AZ::Blog はんなりと、あずき色☆: タラをめぐる冒険2「トラという名の女」

タラをめぐる冒険2「トラという名の女」

written by overQ
December 11, 2007

虎の子を得る

柳田国男が子供のころ、近所の家に奉公に来ている女性がいて、名前をクマと言った。
村の老人たちは、クマという名前は若い娘にはあんまりじゃろうと言って、呼び名を変えることにした。
そして、老人たちが名付けた新しい名前は、トラ
柳田少年は、熊を虎に変えて、どこが娘らしい名前なのか、理解に苦しんだと。

…そんな話を柳田がどこかに書いています。
そして、やがて学者となった柳田は、トラという名前の正体をめぐって、知的大冒険をおこなう。
少なくとも柳田が幼少のころには、まだ「トラ」を良き名前とする風習が、老人たちのあいだに残っていたのです。

だいぶ間があきましたが、「タラをめぐる冒険」の2回目。
前回は、全国に「虎石」「虎ヶ石」というものがあり、京都にもあったこと。
この石が、東西の浄土宗や日蓮宗のお寺のあいだで、取り合いといえるほどの熱狂で迎えられたこと。
その挙げ句、石が増殖して、いろんな寺に「本物の虎石」が登場するにいたったこと…を述べました。

トラという名の女

トラという名を持つ女がいる。
一番有名なのは、曾我物語の「虎御前」。

曽我物語は、今でこそ知る人も減りましたが、江戸時代まではもっとも代表的な日本の仇討ち譚。
子供でもそのあらすじは知っていて、ちゃんばらごっこの題材になっていたはず。
能、浄瑠璃、歌舞伎、あるいは浮世絵などでも、中心的な演目。

かつては誰もが知っていた登場人物たち。その遺跡は全国津々浦々に残っている。
柳田はまた例によって、驚異的な検索能力を発揮し、何十何百とある曾我関連の遺跡を数ページのうちに網羅してみせます。(柳田國男「曾我兄弟の墳墓」)

驚くべきことに、柳田はそのほとんどすべて、自分の足で赴いている。東北から九州に至るまで。
そればかりか、今は存在しない遺構についても、徳川時代の好事家の紀行文、路傍の社寺の縁起書などから発掘。五輪塔があったとか、塚があったとか、やすやすと指摘してみせる。
このデータ処理能力だけでも、柳田は空前絶後の学者というほかない。呆気にとられます。やっぱり電脳化されてて、あらゆるデータベースをググッたとしか思えん。

その上、文章は妙に楽しげであったりします。
隣村にも「虎御前の墓」があったのに、何人いるねん虎御前とか、向かいの山寺の兄弟墓と辻褄を合わせようとして、僧が山中で兄弟の亡霊にあって建てた供養塔にしてあるとか、面白がってツッコミを入れていく柳田。

さて、虎御前という遊女。
吾妻鏡の記述から実在と思われるものの、全国の遺跡にはさまざまな虎御前物語がスピンアウトされていく。
墓もいくつもあって、物語を増殖させつつ、これを広めたおしていた人々がいた。
いったい何者であったか。

道祖神社のDoubleFantasy


石と化した女

柳田は有形無形の資料の森を博捜しながら、トラを名乗って遊行する女たちに言い及び、やがて曾我物語以前の「トラ」の存在を指し示します。

『和漢三才図会』六十八に以下のごとき節がある。昔若狭国小浜の老尼、その名を止宇呂とうろの尼という者、壮女一人と童女一人とを伴ない立山に登り、女人結界の山に推して参ったため、この処において額に角を生じ身姑獲鳥は化して石となった。よってその地を姥ヶ懐と呼び、石を姥石と名づけた云々。

さて立ち戻って虎子石の由来談になるが、越中立山の結界に石を止めた止宇呂の尼、加賀の白山に石を遺した融(とおる)の婆は、あるいは諸国に行脚して石の話を分布した虎御前と関係あるのではあるまいか。すなわち今日となっては意味も不明なトラまたはトウロという語は、この種の石の傍で修法をする巫女の称呼ではなかったろうか。
「老女化石譚」(柳田国男『妹の力』)

柳田国男全集〈11〉民謡覚書・妹の力・伝説柳田国男全集〈11〉民謡覚書・妹の力・伝説
柳田 国男
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( 1998-05 )
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by AMAZ君(改)

sayochan.jpg石と化した女。
記紀万葉の頃すでに、「石凝姥命」(天岩戸の条)「松浦佐用姫」(万葉・巻五)とその伝承は見られる。その時代にはもう、「古い言い伝え」のようになっていたらしい。
中山の小夜ちゃんもそうですが、ものすごく古い、人類普遍の伝承なのかもしれない。
ゴルゴンに見入られた者や聖書のロトの妻はじめ、世界的にもこの類話は無数に。

「姥石(うばいし)」で検索すると、いっぱいヒットします。古墳がこう呼ばれていることも。
山の昇り口、峠、橋のたもと(橋姫、箸姫)、街道の宿や社寺にぽこんと大石が置かれていると、この伝説が付与されていることがよくある。
川の真ん中に顔をのぞかせる大岩が「姥石」とされる例も多い。(宇治の亀石も、対岸が橋姫伝承の地であることを思えば、この類かもしれません。)

つまり、以前、「サイの神」のS+K(Y)で話題にしたサカイの地に置かれる石神

動かすと一夜にして元の場所に戻ったとか、世に異変がある時に鳴動するとか(将軍塚・・・あの小山自体が「ウバ石」)、
また増殖したり、大きくなったり、「生石(うぶいし)」説話を伴うことも(君が代のさざれ石もこれ)。
竜を生んだり、また竜(蛇)を生んだ女が化したタツ石。
長者譚(真野長者)と関わることも多く、近くに溜め池(まんのう池)と開墾地。桑や粟のつく地名があったりする。


おもかる石

のちの妖怪ウブメ(産女、姑獲鳥)は、道行く人に赤子を手渡し、それが石のように重くなる。
同じ伝承のバリエーション。
たぶん四谷怪談のお「岩」さんもここにつながると最近気づきました(高田衛「江戸の悪魔祓い師」によって一眼一脚の神から四谷怪談への通路が開ける。これはまたいずれ。)

「本場」である大磯の虎石は、「いい男」が持ち上げると軽々と揚がり、醜男だと重くなって持ち上がらなかった…と、江戸の好事家たちを面白がらせた挿話。
柳田は、虎石姥石のうちに、持ち上げて吉凶をはかる「占い石」の性質があると指摘しています。

占い石となると、京都でもごろごろ見つかる。
五条道祖神社の石さま(最近この石がご神体だと気づかれてない気がする)。

五条道祖神社のご神体

出雲路の幸神社の石神さん(こっちはちゃんとまつられていますが、持ち上げるには神社の人の許可を得たほうがいいと思うw)。

幸神社のサイの神

今宮神社の「阿呆賢さん」(ここは持ち上げ用に設置してあります。要お賽銭)。

阿呆賢さん

芸能にご利益のあるお辰稲荷も、石神さんを福の神としてまつる。

お辰稲荷の福神さん

鞍馬口の水火天満宮の登天石。氾濫した鴨川を沈めるため、僧が祈ったところ、川中の岩の上に天神道真の亡霊が立ち、天に登ったと。
水火天満宮には、ほかにも丸石がいくつかまつられていて、持ち上げるのにじつに手頃な大きさ。
もともとは占い石の丸石だったのではないでしょうか。
今ではもうわかりにくくなったけど、あのあたりが京の町への入口のひとつ。

水火天満宮の丸石さま

うちの近所の一乗寺下り松にも。(下り松の「さがり」はサカイの意。)
気づく人はまれですが、よく見ると、ここにも力石があります。
江戸時代の後半には、「力石」、かなりはやってたようです。
虎石姥石伝説の最後のほうの形。安産のご利益さえ、もうあまり残ってないくらい。
(「力石」という「徹」ですが、トオルなのは偶然。これが偶然じゃなく、トラに通じてたら、私はエルが椅子からころげ落ちたときのように驚愕しますw)

一乗寺下り松の力石


太陽の子をはらむ石

たぶん古墳時代にははっきりとした形で存在していたにちがいない、石の神話。
非常にいろんな形に変化してしまってますが、原理的なプロトタイプを取り出せば、こういうことと思う。

太陽の子をはらんだ石。
それが、トラ石。
その重さ軽さをはかって占いとなすのは、石に御子(=宝、幸運)が宿っているかを知る行為。

柳田は、古代の神の名によく見られる「タラシ」が、トラと結ぶものだと考えています。(例えば、オキナガタラシヒメ=神功皇后。また中臣鎌足の「タリ」などもそうかもしれません。)
タラは、太陽の御子をはらむ「母体」として、虎姫や小夜姫、姥石となる。

また、タラが御子そのものを意味する場合もある。
それが、「太郎」。
そう。桃太郎、金太郎の、「太郎=タラ」。
その父は、太陽であり、天そのもの。すなわち、ダイダラボッチ(大太郎法師)。
太陽を片眼とし、稲妻を一本足とする、あの巨大な神。大地に山を置き、池・海を掘って、この世界を土木的に築いた「大い子」(太子・大師)。

その「小さ子」が、太郎たち。(柳田『桃太郎の誕生』参照のこと。)
桃やお椀(一寸法師)や瓜(瓜子姫)、竹のウロ(かぐや姫)、釜(灰かぶり=シンデレラ=粟袋米袋)など、「ウツホ」に生じる子。ホムンクルス。
石もまた、そんなウツホのひとつなのです。

石からは鉄などの金属が採れる。「金太郎」。石の中にこもれる太郎=タラ。
すなわち、タタラ

これが、われわれの先祖たちが伝承していた神話。そのプロトタイプ。

一年余りかけてたどり着いた、シンプルな結論です。
柳田国男がほとんどチェックメイト寸前まで追い詰めていた問題の、最後の一手…となりえたか如何。

そして、ここには奥義が存在する。

じっちゃんは天神さん



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コメント

トラですか。たとえば、隴西(ろうさい)の李徴(りちょう)は博学才穎(さいえい)、天宝の末年、若くして名を虎榜(こぼう)に連ね・・にはじまる「山月記」ですが、どうして李徴はトラに変身したの?と長年思ってましたけど、「虎榜」って言葉が冒頭なにげなくでてきたり、「いくばくもなく官を退いた後は、故山(こざん)、※略(かくりゃく)に帰臥(きが)し」の「※(字が出ない)」の字の中にもなにげなく虎の字が隠されてたりしてたんですよね、なーんてこと思い出したりしてしまいました。でもなにゆえにトラ、って謎は謎のままですが。

止宇呂の尼、ってのを一瞬、「トトロの尼」、って読み間違えてしまいました。力石徹がトトロに見えてしまった瞬間でした(嘘


Posted by: 美頬 : December 16, 2007 12:24 AM

美頬さん、こんばんは。

姫路に生まれながら、私は今年の夏、はじめて柳田の生まれた家を訪ねました。

ここ一年くらい、柳田国男をよく読んでるんですが、イメージとすごくちがっていて、たいへん驚いています。
以前にも四冊くらい、柳田の著作を読んでたんですが、その時点では全然わかってませんでした。

柳田国男、すごいです。

柳田について書かれた文章はたくさんあるのですが、
ほめてるにせよ批判してるにせよ、私が今読んでいるクニオサンと、アサッテの方向にかけ離れてて、戸惑う日々ですw
その原因もほんとは「戦争」にあるのだとは薄々わかってるんですが、ちょいとヘビー過ぎる問題。

トラは、動物の虎には関係なくて、むしろ桃太郎のタロウに関係するという、すごい発見を柳田はしているのに、誰も(神話学や人類学、民俗学?の人もかも)知りません。
文庫など安価で手に入る本も、いつの間にか少なくなってしまっていて、
この大学者が置き去られてるのと、例えば「ゆかた祭り」で荒神のように若い人たちが暴走するのは、じつは関係があることじゃないか…とも、不思議なことも思ったりしています。

Posted by: Site icon overQ : December 16, 2007 9:22 PM

>この大学者が置き去られてるのと、例えば「ゆかた祭り」で荒神のように若い人たちが暴走するのは、じつは関係があることじゃないか…

なーるほど。
そういえば「おにいちゃん!(怒)」な『妹の力』って著書もありましたっけ。

柳田国男の弟子とか、まだ近郷にはいてますよ。
でもほんと、「アサッテの方向」な感じの、って以下省略。
わたしは柳田が折口信夫の弟子に、同性愛の犠牲になちゃダメだよ、って意味のことをその面前で言ってのけ、折口を悲しませた、ってエピソードが大好きですw

Posted by: 美頬 : December 18, 2007 8:03 PM

ローカルねた、ついでに。

姫路城の石垣の「姥が石」。
秀吉が城を建設したとき、街角で餅を売る老婆が、ウスを差し出した、という伝説。
これって、たぶんトラ石なんじゃないかと思ってるんです。伝説の末期。

秀吉という人は、きっと古代の遺風を残す地域を出自としていて、それがこの人の権力のインフラだったのではないかとか考えたりしています。
秀吉は土木の人ですね。古墳時代からつづく、土木の技法をもつ人々とつながってた。

姫路城の土台の姫山も、風土記に記される古い地盤。
関東ならダイダラボッチと呼ばれる巨人が作ったもの…といっていいと思います。

赤穂や法華山、加古川もすごいんです。
聖徳太子の右腕だった秦川勝が、うつほ船にのって、たどりついたのが、赤穂のあたり。
荒神となって猛威をふるい、ふと揖保郡には太子町。
赤穂浪士の赤い労使紛争は、この地盤から発生する。
民俗学って画期的な知識なんだと、今更ながらの、そぼくな感動。

Posted by: Site icon overQ : December 20, 2007 10:31 PM
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