お化け屋敷のお化けを恫喝し、
あははの辻方面に引越しさせた三善清行。
「夜歩く4・お化けのお引越し」で書きました。
その清行の息子・浄蔵は霊験あらたか、
「見る」ことができる僧として、カタられる存在。
実際、「空也誄」でも、見る人として登場。
空也が本当にとうとい存在であることを見抜く。
浄蔵、一比丘(=空也)を見て、大いに驚く。
浄蔵は善相公の第八の子にして、善く人を相(み)る。
父・清行=善相の漢字をそのままもどいて、
「善く人相る」としてあるのが面白いです。
浄蔵は空也上人を上座にむかえ、食事をさし上げます。
その飯三四斗ばかり。
重ねてまた飯を与うるに、またこれを食す。
比丘去りて後、尽きしところの飯、もとの如くありき。
浄蔵相(み)て曰く、文殊、空也の行に感じたまえりと。
この話、なんか似ています
…「錦小路」の由来を説明する、宇治拾遺のウンコのお話と。
あのエピソードでは「見る人」は、九条殿。
彼にだけ見えた、大食いの聖の聖性。
聖は、餓鬼や動物の霊をパレードのように引き連れ、
これらに功徳を施すため、喰いまくっていたのでした。
空也の話は、このエピソードの断片みたいに見えなくもない。
「空也誄」ではこのあと、
デカすぎるカエルを食べたせいで、
口が裂けてしまった蛇に、
空也が説教するシーン。
毒獣毒竜毒虫の類、錫杖の声を聞き、菩提心を発せよ。
そう言って、空也が杖を振り鳴らすと、
蛇はその音を拝聴するようであったと。
「カエルを食う蛇」に「毒獣毒竜毒虫」というと、
ちょっと蟲毒の術を思い出すのは、考えすぎかしら( ;´Д`)
でも、そうした古代の風習が、
仏教に置き換えられていく時代のさまを、
象徴してるようなシーン。
空也はどんな人だったか。
史料も少なくてほんとのところ、
よくはわからないようです。
ただ、山人の気配を、感じさせるところはある。
鹿角の杖、革の腰当、
井戸掘りや道の整備など土木にすぐれ、
杖を使って水脈を探るダウジング。
単独ではなく、空也グループであったはず。
また、市の物流とシンクロした
ネットワークで、広く全国を行く。
尾張、播磨、阿波、陸奥出羽。
のちの山伏のようなルート。
将門純友の時代でもあり、
空也がどんな人脈とつながっていたか。
京では藤原師氏と結ぶようにカタられるのですが、
どういう意味があるんだろう。

錦小路を西に進み、アーケード街を抜け、
烏丸と堀川のあいだのあたり。
ここは空也町。
かつて、空也道場があったあたり。
ここにあった空也寺は、
のちに秀吉が移動させ、今は寺町の電気街にあり。
また空也堂(紫雲山極楽院光勝寺)はすぐ北にあります。
こちらは、かつては鞍馬にあったとか。
錦小路の西の界隈にあたり、
宇治拾遺の錦小路の話と空也の結びつきが
ここにもほのかに見えます。
さて、空也町から南に通る細い路地が、膏薬図子。
膏薬は、コウヤク=クウヤ。
空也の供養の功徳のこととモドく。
空也はコウヤと発音されることもあったようで、
もしかして空海=弘法大師と
重ねて思われたりもしたのでしょうか。
井戸とか土木工事を全国でやるのも、
弘法さんの伝承と似ています。
それにきっと膏薬も売ってたんでしょうね。
図子というのは、辻子とも書き、
ズッコ・ツジッコではなく、ふつう、ズシと読みます。
本来の南北の通りの間に、
もう一本細い通りを通したもの。
秀吉が京の町の再開発として作った、とよく聞くけど、
それだけじゃないかもと思ったりします。
◆京都市内の通り - Wikipedia
また「突抜」と呼ばれるのも、
同じようなものらしい。
「切通し」ってのもありますね。
天使突抜という魅惑的な名をもつ路地。
天使=五条天神を貫くので、この名があるとか。
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図子があると、表通りを通りたくないとき、便利に使えそう。
地図に載せられるような通りになる前からも、
きっと私的な細道としては、通ってたにちがいない。
貴族はお供を連れ、牛車で大通りを行くのが通例。
図子のようなものは、秀吉が明示する以前にもあって、
下層の人々に(ときには貴族らにも)
便利に通り抜けに使われてただろうと。
いわば貴族にとっては見えない道。
そこを通るものはまさに「鬼=陰」。
貴族は陰陽道から「方たがえ」なども言いつけられ、
その日行ってはいけない方角も多々あった。
たいへん不自由な生活をしていたのです。
貴族に見えないもの=鬼は、京の町に多かったのです。
逆に貴族でも事情通のような人はいただろうし、
「見えないもの」が見えると称して、裏でアレコレ画策。
秀吉が図子を明示的な存在にしたのは、
そこを使ってる人々、
その物流をコントロールする目的があったのでは、
とも思います。
秀吉って、まさに自分自身、
「見えないもの」から太閤にまでなった男。
見えないものの重要性危険性がよくわかっていた。
「見える / 見えない」は、どの時代でも、
京の町の重要なキーをになってるようです。
さて膏薬図子には、神田明神があり、
将門公がまつられています。
空也は将門の霊を供養したとカタられます。
また、比叡山にある将門岩では、
浄蔵が霊をしずめたと伝えられる。
◆京都まにあ/通り・町 「膏薬図子」
□GoogleMap : 百鬼夜行を追って
将門にまつわる遺跡は全国にあるそうですが、
柳田は比叡山のものも含め、
唱門師が祭っていったものだと書いています。
音がともにショーモン(唱門=将門)なのです。(そんな理由か…柳田國男「唱門師の話」
…いや、もっとちゃんとすんごいこと書いてありますw)
晴明塚というのも、たくさんあるのですが、
これも唱門師に関わっているものかと思います。
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ところで、空也の鹿角の杖と革衣。
山人のような風貌ですが、
これは空也が鞍馬にいた頃、
その鳴き声を愛でていた鹿がいた。
平定盛という人がこの鹿を射殺してしまった。
悲しんだ空也は、これをもらい受けた、とカタられる。
宇治拾遺物語には、ある聖が猟師の友人に
殺生を戒めようと、自身がケモノに化け、
射殺される話があります(巻一・第七話)
さて、この平定盛とは、将門を討伐した男、とカタリ。
のち空也に帰依、有髪妻帯のまま僧となったと。
やはり革衣を身にまとっていたかもしれません。
じつは将門討伐の貞盛と、
踊躍念仏の開祖にカタられる空也僧・定盛とは、
別人なのですが、サダモリつながり。
*1
しかし、空也と将門をカタりつないで、
のちの熊谷直実のような、
武士がその殺生を悔やんで回心し、仏につかえる、
劇的ドラマをはらんでいます。
鹿角杖・革衣は、空也のオリジナルではなく、
聖の姿としてはすでに定番だったらしい(柳田)。
空也の後には、一条革堂の革聖が登場します。
山の生活をしていた者たち。
もはや石器時代ではなく、山暮らしもままならず、
鬼や夷の討伐のような荒事に駆り出されもし、
寺社が強くなれば法師となってそこに隷属する。
そういうことであったのかもしれません。
(→折口信夫「ごろつきの話」)
前に、金太郎の姿が鬼そのもので、
その坂田金時が鬼退治の武士になる、
つまり、鬼=鬼退治の気配があることを書きました。
空也と将門をつなぐカタリには、
死と再生をわが身で生きる劇的な躍動がある。
「悲劇」という大きなカタリの元型。
将門の首は、四条大橋東詰で
公孫樹(いちょう)の枝に掛けられ、さらされた、といいます。
その後、あちこち飛んだとも伝承される。
首を運ぶ人たちがいたのかもしれない。
行路死人の首を神とまつる、太古の再現でしょうか。
公孫樹のあった場所は、今の南座のあたり。
カタリの、一筋縄ではいかない、生き延びっぷり。
その見事に限りない賛嘆を寄せつつ、添えて百万遍の、
南無阿弥陀仏。
◆路地裏的散策案内・京の平将門
空也の伝承は、まだまだたくさん、
謎をはらんでいます。
それはほとんど、ヒトの謎に重なるようです。