AZ::Blog はんなりと、あずき色☆: 積読でバベルの塔を! アーカイブ

中沢新一の講演に行った。

written by overQ
October 31, 2004

緑の資本主義・中沢新一緑の資本論きのうは、雨の中、中沢新一さんの講演に行きました。
場所は同志社大学。お題は、「一神教と多神教」。大入りでした。300人くらい。しかし、学生は…少ないw

中沢氏と、同志社大学神学部の若い教授・小原克博さんの講演、ディスカッションで、三時間半。
難しい話で長いかなぁと思ってたけど、あっという間でした。

中沢新一、講演の名人でした。
原稿もメモも用意せず、語りに語る一時間。
よどみなく、論旨明快。構成も、図解できるくらいクリア。
神業でした( ゚Д゚)ポカーン

芸として完成してます。
「日本の話芸」として、記録すべき何かが、そこにはありました。先生というより、まず師匠と呼ばれるべきかもしれません。金八先生をアカデミックにしたような(w
たぶん、中沢さん、原稿を書くときも、こんな風に一気書きするんだろうなぁ。いっぱい本を出せるわけです。

以下は、講演の主旨を、自分用にメモ。

「一神教はたがいに不寛容で、国際的問題の温床になっている。多神教的な考え方で世界を救おう」といった論調が、日本の言説空間の各所で増えているとか。
これに異議を唱えようと、同志社大学の一神教学際センターが主催したのが、今回の講演。
比喩的に乱用される一神教・多神教というタームを、もう一度、検討しなおそう、というものです。

中沢新一は、旧石器時代の、宗教の原型、種としてのヒトの思考形式に着目、ここに一神教と多神教の萌芽を見出します。

最新の考古学によれば、旧石器時代、男たちは結社のようなものを作り、洞窟にこもって、闇の中でトランスし、「光」を見た。
一方、女たちは、日常の光の中で、生命や現象の多様な展開に、精霊を見出す。
乱暴に言えば、これが一神教と多神教の起源。ふたつは相補的な関係にあり、一方だけでは成立しなかった。
これは、また、ふたつの人間の思考パターンであり、ネアンデルタール人にはなかったもの(ほんとか?)。

アメリカ大陸。
宣教師が、インディアンに、「世界を作り出したのは唯一の神」と説明すると、インディアンの族長は、「そんなことは知っている」と答えた。
世界は、無数の精霊たちによってできているが、精霊の王、高みでこれを統一する根源、グレート・スピリットが存在する。高神。

ヒンズー教シヴァ派。
シヴァは、男性器と女性器の合体として表される。女性器の表す多様な世界像を統一する高みとしての男根。
多神教といわれるヒンズーも、一神教的なものを持っている。

偶像崇拝の禁止。
語りえない、形にできない、絶対者としての神。
しかし、そのまま不可知のものとして絶対化すれば、宗教は生じない。媒介となるものを、考えていく。
媒介を工夫することが、宗教の思考の活性化。

神の子、というキリスト教の考えは、この媒介のひとつ。当時の中近東社会を大いに刺激。神の肉化。全体部分。無限有限。

キリスト教の三位一体説。
これは、一神教の原理(父と子)に、多神教を織り込んだもの。このシステムが、資本主義を形作る。
精霊。天使はイスラムで鍛えられた考え方。

三世紀。キリスト教神学者は、貨幣とキリストのアナロジーを考えた。価値そのものが、物質の衣装を持って現われる。それがキリストであり貨幣である。

まだ、話は続くらしいのですが、このへんで時間が来て打ち切りに。

小原さんの講演は、レジュメをもらったので、はしょる。

  ++

お話自体は、とても面白く、新しい情報、ふつう組み合わされないものどうしの組み合わせ、言われてみないと気づかない角度からの切り込みなど、知的刺激に満ちてました。
ただ、お題となってる「一神教と多神教」は、原理主義の問題に対して出てきてる反応。
用語の選択は適切でないが、「寛容」の問題をめぐるもの。
「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」(渡辺一夫)、という難問。考えてると、人を狂信に導く何かがある難問。エラスムス、ラブレー。ヒューマニズムは、どこかで狂気に通じている。
この難問に立ち止まらない人々。テロ事件を起こしているイスラムの原理主義者、ブッシュ大統領の支持基盤のキリスト教原理主義者。何が、彼ら彼女らにやすやすと「答え」を選ばせるのか。
この点への問題意識が、今回の講演では直接的には言及されなかったので、アクチュアルな感じに欠けていたのが残念。この講演の主旨に対して、原理主義者たちは聴く耳を持たないだろうから。




TB企画 「食欲の秋? おいしそうな食べ物が出てくる本を教えて!」@本好きPeople

written by overQ
October 21, 2004

cover読書の秋、そして食欲の。
というわけで、本好きPeopleさんのTB企画「食欲の秋? おいしそうな食べ物が出てくる本を教えて!」に参加させていただこうと思います!

取り上げてみたいと思う本は、「荘子」です。中国の古典の、あの荘子。家田荘子ではないです。

さて、ちょっと余談から。
料理番組などで食材をスパスパ包丁で切ってるのを見ると、私はいつも衝撃を受けてしまうのです。
うちの包丁、ぜーんぜん切れませんから( ;∀;)

テレビの映像が、どうしても信じられません。肉でも野菜でもスパスパやるじゃないですか。あれは、CGとしか思えんです。
包丁で人を刺したニュースを聞いても、いつも半信半疑。包丁で人が刺せるのだろうか…。
犯人が、うちの包丁を使ってたら、犯罪は未然に防げたのではないかと…w

包丁。
刃物を意味するには、変な漢字。調べてみると、もともとは人名なのだそうです。
荘子に出てくるエピソード。包丁(庖丁)という名の、料理の達人の話。

包丁という料理の達人がいた。
皇帝のため、牛をさばく。あまりの見事な腕前に、皇帝がその極意を問う。
そして、包丁が答えた。
「技巧を超えた道を目指しております。
はじめてさばいたときは牛ばかり見ておりましたが、今では目で見ることはありません。
心でそれに対しております。
体にも肉にも、本来、目には見えない微細なすき間があります。そこに、そっと、刃を通してやるだけ。
それで、肉はハラリと落ち、骨もすじも離れます。
私は、刃をこの十九年、研いだことがございません。その必要がないからです。
善悪・真偽のごときものも同様に、入り組んではいても、そのすき間はあり、特別鋭利な武器を用いなくとも、そっと刃を通してやれば、離れるものではないでしょうか」

あらましはこんなところ(脚色あり)。
「荘子 養生主篇第三」。
すごい法螺話です。あきれます。感動します。
刃を研がないところも、共感します。うちのも、年に二回くらいしか、研ぎません。しかも、簡易研ぎ器。私は正しかった…。

荘子って、考えてみれば、全編がこんな具合に、とてつもない法螺話の宝庫。これまで、どれほどの人をだましてきたのかと思うと、気が遠くなります(笑)

料理というより、まだ食材のレベルなんですが、包丁の話、はじめて知ったときは、かなり感動しました。すっかり、だまされちゃいました。妙に深遠だし。。
包丁って言葉が、今も現役バリバリで伝わってきてるのも、すごいです。時代を超えて、みなさん、この話を信じ、大切にしてきた証拠なんですね。
湯川秀樹博士は、荘子を読んで、中間子理論をインスパイアされた、と言っておられるそうです。それも、法螺話みたいな…。あるいは、それは家田荘子のことなのか。。




たら6 「あなたの棺桶本は?」

written by overQ
October 20, 2004

たらいまわしやってまいりました、たら6。
…ちょっと出遅れております(侘

今回は、『どこまで行ったらお茶の時間』の七生子さんからのお題で、
「今現在のあなたの棺桶本を教えてください。」

これが、なかなか難しいです。
まず、燃えやすい本であることが必要です(獏
火葬場では、肉体は燃え尽きても、本は中まで焼けないことが多いです。
父の葬儀のとき、辞書を燃やしたんですが、ちょっと燃え残っちゃいましたw
父はさぞやあの世で、「肝心なところがないやないか」とぼやいてると思います。
燃え残った分、私のときに焼いて持って行きますので、辛抱強く待っててください(長生きする予定の孝行息子より)。

陶淵明全集・岩波文庫さて、父じゃないけど、私もほんとは辞書が持って行きたい。大漢和。全十五巻
…絶対ムリ。遺族は断固拒否。火葬場でも拒絶の憂き目に合うこと必至。
燃えやすい素材の大漢和はないものか。。

で、やむをえず、もっと薄いやつで探すとなると、…「陶淵明全集」全二巻・岩波文庫
繰り返し読むほど、味わいが深くなる、不思議な詩文の数々。

栖栖失群鳥  栖々せいせいたり 群れを失いし鳥
日暮敞独飛  日暮れて なお独り飛ぶ
徘徊無定止  徘徊して 泊まりも定まりなく
夜夜声転悲  夜々 声はうたた悲し

陶淵明(356-427)。120篇あまりの詩が伝わっています。田園詩人、隠逸詩人などと呼ばれることも。杜甫も李白も、魯迅でさえ大リスペクト。
表現ははてしなくなにげなく、天衣無縫
神仙を歌っても、天空を歩いてる感じはなくて、どこまでも人のカタチがあります。
貧乏や不遇を歌っているのに、悲惨や哀れがどこかで立ち消え、ゆるやかな光が芯のところに残ってくる。
自己を憐れんだつもりが、なぜか鋭い社会風刺となり、しかもそれを許すような境地まで達する。。
ありふれたフレーズなのに、この人の詩の中だと、他の字句では置き換えられない説得力があります。
かと思えば、思いっきりトリッキーな表現で煙に巻くこともできる。。

結廬在人境
而無車馬喧
問君何能爾
心遠地自偏

人里に小屋を作って住んでいる。
それでも往来のうるさい音はしない。
なぜそんなことができるか。
心がこの地を遠く離れているので、自然と世界もひなびてくるから。


何でも歌っちゃうのも特徴。思いつくがまま。面白い歌もたくさんあります。
たとえば、禁酒の歌。
「止」という字を各句に入れ、「今日でほんとに止めましたから(今朝真止矣)」と宣言(ぜんぜん詩の言葉になってないw)。酒を止めたあとの健康な世界を夢見ます。でも、間違いなく、このおっさん、次の日には酒をがぶがぶ飲んでたでしょう。

本当に、読めば読むほど、不思議な味わいに包まれます。
苦いはずの人生が、噛んでいくうち、甘くなる

酒能払百慮
菊解制頽齢
如何蓬廬士
空視時運傾
塵爵恥虚樽
寒華徒自栄

酒は憂いを取り除き、菊は老いさらばえるのを防ぐとか。
あばら家の主人よ、どうした。
時が流れ命が傾くのを、黙って見ている手はないだろう。
ほこりのつもった盃を、空っぽの樽が恥じている。
秋の寒さの中で菊だけが、いたずらに咲き誇っている。

松岡正剛の千夜千冊『陶淵明全集』陶淵明…この解説は、「千夜」の中でもとくに好きです。正剛さんが入院されたとき、これを読んでしんみりしてました。すぐ退院されたんで、損した気持ちよかったです。




精華大学の図書館でマンガを読む

written by overQ
October 16, 2004

京都精華大学・情報館今日は朝から、京都精華大学の図書館にこもり、マンガを読みふけりけり。

あずみ20世紀少年バイオレンスジャック、はコンプ(連載中のもあるけど)。
あしたのジョー水滸伝日本一の男の魂は途中で脱落。
もう、マンガ酔いで、気持ち悪いです。今夜、知恵熱出るかもしれない。
小山ゆうさん、浦沢直樹さん、もっとちゃんちゃんと手早く話をまとめるように。

精華大学は、京都市の北、岩倉というところにあります。
うちからはまあまあ近くて、自転車で20分くらい。

精華大の目玉は、なんといっても、マンガ学科があること。竹宮「風と木の詩」惠子先生らが教授。

おかげで、図書館もマンガがいっぱい。マンガの蔵書は、三万冊
学生だけでなく、一般にも開放されていて、名前を用紙に書くだけで、無料で閲覧できます(貸し出しは、カードを作る。三年有効、1000円)。
お子様もいっぱい。
小学生たちがワンピースを読みふけるとなりに座って、バイオレンス・ジャックが子どもの首をちょん切るシーンを読むという、なかなかおつな状況になっております。

レンタル屋さんみたいマンガだけではなく、ビデオ・DVD・LD・CDなど、マルチメディアにも強い。
アニメも多数あります。お子様たちが名探偵コナンを見る横で、ユーリ・ノルシュティンを見るという、許されざる隣接が出現しております。

もちろん、フツーの図書館でもあり、もともと美術系の大学なんで、海外の大判美術書など、たいへん珍しいものが満載。
あと、なぜか文庫本が充実していて、講談社学術文庫からハヤカワ文庫まで、おおむねそろっているようです。

個人的には、入口のカードリーダが好き。
子どもにも人気らしく、みんな嬉しそうにカードを通してました。私も、お子様たちに続いて、シャーッとカードを通して、気分はネルフ。一瞬、綾波の幻を見ました。



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