きのうは端午の節句。
かしわ餅を食べ、ピアソラを聴きました。
ラ・カモーラ:情熱的挑発の孤独
アストル・ピアソラ
¥ 2,520 / ダブリューイーエー・ジャパン
( 1999-06-23 )
by AMAZ君(改)
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4日の夜は、千本えんま堂の狂言を見てきました。
壬生狂言とちがって、えんま堂の狂言はしゃべりがあり、わかりやすいです。
1000人ほどの露天の会場は、笑いの渦でした。
小学生なら十分わかるようで、子供たちにも大うけしてました。
演目は、
・でんでん虫
・にせ地蔵
・道成寺
最後に儀礼的な「千人切り」というのをやります。
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「でんでん虫」は、「♪でんでんむしむし、かたつむり」という歌の元ネタ。
長寿の薬になるカタツムリを、召使い(太郎冠者)に取ってくるように言いつける主人。
しかし太郎冠者はカタツムリというものを知らない。
主人は「頭が黒くて、腰に貝をつけ、角を出す」と教えてやる。
すると太郎冠者は、山伏を見て、カタツムリと思い込む。
山伏は黒頭巾で、腰にほら貝。さらに太郎冠者をからかって、角を出すモノマネ。
主人のところにカタツムリ=山伏を連れて行こうとする太郎冠者。
山伏はでんでん虫の舞をいっしょに踊ってくれたら、行ってもいいと。
二人で舞々を踊るうち、主人がやって来て、あきれ返る…というお話。
山伏という異人をめぐるコントです。
鹿角の杖を持ってたり、皮の腰当、隠れ蓑、角、柿色、ざんばら髪。
山からやって来る鬼の匂いのする人。
仏教では 聖。空也や革堂の革聖。
壬生狂言では福の神=鬼。
童子と呼ばれたりもする。サカイに住む人。
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要するに、狩猟採集生活の人々が、いろんな形で、まだまだたくさんいたってことらしい。
定住よりも旅を、生活の中心とする人々。
物流も物づくりもその人たちがになっていて、歴史上、覇者となろうとするものは彼らの力を利用する。
移動生活をつねとすることから、道とサカイについて、独特の思考を持っている。
地理上のサカイだけではなく、
生と死、男と女、ヒトと動物、子供と大人、季節の分かれ目
…あらゆるサカイに通じていた。
サカイとは、旅をすみかとするものにとっては、中心に対する端っこじゃない。
中心を持たず、すべてが道であり、サカイだから。
サカイとは、道の中の特異点。チマタであり、道が集まる場所。
遊行するものが集合する、市と祭の場。人と富の出会うところ。
サカイはたぶん、「盛り」や「栄」と通じている。
やがてサカイに定住する人々が現われ、市が都市となる。
交換の瞬間だけ現われ消えた「富」が、マネーという形で永続するようになって、持つと持たざるが分離する。
覇者が出現し、「歴史」が生じる。
出会いの場であったサカイが、境界となって、端っこに追いやられる時。
でも、もともとは人類はみんな「歴史のない」生活をしてたわけで、その生活習慣が各所に残る。
端午の節句にかしわ餅を食べ、菖蒲や蓬の新緑を薬とするのも、節分に豆をまくのと同様、その名残り。
おおむね、結論にまで達したような感触がある、今日この頃。