AZ::Blog はんなりと、あずき色☆: 夜歩く(百鬼夜行をめぐって) アーカイブ

ゑんまと地蔵と小野篁

written by overQ
May 6, 2008

開演前

ゑんまと篁、紫式部

大念仏狂言がおこなわれた、千本ゑんま堂。
正式には引接寺といって、小野篁が開基とされます。

小野篁というと、清水坂の六道珍皇寺も有名。
篁公は、珍皇寺の井戸から冥府に通い、閻魔大王の補佐をしていた、とカタられる。

そして、嵯峨野の清涼寺には、「生の六道」なるものがある。
ゑんま堂と同様、大念仏狂言が地元の人々によっておこなわれる、清涼寺。
ここには、珍皇寺から地獄に赴いた篁が、この世に戻る出口として用いた井戸があったと。
(清涼寺の東、徒歩五分ほどのところに「福生寺」という寺が江戸時代まではあって、
そこに「生の六道」である井戸が七つあり、お地蔵さんがまつられていたそうです。
今はガソリンスタンドのところに、大きく「六道の辻」の碑が立ってます。)

また、篁公は紫式部と縁があって、千本ゑんま堂には、14世紀に建てられた式部の供養塔がある。
さらにゑんま堂から船岡山のふもとを東にいったところに、小野篁の墓所と伝えられる塚があり、なんとその隣には紫式部の塚が並んで冥っています。

源氏物語の作者である紫式部。
男女の愛欲を描いた罪で、地獄に堕ちたところを、閻魔の補佐である篁公の口添えで、助けてもらった、という伝説。
これが、篁と紫を結ぶもの。
篁といえば、「地獄に堕ちた人を再生させる」というのが、お約束のカタり。戻し屋タカムラ。
また、たぶん篁の伝説をカタる人々が、紫式部とそれほど遠くない存在であったことも匂わせます。


京の隅

ゑんま堂のある船岡山のふもとは、もともと墓所
おそらくは平安京以前からの埋葬地であったかとも。

珍皇寺のある清水坂も、六道の名が示すところの、この世とあの世のサカイの地。
清涼寺のある嵯峨野も、墓所として知られた場所。

小野篁ゆかりの地というと、もうひとつあって、それは伏見の六地蔵・大善寺
ここも六地蔵(墓地の入口にはきっと祀られてる)の名のとおり、あの世とこの世のサカイとされた場所。
篁が死んだとき、地蔵の導きで再生した、という伝説によって、建立されたという六地蔵。


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六地蔵、嵯峨野、船岡山、清水坂。
京の東西や南の果て、というべき地ばかり。それらはみな、古い墓所であること。
澁澤龍彦は、嵯峨野の清涼寺を訪れた際、「生の六道」を見つけて、入口のある珍皇寺からはずいぶん離れていることを思い、「地獄とはずいぶん広いものだ」という感想を抱いたそうです。

澁澤龍彦の古寺巡礼 (コロナ・ブックス)澁澤龍彦の古寺巡礼 (コロナ・ブックス)
澁澤 龍彦

平凡社
2006-11-25


by AMAZ君(改)

こうしてはっきりとわかるのは、伝説としてカタられる「小野篁」という存在は、墓所と深い関係にあるということ。
篁公は、「お地蔵さん」および「ゑんま大王」とアナロジカルな関係にある。
篁=地蔵=閻魔
という図式。
墓所を守っていた人々、葬儀を管理する人々の掲げるヒーロー(神)として、小野篁の伝説はある。

珍皇寺のある六道の辻は、六波羅であり、ちがう時代には検非違使を輩出する。
検非違使…裁判と警察をかねた荒事をつかさどるものら…つまり、閻魔と獄卒(鬼)、そして地蔵。。

澁澤龍彦の古寺巡礼 (コロナ・ブックス)澁澤龍彦の古寺巡礼 (コロナ・ブックス)
澁澤 龍彦

平凡社
2006-11-25


by AMAZ君(改)

小野のトライブ

小野篁神社

小野というトライブはとても古くて、また全国津々浦々に分布するという、興味深い特性がある。
小野という地名は至る所にあり、小野という名前も非常にポピュラーな姓。

滋賀の琵琶湖南西に小野の古い郷があり。
小野篁神社、道風神社、妹子神社があります。小野尽くし。
また古墳がきわめて多く分布し、タタラ場の遺跡もあって、古墳時代から続く由緒ある小野グループ。 *1
野を拓くものら。列島の開拓者たち。

関東の武士には小野を先祖と称するものがあるそうで(→Wikipedia「横山党」の項。八王子=牛頭天王の子らの信仰をもたらしたのは、この一統のように思える)、積極的に外地に開拓に出て行った結果ではないでしょうか。

鉄器と石をもちいての土木が得意。古墳時代の遺風をのこす。
むしろ、古いやり方のままだったせいで、外へ外へと出ていかなければならなかったのかもしれない。
小野といえば、また小町のカタリも、小野グループの一派の仕業かと思われます。こちらは遊行のニュアンスが濃い。
旅を棲みかとす。。


古墳と岩戸

石神古墳

古墳と小野が関係してる…と仮定すると、いろいろ興味深い妄想が湧きます。 *2

古墳はまさしく墓所。
小野トライブは、古墳時代から続く、死と生の神秘主義、そのレジェンドを伝えていた。
また、天照大神の天の岩戸隠れのエピソードは、古墳での儀礼を表わすのではないかという説があります(講談社学術文庫版「古事記」解説)。
天の岩戸といえば、アメノウズメの踊りで知られ、神に奉納する歌舞音曲の始祖。
すると、一挙に、ゑんま堂や清涼寺の狂言につなげてみたい衝動にかられます。
つまり、「お隠れになった太陽を呼び戻すウズメの踊り」と、「ゑんま様に頼んで死者を蘇らせる狂言」が重なり合う。
(事実、アメノウズメの後裔とされる猿女君一族の子女は、小野氏の男子と婚姻する風があったらしい。ウズメと小野は深く結び、小町はおそらくウズメの転生とみなされている。→柳田国男「小野於通」

古事記 (上) 全訳注 (講談社学術文庫 207)古事記 (上) 全訳注 (講談社学術文庫 207)


講談社
1977-12-08
在庫あり。

by AMAZ君(改)

嵯峨帝により隠岐に配流されるものの蘇ってまた出世した小野篁。
篁公をヒーローとした人々は、生と死のサカイにあって、その導きをなすお地蔵さん(ゑんま様、あるいは道祖神)を、篁とアナロジカルに結び、「死と再生」あるいは「反対の一致」という神話のプロトタイプを燃え上がらせていたようです。 *3

もう少し妄想の風呂敷を広げておくと。
古墳はやっぱり母胎であり、死者を再生させる装置にちがいない(断定口調)。
ピラミッドなんかもそうなんでしょうか。死者というより、あれは太陽を蘇らせる装置だと、吉村先生はテレビで言ってたような気がする(ちょっとうろ覚え…汗)。

葬られるのは人間というより、その一党で「神」としてシンボル化されるもの
太陽あるいは鉱石(山という母胎で育つもの。錬金術師のいう金、タタラつまり太郎、桃とか金とか浦島とか)に結ばれる存在。
鉄器の到来は、山師・鍛冶師(=錬金術師)の呪術的思考を同時にもたらした。
それは古墳時代にピークをむかえ、だんだん衰えていったけれど、民俗の端々に残っているのだと。
…私がタラと呼んでいるもの。
それは、よみがえる。


*1 : 滋賀の小野の郷は、京の謎を解く鍵といっていい。隣接する和邇には、牛頭天王をまつる天皇神社も。
*2 : 古墳といえば、埴輪の発明者で、相撲の始祖である、野見宿禰。
「野見」は鉄器のノミを現わすのではないかとも言われます。
篁公は横紙破りな言動から「野狂」とあだ名された。
また、関東の小野を名乗る武士は、「野」を名称に取り入れ、「弥太郎」なんて名前はもともとは、「野の太郎」から来てるそうです。
だから、野見の「野」もちょっとそれを思わせます。
*3 : ゑんま堂狂言の神話元型は、日蝕のサカイのシャリバリと似ていることだけでなく、「大名と太郎冠者」が大物主と少彦名のモドキと重なったり、牡丹(=薔薇、日輪)を喰らう獅子や、ウツホから再生する龍や猿など、細部・大部を問わず、さまざまな箇所に見え隠れします。

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神の声の聴き方

written by overQ
April 26, 2008


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人間は種々さまざまな道を歩む。そうした道の跡をたどり、たがいに突きあわせてみるならば、奇異な象(かたち)が現れてくるのに気づくだろう――こうした象は、鳥の翼や、卵の殻、雲や、雪、石のさまざまな形、凍った水面、はたまた山や、植物や、動物や、人間の、その内部や外部、さては天空の星辰、また、触れたりこすったりした瀝青板、磁石のまわりに蝟集するやすり屑、あるいは不思議な偶然のめぐり合わせなど、いたるところに認められるあの大いなる暗号文字をなすようにみえる。
ノヴァーリス「サイスの弟子たち」(今泉文子訳)

古事記 (上) 全訳注 (講談社学術文庫 207)古事記 (上) 全訳注 (講談社学術文庫 207)


講談社
1977-12-08
在庫あり。

by AMAZ君(改)

インクのシミから

今回は「神の声の聴き方」について、妖しげな話をカタってみるのです。
まず登場するのは、19世紀ドイツ、詩人で医師である、ユスティヌス・ケルナー

ケルナーとは誰かというと、この人は数十年にわたってインクのしみを研究していた。
手紙の端などにポトリと落ちたインクの破片が滲み出す模様に、心惹かれたのでした。
スウェーデンボリの交霊術にも親しんでいた彼は、精神世界と交信する「言語」として、インクブロットを見出します。

KernerKlecksographie.png

のちに、スイスのロールシャッハが、心理学に取り入れて、よく知られたロールシャッハ・テストが生まれる。

ケルナーはドイツでは有名な詩人。
シューマンが彼の詩に曲をつけています。
また、動物磁気についての著作もあるケルナー。
ユングは若い頃、ケルナーを愛読していたと、自伝に書いています。 *1
誰もがうすうす思っていたように、ロールシャッハテストは、その手のもの…「神の声」を聞く技法が元にある。


ゴーストのささやき

Astro_signs.png

曖昧模糊とした文様に、「神の声」を見出す。
この手法は、べつにロールシャッハ・テストをまたずとも、太古から人類にはおなじみのもの。
占いは、たいていこの方法にしたがって、おこなわれます。

壁のしみに顔を見たり、写真のピントの外れた部分に霊を見出したり。
占い師は、水晶を覗き込んで、その曖昧にうつろう光彩から、未来を読み取る。
あるいは、手の平に刻まれた曖昧な模様。飲み干したコーヒーカップの底にあらわらるひび割れ。
天空に無作為にちりばめられた星をつないで、巨人や怪物の像を見出し、その変遷を人の生と重ねる。
ゴーストのささやきは、いたるところに満ちている。

Obi-rain.jpg

人間の認識能力の中に、もともと備わっているものとも思われる。
たとえば、漢字の起源は、亀の甲羅や獣の骨のひび割れから、神の声をシンボライズした「文字」を読み出したものだとか。
Oracle bone script - Wikipedia, the free encyclopedia
History of writing - Wikipedia, the free encyclopedia

もっと身近なところでは、絵を描くときに、薄い線を何本も重ね走らせて、輪郭の正しい線を探り出しながら、描いたりします。
あれも、この方法を、誰に教えられるでもなく、応用したもの。
無数の誤謬のざわめきから、「真理=神意」を見出す。
そして、「真理」は耳打ちされるもの。


雀の色

そう、視覚だけではなく、聴覚においても、この手法は用いられます。
たとえば、辻占という、古代の占い。
たそがれ時に十字路に立ち、行き交う見知らぬ人々が交わす言葉。雑踏のざわめき、蟲の音、草木のため息から、「神の声」を聞きだす試み。
現代人はそれを空耳アワーと呼ぶ。

黄昏を雀色時ということは、誰が言い始めたか知らぬが、日本人でなければこしらえられぬ新語であった。雀の羽がどんな色をしているかなどは、知らぬ者もないようなものの、さてそれを言葉に表わそうとすると、だんだんにぼんやりして来る。これがちょうど又夕方の心持でもあった。すなわち夕方が雀の色をしているゆえに、そう言ったのではないと思われる。古くからの日本語の中にも、この心持は相応によく表われている。例えばタソガレは「誰そ彼は」であり、カハタレは「彼は誰」であった。夜の未明をシノノメといい、さては又イナノメといったのも、あるいはこれと同じことであったかも知れない。
柳田国男「かはたれ時」

これが、神の声の聴き方。巫(かんなぎ)の技法。
神秘的でもあるけれど、ごく当たり前なものでもある。

太古から、神の声を聞く巫子たちは、このような方法で、言葉をつむいでいた。
その末裔は詩人と呼ばれる存在。どの国語でも今もこのようにして、言葉を捜しあぐねているはず。
20世紀最高の詩人ウィリアム・バトラー・イエイツは、シンボルの操作を通じて普遍的な記憶を再現する古代からの技法が詩であると考えていました。

幻想録 (ちくま学芸文庫)幻想録 (ちくま学芸文庫)
ウィリアム・バトラー イェイツ

筑摩書房
2001-10


by AMAZ君(改)


数学、天使のため息

言葉というのは、よくよく考えてみると、薄気味の悪いもの。
こうしてつづっている言葉も、母国語であるなら、次から次に湧き出てくる。
けれど、その連想をつむぐ糸車を、いったい誰が回しているのか。
自分…ではなくて、何か別なもの、のような…気がする。

歩いたり、物をつかんだりする、日常のなにげな動作。
しかし、そのメカニズムを理解してプログラムしたわけではなく、何の気なしにできる。
むしろ考えると、できなくなる…それは、ロボットのアシモの苦労惨憺を見ると、よくわかります。
あまり真剣に考え込むと、主体性の足元が崩壊する可能性さえはらんでいる。
幽霊にならずとも、我々はよって立つ足が見えない存在なのかもしれない。



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数学の問題を解く時。
公式を覚えてさえいれば、その手順に沿って解けるものと、
いくら公式を知っていてもダメで、閃きによって解けるものがあること。
このふたつの区別はとても重要に思われます。

おそらくは現在知られるすべての「公式」は、誰そ彼、天才の人がかつて「ひらめいて」得られたもの。
お風呂に入っているアルキメデスから、歯痛を忘れるパスカルまで、逸話に事欠かない、「その瞬間」。
ひらめきの時、時は止まるらしい。たぶん、天使がささやくから。

今では公式が無数に見つかっているので、公式のカタログから検索すれば、「ひらめき」なんてなくても、多くの問題が解ける(ような気がする)。 *2
しかし、古代においては、ヒトは「問題」を解く時、たぶん「公式」を使わなかった。
(それは数学の「問題」だけを意味するわけではないはず。)

神話的な意味での古代、ヒトは問題に出会うたび、公式を新たに考案した。
つまり、自己のうちに備わっている「ひらめき」を信じた。神の声を。絶えず。いかなる時も。
それは科学のメソッドでは、誤解と思い込みの源とされ、ふたをされる泉。
しかし、科学のよって立つ、隠された足元でもあって、天使の通り過ぎる道があるらしい。
霊感のよぎる時、瞬間が永遠であった。名を持たず、無限に転生する生死をわたって。


スポーツの愉しみ

問題さえ解ければそれでいいなら、べつに公式を使おうが使うまいが、どうでもいいようなもの。

でも、スポーツの愉しみ。
たんに解けば(勝てば)いいんじゃない…そこに天使がよぎらなきゃ、だめ。
だって、楽しくない、生きてる実感がわかないもの。

テレビで日本のサッカーを見てると、きわめて精密に「公式」を解説してくれたりする。
ここはこうしなければなりません。なぜならこれこれというわけだから。
ところが、公式どうりやってるのになかなか勝てなかったり、勝ったのにあまり楽しくなかったり。
また公式にあわせることはすごく苦痛をともなうらしくて、ヒトは自分探しの旅に出る。



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一方で、ファンタジスタと呼ばれる、「ひらめき」の中に生きている人たち。
インタビューなんかで、ファンタジスタのみなさんの「説明」を聞くと、わかったようなわからんような、意味不明のことをよく口走っておられます。
あの手の人たちはたいてい、「語録」を作ることができる。箴言集を。
笑いをさそうか、謎。ヒューモアか、禅。
ジダンの頭突きも、そのような車輪からスピンアウトしてきたように思えます。

自分の体がしでかすことを、自分でも知らない。
それが、「ひらめき」。
練習したこともないのに。やってしまう。
「公式」によって、体のざわめきを消してしまうのではなく、ざわざわした向こうから、光が来るのを待つ。なぜだかそれが「来る」のを、信じることができる。
ベーメやエックハルトのような神秘家は、「閃光」とか「火花」とか、それを呼んでいなかったか。


ヒエログリフを読み解くキルヒャー

Egypt_Hieroglyphe4.jpg

Egyptian hieroglyphs - Wikipedia, the free encyclopedia

ヒエログリフ、エジプトの神聖文字は、長く長く読み解かれなかった。

ために、ヨーロッパの神秘家は、これが神の声…アダムとイブが語っていた原初の言葉を、直接に形としたシンボルだと妄想することができた。

ヒエログリフを作ったのはヘルメス・トリスメギストス。あらゆる神秘と真理の祖。
そこには原初のコトバによって、アダムの最初の知識(prisca sepientia)が書き留められている、と。

原初の知識は、アダムからノアまで音声で伝えられた。
精神世界と直接交信するためのコトバ。事と言は未分。
しかし、霊感の不意の訪れを信じられないもの、理性の不安に耐えられない者が増え、「洪水」が起きる。
「神の声」を聴き取れず、さばえなす雑音だけが洪水のように押し寄せる。

原初の知識はかろうじてノアの箱舟に再結集される。
のちにノアの子ハムがエジプトに伝え、ヒエログリフとなり、その子孫ヘルメス・トリスメギストス(モーゼ)によってエメラルド板に刻まれ、ヘスメス思想の源泉、すなわちあらゆる叡智の源となるもの。

しかし、またしても、神と人との対話を信じることができない輩が現れる。
なぜなら霊感の到来は不意であり、いつどこでやってくるかわからないから。
そこで、神と人とを直接に、疑う余地のない形で結ぶ試みを思いつく。
「公式」によって、いつ何時にも、随意に再現することのできる霊感。
すなわち、天に直結する塔…バベル。

奇跡を信じない輩の試みは滅び、バベルの塔は崩落する。
原初の知識を伝える言葉は四散した。
わずかにヘルメス・トリスメギストスが伝えた「言葉」を残して。

アタナシウス・キルヒャー - Wikipedia

幻想録 (ちくま学芸文庫)幻想録 (ちくま学芸文庫)
ウィリアム・バトラー イェイツ

筑摩書房
2001-10


by AMAZ君(改)

アタナシウス・キルヒャーというイエズス会士は、おそらくこんなことを思いながら、エジプトの神聖文字、ヒエログリフを読み解こうとした。
キルヒャーは、読み解いたと信じた。古代から伝わる神の声を。
「言葉に訳すことはできないが、印や文様、図形を通じて、表現できるシンボル」を。
…もちろん、それは大いなる誤解で、ロゼッタ石を手に入れたシャンポリオンは、キルヒャーの集めた資料を利用して、ヒエログリフを読解し、そこにファラオの歴史を見たのですが。

科学がひとつの「学」を意味した時代の、最後の巨人キルヒャー。
世界が神の声かもしれない、いやそうであるはず…と信じられた最後の時代。
ありとあらゆる知識…その後の科学ではさまざまなジャンルに細分化されてしまうものを、彼はひとつの「サイエンス」とみなすことができた。
まるでバベル崩落以前の人間のように。

Kircher-Diagram_of_the_name.jpg

イエズス会士・キルヒャーの情熱を支えたのは、今から思えば妄想。ヒエログリフをはじめ、世界に「神の声」が記されているという妄信。
生前はヨーロッパでもっとも有力な学者だったけれど、細分化した科学の精密さ、あるいはイエズス会の没落とともに、忘れられていく。

デカルト以降の「科学」では、評価しがたい存在。
たぶん、錬金術やヘルメス学の発展からすれば、巨大なミッシングリンクなのだけれど、19世紀以降は見えなく、読めなくなってしまう。
デカルトで分岐した科学のもうひとつの道であったかもしれない。

キルヒャーという人のことを書いてみたい。
今回はその入口を作ってみたのです。
「神の声を聞く」という人類の古臭いほうの知恵…科学という新しい方法に取って代わられた(といっても本能なので、滅んでしまったわけでもない)サイエンス…それがキルヒャーにはある。
宣長の古事記研究や、柳田民俗学にも通うものがあるのです…卓見と誤謬がわかちがたく混在する点もw


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*1 : また、ツァラトゥストラでニーチェが無意識に、かつて読んだケルナーを引用している、という論文も書いているそうです。
*2 : しかし、実際は、フェルマー予測も、四色問題ですら、そうはとかれなかったらしい。チェスでコンピュータが名人に勝つときも、コンピュータの選んだいくつかの手から、人が「この一手」を(霊感で)選んでいた可能性がある。

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やすらえ、花

written by overQ
April 13, 2008

やすらい祭

よーほい。やすらえ、
花。よーほい。

昨年同様、今年もやすらい祭に行ってきました。
花よ散るなと、赤い、ざんばら髪の鬼たちが、鼓を打って、舞い踊る。
(写真は、去年より大幅に増殖して、なんかエピデミックって感じになってます…汗。)

鬼は疫神。
花の散るころ、疫病がはやることが多かったため、
この祭りによって、鬼を鎮めるもの。

花(=この世を櫻花するもの)と鬼が同格で、散る(=死ぬ)と疫神になるというのは、御霊信仰と同じ思考。
祇園祭も同じ囲いにあり、夢幻能でのあの世この世の取扱いも、
たいていこのパターンに属しています。
春の陽光の中で薄紅色の花であるものが、
常闇のうちにおいては血の色の鬼となる…というビジュアルな変移。
黄泉のイザナミの憂い。(同じ赤なのに。)
日本人の元思想…というより、むしろ人類にとっては
馴染み深い「祭りのキホン」というべきものでしょうか。

今宮神社が有名ですが、すこし南に下がった玄武神社や、
ずうっと北に上がった西賀茂の川上大神宮でもおこなわれる、やすらい祭。
中世には各所でおこなわれていたこともあったようです。

「川上ー今宮ー玄武」のみっつの社は、だいたい南北に一直線上。

三社をハシゴするつもりだったんですが、
川上大神宮のやすらいは、日にちがちがうんだそうで、
行ってみたら、11日に終わっていました( ;∀;)

でも、川上大神宮は、たいへんいいお社でした。
むしろ、ひとけのない時にお参りできて、よかったかもw
村の中にほっこり存在し、大きくはないけれど、気品あり。
起源とかあまりよくわからないみたいで、
天照大神がまつられていますが(だから「大神宮」)、
もとはとくに名前もなく、ただの「神様」が祭られていた…と思わせる。

川上大神宮社

祭りのあとの川上社。
立て砂がこんもり三つ立ててあり、それぞれのてっぺんに、
長石がのっけてありました。
モノリス…を思わずにはいられない。
先日、大往生をとげたアーサー・C・クラークですが、
モノリスの発想はたぶんストーンヘンジなどの、
イギリスの巨石文明が原風景としてある。
ロマン主義がSFに残響してる…「神の声」が。

幻想録 (ちくま学芸文庫)幻想録 (ちくま学芸文庫)
ウィリアム・バトラー イェイツ

筑摩書房
2001-10


by AMAZ君(改)


「北」をめぐる妄想


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で、川上大神宮から、まっすぐ一本道を南に下がると、今宮につく。
完璧に南北のライン上にあって、何か意味はあるのかもしれない。

玄武神社は今宮からすこし南で、商店街を抜けて、歩いて20分ほど。
「玄武」は、玄武・白虎・青龍・朱雀の四神の玄武で、「」を意味し、
やっぱり北に何かあるのかなあ。
疫神は北からくる…という考えがあるんだろうか。

北というと、北面の武士と、北政所を思います。
北政所は、太閤さんの正室ねねが有名ですが、
もとは親王や公卿の正室のこと。

財産が女に受け継がれる母系社会、
男は女の住む邸宅に通った。
その名残りで、貴族の邸のの方には、
女の取り仕切る別棟がある…というようなことらしいです。

もとは巫女のような存在だったんじゃないでしょうか。
母系社会で相続される財産は、物質でもマネーでもなく、霊。
(「お宝」のほんとうの意味。)
に陣取る、シンボルとしての女。
菅原道真公の正室も北政所。
道真が歌に読む「梅」さんは、彼女のことでしょう。

天神になった道真は北野天満宮にまつられますが、
それは大内裏の真にある。
御霊を鎮める位置としての、「」。
シンボルとしての女の胎から、荒神が登場する。
それはヒーローであり、死をくぐるものであり、再生するもの。
やすらえ花からキリストまで。
北とは、死と再生の産屋のように思えます。
カマドを置く場所が、たぶん北の離れのはず。
(この話はずいぶん考えているので、
ちょっとこの短いスペースでは書ききれないw)

…と、わけのわからんことを書き付けてきましたが、
どんどん神秘主義にはまってるようだ(;・∀・)
神秘主義ってのは、そこらで手に入るものを、
手当たり次第に利用して、
プリミティブ・アートっていうんでしょうか、
リタイアした元郵便配達人が私材を投げ打って、
得体の知れない彫刻を一面にほどこした巨大な城を、
何十年もかけて、アリが蟻塚を作るように、
生み出したりすることがありますが、
あれと同じ。
ブリコラージュってやつですね。
手近なものをシンボルとして、
手前勝手に意味づけて、マイ宇宙論をカタる、イリュージョン。
ポーのユリイカとか。
そういう方向へ行きつつある気がする(  ゜ ▽ ゜ ;)
アトランティスとかUFOとか空中浮遊とか言い出す日も近いのか。。

うき世にはとどめおかじと 春風の
散らすは花を 惜しむなりけり     西行

花命

花命 posted by overQ2.0

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天の露

written by overQ
April 3, 2008

たら本43では、赤毛のアン、ブラウニング、ジョン・レノンのことを書いたのですが、
ちょこっと付け足し。

DEW、について。
dewは、露。朝露。
そして、デウス(神)と韻を踏む。

「赤毛のアン」では、最初(アルファ)と最後(オメガ)に、ブラウニングの詩が引用されます。

扉言葉として、

The good stars met in your horoscope,
Made you of spirit and fire and dew.
BROWNING

良き星々が天空でめぐりあう時、精霊と
炎と露から、あなたを作ったのです。

そして、最後の一節は、アンがブラウニングの次の詩の一節が静かにささやく。

The year's at the spring
And day's at the morn;
Morning's at seven;
The hill-side's dew-pearled;
The lark's on the wing;
The snail's on the thorn;
God's in his heaven -
All's right with the world!

"Pippa Passes"

季節なら春。
春なら朝。
朝なら七時。
丘には真珠の露。

雲雀はその翼に。
蝸牛はその角に。
神様はその天にあり、
天の下には世の泰平。

対訳 ブラウニング詩集―イギリス詩人選〈6〉 (岩波文庫)対訳 ブラウニング詩集―イギリス詩人選〈6〉 (岩波文庫)
ブラウニング

岩波書店
2005-12-16


by AMAZ君(改)


蝸牛の角

ここで本題とはちょっとズレるけど、
上田敏先生以来の歴史的誤訳かも、と思える点に気づいたので、
まずは、その話。

Snail-thorn1.jpg上の詩の、

The snail's on the thorn

という箇所。
上田敏は、「蝸牛枝(かたつむりえだ)に這(は)ひ」と訳す。
平井正穂は、「蝸牛、棘の上を這う」。
松本侑子さんは、「かたつむりはサンザシに這う」。
松本正司さんは、「蝸牛山査子にありて」。
最新の岩波文庫版だと、「かたつむりは茨を這う」。

でも、このthorn、カタツムリが乗っかってる草のトゲじゃなくて、
カタツムリの角のことじゃないでしょかね?
ツノ出せ、ヤリ出せ、アタマ出せ、の、角。

だって、この行の前には、

The lark's on the wing
「ヒバリはその翼に」

それに続くんだもの。
次の行のsnailだって、「カタツムリはその角に」と読むべきでは。
翼がヒバリのものなら、同じ文型なんだから、トゲはカタツムリのもの。
詩人は、蝸牛がピンと角を勃ててる様に、春を見た。

ちがうのかなあ。。
みんなそうは読んでないしなあ。。
蝸牛とthornで、何か慣用句とかあるんですかねえ。。

「鳥+on the wing」
というのは、空を飛ぶ様を表わすこなれた表現。
それに無理にシンクロして、
「カタツムリ+on the 角」
という見慣れない形にしたせいで、
誤訳が生じてるんだと思うんですが。

カタツムリの「角」は、ふつうは鹿や牛の角と同じく、
hornで表わすけど、thornも不可能というわけではないはず。
鹿・牛より、もっと植物的なものとして、詩人はカタツムリを見ていると思う。

そもそも、なんで「thorn=刺・茨」というような、
固くて否定的なイメージのあるものが
春をやわらかに讃えるこの詩に混じるのか、
不思議には思ってたんです。
ここに、茨の人生を平然と這う蝸牛のイメージから、
何か深遠なものを見出そうというのが、
従来の「読み」だったかもしれませんが。
…でも、そういう反対物をあえて合一させた深い寓意じゃなくて、
たんにカタツムリの角だったかもしれない。

詩って、やっぱり難しい。
横の語のつながり以上に、縦の韻を踏む言葉のつらなりから、
隠れた意味が現れる。
英語を母国語にする読者たちも、
ここはやっぱり「角」とはなかなか読まないかもしれないけれど、
たぶんブラウニングは「角」のつもりだったと思う。
竹下景子に1500点くらいのオッズで(^_^;)

対訳 ブラウニング詩集―イギリス詩人選〈6〉 (岩波文庫)対訳 ブラウニング詩集―イギリス詩人選〈6〉 (岩波文庫)
ブラウニング

岩波書店
2005-12-16


by AMAZ君(改)


天からの露

さてと、本題の dew に戻ると。
「dew=露」は、神さまが天から授ける、恵みの甘露のイメージがある。
それは聖書にたくさん現れ、定着したイメージ。

God give you of the dew of the sky,
of the fatness of the earth,
and plenty of grain and new wine.
-Genesis 27:28

どうか神があなたに、天の露と、
地の恵みと、
あまたの穀物と新しい葡萄酒を
与えてくださいますように。
「創世記」

Israel dwells in safety,
The fountain of Jacob alone,
In a land of grain and new wine;
Yes, his heavens drop down dew.
-Deuteronomy 33:28

イスラエルは安らかに住み、
ヤコブの泉がひとり
実りとワインの大地にある。
そう、天が甘露をしたたらす地。
「申命記」

Your people offer themselves willingly in the day of your power, in holy array.
Out of the womb of the morning, you have the dew of your youth.
-Psalms 110:3

あなたの力が現れる日、あなたの民は喜んであなたに身を捧げ、聖なる列をなす。
朝の母胎から、若さの露がもたらされる。
「詩篇」

やわらかく、慈悲に満ちた、天の露。
若さや再生とも関係してて、
また地に落ちて、実り(穀物とワイン)をもたらすもの。
天露(天ぷらが食べたくなるw)。
(上の「詩篇」の一節は、おまんこから垂れる露(業界用語でいう「マン汁」)を、どうしても思わせてしまう、性的ニュアンスが熱い。)

カバラでいうところの「上位の水」…ですかね。
グノーシスでは、「天の原始の水」。
世界霊魂は流出し、露となって大地に達し、男性である硝石と女性であるアルカリに凝縮し、このふたつが結びつくことで、酸性のアルカリ塩が生まれます。
…自分でも何を書いてるのか(電池のことを現代人は思い浮かべる)わかりませんが(;・∀・)、
ともかく錬金術でも非常に重要な物質である、DEW。
ラテン語では「露」は、ros。薔薇を思わせるもの。

この露は、正しき者をうるおすマナ。選ばれし者らは、それを求め、天の畑で、両手でそれを受け止める。
ゾハール

日本だと、年の初め(=一年の朝)に汲んだ水を、若水といって、
霊妙な神性をそこに見出します。
月のもたらす聖水であり、月夜見の持てるをち水(変若水)。
飲むと若やぎ、永遠の命を得る。
…霊感商法の口上みたいになってきましたが(;´Д`)
神聖水「若水」、一リットル三十万円で、会員様だけに特別にお分けしています(爆

変若水 - Wikipedia

ともあれ、「若水」と dew が、シンボルとして同じものだというのは、たいへん重要なポイント。
鍛冶師=錬金術師…が伝えたもの、なんだろうなあ。
インド〜エジプトにいたる範囲で発生し、その後、ちょうど柳田国男(蝸牛考)の周囲説を世界大にしたように、周辺に伝播して、ヨーロッパと極東に残ったもの。


シンボルの操作

さて、「赤毛のアン」の扉に刻まれた、ブラウニングの詩では、精霊と火と露が結びつく。
もともとは、エヴリン・ホープという、亡くなった少女への思いをつづった詩。
転生の果てにこの世界ではない場所で結ばれるというもの。
少女エヴリンは、ホロスコープの中でよき星々がめぐり合うとき、精霊と火と露から作られた存在。
すでに死んでいて、肉体をもたないため、土は出てこない。
霊と火と露のみでできている。

Caduceus.gif火と露の合体、というのは、神秘主義では常套句。
とくに錬金術では、男性原理と女性原理、
硫黄と水銀、太陽と月、火の鳥とペリカンの合一、
からみあう蛇として表される(=隠される)もの。
メルクリウスの杖
二匹の蛇(火と水)が杖(霊魂)にからみつく。

 ダビデの星も見ときますか。
ナチスがホロコーストの際に用いたのが今では有名だけど、
もともとは神秘主義に広く見られる聖なる記号。
(そもそもナチスの鉤十字だってそうだ。)
その解釈は多種多様ですが、よくいわれるもののひとつは、
上向きの三角△が火、
下向きの三角▽が水、
そのふたつの組み合わせとして、対立物が調和した聖なるシンボル。

錬金術だと、○に縦線が入ったのが、露(硝石)。
世界霊が流出したもの。天から降る露。
そして、○に横線の入った塩と結合して、
○に十字のシンボルを作る。
これが、テラを表わす、とか。
まあ、これは一例で、錬金術のシンボルは、
ものすごいことになってて、何でもあり。
全然わからん。。

Alchemical symbol - Wikipedia, the free encyclopedia


アンの赤毛、あらたま、荒神

「赤毛のアン(Anne of Green Gables)」では、扉言葉の「精霊と火と露」がもう一度、本文中にあらわれます。
つまり、アンが「精霊と火と露から作られしもの」だと。

For Anne to take things calmly would have been to change her nature. All "spirit and fire and dew," as she was, the pleasures and pains of life came to her with trebled intensity. Marilla felt this and was vaguely troubled over it, realizing that the ups and downs of existence would probably bear hardly on this impulsive soul and not sufficiently understanding that the equally great capacity for delight might more than compensate. Therefore Marilla conceived it to be her duty to drill Anne into a tranquil uniformity of disposition as impossible and alien to her as to a dancing sunbeam in one of the brook shallows.

というのもアンが物事をおだやかに受け容れるようになれば、彼女の性質は変わるであろうから。まったく「精霊と火と露」から出来た彼女のこと、人生の歓びも痛みも、とてつもない激しさで受け止めてしまうだろう。マリラはこう感じて、そのことをぼんやりと気に病んだ。こんなに激しい魂だもの、人生の浮き沈みがどんなに過酷に感じられるだろう、とマリラは気づくのだが、しかし、それと同じくらい歓びもまた大きく、補って余りあるほどであることが、わかってはいないのだ。そのためマリラは、アンが平静で安定した気分になるよう教育するのが、自分のつとめだと感じたが、それは小川の浅瀬できらめく陽光(=精霊+火+露)にダンスをやめさせるのと同じくらい、できそうにもないし、やり方もわからないことだった。

じつに面白い、複雑な色彩をもつ文章(そして、悲惨な私の訳…汗)。
たわめることのできないアンの気性が、「小川できらめく光のダンス」(=霊+火+露)にたとえられる。

それは、私の知る用語では、
「荒神」
と呼ばれるもの。
若水を吸い、あらたに生まれ出た魂は、手のつけようのない、お転婆。
名もなき日本列島の民は、これを「荒神」と呼んで、神と祀る。アラタマ。

どのようにしずめればいいのか、それは、「impossible and alien(=不可能で、未知)」。

しかし、この赤髪の外来者(alien)が、結局は、グリンゲイブルズに光をもたらす。
マリラ・マシュウの不毛な兄妹に、人生の意味を取り戻させる。
ルシファ。鬼。
それを神と祀ること。
価値の転覆。「壊す人」。ハンマーによる哲学(=錬金術、鍛冶)。

日本列島に棲んできた名もなき民の原思想と同じであり、
別な言葉で言えば、「自由」ということ。
神の実在、魂の不死、そして意志の自由。
この三本が、錬金術のカマドを立てる、根本の柱。


投稿者 overQ : 10:27 PM | トラックバック


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