AZ::Blog はんなりと、あずき色☆: タラをめぐる冒険6 「元三大師と節分」

タラをめぐる冒険6 「元三大師と節分」

written by overQ
February 3, 2008

盧山寺の鬼さん

追儺は昔から有つたが、豆打は鎌倉より後の事であらう。面白いのは羅馬ローマに似寄つた風俗のあつた事である。羅馬人は死霊を lemur と云つて、それを追ひ退ける祭を、五月頃真夜なかにした。その式に黒豆を背後へ投げる事があつた。我国の豆打も初は背後へ打つたのだが、後に前へ打つことになつたさうだ。
森鴎外「追儺」

元三大師と節分の鬼

元三大師、良源。
平安時代の僧侶で、比叡山延暦寺の中興の祖。
おみくじの創始者ともいわれます。
これまでも何度も取り上げたことのある、元三大師さんですが、今日は節分のこと。
大師ゆかりの盧山寺で、有名な鬼踊りを見てきました!

元三大師といえば、お守り。
二種類あって、「角大師」「豆大師」と呼ばれます。
下の絵は、角大師さん。
何か鬼みたいですが、大師は疫病神と戦うとき、このようなお姿になられたとか。
また、豆大師は、大師が33体のちびっこ観音となって、衆生をお守りくださる、とされています。マメは「魔滅」と書くんだともいいます。
(「角大師」の図像は、何かの文字のように思えるんですが。何だろ。鬼? いや、慈?)

角大師

「鬼」に「豆」。
そう、なぜか節分の豆まきを連想させる。

元三大師という名は、良源さんが元日三日に亡くなったことから、親しみをこめてこう呼ばれます。
正式には、慈恵(じゑ)大師だけど、民間信仰としてはきっと「元三大師」。
この元日三日というのも、もともと節分と重なってるのかもしれない…というようなことを思ってみるのが、今回のお話。


鬼がやって来る日

「円居草子」という中世後期くらいの仮名草子に、以下のような条りがありました。
(この本は、ほかに言及した書物がなくて、孤立した珍本なんだそうです。)
鬼は元日三日にやって来る。

元三の旦(あした)、若水を汲みけるとて、宵より井を清め、つるべひとふためくらして、門のわたりを見侍りしに、まだあけぼのゝそらさだかならねば、それとはなしに足音あまた聞へ、門前に人のたたずむていなり。古掛せむる手代にもあらず。祝ありく賓客(まらうど)もなし。いかなる偸賊(ちゅうぞく)の者共にてやあらん。出合てとがめばやと思ひ、門をほそめに開てのぞき見れば、いまだ生ながら見ぬ鬼の形なるもの六七人たちやすらへり。

元日三日の朝、若水を汲もうと、宵から井戸を清めんと、つるべを一二度めぐらせて、門のあたりを見てみると、まだあけぼのの空はさだかでなかったが、どうやら足音らしきものがたくさん聞こえ、門の前にたたずむ様子である。
古い借金の取り立てでもなし、お祝い事の門付け芸人でもなし。盗賊かなにかであろうか。
見咎めて問いただしてやろうと思い、門を細くあけて覗いてみると、これまで見たこともないような鬼の形のものが六七人立っているのだった。

鬼は「疫れいの神」とされ、
「年の始めにあらゆる人家を廻り、その家内の風俗をうかがう。主人に非道なしといへども、下僕に罪あれば、入て災をなす」

なまはげみたい。
鬼やお化けの扮装をして、家々をまわる風習。
ヨーロッパでいうハロウィンのような。
季節の変わり目には、このタイプの祭り、つまり

「鬼がやってくる→食べ物をあげる」
「福神がやってくる→宝物をくれる」

という方式の祭りが、世界中たくさんあるようです。クリスマスもそうだし、えべっさんもそう。レアなものなら、バーントゥとか。

「鬼は外、福は内」と、鬼と福神は別な存在のようになっているけど、もともとは同一なんだと考える。
禍福あざなえる、両義的な荒神
「絶対値」という数学の考え方がありますが、あれと似てる。
プラス(福)かマイナス(禍)かは、人間が勝手に決めること。

古代にさかのぼるほど、符号の方向性が見えなくなり、「絶対値」の感が強まる。人間は無力で謙虚。禍福のいずれをもたらすにせよ、荒神をたてまつるしかない。
福を溜め込んでいるつもりが不幸になったり、災いばかりと思った人生が振り返ってみればそのおかげで豊かなものになった…というのは、今でもままあること。
鬼は、神かな、悪魔かな。

踊る赤鬼

伝説拾遺論

ちょっと余談。
ヨーロッパと日本でよく似た風習や伝説、昔話が見られることは、これまでも書いてきました。(→「ケルト=京都説」)
これって柳田國男の方言周囲論(「蝸牛考」)を世界大に広げて、方言の代わりに神話・伝承を想定すると解けないだろうか。
ユーラシア大陸の西と東の端っこのほう。古いものが最後に吹き寄せられ、吹き溜まり、残留している、と。

時代的には新しくても、じつは非常に古い起源を持つもの。
大文明が発展してしまったアジアの真ん中あたりでは早々と消えてしまったものが、かえって端っこのほうに残っている。
「世界がまだ無限に広がる平板だった時代」。つまり、アフリカあたりで発祥したという人類が、いまだユーラシアを東へ西へと歩き、テリトリーを広げていた時代。
そんな時代に人類が持っていた生活方法やものの捉え方が、日本列島や朝鮮半島、ケルト・ゲルマンには残っていたのではないか。
時代は新しくても、かえってローマやエジプトやインドや中国よりも、古い由来のものなんじゃないか。
それが民俗学の対象となっていた、あの不思議なお化けや伝説・昔話、あるいはグリムからトールキンまでも魅了した妖精たち…そんなふうに、今は思い始めています。

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豆をはさむ大師

さて、元三大師に戻ると。
宇治拾遺物語に、元三大師良源のエピソードがふたつ出てきます。

ひとつは、「慈恵僧正、戒壇築たる事」。
故郷の近江国浅井郡虎姫で、檀家の郡司と賭けをする話。
煎った大豆に酢をかけると、皺がよって豆がつかみやすくなり、これを「すむつかり」というのですが、 *1
慈恵僧正(=元三大師)はそんなことをしなくても、自分ははさめるよ、何なら豆を投げてよこしても、はさんでみせる、と豪語。
そして、もしちゃんと豆をはさめたら、お寺の戒壇を作ってくれるように、と郡司に約束させ、見事、果たすというもの。

元三大師の大きな功績のひとつは、叡山の寺の建物を再建したことにあり、その由来をカタっているらしい。 *2
でも、これって、またしても節分を思わせずにいない。
煎ったを投げつけられる、元三大師さま。鬼は外、福は内。
お守り「角大師」で、まさにの格好をしておられる大師さま。
そして、もうひとつのお守りは、三十三人のミニ大師(=観音の化身)となった姿の大師さまで、「豆大師」と呼ばれること。
祓うものと祓われるものが同値になるという、符号なしの絶対値。

鬼の田楽

元三大師の寺である盧山寺は、鬼が田楽らしいものを踊る鬼踊りで有名なお寺。古い様式の節分を残すと言われています。
(以前は船岡山のふもとにあったのが、応仁の乱で焼けて、今は寺町通り、御所の東、かつての紫式部邸跡にあります。なぜ紫式部かも気になるところ。小野グループの仕事か。また明智光秀に嘆願して、信長による焼き討ちを免れたため、明智とつながりが深い。信長が比叡山の何を恐れて焼き討ちしたか、ということ。)

節分は、宮中で大晦日の夜に行われていた「追儺」の儀式が民間にも広まったとも言われますが、それにももっと古い由来があるにちがいない。
中国から伝わった追儺に、日本土着の豆まきが習合しているようなのですが、ともに神や魔に対する発想や態度が似てて、混同しやすい習慣だったのかもしれません。

禍福ともに備えた神が到来し、これをもてなす…とともに祓う。絶対値。
柳田國男のいう「神を助けた話」、蘇民将来(風土記に出てくる「神を助けた話」で、祇園祭の源)とも同じ淵源を持つものと見ることもできる。
人類にとっては馴染み深い風習であり、石器時代までさかのぼっても、きっと似たものが見つかるんじゃないか、と思ったりします。

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またまたダイダラボッチ

元三大師は、近江国浅井郡、今の虎姫町の出身。
琵琶湖周辺は非常に古くから人が住み、古墳時代にあったような古い風習が、中世くらいまで、濃厚に残っていたんじゃないかと思う。
比叡山も、最澄が延暦寺を開くまでは、この人たちのテリトリーだった。

比叡山のふもとには、西の上高野に小野毛人墓があり、東の坂本から北の琵琶湖沿岸(真野、小野、和邇)は、小野氏ゆかりの古墳やたたら遺跡、神社がいっぱい。
その北には、大井子の高島があり、余呉湖を越えて、虎姫へ。
元三大師はこのトライブの末裔であり、琵琶湖周辺にこの人々のネットワークが存在していて、大師の勢力のバックボーンとなっていたのではないか…というのが、今思ってる線。

ダイダラボッチ(片目片足=太陽の目玉、雷の足をもつ、巨大な天神)を信仰してた人たち。
鉄器生産を中心に土木・建築・灌漑・農業をいとなむのが得意で、だから元三大師による「再興」は、伽藍の再建築から始まるんじゃないかと。

じつは元三大師の高弟で、大師の次に天台座主(=比叡山のボス)となる慈忍和尚は、「一眼一足法師」と呼ばれます。
一つ目で片足の姿に化身し、怠ける僧を鉦を叩いて脅した、とカタられる。
延暦寺東塔の総持坊の玄関に、今も「一眼一足法師」の図像が掲げられており、比叡山七不思議の筆頭に数えられます。

日本の仏教の始まり方。
「ダイシ」「おたいしさん」と呼ばれ、庶民的信仰を集めるのは、聖徳太子、弘法大師、そして元三大師の三人のダイシさまが代表的。
タイシ・ダイシつながりで、しばしば混同される。(盧山寺は、聖徳太子・弘法大師・元三大師の彫られたという像が揃い踏み。)
ダイシは「大い子」(=ダイダラボッチ)であるという大胆な説を、柳田は考えていたふしがある(「大師講の由来」など)。
ダイシさんはみな、いちじるしく伝説化されていて、実在の人物からかけ離れた伝承が多数伝わっている。仏僧というより、神様としてまつられる。開祖というより、ご本尊としてダイシさま像が鎮座まします。

弥生時代から古墳時代にかけて、列島を開墾しながら広がっていった、我々の祖先。
彼らの末裔の一部は、新時代を生き延びる道として、仏教を選ぶ。仏教のもとに組織されていく。 *3
建築土木、鍛治、鉄器による農業などにおいて、高い技術を持っていて、ダイシたちは彼らを背景にして勢力を得たし、また彼らもダイシたちを祭り上げることで、集団をまとめていた。
その時、古いダイダラの信仰が仏教とごっちゃになって、ダイシ伝説が生まれてくるんじゃないか、と。 *4
…また無謀な説を妄想してるんダラうか。。


*1 : 「酢むすつかり」は関西ではほとんど残ってないけど、「しもつかれ」などの名で関東のダイダラボッチ圏の郷土料理として現存。
*2 : 宇治拾遺のもうひとつのエピソードは、お寺の建物が崩壊するのを予知する話で、やっぱり建築がらみ。
*3 : 仏教を選ばなかったグループで、代表的なのは、申楽から歌舞伎までにいたる、歌舞音曲の徒。
*4 : 宇治拾遺の「笑い」は、古代の遺風を残すものたちを嘲弄するのが、ほとんど。そんな作者自身も同じタイプであり、僧侶である可能性が高い。


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