お盆に帰郷してるあいだ、民俗学者・柳田國男の生まれた家を見てきました。
兵庫県神崎郡福崎町。姫路市の北どなり。
辻川という地域。
北に上ったので涼しいかと思ったけど、やっぱり暑かったι(´Д`υ)
辻川は、生野銀山へと北に伸びる道と、播磨を東西に貫く道の交差する地点。
古くから交通の要所で、往来の足しげく、宿場や車場があったそうです。
辻川の「辻」は十字路、交差点ということ。
旅芸人がキャンプする場所もあって、國男の通う小学校にも旅芸人の同級生がいたんだとか。
とはいえ、辻川は、すごく小さな町。
自伝「故郷七十年」には、柳田の少年時代の思い出の場所がいろいろ出てきますが、
それらをすべて回っても、15分とかからないかもしれない。
子供の領分とはいえ、ほんとに狭いです。ちょっと驚きでした。
柳田は自分の生まれた家を、「日本一小さい家」と呼んでいます。
今残されてる家は、だいぶ改装されてるらしくて、また場所もちょこっと移動していますが、やっぱり小さな家でした。
柳田にとって、この家の思い出は特別に大切なものだったようです。
改装されてからは家に入ることはなく、ちょっと離れた宿屋から、家のわら屋根を眺め、少年の頃をしのんだ、と書いています。
柳田国男全集〈21〉故郷七十年・海上の道
柳田 国男
¥ 6,825 / 筑摩書房
( 1997-11 )
通常24時間以内に発送
by AMAZ君(改)
「日本一小さい家」
…縦長に二、三間ほどが続く家。
ここに三世代、8人の兄弟が住みました。
國男は六番目の子。
上の三人は他処へ出、二人は他界していたから、長男のような形。「故郷七十年」は、「日本一小さい家」の話から始まります。柳田國男「後狩詞記」
一番上の兄さんがお嫁さんをもらうのですが、この小さな家に同居する。
結果、姑との仲がこじれて、出て行くことになる。
長兄は、そのストレスでしばらく酒に溺れたりした後、家を出て、関東で医者になります。
私は、こうした兄の悲劇を思うとき、「私の家は日本一小さい家だ」ということを、しばしば人に説いてみようとするが、じつは、この家の小ささ、という運命から、私の民俗学への志も源を発したのだといってよいのである。柳田國男「故郷七十年」
國男からは十五歳も年上の長兄、鼎。
この人がやがて茨城県布川で医者をして、弟たちの経済的な支えとなる。
弟たちはみな驚くほど出世します。
この家は、そもそも松岡という姓で、國男は、マツオカの「クニョはん」。
辻川には松岡姓の家が今もいっぱいありました。
國男は、大学に入る頃、両親が相次いで亡くなり、27歳の時に柳田家の養子になります。次兄の通泰も、井上家の養子。
長兄の松岡鼎は、茨城県布川で医者となり、のちには県議員や町長もつとめます。
次兄の井上通泰は眼科医で、やがて国学・歌人。
柳田国男は、もともとは高級官僚で、のちに民俗学者。
弟の松岡静雄は軍人、のちに言語学者。
末弟の松岡輝雄(映丘)は、画家。
社会的に高い地位を得るのだけれど、人生の半ばで道をはずれ、文人めいた生活を始めてしまう人たちが多い。
不思議な兄弟です。
(「はずれ」におもむく感性。民俗学の真髄。知的理解ではなく、体得すべき何かなのかもしれない。修験のような。)
辻川にいた頃はそうとう貧乏だったので、思えばみなたいへんな出世。
当人たちの能力の高さもあるのだけれど、特別な運命をもった兄弟たちのようです。
日本一小さな家での、小さな悲劇。
長兄・松岡鼎の最初の妻は、姑との折り合いが悪くなり、家を出て行く。
子供の頃のことで、いつもしきりに思い出されるのは、長兄の許に嫁いで、母との折合いが悪く実家に帰った兄嫁のことである。辻川の灌漑用の貯水池であったが、ある冬の日、二、三人の友人たちとともにそこで氷滑りをして遊んでいた。子供のことで気づかなかったが、池の中心の方は氷が薄くなっていた。家を出された兄嫁は土堤からみつめていたのであろう。忘れもしない、筒っぽの着物を着て、黒襟をつけた兄嫁は、いきなり家から飛び出して来て私を横抱きにすると、家へ連れて行ったものである。
実家に帰ってもやはり姉弟の情愛があったものであろう。私はいつも帰郷するたびにそのことを思い出し、一度は昔の情愛を述べようと、再婚先の伊勢和山の寺を訪ねたことがある。兄嫁は折悪しく留守で、その気を失してしまったことが、いまも悔やまれる。「故郷七十年」
このエピソードは、ほほえましくも、自伝の中で、3回も4回も繰り返し語られます。
兄嫁に「横抱き」された瞬間が、國男少年の初恋なんだと思う。
兄嫁が再婚したのは奈良のお坊さん。
非常に美男子だったと、なぜか得意げに柳田は兄嫁のその後をつづるのです。
國男少年は、家の裏手のお堂の床下で、犬を飼っていました。
犬が子供を産んだときの喜びについて、柳田は著作のあちこちで、何度も書いている。
よっぽど嬉しかったみたいです。そのときの「におい」を今でも思い出すと。
犬は、村全体で飼っているような形で、國男少年はその養育係。
そのお堂にも行ってみました。すぐそこです。少年の足でダッシュすれば、25秒くらいで行ける範囲。
小さい!
床下なんて、20センチくらいのすき間しかないです。子供の頭じゃないと、入れない。(しかも、今じゃあ、コンクリートで固めてあるw)
このお堂は、在井堂という名前で、薬師様をまつってあり、井戸があります。
この井戸は「峰相記」という、足利時代の本に出てくるらしい。
在井堂に関する一条が「峰相記」の中にあることから、じつはこの本が偽書であろうと推定しつつもそう断定するのに忍びない気持ちがする。
と柳田は書いています。
「この空井戸のある薬師堂は、私がいつまでも忘れえない思い出の場所でもある。」と。
薬師堂の床下は、村の犬が仔を産む場所で、腕白大将の私が見に行くと、いやでもその匂いを嗅ぐことになった。そのころ犬は家で飼わず村で飼っていたので、仔が出来る時はすぐに判った。その懐かしい匂いがいまも在井堂のたたずまいを思い起こすたびに、うつつに嗅がれるようである。そこから一丁ほど北の方に氏神の鈴森神社があり、おおきなやまももの樹があった。またを明神様ともいい、村人は赤ん坊が生まれると、みなその氏神に詣でて小豆飯を供えていた。その余りを一箸ずつ、集まって来た子供たちのさし出す掌の上にのせるのがならわしであり、村の童たちの楽しみでもあった。前もって、その日を知って、童たちは神社へ集まってくるのであった。母親が「よろしくお願いしますよ」と、いいながら呉れる一箸の赤飯に、私は掌を出したことがなかった。親に叱られるからでもある。私は後年この氏神様を偲んで、こんな歌を作ったことがある。
うぶすなの森のやまもも高麗 犬は懐かしきかなもの言はねども
→鈴森神社のコマ犬さん。國男少年はここに登って遊んだ。
→ずずだま。「海上の道」のはじまりは、近所に自生していたズズダマの記憶。
→鈴森神社のそばの石神。柳田の民俗学は、石神の探究から開始される。この地域は古墳もたくさんにあって、石の神秘に日常触れる人々が古くから住んだのです。
長々と引用してしまいましたが、自分の思い出じゃないのに、なぜだかとても懐かしい気がして。
なんでもない、ありふれた日常であり、過ぎ去った日々。
誰もが似たり寄ったりの思い出を持っているし、それらは忘れられていく。
でも、柳田国男は、こうした、なんでもない、ありふれた、「日本一小さい」日常に目をむけ、耳を傾け、匂いをかぐ。
民俗学…おどろくべき価値の転倒。
日本一小さいものを見出すことから、日本一大きな学者が生まれたということ。
天下国家の大説を論ずべき官僚であったにもかかわらず、「日本一小さい」場所に回帰しつづけた、不思議な大学者。
民主主義より「民主」の重さ軽さを知り、科学より「本当にあった事実」に拘泥し、小説よりも小さい日常を語る「文学」を工夫する。
「日本一小さい」ことから始める柳田の民俗学、その開く世界は目もくらむほど広大。この地平をしずしずと「日本」と呼んでみることもできるのでしょうか。