(…前回からの続き。)
折口信夫の創作のしかたが、60年代後半の音楽シーンと重なり合う、もうひとつの共通点。
それはドラッグの深い影響。
Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band
The Beatles
¥ 1,913 / Capitol
( 1993-08-02 )
通常24時間以内に発送
by AMAZ君(改)
折口信夫は、医者…クスシの家に生まれた。
「本草綱目」が座右の書。
自己流の薬物を調合しては、身体の変調がもたらす世界に遊んだ。
(ココロが物でありモノが心であることの体得。)
弟子の岡野弘彦さんは、風邪を引いたとき、折口先生から調合した薬をもらったそうです。
あやしげなんで、疑義を呈したところ、折口は逆ギレ、「人の愛情を信じる素直さに欠けるッ!」としかられたとか。
薬物のことにかけては、絶対の自信があった信夫。
折口信夫伝―その思想と学問
岡野 弘彦
¥ 3,570 / 中央公論新社
( 2000-09 )
by AMAZ君(改)
しかし、薬物の影響か、鼻血が止まらなくなることも多く、
残された原稿の中には、柿色に染まったものがある。
鼻血で纐纈染めにした原稿。
嗅覚はいちじるしく衰え、ほとんど何の匂いも嗅ぎ分けられなかったらしい、折口。匂いは彼にとって幻の感覚だったこと。
住み込みの弟子たち(同性愛者である折口の愛人でもある)は、床に押さえつけてまで、師を薬物から遠ざけようとした、といいます。
でも戦後、折口は、「見つからないように、こっそりクスリを買ってたんだけどね」なんて漏らしてたそうですが。
ビートルズをはじめ60年代後半、アーチストにはLSDなど薬物を好んで使用した。
時代に特別な色どりをあたえている。
クスリを決めて床に寝転がり、録音しているビートルズの写真を見たことがあります。(I Want You を謳うレノンだったか?)
そういう状態をstoned(石になる=サイの神になる)と呼んでいた。
折口もいくつかの論文をstonedした状態で書いた。
つまり、薬物を服用して床に臥し、弟子に口述筆記させたとか。
「民族史観における他界観念」などがそうなんでしょうか。向こう側から漏れ聞こえる言の葉の草々を掠め取るすべ。サイケデリック。
折口信夫のサージェント・ペパーズでありスマイル…といえるかもしれない。
Sergeant Pepper's Lonely Hearts Club Band
We'd like to thank you once again
Sergeant Pepper's one and only Lonely Hearts Club Band
It's getting very near the endThe Beatles "Sgt. Pepper's Lonly Hearts Club Band (Reprise)"
ロンリー・ハーツ。孤独な魂たち。
折口の心身を気づかった弟子ら。
「家の子」
と折口は、愛情こめて彼らを呼んだ。
その「家の子」春洋は、硫黄島に陸軍中尉として着任。このとき、折口の養子となっている。3月、戦死。
死んだものの魂を思いながら、折口は「民族史観における他界観念」、柳田は「先祖の話」を書く。
人は死ぬもの…誰もが死ぬし、愛するものが死ぬし、自分も死ぬ。そのことをめぐって。
かたや妣なる集合的な海へと溶けていく魂を、かたや山に昇り祖霊となっておらが村を見守る魂を…つかみえぬ。
この二社は、交わらない平行線ではなく、おそらくはモドキにおいて、一対なのだけれど。。
(このことは、またいずれ、書きたいです。)
プリマス・ロックをたま振り、転がせ。
そう歌われるブライアン・ウィルソン「ロール・プリマス・ロック」。
プリマス・ロックとは、メイフラワー号の清教徒がはじめてアメリカの大地に降り立ったプリマスの港に置かれた石。
旧世界と新世界の「あはひ」に置かれたサイの神であり、この石にみちびかれ、やがて合衆国建国へといたる、時代の「あはひ」。
まさに、アメリカ発祥を記念する「隅の親石」。
訪れて一番がっかりするアメリカの名所ともいわれ(笑)、まるきりただの石ころだもの。
本当にピルグリム・ファーザーズの頃からあるのかもさだかでなくて、出自のあやしさも、なんだか道祖神めく。
石器時代でもないのに、なぜこんなものが大切にされてきたのか…サイの神の信仰は人類普遍なのか…よく考えると、たいへん謎めいた遺物です。
ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム
¥ 4,935 / パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン
( 2006-06-23 )
by AMAZ君(改)
転がる岩のように。
ディランのライク・ア・ローリング・ストーン。
中産階級の子弟で、学校でもそこそこの成績。将来もそれなりに夢見られたはずなのに、それが今では落ちぶれて、故郷も知己も失って、まるで転がる石のよう…そんな歌。
そんなうらぶれた歌、アメリカンドリームなんて幻、とあざけるはずの歌だったけれど、
謳ってみたら、苔が取れたのか、陽気な、「これでいいのだ」な曲調をもった。
アルバム「ハイウェイ61再訪」の冒頭を飾る、不可思議な魅力に満ちた一曲。
故郷への行方を見失ったものには(No Drection Home)、どこまでもつづく「道」が広がるから。
ボブ・ディランことロバート・アレン・ティンマーマンは、ミネソタ州の地方の町ヒビンズで生まれた。
露天掘りの鉱山の町で、ディランの家は町の電気屋さん。
鉱山は枯渇しつつあるのに、町には危機感がなく、人々は自覚し反抗する意気も思想もスタイルも持たないでいる。滅びつつある社会の典型的な症状。
ディラン少年、父の電気店で初めてした仕事は、店の掃除。そこで勤勉や、定職を持つことのアドバンテージを学ぶはずだった。
しかし、電気屋の息子は、就寝前のベッドの中で、ラジオを聴いていた。
そこから流れる音楽。遠い世界。ラジオの向こうには、常世が広がる。
かつて奴隷貿易でさかえ、今は零落した英国の港町リバプールで、やはりラジオを聴いて、彩り豊かに幻想を膨らませていた少年たちのように。
この常世幻想、耳による普陀落渡海が、数年後、巨大なロックという音楽の海を、現実世界に来迎させる。
□The RS 500 Greatest Songs of All Time : Rolling Stone
□The RS 500 Greatest Albums of All Time : Rolling Stone
折口「ごろつきの話」は、歌舞音曲というものが、どのような生き方から生まれるのかを説いています。
先、彼等は、どんな動き方をして現れて来たかを述べよう。
日本には、古く「うかれ人」の団体があつた事を、私は他の機会に述べてゐる。異郷の信仰と、異風の芸術(歌舞と偶人劇)とを持つて、各地を浮浪した団体で、後には、海路・陸路の喉頸の地に定住する様にもなり、女人は、其等の芸能と売色とを表商売とするやうになつたのであつたが、いつか彼等の間にほかひゞとの混同を見るやうになつた。社寺には、神人(ジンニン)・童子などゝ称し、社の祭事・寺の法会などに各種の演芸を行つたものが居つたが、彼等は生活の不安を感じ出した事によつて、其等の社寺を離れ、各自属した処の社寺の信仰と、社寺在来の芸能とを持つて、果なき流浪の旅に上る様なことになつた。彼等は、山伏し・唱門師の態をとつて巡遊したのであつた。在来の浮浪団体に混同したのは、当然のことである。
更に、此頃になつて目立つて来た、もう一つの浮浪者があつた。諸方の豪族の家々の子弟のうち、総領の土地を貰ふことの出来なかつたもの、乃至は、戦争に負けて土地を奪はれたものなどが、諸国に新しい土地を求めようとして、彷徨した。此が又、前の浮浪団体に混同した。道中の便宜を得る為に、彼等の群に投じたといふやうなことがあつたのだ。後世の「武士」は、実は宛て字である。「ぶし」の語原はこれらの野ぶし・山ぶしにあるらしい。
石器時代からあるらしい遊行の歌舞音曲に、仏教やアラゴトの要素が習合。
時代時代に社会からはみ出すものたち。彼らがあれもこれもと、吹きだまって、複雑な模様を刻む。
勢力が増すと、治外法権なもうひとつの世界を形作りもする。
時の権力に力を貸して、成り上がるものだって現われる。
日本史を、底流のダイナミズムから、包括的にとらえる方法。のちに網野善彦さんが発展継承したもの。
文字の外側にあって、ときおり影をよぎらせる「隠=鬼」たち。
路上でロア神にとり憑かれたものら。アート(芸・能)の神は、彼らにだけ降り立つ。
モドキ・カブキを愛し、奇矯なもの・卑小なものへと流れる風流の心意気。義侠心高く、熱中し、すぐ醒める。スクナヒコナ。
柳田國男は、折口信夫を誉める際、いつも「つらい旅をした人」と言います。
金なく当てどなく、今宵泊まる宿さえさだかではない、とほほな徒歩旅行。
折口は若い頃から、そんな旅を何度も経験している。
中学生の頃から山で道に迷い数日さまよい、高校教師になってからも生徒を連れまわして山で何日も空腹な迷子になる。
金の無心をする手紙を出しながら、ほそぼそと山を巡ったこともあり、おのれは誰なのか、どこから来てどこへ行くものなのか、逃げても逃げても問いはつきまとう。
旅の中でだけ体得される何かがある。
それはあの神に出会うことだと言ってもいい。自己の本当の顔に。
ディランは、重度の精神疾患をわずらっていた先達ウディ・ガスリーを訪ねる旅から、ミュージシャンとしての自覚を体得した。
岩のように、雷神のように、ごろつくこと。
あてどない人生に地団駄踏む路上が、楽を生む。
どうやらこれは、人類が太古から継承してきた、秘儀のようです。
葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり釈迢空