大念仏狂言がおこなわれた、千本ゑんま堂。
正式には引接寺といって、小野篁が開基とされます。
小野篁というと、清水坂の六道珍皇寺も有名。
篁公は、珍皇寺の井戸から冥府に通い、閻魔大王の補佐をしていた、とカタられる。
そして、嵯峨野の清涼寺には、「生の六道」なるものがある。
ゑんま堂と同様、大念仏狂言が地元の人々によっておこなわれる、清涼寺。
ここには、珍皇寺から地獄に赴いた篁が、この世に戻る出口として用いた井戸があったと。
(清涼寺の東、徒歩五分ほどのところに「福生寺」という寺が江戸時代まではあって、
そこに「生の六道」である井戸が七つあり、お地蔵さんがまつられていたそうです。
今はガソリンスタンドのところに、大きく「六道の辻」の碑が立ってます。)
また、篁公は紫式部と縁があって、千本ゑんま堂には、14世紀に建てられた式部の供養塔がある。
さらにゑんま堂から船岡山のふもとを東にいったところに、小野篁の墓所と伝えられる塚があり、なんとその隣には紫式部の塚が並んで冥っています。
源氏物語の作者である紫式部。
男女の愛欲を描いた罪で、地獄に堕ちたところを、閻魔の補佐である篁公の口添えで、助けてもらった、という伝説。
これが、篁と紫を結ぶもの。
篁といえば、「地獄に堕ちた人を再生させる」というのが、お約束のカタり。戻し屋タカムラ。
また、たぶん篁の伝説をカタる人々が、紫式部とそれほど遠くない存在であったことも匂わせます。
ゑんま堂のある船岡山のふもとは、もともと墓所。
おそらくは平安京以前からの埋葬地であったかとも。
珍皇寺のある清水坂も、六道の名が示すところの、この世とあの世のサカイの地。
清涼寺のある嵯峨野も、墓所として知られた場所。
小野篁ゆかりの地というと、もうひとつあって、それは伏見の六地蔵・大善寺。
ここも六地蔵(墓地の入口にはきっと祀られてる)の名のとおり、あの世とこの世のサカイとされた場所。
篁が死んだとき、地蔵の導きで再生した、という伝説によって、建立されたという六地蔵。
六地蔵、嵯峨野、船岡山、清水坂。
京の東西や南の果て、というべき地ばかり。それらはみな、古い墓所であること。
澁澤龍彦は、嵯峨野の清涼寺を訪れた際、「生の六道」を見つけて、入口のある珍皇寺からはずいぶん離れていることを思い、「地獄とはずいぶん広いものだ」という感想を抱いたそうです。
澁澤龍彦の古寺巡礼 (コロナ・ブックス)
澁澤 龍彦
¥ 1,680 / 平凡社
( 2006-11-25 )
通常24時間以内に発送
by AMAZ君(改)
こうしてはっきりとわかるのは、伝説としてカタられる「小野篁」という存在は、墓所と深い関係にあるということ。
篁公は、「お地蔵さん」および「ゑんま大王」とアナロジカルな関係にある。
篁=地蔵=閻魔
という図式。
墓所を守っていた人々、葬儀を管理する人々の掲げるヒーロー(神)として、小野篁の伝説はある。
珍皇寺のある六道の辻は、六波羅であり、ちがう時代には検非違使を輩出する。
検非違使…裁判と警察をかねた荒事をつかさどるものら…つまり、閻魔と獄卒(鬼)、そして地蔵。。
検非違使―中世のけがれと権力 (平凡社選書)
丹生谷 哲一
¥ 2,520 / 平凡社
( 1986-12 )
by AMAZ君(改)
小野というトライブはとても古くて、また全国津々浦々に分布するという、興味深い特性がある。
小野という地名は至る所にあり、小野という名前も非常にポピュラーな姓。
滋賀の琵琶湖南西に小野の古い郷があり。
小野篁神社、道風神社、妹子神社があります。小野尽くし。
また古墳がきわめて多く分布し、タタラ場の遺跡もあって、古墳時代から続く由緒ある小野グループ。
*1
野を拓くものら。列島の開拓者たち。
関東の武士には小野を先祖と称するものがあるそうで(→Wikipedia「横山党」の項。八王子=牛頭天王の子らの信仰をもたらしたのは、この一統のように思える)、積極的に外地に開拓に出て行った結果ではないでしょうか。
鉄器と石をもちいての土木が得意。古墳時代の遺風をのこす。
むしろ、古いやり方のままだったせいで、外へ外へと出ていかなければならなかったのかもしれない。
小野といえば、また小町のカタリも、小野グループの一派の仕業かと思われます。こちらは遊行のニュアンスが濃い。
旅を棲みかとす。。
古墳と小野が関係してる…と仮定すると、いろいろ興味深い妄想が湧きます。 *2
古墳はまさしく墓所。
小野トライブは、古墳時代から続く、死と生の神秘主義、そのレジェンドを伝えていた。
また、天照大神の天の岩戸隠れのエピソードは、古墳での儀礼を表わすのではないかという説があります(講談社学術文庫版「古事記」解説)。
天の岩戸といえば、アメノウズメの踊りで知られ、神に奉納する歌舞音曲の始祖。
すると、一挙に、ゑんま堂や清涼寺の狂言につなげてみたい衝動にかられます。
つまり、「お隠れになった太陽を呼び戻すウズメの踊り」と、「ゑんま様に頼んで死者を蘇らせる狂言」が重なり合う。。
(事実、アメノウズメの後裔とされる猿女君一族の子女は、小野氏の男子と婚姻する風があったらしい。ウズメと小野は深く結び、小町はおそらくウズメの転生とみなされている。→柳田国男「小野於通」)
古事記 (上) 全訳注 講談社学術文庫 207
¥ 840 / 講談社
( 1977-12 )
通常24時間以内に発送
by AMAZ君(改)
嵯峨帝により隠岐に配流されるものの蘇ってまた出世した小野篁。
篁公をヒーローとした人々は、生と死のサカイにあって、その導きをなすお地蔵さん(ゑんま様、あるいは道祖神)を、篁とアナロジカルに結び、「死と再生」あるいは「反対の一致」という神話のプロトタイプを燃え上がらせていたようです。
*3
もう少し妄想の風呂敷を広げておくと。
古墳はやっぱり母胎であり、死者を再生させる装置にちがいない(断定口調)。
ピラミッドなんかもそうなんでしょうか。死者というより、あれは太陽を蘇らせる装置だと、吉村先生はテレビで言ってたような気がする(ちょっとうろ覚え…汗)。
葬られるのは人間というより、その一党で「神」としてシンボル化されるもの。
太陽あるいは鉱石(山という母胎で育つもの。錬金術師のいう金、タタラつまり太郎、桃とか金とか浦島とか)に結ばれる存在。
鉄器の到来は、山師・鍛冶師(=錬金術師)の呪術的思考を同時にもたらした。
それは古墳時代にピークをむかえ、だんだん衰えていったけれど、民俗の端々に残っているのだと。
…私がタラと呼んでいるもの。
それは、よみがえる。