十日ゑびすの残り福をもらいに、ゑびす神社にお参りしてきました。
「商売はんじょで、笹もってこい」
京都ゑびす神社があるのは、五条大橋の東。清水坂の始まるあたり。(秀吉以前は、今の松原通が五条。)
すぐ東側には、臨済宗の大本山・建仁寺。
六原もすぐそこ。
空也ゆかりの六波羅蜜寺。
幽霊飴、ハッピー六原をすぎると、
小野篁がブラック・ロッジに通った井戸のある六道珍皇寺。
666の轆轤町。
そこから東は辻の向こう、死者の世界であり、仕切るのは犬神人。
■ぼちぼちいこか・京都落語地図「幽霊飴・・・六道の辻から高台寺」
ゑびす神社の由来によれば、栄西禅師が建仁寺の鎮守として建てたと。
禅においても、むろん神仏は習合していたようです。
栄西自身が、というより、その周りにいて、お堂の建築にたずさわったり、界隈で商売し上前を奉納したような人々が。
お祭りするのは、
事代主(ことしろぬし)神、
大国主神、
そして少彦名(すくなひこな)神。
どなたが「えべっさん」なんだろう(・∀・)
しかし、すでに述べたように、神々は、one and the same。
大国主(大汝)神・少彦名神は、巨人と小人ペア。大い子と小さ子。
ボケとツッコミのもどきな関係で、仲良く喧嘩しながら、国土を開発する。
◆AZ::Blog : タラをめぐる冒険3「桃太郎のメリー・クリスマス」
事代主神は、大国主神のお子さん。
かなり乱暴な荒神さんだったようで、手に負えないヤンキー息子。
国譲りのところで出てきます。ウィキペディアからコピペしておくと。
葦原中国平定において、タケミカヅチらが大国主に対し国譲りを迫ると、大国主は美保ヶ崎で漁をしている息子の事代主が答えると言った。そこでタケミカヅチが美保ヶ崎へ行き事代主に国譲りを迫ると、事代主は「承知した」と答え、船を踏み傾け、手を逆さに打って青柴垣に変えて、その中に隠れてしまった。
「大国主&事代主」の父子ペアは、もどきの関係。
つまり「大国主&少彦名」ペアと同じもの。
(大国主とその息子の「もどき」関係は、むしろ播磨風土記の、オオナムチとその子ホアカリの関係で顕著。
仲良く喧嘩する…というか、親父は息子が怖くて逃げ惑うw
姫路城のたつ姫山の造成神話。
今、姫路城に祭られてるオサカベ神、正体は火明命か知らん。
なお記紀では、ホアカリ命は、アメノオシホミミやニニギの子。ややこし。)
何度か書いてきたように、神話は「型」としては、ひとつしかない。
どのトライブ(部族)も、型としては同じ神話を、ちょっとずつ変化した形で伝承している。
同じ神さまといえば同じ神さまだけど、ちがう人々によって祭られているので、その点から見ればちがう神さま。
その上に、記紀の記述は、大和朝廷が各部族(の神)を部下として配置していく目的で整理されてるので、系統図で見ていくと、ごっつややこしくなるんですが、神話のプロトタイプだけおさえるつもりで眺めれば、じつはシンプル。
大国主は、ダイコクつながりで、大黒さんの習合します(^▽^)V
そして、大黒さんの息子が、恵比寿と。
・大汝―少彦名
・大国主―事代主
・大黒―恵比寿
というような関係で、「大い子―小さ子」が平行しているわけです。
京都ゑびす神社の三神、コトシロヌシ・オオクニヌシ・スクナヒコナというのは、本来は「大―小」ペアのもどきチームを表象している。
そして、ゑびす神社のあるのは、五条橋東詰。
京の五条の橋の上、牛若丸と弁慶。
小人と巨人。仲良く喧嘩する。
牛若丸=小人スクナヒコナ、弁慶=巨人オオナムチ。
これは偶然ではなくて意図的なもの。
五条橋周辺に生きる傀儡師たちが発生させた伝承です。のち浄瑠璃や歌舞伎が、ものすごい勢いで、スピンアウトのエピソードを生み出していく。中心演目。
*1
神話が、神さまの名前を変えて、義経という実在したはずの人物に仮託され、生き延びている。
そもそも神さまには、名前がないことの方が多かったようです。部族内であがめるだけなら必要なかった。
事代主(コトシロヌシ)は、「コトを知る」という意味らしく、名前というより、神のプロパティ(属性、はたらき)。神話のエピソードの断片から採った、通称みたいなもの。
葛城の一言主とたぶん同じ神で、同じだけどちがう神(笑) One and the Same.
葛城は賀茂氏の故郷。
また、役の行者が一言主の中世バージョン(行者が一言主を縛り上げて、使役することになっている)。修験とつながっていきます。
名前を替え、ちょっとずつバリエーションをつけながら、神話は生きのびていく。
タケイカヅチは、記紀ではコトシロヌシを調伏・支配する、タケル役。
型としては、タケミカヅチ(=賀茂のワケイカヅチと同型のバリエーション)もコトシロヌシも同じ、「小さ子」「荒ぶる新玉」のはずですが。
記紀の記述のごちゃごちゃさは、こうして生まれる。典型になっています。
(ついでに。京の賀茂社では、ワケイカヅチという腕白坊やのジッチャンが、カモノミオヤ神。
この神が、タマヨリビメにとり憑いて、新生したアラタマが、別雷神。若き雷の神。マリアにおいて、父が子として再生する、キリスト教と同型。
タマヨリビメは稲であり、稲からナル(成る、生る、鳴る)イナヅマが、ワケイケヅチ神。
コトシロヌシも、葛城では、同じように、田からナル神とされるようです。
同型の神さまたち。神話の目玉はひとつしかない。
→AZ::Blog : 兄者と妹者 前篇)
事代主は、タケミカヅチに迫られ、国譲りして、その後、
船を踏み傾けて、天の逆手を青柴垣に打ち成して隠りき。「古事記」蘆原中国平定
うつほ舟だ。
「天の逆手」という謎のフレーズ。
スクナヒコナと同型神話と見れば、この小さい神も天に帰るなり、うつほによりつくなりするはず。
少彦名神が天のカガミ船で登場する際、
「ヒムシ(=太陽虫、常世虫、アゲハ蝶?)の皮を内剥ぎに剥ぎて衣にし…」
をまず少し思います。
「内剥ぎ」という剥ぎ方。蝶がサナギ(=うつほ)の時、羽を裏返しにしているとイメージしてるんでしょうか。
古事記の少彦名・大国主ペアの条では、最後に大国主(one and the sameの原則から言えば、少彦名と一体のもの)が御諸山(=ミモロ、ミムロ、御室、つまりウツホ)にこもる。
その表現は、「吾をば倭(やまと)の青垣の東の山上にいつき奉れ」。
青垣。
大和は国のまほろば
たたなづく青垣
山隠れる
大和しうるはし
この神はもともとは太陽のこと。
東から見れば山の端に夕日は隠れ、西から見れば山の端から朝日が生まれ出る。
この単純な現象を、死と再生に結びつけた。
比叡山(=日吉山)なんかも、太古にはそんな「太陽のうつほ舟」として、信仰されていた形跡があります。
京都だとほかに、将軍塚と大日堂のある、蹴上げの山もそう。
また、吉村作治先生は、ピラミッドについて、同じようなことを言っておられますネ。
うつほ舟にのって、よりつくもの。
Wikipediaの「えびす」の項目によれば、漁村ではイルカやクジラを「えびす」と呼んだり、水死体を「えびす」と呼んだり。
また、海中の石を拾って、エビスに祭ったりするそうです。
海から外来する神。
陸上だと、道で行き倒れる旅人、行路死人を神にまつったりしますが、その海バージョン。
*2
太陽が海に沈むから…と牽強付会のように見えますが、顔が真っ赤に輝く神・サルタヒコは、死ぬとき、浜で貝に噛まれて、おぼれる。
貝という海のウツホに入って、朝日になって再生する、という神話の断片と思います。
でだ。
「えびす」は、蛭子神と習合します。
蛭子(ひるこ)は、イザナギ・イザナミが最初に生んだ子。出来がよくないと、葦舟に入れて、流されてしまう神さま。
蛭子はエビスとも読むように、ふたつは「うつほ舟で流され、流れ着く」という、死と再生のイメージで、習合している。
だって、「うつほ舟」が少彦名はじめ、「小さ子」の基本伝承なんだから。同じものから分れ出た、恵比寿と蛭子が、また合流しただけのこと。
*3
イザナギ・イザナミのオノゴロ島での出来事で、蛭子の次に生むのが、淡島。
このエピソードは、しばしば「淡路島」近辺のこととカタられます。
アワがポイントなんです。ゴロ(雷=鍛治=御霊)の次にアワ(粟)が来るのが、開拓植民の方法。鉄器を作って開墾し、とりあえず粟を植えるものだったらしい。(その次の年から稲を植えて、残りの仲間を呼んで、本格的なクニ作りが始まる。ダイダラボッチ的開拓法の実際。)
そして、蛭子=エビスが漂着したのは、西宮。
西宮えびすです。
京都と、大阪・今宮と並び、三大ゑびす。
西宮は、境内を爆走して、福男を決めるので有名。
一番から三番までは、米俵とかエビスさんの像とかもらえるらしい。
二番より三番の景品のほうが、いいんだそうです。「残り福」ってことで。
でも、三番を狙うのも、それはそれで難しそう。
私も子供のころは、姫路城で元日、爆走してましたけどね。あれは景品は出ないんです。
若者(馬鹿者?)が勝手に暴走していたw
西宮は、傀儡…人形あやつり発祥の地。
■西宮神社 兵庫県西宮市社家町
五条橋と傀儡つながり。
*4
おそらく、商売・興行を通じて、人脈も物流もつながりがあった。
恵比寿さんは商売の神さま。
五条東詰には、江戸期までは、「物吉村」という集落があったそうです。
「ものよし、ものよし」と物乞いする人々の村。
物乞いというと貧しいというイメージですが、近世の手前くらいには、非常にシステム化され、富の再分配の装置として機能して、端的に言えば、かなり儲かっていたこともあるらしい。
*5
障害や病気のせいで「異形」と見られた人々は、古代のおける仮面をつけて訪れる神と同じものとみなされ、ちょうどハロウィンの鬼っ子たちにものをあげるように、喜捨・奉納するのが、当然だった。
*6
外来する神そのもの。時代が下るにつれて、だんだん「神」じゃなくなっていくけれど。
お正月には門つけ芸人が、少し前まではやって来たもの。節分の鬼も、今では追い払われてますが、もとは小豆を「あげた」のではないか。
日本列島がまだ「開拓地」であった、弥生時代の名残かと思われます。
平安の頃から、荒事もでき、隠然たる富と勢力を持つ、アウトカーストが集う五条。六波羅探題、検非違使、北面の武士…。
社会の周縁が、社会の中核と結んでいること。アウトカーストと権力中枢の結び目。権力の秘部。
もっとも卑小とされるものと、もっとも尊大とされるものの、one and the same。
御霊(ゴロ、五郎、ごろつき)の発現する渦目としての、シビアすぎるモドキ。
徳川時代には規制されていくようです。秀吉が五条橋を付け替えたりするのも、この勢力の利用と制御に関係するはず。
秀吉自身、そうした「荒神」の群れから出現したのだから。
彼らの祭っていたのは、安倍晴明。
五条の中洲にお堂があって、像が安置されていた。今、長仙院にある像がそれらしい。
ゑびす神社の南のあたりには、晴明塚があったとも。
民間陰陽師の信仰。声聞師(唱門師)と呼ばれる呪術の徒。ブードゥー。
晴明は、歴史上の人物というより、古代のトライブが信奉した神さまと同じもの。
実在した人物としての晴明も、そうした勢力とともにあらんとしたものだろう。
また晴明の使役せし式神は、堀川に温存されていたが、のち流されて、これが傀儡の人形使いの祖となったと、カタリあり。
傀儡とは、人形と人形使いのモドキであること。
晴明に限らず、義経や菅原道真、空海・空也、浄蔵貴所や元三大師、曽我兄弟や赤穂浪士など。
歴史ではなくて、伝説としてあがめカタり伝えられてきたものたち。
神はこのように生き延びた。神話は滅んではいなかったのです。
それをカタる人々の、経済的、きわめて現世的延命ともども。
つまり、これら伝説を分泌する、太古からほとんど変わらぬ人々がいた。
人口比的には、ほとんどがその人々
…つまり、私たちは彼らの直接の子孫と思われます。
…と、えべっさんから語り起こして、あちらこちらしました。
いろんなこと、わかるようになってきた(^v^)
だいぶ難しくなってきちゃったかなあ。
もうひとつだけそっと言いそえると。やっぱり「奥義」のようなものが存在するよーだ。
それは、「存在する」とは言えるけど、何かを言い表すことはできない。ゆえに「奥義」。体得されるもの。
もしそれが存在してなくても、「存在する」と言い募ること。けっして正体は明かさぬこと。
十字路の神に魂を奪われた者の、それが掟(・∀・)