前回まで、空也上人のことを書いてきましたが、
空也ととてもよく似た僧に、革聖・行円がいます。
行円は、鎮西(九州)の出身で、もと猟師らしい。
◆行円 - Wikipedia
帝城にあそび頭に宝冠をいたヾき。身に革服をきけるゆへ、都の人、革上人と呼べリ。―洛陽名所集・巻之一
革の衣をまとう、革聖。
狩人をしていたけど、あるとき射た鹿の傷口から、
小鹿が生まれるのを見て、
殺生をやめ、仏道を志す。
山人の転職。
おそらくは空也もそうだったんでしょうか。
空也の弟子・定盛は、
狩人→武士→僧となっていったのでしたが。
革聖・行円は、空也没後、30年ほどたったころ、
京の町に出現します。
空也や空海同様、橋や道(粟田口)を整備するなど、
土木の公共事業をおこなったと、伝えられます。
革聖のお寺・行願寺は、通称、革堂。
カワドウじゃなくて、コウドウと発音。
今は寺町通りの、丸太町から下がったあたり、
下御霊神社から少し南のあたりにあります。
◆うろちょろ京都:行願寺(革堂)
革堂、もとは一条通りにありました。一条北辺堂。

これはちょうど、一条戻り橋の東詰。
晴明神社から、戻り橋を渡って、一筋目二筋目あたり。
戻り橋から歩いて、1分くらい。
安倍晴明が亡くなるのは、寛弘2年(1005年)。
一条革堂・行願寺が建立されるのが、寛弘元年らしいので、
ちょうど入れ替わり立ち代わり。
まるで式神たちが、晴明から革堂へ転職したような。
(「日本紀略」永祚元年(989)八月十三日条に
「一条北辺堂舎倒壊」の記録があり、
もっと古くからお堂はあったみたいです。)
一条革堂があったあたりは、
革堂町・革堂仲町・革堂西町といった地名が残ります。
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そこからもう一筋東の図子。
大峰図子と呼ばれています。
ここには、大峰寺があった。
役の行者の大峯山ゆかりの寺。
つまりは、山伏修験者たちの道場だったらしい。
革堂の横にあい並んで。
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戻り橋の東に、革堂と大峰寺があったこと。
これは、戻り橋のカタリを考える時、重要そうです。
西側の晴明神社は有名だけど、
東側の革堂・大峰寺はあまり言及されない。
でも、戻り橋のカタリを形成していくのは、
革聖や山伏ら、またその周辺にいた人たちかしれない。
彼らが
(ちなみにカタリの、言語としての特質は、
音声言語と文字のあわいで、
サブジェクトがオブジェクトと混濁することにある。)
◆京都の路地と図子:革堂図子あたり…付近の写真がいっぱいのページ。歩いてる気分になりますヽ(´ー`)ノ いろんな遺跡・地名が密集だ。
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大峰寺は、今昔・巻二十・第九に出てきます。
今は昔。
外術という魔法で、評判の法師あり。
草履を子犬に変え、ふところから狐を出し、
馬の尻から入って口から出る。一人の男が法師に術を教えてくれと頼み込む。
「そう簡単に教えるわけにはいかん」
と法師。
「本気で習いたいなら、七日間精進潔斎し、
新品の桶に飯を入れてかついて来い。
わしが術を教えるわけにいかんが、
教えてくれる場所まで連れてってやる。
ただし、刀はけっして持ってきてはならんぞ」
男は口では持っていかないと誓うが、
怪しいと感じて、小刀を隠し持つことに。七日の精進を終え、飯桶をかついで、
法師のあとをついていく男。
どことも知れぬ山の中をはるばると行く。
えらいところまで来たと思っていると、
山の中なのに立派な僧坊がある。
眉の長い、やんごとなき老僧が現われる。
法師が老僧にあいさつすると、
「またつまらんことをしゃべりおったな」
と老僧は法師をたしなめる。男は老僧の前に引き出され、
「刀を持ってないな」とまた念を押される。
そして、老僧は体を調べるよう命じる。
男はこれまでかと思い、
刀を探し出される前にと、
老僧めがけて飛びかかる。と。その瞬間。
老僧はたちまち消えうせ、
ふと見ると僧坊もなく、ただ
ぼう然と大きな堂の中にいるのだった。
男を連れてきた法師は、
「お前のせいで、すべて台無しだ!」
と男をののしり、大声で泣き喚く。
男は言葉なく立ち尽くしていると、
はるばるやって来たと思った山中は、
じつは一条西洞院の、大峰寺であった。男はわけもわからぬ気持ちで家に戻り、
法師は泣く泣く家に帰って、二三日後に死んだという。
三法に帰依しようと思うものは、
けっしてこうした外術に手を出してはならない。
彼らは人狗と呼ばれ、途方もなく罪深いことを
するものなのであるから、と。
今昔物語集・巻二十、第九、
「天狗を祭る法師、男にこの術を習はしめむとする語」
山人からの転職。その掟はきびしい。。
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革堂のご本尊の観音様。
聖が自ら刻んだ像とされています。
千手大悲陀羅尼を唱え、彫像用のいい素材を求めたところ、
夢を見て、加茂の社の霊木がそれだとわかった。
加茂の神官からこの木をもらい受け、
観音像を刻んだと、カタリ。
この霊木は、槻(ツキ)の木。
ツキは、「神がツク」という名の樹木ですが、
加茂の祭とも関係があるようです。
加茂祭の斎王は、イツキノオウと訓みます。
加茂の雷神の嫁となる巫女。人というより、稲。
「洛陽名所集」という、徳川時代に書かれた京の名所案内に、
槻木(イツキ)とは、加茂の神が雷になって天に昇った時、田にあったイネツキの木のこと。とあります。
一条戻り橋東のこの地域は、その後の歴史で、
町衆の強い団結を示す地域となっていきます。
百万遍の知恩寺、新京極三条の誓願寺、そして革堂・行願寺は、
もとはみな、ここらにあった。
例によって、秀吉が整理・移転させたようです。
ここに集う人々のパワーを、
なんとかコントロールしたかったんじゃないでしょうか。
【参照】
「上京一条小川界隈」『園田国文』第20号
…五島邦治さんという大学の先生のホームページ。論文なんでちょっと難しいですが、京都のことがわかってくると、非常に面白い情報満載です。
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by AMAZ君(改)
overQさん、おはようございます!
このシリーズ、おもしろいですね。
一条戻り橋というのは、どちらからいって戻りなんでしょうか。やはり、御所が基本?平安神宮?
そうそう、田楽が能や浄瑠璃に変わってきたのも、政治的力なのでしょうかしら。
興味深いです。
PS.Gmailにメールをしています。
お読みいただけるようよろしくお願いします。
ちょっくら地元姫路に帰ったりなんかしてまして、
メールをお読みするが、おくれてしまいました。
申し訳ございませぬ
お返事は掲示板のほうで。
戻り橋、たぶん西から東へ行くのが、あの世へのルート。
橋の東側が、山伏修験者や法師陰陽師らが集う場所だったようです。
貴族からは「見えない存在=鬼」。
でも、蓮台野(船岡山)方面の墓地へ向かうなら、東から西へ渡らなければならない。
たぶん、平安京以前から、この地域が、先住者にとって重要だったようです。
それでこのへんがややこしいことになるんですね。
平安京の東北部分が邪魔になる(;・∀・)
田楽は、古墳時代の金属や石の担い手からの流れをくみ、
その他さまざまな職能、また物流にもかかわっていて、
物質的なレベルでは中世までずっと、日本を支配している。
それで、「覇者」となるものたちは、彼らを支配下におさめようとするらしいです。
観世親子は、猿楽を文字に書き記した。
そのやりかたで、深く、当時の権力に密着していきます。
それは、古代の神カタリが書き取られて、記紀となり、
歌垣のウタが書き取られて和歌となるように、
ある「死」でもあるのですが。
文学の発生。
信長は幸若舞という遊行の歌舞の民を使役していきます。
「人生五十年」というのは、幸若。
信長の一向宗大虐殺も、このことと無関係ではないのでしょう。
韓国では細々と、猿楽田楽と同じ流れの歌舞音曲が残ってるそうです。
やっぱりすごいものだそうですが、ほぼ死滅状態らしい。
結局、道の民の歌舞音曲の伝統で、今残ってるのは、アメリカ大陸のポピュラーミュージックです。
ブルース・ジャズ・ロック。あるいは、南米の音楽。
音楽(=文字にならないもの)だけが、人類の一番最初から保存され、いちばん普遍的だったようです。
正直、それはすごい驚きです。
情報化社会は、致命的な欠陥をもっているように思えてならないです。