昨年秋から京都を歩いて、
到達した結論。
根も葉もない憶測ともいうが(;・∀・)
でも、根の国は、妣(ハハ、いざなみ)の国。

河原の春

とはいえ、山の民というものは、
一般に、春になると山から下りてくるもの。
河原のような場所にキャンプして、
狩をしたり採集したり。
やがて大規模な農耕が発達し、
定住する里の民が発生すると、
里の人たちと物々交換。
大原女や白川女なども、
そんな太古からの名残りかと思う。
サンカと呼ばれた人たちのことを思えば、
驚くべきことにそれはつい最近まで(今も?)、
続けられていた可能性がある。

水のある場所が便利なので、
河原や橋、渡渉地(ワタリ)にロケーション。
春には新生した荒神(アラカミ=新神)も
山から一緒に連れてきて、
春キャンプに定着させるべく、
お祭りもやる。
舞や歌。大地の踏み鳴らし。道のキヨメ。
河原者の起源。 *2

やがて交換場であるサカイが発達し、
市となって、ついには「富」があらわれる。
富はサチとちがう。
サチは、交換の瞬間だけ出現する。
でも、富は永続する価値。蓄えられる価値。
財産の私的所有のはじまり。

すると市に定住する者も出現。
交換で身を立てるものであって、
市では、自分から道をキヨメ歩かずとも、
向こうからカモがネギをしょってやってくるので、
停止しながら、わらしべ長者がいとなめる。
財産を守る意味でも、定住は好ましい。

市が定着し、富が蓄積する。
河原の生活は狩場を失うが、
市に関わり、いろんな形で、
住み着くものも現われる。
商品を作る職能、
人を集めて価値の幻を生む芸能。
どの道、住みにくくなったら、
また流れていけばいいさ。

こういう生活者は、さまざまな曲折を経つつ、
長く長くつづいた。
まあ、寅さんまでつながる、といってもいい。
車寅次郎という名前。
「車」は、江戸の非人頭がこの姓を持つ。
もともとは車夫や博労(馬喰)あるいは香具師、
人や物、カミとカタリを運ぶ、
渡世の職人の呼称でしょうか。

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クルマ争い

源氏物語、葵の巻。

葵祭。もともとは賀茂祭と呼んだ。
つまり賀茂の巫女さんである斎王の祭。
これを見物しようと、クルマで出かけた
六条御息所は、光源氏の愛人。
正妻の葵の上のクルマと鉢合わせ。
クルマを引く若衆たちがどやどやと、
ケンカをおっぱじめる。
祭り見物の場所取り。
「そこをどかねえか」
クルマの形から、乗り手の
微妙な身分のちがいをかぎつけ、
よりよい場所を巡っての小競り合い。
物々交歓から鍛えた、価値のビミョーに
敏感な鼻だ。

これが車争い。
お忍びで来ていた六条御息所は、
正体がばれ、クルマも壊され、大恥をかく。
この屈辱から、やがて生霊となって、
葵の上を苦しめることに。

ここで、荒事をする、
血気盛んな、車引きの若衆ら。
暴走族。そこんとこ、夜露死苦。
年かさの者らがなだめても、
まるで言うことをきかん。
理由なき反抗。大人はわかってくれない。
寅さんのご先祖たち。
すでにこの時点で、御息所という鬼女は、
自己破壊的に、車夫らに
とり憑いていたのかもしれない。
辻=クロスロードの歌舞音曲の神。 *3

紫、篁、閻魔、検非違使

ところで、紫式部のムラサキ。
源氏物語の紫の上から由来するのですが、
紫野と関係があるとも言います。

紫野は、本来の御所の真北にあたり、
中心には、賀茂の斎王の住居(斎院)がありました。 *4
御所―斎院―上賀茂神社。
北に一直線のライン。

Google マップ―「葵祭への道」ベータ版…だいぶ充実してきましたヽ(´ー`)ノ

これを巡行し、上賀茂に一泊したあと、
斎王を連れて戻る
…というのが、本来の葵祭、すなわち賀茂祭のルート。
貴族たちが車の派手さを競って、
巡行そのもの以上に、牛車くらべが見物だったとか。


伝・紫式部の塚

ともあれ紫野は、賀茂の聖地。
(ムラサキもS+Kだ。)
船岡山もあって、平安京以前より、
セメタリー(埋葬地)だったみたい。
紫式部のお墓とされるものも、
このへんにあります。
小野篁といっしょにまつられてて、
紫と篁の組み合わせが不思議。

紫と篁

ところが、それは千本えんま堂もそうなんです。

小野篁は、珍皇寺の井戸から地獄に通い、
えんま大王の補佐をしていたとカタられる人。
つまり、井戸という黄泉のサカイを通じて、
あの世と交歓できた人。
珍皇寺は、五条(今の松原)清水坂の上り口。
その地は、六道の辻と呼ばれるまでの、サカイ。

お地蔵さん(=えんま)だらけのお寺、珍皇寺。
平安京以前の遺物が出る場所であり、
先住民の大切な聖地だったかもしれません。

千本えんま堂もまた、篁が
えんま像を置いたのがはじまり
とされています。
えんまは地獄の道先案内として、
その正体は地蔵菩薩とカタられます。
えんま堂には、紫式部の供養塔がある。
ほんとは六条御息所を
まつりたかったのかもしれない。


えんま堂・紫式部供養塔

平安後期から、検非違使と呼ばれる存在が、
京の治安をつかさどるようになる。
警察と裁判をかね、鬼とエンマを
連想させるアラゴトもした。 *5

検非違使と小野篁は何か強い関係がある。
「篁=エンマ、検非違使=鬼」と
単純に図式化したいほどの結びつきが。
五条清水坂の珍皇寺と、
千本のえんま堂という場所に、
篁がまつられているのは、深い意味があるはず。
彼は鬼たちのヒーローだったのか。


小野篁の塚

そして、そこに紫式部がともなうこと。
篁・紫の墓所とされる塚が、先住民の聖地にあるということ。
紫の塚の形状は、前方後円墳にさえ見える(気のせい)…。
史実としての篁・紫の墓というより、
先住民にとって何か大切な塚だったと思います。

船岡山を中核とする地帯で、
先住民のセメタリー(墓所=サカイ)のはず。
牛若丸伝説の遺跡がいっぱいある場所でもある。
金太郎同様、山で育った童子、牛若。
笛を吹いて、弁慶との出会いは、五条橋。

先住民の血を自覚するものたちが、
タカムラ・ムラサキ・ウシワカを、
あえて自分たちの聖地に本地垂迹させてみた。
そう憶測してみる。

賀茂祭という、道キヨメの主意を持つはずの祭りで、
検非違使はずっと後まで、一定の役割をにない続けた。


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それにしても、なぜ紫式部なんでしょう。
鬼のカタリの中で、篁と紫は隣接している。

言われているのは、謡曲「源氏供養」。
紫式部は愛欲の狂言綺語を書いた罪で、
地獄へ落ちたとされるが、
じつは式部は観音の転生で、
源氏物語もこの世がはかない夢であると、
知らせるものがたりであった、と。
篁(地蔵尊?)がえんま様に口利きしてくれて、
紫式部が救済されるということでしょうか。
石山寺が舞台。小野氏と関係あるのかな。
コラム・怨霊の『源氏供養』 

…まだ、何か、謎が隠されている感触。
どこかにすでに調べてる人がいるはずだ☆
これまでも、新発見と思ったことは、
まずたいてい誰かがすでに書いてたんだもの(;・∀・)
まあいろいろ、書と京を読み歩くうち、めぐり会うこともあるでしょう。

…また長くなっちゃったよ( ;´Д`)

後篇であるにもかかわらず、今回も百鬼夜行に到達せず、
次回へと、片目をつむって地団駄踏みつつ、サイクロプスは去るのだった。。


*1 : 加茂氏自身が先住者なのか、
先住するものの上に天下ったのか、
あるいは金太郎のように先住者だけど、天下ったかのように称するのか。
それはもうわからないですが、カモという名前より以前から、先住する人たちはいたはず。
土蜘蛛のクモと、カモ・クマ・カミとつながる音なのは気になるけど。
なお、京都の南は、秦氏。西国とつながる五条(松原通り)あたりから、伏見稲荷界隈。
*2 : 屋根の瓦をカワラというのは、河原者が土器制作の技術を独占していたからだろうか? オマンコに毛がない女性をカワラケというのは、なぜなんだろう。川と革はつながるのだろうか?
*3 : 彼女が六条京極に住んだのも気になる。
五条に近いこの地は、天神や道祖神を祭る場所。
*4 : 今は、そこに七野神社があります。
たいへんわかりにくい場所です(;・∀・)
地元では春日神社が通り名。
賀茂の斎王は鎌倉時代に廃止され、
今は斎王代という代理の乙女を、
毎年選んで、葵祭をしているわけです。
*5 : 検非違使、北面武士、六波羅探題。上の人たちはすげ替わっても、下でアラゴトの実務を担当したのは、同じ面々だったのではないでしょうか。


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