AZ::Blog はんなりと、あずき色☆: カフカのK(カー) アーカイブ

カフカの友人クービン

written by overQ
March 10, 2006

カフカの友人にアルフレート・クービンという人がいます。

Alfred Kubin。クビーン、クービーンと表記されることも。
1877年生まれ。カフカより五つ六つ年上の画家。
日本ではそれほど知られていませんが、幻想的な画家として好事家には愛される存在。ネット上にも公式サイト(?)あり。

墓地の塀ゴヤクリンガールドンムンクといった系譜につらなると考えられます。
クレーカンディンスキーら若い仲間とともに、「青騎士(デル・ブラウエ・ライター)」というグループを形成(パウル・クレーの作品を最初に買ったのが、クービンらしい)。
象徴主義の継承者で、表現主義者の同志を持ち、シュールレアリスムの先駆…というのが美術史的な位置。
とはいえ、19世紀末から20世紀前半、めまぐるしく画壇の流行が変わる時代にあって、新形式には目もくれず、独自の道を進みました。

本の挿絵もよく描きました。
ポー、ホフマン、ネルヴァル、ドストエフスキーといった幻想性の強い作家の作品。
挿絵の仕事は70冊あまり、生前出版のデッサン集も20冊を超え、千点以上の作品があるようです。
1959年、82歳で死去。カフカの倍ほど生きてます。


★カー様とクーちゃん

カフカはクービンを非常に尊敬していたようです。

自分と近いものをこの人に見出し、また先行者として恐れや、場合によってはやっかみも抱いていたように思えます。

クビーンの特徴。彼の顔の動きは非常に激しいが、やや単調。同じ筋肉運動によって、実にいろいろな異なったものを描き出す。彼が座っていたり、立っていたり、背広を着たりするだけだったり、オーバーを着ていたりするのに応じて、年齢、背丈、頑丈さ加減がいろいろ違ったふうに見える。
カフカの日記 1911年9月30日―「決定版カフカ全集7
いかにもカフカらしい描写。同時に、クービンの絵の作風にも言い及んでいるかに見えるのが、すごい。
便秘で悩むカフカに、レグリンという下剤をすすめるクービン(笑)
彼はぼくの腕の一部を見て、「あなたは本当に病気ですよ」と大声で言った。そしてそのときからぼくをずっと寛大に扱ってくれるようになり、あとになって他の連中がぼくを売春宿に連れて行こうとしたときも、それを止めさせた。別れ際にも、遠くから、「レグリンですよ!」と大声で叫んだ。
日記
傾聴する人カー様にとってクーちゃんは、下剤の人として認識されていたようです。
あと、この文章、いたく精神分析的興味をかき立てるものあり。
売春宿行きを阻止した年上の友人は、カー様の「溜まっていたもの」を排出させてくれる下剤をすすめる…。

そこはかとない愛情で結ばれる先輩後輩な二人。
カフカはクービンに自分に似たものを感じていたようです。
クービンの父は退役軍人。カフカと同じく、骨太な親父。そして息子は軟弱、蒲柳の質。
ピアノに堪能だった母は、クービンに物語と音楽の楽しみを教えたが、若くして亡くなる。その直後、初めての性体験。
一方、息子を軍人にしたい父。父との確執で、クービンは自殺未遂など精神的危機も経験したようです。
画家になってからも、最初の妻があっけなく死んでしまう。母のことを思い出したのか、精神的に不安定になるクービンを、画家友だちの妹が看病し、それが新しい結婚に結びつく。新妻を得てようやく、自分なりの道を見出し始める。カフカはその時期の友人。

そういえば、クービンの父は退役後、国家測量士をしてるんですね。
測量士。「城」のKが名乗る職業。国の形を測定する仕事。
軍人の天下り先で、たぶん年金なんかもよかったんじゃないでしょうか。
クービンの父の職業が、「城」のKの職業のヒントになっているのか…。
うーん、「はらたいらに三千点」とまではいかないけど、「竹下景子に1500点」くらいの確率で、そうかもしれない。
ただ、Kは測るべき国をもたない測量士でしたが。

さらにクビーンについて。
たとえ自分がそれについて述べた意見によって他人との絶対的な不一致がわかっても、他の人のその最後の言葉を、ともかく同意する調子で繰り返して言う癖。これは腹立たしい。―彼のいろいろな話を聞いていると、人は彼がどんなに値打ちのある人物かということを忘れてしまう。
日記
夫の優柔不断さにいらだつ妻のような文章。そして、カフカがクービンを非常に高く評価していたこともわかります。みんななぜ彼の重要性に気づかないんだと。


★「対極」

画家クービンは、一冊だけ長編小説を書きました。
対極―デーモンの幻想」die andere Seite: Ein phantastischer Roman
原題は、「もうひとつの側面 the another side」というような意味らしい。ある幻想ロマン。初版は1909年。 *1
幻想小説としてたいへんな傑作です。ものすごく面白いです。当然挿絵入り。

[あらすじ]

ある日、主人公の少年時代の友人からの使いだというものがやって来る。
そんなに親しい友人というわけでもなかったが、目の輝きが印象に残った友人パテラ。
彼は今、とある経緯で莫大な財産を受け継ぎ、ヨーロッパ一の富豪になっている…と使いの者は言う。
そして、ジンギス・カンの末裔たる碧眼の種族の隠れ住む天山山脈でひそかに、人口数万の夢の国ペルレを形成しているのだと。
やがて友人の誘いにしたがい、妻とともにペルレにおもむく主人公。
そこは、古いものしか持ち込みを許されない国であり、奇矯な人々が不思議な生活をいとなんでいた。

というような話。
ユートピア物かと思って読んでいくと、ぜんぜんちがっています。
暗い霧のようなものが立ち込めている街の雰囲気…そう、カフカの作品と似ている。
主人公は、彼を誘った友人になかなか会うことができません。
そして後半はすさまじい幻想シーンに変貌。
弥次喜多in Deep」に通じるような、おそるべきインフレーションが待ち受けています。

アマゾンのカスタマーレビューでは、村上春樹「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」に影響してるんじゃないか説が。
「対極」にはクービンの描いた町の地図がついてるんですが、これが「世界の終り」の地図とそっくりなんで、この説が出てきてるように思います。
影響があるか…といわれると、まあ「篠沢教授に500点」くらいの確率で(笑)

村上春樹への影響は疑わしいけど、カフカへの影響は絶大です。
「城」や「審判」はこの作品なしには考えられないといえるほど。

夢の国ペルレの創造者パテラは、人間というより神。神というよりデミウルゴス。世界を創造した狂気の神。
後半は、ペルレにアメリカからの新しい住民ヘラクレス・ベルが流入、彼がルシファーとなって、神パテラに反抗する、というもの。
瑣末で暗い街の描写が、同時に神学的な象徴性を持つ…という発想を、カフカはクービンのこの作品から学んだように思えます。

パテラにはなかなか会えない。会うためにはお役所で手続きを踏まねばならず、それもいつまでたってもいっこうに処理されない。
と思えば、パテラらしき人物が、薄汚い土工の姿で主人公の妻に目撃される。
宮殿深くかくまわれているかと思った謎の神のごときパテラが、手ずから世界を作る土工の姿に。

物語の後半は、カフカとはちがって、「決着」がちゃんとつく。
この終り方が作品の見どころ。ある種のカタルシスがあります。カフカが下剤をイメージしたのは、正しいかもしれない。


★薄明の画家クービン

竜巻クービンは、カラーの作品をほとんど描かなかった。
たいていはペンによるデッサン。虚無を暗示する白黒の描画。

いわゆるデッサン力、写真のようにホンモノらしく描画することを、拒否している向きがあり、ちょっと見、ヘタクソに見える絵もあります(でも、ちゃんと描くときはちゃんと描けるようなので、意図的なものらしい)。

特徴的なのは、線をいっぱい描いて、線で線を消してしまうような、ゴチャゴチャした悪夢のような描き方。諸星大二郎系とでもいうか。

ぼくは、夜の眠りにおいてのみならず、いつも夢を見ていると信じている小さなミミズクの仲間だ。しかし、昼間の夢は、理性の強烈な輝きによって、たいていはかき消されてしまう。昼間のこの緊張した状態は、僕の場合、長く続くことは稀だ。その状態が弱まる際に、しばしばぼくの周りに歪んだ像がひしめいているのがわかる。ある状態から他の状態へ移行する瞬間が、ぼくにとっては芸術的にもっとも実り多い瞬間だ。
「忘れかけた国から」―『クービンの素描』解説
最近になってやっと、ぼくの内にあって適切な形を得ようとしているものが、精神的な中間領域―すなわち薄明の世界であることがわかるようになった。ぼくのつくったものはすべて、この半陰陽の薄明領域の烙印を持っている。…明らかに動揺している特別な瞬間に、ぼくは、あたかも地下のどこかに、あらゆる生命をたがいに結合させる神秘的な液体が流れるかのような、ある予感に襲われる。
「薄明の世界」―『クービンの素描』解説
月光というのが、クーちゃんの人類補完計画。
白黒なのは、それが色の未明な世界、昼でも夜でもない世界、現実と幻のはざまにあるからのようです。
(絵1「墓地の塀」…コウモリは薄明に飛び立つ。バットマンのポスターに使えそう。)
線が一本に決まらず揺らぐのも、同様な理由。描かれるものはまだ完全にはこの世界のものではない。
(絵3「竜巻」…アラビアンナイトのジンのように見える。イナバウアーか!
動物と人の中間のような物、物質と生命の中間のようなものを好んで描くのも、そのため。
(絵2「傾聴する人」…腰まで埋まっている人はよく見るとうつむいている。あるいは四ツ目。自画像という説あり。ダンテ「神曲」説もありでは。)
(絵4「月光」…どちらが罪でどちらが罰か。)

最後にもうひとつだけ。
カフカは、作品を創作することを、「書く」とは呼ばず、「引っかく」と言った。
ペンで紙を引っかく。
固いペン先で、紙の繊維を傷つけるように引っかく…ペン画に固執したクービンも、塗るのではなく、引っかくことを好んだようです。
世界に関わりあうも、べったり塗りこまれることはなく、やっと爪先で引っかかる程度。
世界に反抗するも、破壊したり刺したりできず、ガリガリ引っかくばかり。

クービン様 啓上
…いま私は、バルト海のまわりをあちこち動いています。あなたはきっと美しい地所の静寂のなかにひたって、お仕事をしていらっしゃるのでしょう。そのあなたのお仕事が私にどれほど意味を持っているか、やはりもう一度申し上げさせていただきたいと思います。
F・カフカ 拝
1914年7月22日消印のはがき―「決定版カフカ全集9

[本]
対極―デーモンの幻想…挿絵入り。野村太郎訳。法政大学出版局。
クービンの素描版画と素描 新装…野村太郎編。
・「裏面―ある幻想の物語」…「対極」の別訳。なぜか同じ1971年に二冊の翻訳が。河出、モダン・クラッシックス。
ウィーン 聖なる春ウィーン 聖なる春…池内紀編。「対極」の訳の一部あり。
ミュンヘン―耀ける日々ドイツの世紀末 3…クービン自伝の翻訳の一部があります。
Alfred KubinAlfred Kubin: Aus Meinem Reich/from My Realm…洋書なら画集がいっぱいあります。


*1 : クービンは32歳、カフカは26歳。このときはまだ出会ってない?カフカ日記にクービンが最初に登場するのは、二年後の1911年9月。



膝から下の楽園―カフカのM

written by overQ
February 26, 2006

変身ほかカフカ小説全集カフカ作品に登場するキャラクター。その配置には、ある法則があります。
「膝から下」に置かれることが妙に多いのです。

例えば「変身」のグレゴール・ザムザ。
ベッドの上で目覚めるところから始まる物語。
虫となった彼はやがてソファの下にもぐりこむことで、ささやかな安住を得る。ザムザの見る世界は、膝から下にだけ広がっている。

今後、自分の人生をどのように秩序づけるか、邪魔されずにゆっくりと考えることができる。しかし、心ならずもひらべたく床に這っていると、天井は高いし、まわりがガランとしていて、どうしてだかわからないが、不安でならないのだ。もう五年ごし住み慣れた部屋ではないか―半ば無意識に、かすかな恥じらいを覚えながら、彼はこそこそソファーの下に這いこんだ。
「変身」池内紀・訳

つまり食事を運ぶ妹の、膝より下の位置。

もっと口にあうほかの食べ物を持ってきてくれるだろうか? 妹が自分からそうしないなら、そのことを注意するよりも、むしろ飢え死にするほうがましだと彼は思った。その一方でソファーの下から這い出てきて、妹の足もとに身を投げ出し、何かいい食べ物をねだりたくてたまらない。
「変身」池内紀・訳

「城」。
Kは居酒屋で身を隠す。カウンターの下であり、つまりその位置は女(フリーダ)の足の下。

城カフカ小説全集「測量士のことはすっかり忘れていた」
と、フリーダが言った。そして自分の小さな足をKの胸にのせた。
「ずっと前に帰っていったのね」
「姿を見せなかった」
と、主人が言った。
「ほとんどずっと玄関にいた」
「ここにもいなかったわ」
そっけなくフリーダが言った。
「隠れているのかもしれない」
と、主人が言った。
「見たところ、信用がならない」
「隠れるなんて勇気がないと思うわ」
そう言いながら、フリーダは足をKに押しつけた。何か晴れやかな、自由なものをKは感じた。さきほどは気づかなかったことであって、それがなお高まった。つづいて彼女が笑いながら口にしたからだ。
「もしかすると、この下にいるのかもしれない」
言うなり身をかがめ、すばやくKにキスすると、すぐに身を起こし、つまらなさそうに報告した。「やはり、いない」
「城」池内紀・訳

膝から下の安住の地。

「掟の門」では、主人公は門の前に「子どもっぽくなって」うずくまっている。巨躯の門番のちょうど膝から下の位置。

すっかりぢぢんでしまった男の上に、大男の門番がかがみこんだ。
「欲の深いやつだ」
と、門番は言った。
「まだ何が知りたいのだ」
「掟の門」池内紀・訳

「流刑地にて」で処刑機械を発明した「先の司令官」の墓は、町はずれの喫茶店のテーブルの下にある。

「墓が見たいんだとよ」
テーブルのひとつを脇にずらした。たしかにその下に墓石があった。粗末な石で、テーブルの下に隠れてしまうほど背が低いのだ。小さな文字で碑文が切り刻まれていた。読み取るためには膝を打って屈みこまねばならなかった。
「流刑地にて」池内紀・訳

カフカが好んで書いた動物物語。
貂、ジャッカル、こうのとり、大きな尻尾をもったカンガルーのような動物、猿、二十日鼠、もぐら。それにオドラデク。
膝から下をその生息場所とする。

この先、いったい、どうなることやら。かいのないことながら、ついつい思案にふけるのだ。ややつは、はたして、死ぬことができるのだろうか? 死ぬものはみな、生きてるあいだに目的をもち、だからこそあくせくして、いのちをすりへらす。オドラデクはそうではない。いつの日にか私の孫子の代に、糸くずを引きずりながら階段をころげたりしているのではないか? 誰の害になるわけでもなさそうだが、しかし、自分が死んだあともあいつが生きていると思うと、胸をしめつけられるここちがする。
「父の気がかり」池内紀・訳

オドラデク、すなわちカフカの書いたものは、膝から下にある。
おそらく膝から上の世界(目的、意味、価値、解釈)を見上げることをしない。糸くずを引きずって、床を這う。

  +

長編作品のもっと大きな構造でも、このことは同じ。
「城」を見上げることなく、Kは城下町を這いずり回る。彼の仕事は測量士。膝から下が彼の仕事場。上は見上げない。
「審判」では裁判官にも上級審にも達することはなく、裁判は粛々とどこか上のほうで進行し、Kはその周辺を犬のようにめぐるだけ。
「失踪者(アメリカ)」のカール・ロスマン。アメリカの下層をかけまわるばかり。そもそもニューヨークに到着した時、彼は自由の女神の「膝から下」に位置した。

失踪者カフカ小説全集速度を落としてニューヨーク港に入っていく船の甲板に立ち、おりから急に輝きはじめた陽光をあびながら、彼はじっと自由の女神像をみつめていた。剣をもった女神が、やおら腕を胸もとにかざしたような気がした。像のまわりに爽やかな風が吹いていた。
「ずいぶん大きいんだな」
「失踪者」池内紀・訳

剣をかざす巨大な自由の女神。
「掟の門」の門番のように、入ることを拒むもの。
入ることを拒む女性。
アメリカに上陸したカール・ロスマンは、女性に力ずく押さえつけられる。

「動けるものなら動いてみたら」
「猫め、メス猫め」
怒りと恥じらいでカールの胸はつまった。
「頭のいかれたメス猫め」
「言ったわね」
クララはすぐさまカールの首に手をまわし、力をこめてしめあげてきた。カールはあえぎはじめた。クララはもう一方の手をカールの頬にのせ、しまいにピシャリとやるような仕草をした。
「一発くらわせようか」
とクララが言った。
「失踪者」池内紀・訳

クララという、カールと似た名を持つ女に、おさえこまれる。
そもそもカールが渡米しなければならなかったのは、年上の女中に誘惑され、その女中に子供ができてしまったからという。
クララのときと同様なマゾヒスティックな「誘惑」があったのではないか。

  +

毛皮を着たヴィーナス河出文庫カフカのM。
カフカの短篇「変身」は、マゾッホの「毛皮を来たヴィーナス」へのオマージュだと言われています(岩波文庫解説、またドゥルーズのマゾッホ紹介文の脚注)。
主人公ザムザ Samsa は、ザッヘル・マゾッホ Sacher-Masoch をもじったもの。また、グレゴールは「毛皮を来たヴィーナス」で女主人がM男クンに与える名前。
Mはまた、当時のオーストリア=ハンガリー帝国におけるマイノリティのMでもある。床を這いずるもの。上を見上げて直視することはない。
「変身」の最初のほうに出てくる「雑誌から切り取った絵」。これは「毛皮を着たヴィーナス」に出てくるティツィアーノ作「鏡に向かえるヴィーナス」だろうか。

  +

フロイトのフェティッシュ論。
「毛皮を来たヴィーナス」の読んだあと書いた論文らしい。

要するに少年が、女性にはまったく陰茎がない、という自分で見た事実を認めるのを、拒んでいたということである。いや、これが真実のはずはないし、なぜなら、もし女性が去勢されているのなら、自分が男根をもっていることも脅かされることになるから、そこで、自然が用意周到にもまさにこの器官をあたえておいた、一片のナルシシズムがこれに抵抗する。
フロイト「呪物崇拝」

女性にはおちんちんがない。それを見てしまった少年は、自分も去勢されるという恐怖を覚える。
もはや上を見上げることはタブー。見てはならないものが見えてしまうから(;・∀・)
女性の中にペニスの代替物になるものを見出そうとする。それがフェティッシュになっていく。たとえば、足フェチ。
…というような説。正しいかどうかは疑わしいけど、マゾッホを読んで論文を書くフロイトは、きっとカフカのMと同じ時代同じ社会同じマイノリティの同じ病気の中にある。
下着フェチについて、フロイトは、「男根がない」と気づく一瞬前、まだ脚と下着しか見てなかった、恐怖を知らなかったやすらぎを再現するものだ、という解説します。

婚約と婚約解消を繰り返し、結婚にはたどり着けないカフカ。
40すぎても、少年の頃と同じ顔をしているカフカ。
職業作家にはなりきれないカフカ。
長編小説が完成できないカフカ。
核心部分に到達できず、そのまわりを逡巡するKたち。
オーストリア=ハンガリー帝国のユダヤ人カフカ。
ドイツ語という外国語で書くカフカ。

カフカのMには快楽はないのです。
それはあまりにもささやかな膝から下の楽園。見上げることは禁じられている。見上げてもじつは空っぽの空があるだけではないか。

「断食芸人」で、断食を芸としている男は、やがて人々からあきられても、やっぱり断食を続けている。
サーカス一座の片隅の檻の中で、誰からも忘れられている。

ある日、檻が監督の目にとまった。立派に使える檻だのに、藁くずを入れたまま放っておくとは何ごとか。問われても誰にも返答ができなかった。一人が日数板に目をとめて、断食芸人のことを思い出した。藁くずを棒でかきまわすと、なかに断食芸人がいた。
「まだ断食しているのかね」
監督がたずねた。
「いつになったら止めるんだ?」

「どうしてほかに仕様がなかったのかね」
「つまり、わたしは――」
断食芸人は少しばかり顔を上げ、まるでキスをするかのように唇を突き出し、ひとことも聞き洩らされたりしないように監督の耳もとでささやいた。
「自分にあった食べ物を見つけることができなかった。もし見つけていれば、こんな見世物をすることもなく、みなさん方と同じように、たらふく食べていたでしょうね」
とたんに息が絶えた。

「断食芸人」池内紀・訳

断食芸人には、妹は食事を運んでくれなかったようです。
グレゴール・ザムザの死が、家族に生の華やぎをもたらしたように、断食芸人の死後、檻には命の横溢した精悍な豹が入れられる。アイロニカルなサクリファイス。生贄はやせているものが好まれるらしい。
気づいただろうか? 膝から下とは、十字架を背負って坂をのぼる、イエスの配置だと。K世界では彼は磔刑にはいたらず、ただ十字架を背負ってこれを無限に運び続けるばかり。。




カフカと死後の世界

written by overQ
September 18, 2005

来世とか、魂の不死を信じないなら、死は、体験できないもの、ということになる。
死の直前までは体験できる。そこまでは生の領分。
しかし、その先、崖のむこうは、闇が広がるのみ。夢のない眠りの部分のように、それは無だ…。

と、いうようなことを、人は人生のふとした折、思ったりするかもしれません。寒々とした思いに駆られるかもしれない。けっして長々と思い続けるわけではないにしても。

  +

でも、カフカの小説に現われる死後の世界は、もっと端的。
自分の魂が行くあちらの世界ではなくて、自分がいなくなった後も連綿として続くこちらの世界。それこそ、まさしく死後の世界。
終るのは自分だけ。世界は、終わらない

「変身」で、ザムザ=虫の死は、物語の終りではなく、そのあとのザムザがいなくなった家族の、かろやかな春が語られる。
「断食芸人」で、断食芸人がいなくなったあとの檻には、一匹の精悍な豹が入れられる。自由さえもその身に備えた、完全な生命体。

「自分と世界の戦いでは、世界のほうを応援せよ」
カフカはそう書いた。

  ++

奇妙なことに、ザムザや断食芸人(作者自身がシンクロできたであろう登場人物)の消滅は、世界に欠落をもたらすどころか、むしろ完成と充実をもたらす。彼が死に、はじめて本当の世界がやって来る。

カフカにおいて、不死なのは、魂ではなく、この世界。この世界が不死であることは、魂が永遠であることよりも、ずっと意味がある、とでもいうように。
「判決」でゲオルグが飛び降りたあと、橋の上ではとめどない無限の雑踏が始まる。

カフカの作品のいくつかは、主要な登場人物の死で終わりとはならず、死のあとの数十行続くことがしばしば。
その反歌のような部分は、登場人物が消去され忘却されたあとの世界。すなわち、死後の世界
終わりによって終るのは自分だけ。世界は続いていく。
欠落はなく、逆に本来のまったき姿に回帰した世界となって、まるでそれまでの物語が余分なものだったと証言するかのように。

それは、カフカが自分の書いたものに対して持っていた不安の反映かもしれません。あるいは、自分の生そのものについて。いや、不安ではなく、期待かもしれない。
「私」は世界にとって余分なもの。なくなったとしても、むしろそのほうが世界はうまく回っていく…。

「流刑地にて」もまた、将校の死のあとが、語られる。
処刑機械を発明したとされる伝説のごとき「先の老司令官」の墓。それはにぎわう喫茶店のテーブルの下にあって、無惨に忘却されている。その存在に気づくものはなく、気ままにカフェを愉しむ客たちの足の下に、墓。

ムダに長い時間をかけて、罪人の体にその罪状を刻んでいく拷問の機械。
それは、カフカと作品の比喩、カフカの創作の実態。…そう彼が感じていたもの。
小説を書くなど、父の言うとおり、まったく馬鹿げた、ムダな行為の積み重ねであり、実際死後には忘れ去られ、世界は忘れたことで祝福され、打ち続いていくだろう。

  +++

ヨゼフィーヌは消えてゆく。最後のチュウがひと声で、それっきり。いずれヨゼフィーネは、わが民の永遠の歴史のなかの小さな逸話として収まるだろう。民は喪失を克服する。いかにしてであろうか。集会は粛々として音なしで進行するものか? むろん、進行する。ヨゼフィーネがいたときも粛々としていたではないか。あのチュウチュウは記憶にある以上に高らかで、いきいきとしていたであろうか? 彼女がいたときですら、単なる記憶にとどまっていたのではあるまいか。わが一族はその生来の知恵により、ヨゼフィーネの歌を、現にそれがあるかぎりは高く評価していた。それだけのことではなかったか?
きっとたいして不自由は来たすまい。ヨゼフィーネは地上の拘束から解放された。当人は選ばれた者のつもりであったにせよ、わが民の数知れぬ英雄たちのなかに、はればれとして消えてゆく。われわれはとりたてて歴史を尊ばないので、いずれ、すべて彼女の兄弟たちと同じように、よりきよらかな姿をとって、すみやかに忘れられていくだろう。
−−「歌姫ヨゼフィーネ、あるいは二十日鼠族」
作品は、カフカの死後、忘却されなかった。
カフカ自身のあずかり知らぬところで、作品はうち続いた。

カフカの作品が世に広く知られるようになった理由のひとつは、ここにユダヤ人のその後の運命を重ねて読むことができたから。
カフカ自身がそう意図したわけではないけれど。

ユダヤ人がこの世界から消去され忘却されても、この世界は連綿として続いていく。あたかも、その消滅が、欠落ではなく、完成をもたらすかのように…。
カフカが自分自身や自分の作品に抱いていた不安(と期待)は、こうして世界一般の不安(と期待)にまで拡大された。

  ++++

長編をどれひとつ、終わらせられなかったカフカ。
終わりによっては終わらない。それは、カフカにおいて、もっとも根強い主題。カフカ自身もこえて、その主題を全うするため、カフカの作品は読まれ続ける。

この先、いったい、どうなることやら。かいのないことながら、ついつい思案にふけるのだ。あやつは、はたして、死ぬことができるのだろうか? 死ぬものはみな、生きているあいだに、目的をもち、だからこそあくせくとして、いのちをすりへらす。オドラデクはそうではない。いつの日か私の孫子の代に、糸くずをひきずりながら階段をころげたりしているのではないだろうか? 誰の害になるわけでもなさそうだが、しかし、自分が死んだあともあいつが生きていると思うと、胸をしめつけられるここちがする。
−−「父の気がかり」
かくして、カフカは死のきわ、友人に原稿の焼却をたくしたが、友人は遺言を無視して、これを出版する。終わりは終りではなかった。オドラデクは不死。
この友人マックス・ブロートは、何かの呪いに触れたのか、流行作家としては忘却され、カフカの原稿管理人として、まず歴史に記憶されることとなった。




カフカとアスベスト

written by overQ
September 16, 2005

undefined1911年、プラハのはずれに、アスベスト工場が建設された。
ヘルマン株式会社のアスベスト工場。

ヘルマンとは、ヘルマン・カフカ。のちにフランツ・カフカの父として知られる。
工場設立とともに、息子フランツは、共同経営者とされた。

「午前は(労働保険協会に)勤め、午後は工場。夜はまた家でひと騒ぎ。まったくひどい一日」

父は息子に、工場経営の責任者となることを、期待した。
親子の確執は深まっていく。

カフカの死因は、アスベストによる悪性中皮腫ではないのです。潜伏期間を待つことなく、彼は結核で死ぬから。

この死は、二番目に用意されていたもの。カフカには、およそ四つの死が待ち受けていた。

1918年、カフカはスペイン風邪で危篤状態に陥る。
このとき、プラハをかりそめに統治していたハプスブルク家は崩壊。
カフカは、危篤を脱した。職場(保険協会)に復帰してみると、ハプスブルクの紋章はことごとくはがされ、公用語はチェコ語になっていた。

1924年の「ほんとうの死」は、二度目のもの。
もし、これを乗り越えたとしても、ナチスによるユダヤ人虐殺が待っている。

そして、万が一、それをかわすことができたとしても、アスベストが彼の肺に仕掛けられていた。
父の呪い。これでは死にたくなかっただろう。
恋人や妹たちを収容所に贈らずに済んだとも思えない。
彼は小市民であり、無名の作家、あるいは無力な独身者。運命は変わっただろうか。
「城」は死による切断を欠けば、あるいは万里の長城のごとく果てしなく続いたかもしれない。
四重に死に囲まれた男。

フランツは賢明に、二番目の死に服した。犬のように。

世界と自分の戦いでは、世界のほうを応援すること。
                      −フランツ・カフカ



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