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元三大師に会いたくて、比叡山に登る・復路篇

written by overQ
November 30, 2007

元三大師という男

元三大師堂

比叡山、横川です。
横川は「よこかわ」ではなく、「よかわ」と読む。
延暦寺は、西塔、東塔、そして横川が、主な三地区。

伝教大師・最澄によって開かれた延暦寺ですが、
その後、中国帰りの円仁・円珍が、天台+密教=天密を発展深化していく。
やがて円仁派と円珍派の抗争が、西塔と東塔の対立となります。

横川は円仁によって開かれたものの、西塔・東塔には比べるべくもない。よってない存在だったようですw
今昔物語集などで変人の僧侶やイカサマ坊主が出てくると、きっと「横川の僧」となってます。
身分の低い人が、よんどころない事情で社会からはみ出し、身を寄せるような場所でもあったらしい。

そんな横川から突然出現したスーパースターが、元三大師・良源。
「元三(がんさん)」は、元旦三日に亡くなったから、こう呼ばれる。
なんか、とっても親しみのこもった呼び名です。またどんな人たちから敬慕を寄せられていたかも感じさせる。

大師は、滋賀県浅井郡虎姫町が出身地。身分は低かった。
虎姫という地名は、これから記事にしていこうと思ってる「虎石、虎御前、たたら、ダイダラ、タラ、阪神タイガース」に直結するもの。
おそらく古代の遺風が色濃く残る地域だったはず。

良源は、比叡山中興の祖とされます。延暦寺にとって、非常に大きな存在。
大師が天台座主というボスになって、延暦寺は大いに繁栄した。
堂塔伽藍を建立し、僧侶の規範を制定。荘園領地を整備し、僧兵を管轄。
比叡山の経済的物質的基盤を整えたのが、良源・元三大師。

彼はまた、藤原師輔と結んで、延暦寺と摂関家の関係を深めます。
太っ腹の親分肌で、高度に政治的な腹芸のできる人…そんなイメージでしょうか。
でも、メタボじゃなかったと思われる。
この人は、ものすごい美形だったそうです。
あまりの美貌ゆえ、京の町に降りるときには、鬼の面をつけたともカタられる。


美少年のパラドクス

半跏思惟

全国から高僧を集め、仏教の摂理を論じ競わせる。
昔々、そんなことが行われていたといいます。朝まで生説教w
そこに、並みいる学僧たちを論破しまくる、16歳の謎の美少年僧が現れる。
これが最初に頭角をあらわした、良源の姿。

低い身分の出身で、師匠の僧もマイナーな存在。
しかし、龍のごとく出世する。謎めいた人。

その後、村上帝の御前で仏教論戦が交わされた時にも、彼は姿を現わす。
壮年を迎えた美形はすごみを増していた。

応和の宗論。
私ごときが語れる議論ではないので、ごく単純化して述べてみますと。
こんな問いがある。
「すべてのものが救われるのか、よき人々だけが救われるのか」

お坊さんは日々、どうすれば仏の道にかなうかを考え行動するもの。
だからこの問いに対する答えも、どんな善行をおこなうか、どんな厳しい修行をするか…といったところに向かうのが自然。
救いという結論に行き着くため、何をおこなえばいいか、その正否を問い、正論を積み重ねる議論になるはず。

ところがここに良源はパラドクスを持ち込む。
つまり、「みんな救われる」と言ってみたんです。

これは例えば、「じゃあ、<一部の人しか救われない>と言ってる人も救われるの?」と問いかけるだけでも、パラドクス。
また、理論上だけではなく、実際のところ、具体的な悪人を思い浮かべつつ、「みんなが救われる」と言いきれるものか。
あるいは、一生懸命修行してきた人はどうなるの、そもそも僧の存在意義がわからなくなる。
…と次々に難問が沸き起こる。

こうしたホットな言論のバトルで、良源は最強の論客として登場します。


見えない人々のヒーロー

元三大師良源の弟子が、「往生要集」の源信・恵心僧都。
ここから念仏が弘まり、やがて法然・親鸞・蓮如と、浄土宗の流れが、社会の中で、実践を通じて、パラドクスの出口を見出そうとする。

この問いは、でも、もっと昔、すでに聖徳太子の時にはきっと存在していた気がします。
聖徳太子を神話的なヒーロー像にカタり上げていった人たちがいる。
太古から伝わる風習と、仏教とをすり寄せようとしているかに見えます(日本霊異記の冒頭の数話とか)。

元三大師もまた、この人々…見えない人々、カタりの人々のほうからやって来る。虎姫とは、そういう地域だったんじゃないだろうか。
この人たちが、もの作りや物流を担っていて、全国的な大きいネットワークを持っていた。
ダイダラボッチネットワーク、とでも呼んでおきましょうか。

大師が「みんな救われる」と言うとき、「みんな」とは具体的にはこの人々をさしていると考えてもいいのかもしれません。
実際、大師によってリニューアルされる比叡山。
その建築作業を請け負ったり、人や物の流れを整えたりしたのは、横川に集っていた「見えない人々」の一群であったはず。
藤原師輔が勢力を得るためには、大師と結び、大師の背後にある大きなネットワークと手を携える必要があった。
これが良源が飛躍的に出世した理由であり、元三大師と親しみを込めて呼ばれる庶民性、おみくじの元祖として江戸時代に至るまで「興業に使える」キャラクターでありえた理由だったのではと。

こんなに現実的具体的政治的でありながら、仏教のいちばん核心の問いをめぐる論客でもあり、なおかつ古代的な神話性も帯びているというところが、元三大師の不思議な魅力です。
仏教の問いに、現場でリアルのある答えを与えることができた大人物。

大師は遺言して、とても奇妙な形のお墓を建てさせました。
大師の御廟(ゴビョウじゃなくミミョウと読むらしい)は横川のやや奥まったところにあります。比叡山三大魔所のひとつだそうです。
ドルメンみたいです。

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道元さん得度の地

道元禅師得度霊跡

道元得度の地も、横川にあります。得度とは、お坊さんになること。
大きなコンクリートの階段と、わりと新しい祭壇みたいなものが作られてて、儀礼のある時はたくさん人が集まるに違いないですが、私が行ったときは、誰も訪れることなく、ひっそりしていました。

「道元、得度」で検索してると、「自未得度先度他」という言葉が。
お経の中にある言葉で、道元さんが重用したらしい。
「自分より他人を先に」という意味だそうです。先に与えるのは、「救い」「さとり」のような大きなものでもありえるし、バスに乗る順番のようなささいなことでもありえる。それが難しい。
元三大師の「みんなが救われる」ともよく似ています。横川で得度した道元禅師。

道元さんは爪を切ることにうるさい…という話を以前に書きました。
歯磨の習慣を始めたのも、道元なんだとか。
「正法眼蔵」という大著があり、文字や思想のほうからアプローチしてしまいがちだけど、座禅なんだから体得するものがほんとは大きい。
爪を切ったり、歯を磨いたり、野菜を栽培したり、部屋を掃除したり、料理を作ったり、食べたり。
LINさんもコメントで書いておられます。そういう何気ない日常の作業のうちにも、体得されるものはある。八正道。人の歩きえる道。
…そんなことを思いながら、道元得度霊跡でおにぎりを食べました。おいしゅうございました。


帰路

もう三時になってしまったので、急いで帰らねば。
下りは高速で行けるんですが、足は痛いです。自転車で使うのとはちがう筋肉を酷使するらしい。

ゴロ石が多くて、たいへん危ない足元。何度も転びそうになりましたが、途中で解決策を思いつく。
そこらへんに落ちてる木の棒を二本、杖にして、スキーのスティックみたいに突きながら降ります。
すると転ばぬ先の杖、両極へ堕ちることなく、超高速で下ることができましたヽ(^。^)丿

日が暮れるより前には、山を降りれました。
横川から八瀬まで、下りは二時間かからないということに!
八瀬から修学院の自宅まで、歩くのがけっこうしんどかったりするんですがw 電車があるけど、ここに至って乗るわけにもいくまいて。

ともあれ無事に帰れました。お地蔵さんに見守っていただいたからかな。感謝合掌。

下から比叡山を仰ぐと、よくもまあ、あんな高いところまで歩いて行ってたなと、その無謀ぶりにあきれます(照笑)

西山峠の道の神



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コメント

overQさん、歩いて登られたとは、すごいです。(^o^)丿
私なんていつも車なのでだめだめです。
頭が下がります。
歩かれたからこそ、元三大師ゆかりの物ものに出合えたのですね。
自然も美しいです。
虎姫・・という地名が出てきてとても嬉しいです。
子供頃長浜に住んだ事があるので虎姫も馴染みがあります。
五村別院がありますが、そこが大師のゆかりのお寺なのかな?
あっ、虎姫駅の派手派手な変貌ぶりに呆れています〜〜(爆)
昔は、普通〜の地味な駅でした。(^^ゞ

Posted by: Site icon ワルツ : November 30, 2007 11:22 PM

得度の霊跡に触れていただいて感激です。
ご指摘の通り、日々の中に大切なものを見る・・というのは禅の基本であると思います。

史上に残る名僧で中国に渡った方々は、それぞれ新しい経典や法具や仏像を持って帰っているのですが、道元禅師は何も持って帰っておられないのですよね。
で、命がけで中国に渡って何を身につけたかというと、「眼横鼻直(がんのうびちょく)」であると。目が横について鼻がたてについているように、当たり前のことをもう一度きちんと見据えよ・・という指摘なのかと思います。

もちろん道元さんに限りませんが、やはり天才的な宗教者はいるのだと思うセリフでした・・。

Posted by: shosen : December 1, 2007 12:08 AM

★ワルツさん。

登山、かなりハードでした。月曜火曜は、階段の昇り降りなど、悲惨な状態にw
西山峠越えはたいへんですが、西塔から横川までのトレッキングコースは、よく整備されてて、おすすめです。
西山峠も、西塔からちょっと下れば、絶景ポイントに行けるので、西塔パーキングからアプローチして、また戻ってくるのがおすすめです☆

虎姫町はよくご存知なんですね!
石神さまとか、溜池とかもあったりするんでしょうか。
秦とか加茂とか小野とか、太古の開発民がいて、その痕跡地…というのが、私が探求してきた結論です。

元三大師は、聖徳太子と弘法大師の次に有名な「おだいしさん」。
このダイシは、ダイダラボッチとじつは同じ物で、その伝承を伝えた人たちが仏教バージョンに仕立て上げたもの。
虎姫町の伝説も、開発民の典型的なパターンになっていて、例えば秦氏が作ったとされる広沢池の伝承にもそっくりです。

Posted by: Site icon overQ : December 2, 2007 4:10 PM

★shosenさん。

お参りしてまいりました!
「眼横鼻直」はおもしろい表現です。
この意味のことを表現するのに、この言い回しを選ぶのが、非常に独特。ユーモアもあって。それに身体的☆

道元さんの誕生寺の西国街道、久我のあたりは、すごく古くから開かれた土地で、いろいろ興味ぶかいです。
久我氏は道元さんの頃には、横川としっかり結びついてるようで、元三大師の頃からは三百年くらい。
当時の横川は、どんなふうだったんでしょう。

東塔や西塔にくらべても、横川が遠い分だけいちばんひっそりしていて、昔の感じをとどめてるんでしょうね。
夜だと怖いだろうなぁ。。w


Posted by: Site icon overQ : December 2, 2007 5:01 PM
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