今日はサッポロ・クラシックを飲みました。
北海道限定ビール…なので飲むのは久しぶり。
やっぱり、おいしいですね。ホップの苦味のあとに、ほのかに草原の香り。
セブンイレブンが、「北海道フェア」ということで、京都でも売り出しています。
フェアは明日からということらしいのですが、もう昨日あたりから店頭には並んでいました。
フツーの値段帯の日本のビールの中では、サッポロ・クラシックがいちばん好きなんです。
あと、緑のビンのハートランドとか、秋味とか、定番エビスとか。
最近のプレミアム物も、値ははるけど、それなりにどれも薫り高いです(濃い系が多い)。
日本のビールは、和風な味わいのものが多くて、菌の環境のせいなのか、ほのかに味噌や醤油の香りが底にある。和食にあう味。
サッポロ・クラシックはもうちょっとヨーロッパ風な感じがします。
日が落ちないうちに、単独で、すっきり飲むと、おいしい。
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でも、最近は年季を経たせいか(笑)、あんまり味にうるさくなくなって、以前よりは「おいしい・まずい」言わなくなったなあ。
コーヒーなんかはもっとそうで、とりあえずこげ茶色の飲み物をすすっていれば、わたしゃ、それで気が済むみたいだ(笑)
呑み始めの頃は、その「味」がまだめずらしくて、いろいろ意識して吟味するんだけど、だんだん慣れてくるとどーでもよくなって、鈍磨してくるのか(;・∀・)
コーヒーについては、鈍磨修行が完成し、ついに無為自然の境地に達して、美味かろうが不味かろうが、どのような味であれ、まるで頓着せず、心は動じない…
…そう思っていたのですが、少し前、カフェペレという名前の250グラム100円のコーヒーを飲んだときは、あまりのまずさに震えました(笑)
荒行にはおすすめのレギュラーコーヒー( ;´Д`)
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グルメとかいうことで、味の繊細に感じ取るのが求道的かと思ってたけど、ガンジーなんかは味を事細かに詮索するような人間はダメだと思ってるふしがある。
そういうと一見、堅苦しいように見え、事実それはあるしゅ宗教苦行的な極論かもしれないのだけれど、それでいてガンジーの場合はユーモアもあるから不思議。
サッポロ・クラシックを飲みながら、ガンジーについて語るというのはチャンチャラおかしいとは言うものの(;・∀・)
「おいしい(正しい)こと」を追求し、「まずい(まちがった)こと」を排斥するのって、きっちり徹底すると、なんだか理にかなった魔女狩りみたいになってくるみたい。責任ある立場の人がおわされる仕事。最近の飲酒運転撲滅運動とか。
東洋の伝統では、病気を治療する時、西洋みたいな「病気(まちがい)だけをなくす」という仕方はとらず、むしろ病気を体全体に拡散・分担させる、というやり方を考えたそうです。
病気を消滅させようというのは、それ自体が病気なのだ、と。

「アメリカという国、東西の海岸に大都市が集中、その間の広大な空間は、飛行機が越えていく場所」
…口の悪いアメリカ人の中には、そんなジョークを飛ばす人もいるとか。
実際、シカゴをのぞけば、アメリカの大都市は東と西の海岸部に並んでいます。
大都市在住の人々は、都市がふるさとというより、そこに流入してきた人々とその子孫たち。新しい人もどんどん流れ込んでくるし、同じ場所に代々住み続ける人は少ない。
物流も激しく、人もビジネスその他でで移動が激しい。
一方、「飛行機が越えていく場所」では、故郷に根付いた、血縁や近隣を大切にする共同体が、生活の中心。極端な場合、外から来るものに対しては、異物としてこれを認識する傾向があるかもしれない。
移動しつづけるものと、定住し中心を形成するもの。
前のエントリーで、ガンダムが勧善懲悪の物語につかまらなかったのは、「移動」しつづけたから、と書きました。
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それを当てはめると(当てはめていいのかw)、アメリカ大統領選では、移動型と定住型の対立だったともいえそう。
海外に最も影響力を持つ国の国民、その半分が「外側」には何の興味もなく、侵入者には敵意しか感じないとしたら、あまりいい予兆ではないでしょう。ジーク・ジオンとか叫びださなければよいのですが。。
今回の大統領選、争点はイラク戦争・テロ対策のほかに、同性結婚と中絶の問題もありました。
大都市では、個人の問題であり、「人の勝手」とさえ見られさえすることもある。
でも、内陸各州の血縁・地縁に基づく共同体では、結婚と子作りは最重要。顔をつき合わせて、知ってるものどうしで組織される社会。それをいかにうまく切り盛りしていくか。「正常な血統」の維持こそ、共同体運営のかなめではないか。
定住し、中心を形作る社会では、家族と国家は、同じ形をしたもの。異物の排除は、平和の条件となります。移動は、左遷や零落と呼ばれ、落ちこぼれのすることに。
…ガンダムの演出を考えることで、世界を考える上での、なにかおぼろげなヒントをつかんだ気がします。思えば、マンガ版のナウシカも、「移動」していく話なんですよね。約束の地はない、ただ、移動することそれ自体が、そう呼ぶべきものかもしれない。。
…でも、これって、ひょっとして、ノマドロジーかな…今頃になって肌身でわかるなんて、遅れてる、遅れすぎてる…すぐ、そばに、こんなにいろんなものがあったのに。
さっき、エントリー書いてたら、とつぜんブレーカーが落ちました。
玄関のあたりでパチッと音がして、真っ暗になった。
クーラーもつけてなかったのに、なぜだ。
雷が鳴って、吹き降りになっていたので、漏電したんでしょうか。
一度ブレーカーが落ちのを経験すると、また落ちそうで、エントリー書くのもおそるおそるになりますね。
なんか、めっちゃビビって書いております。
不思議と、この恐れには、どこか底のほうで、もう一回そうなることを期待しているような感情が揺らいでいる。
一度マットに沈んで以降のボブ・サップも、こんな気持ちなのだろうか。
負け犬の快楽というものが存在するんだろうか。
というようなことを考えてみましたが、明日になったらすっかり忘れてることであろう。
漢字の書き順。
小学生のころ、よく練習させられました。このとき覚えた順で、たぶん今も私の手は漢字を書いているはずです。
よく調べてみると、辞書によって、書き順が違ってる文字も多いようです。
「必」という字は、五通りくらい、書き順が存在するらしい。五画しかないんですけどねぇ。「心」に一本なにかが突き刺さっている、という象徴性からアプローチしますと、なんかそれぞれの書き順が深遠な意味をはらんでいるような妄想が沸きます。すべて気のせいです。その方向から行くと、たぶん読みにくい字になってしまうでしょう。
じつは、書き順なんて、どうでもいいじゃないか、という論調で書こうと思ってたんです。小学生のころ、テストとかで苦労させられた恨みがありますから。解放戦線気分です。
すばやく、きれいに、書きやすい。それで十分じゃないかと。でも、考えてるうち、どんどん取り留めなくなっていきました。
[参考サイト]
辞典・用語 漢字筆順字典
<教育技術MOOK>陰山メソッド 徹底反復「書き順プリント」小学校1・2・3年
上から下へ、左から右へ、という基本的な原則はありますが、字によってはこの原則も絶対ではない。また、筆のような入りや抜きや止めや方向がはっきり出るものは、それなりの流儀がありえますが、ペンや鉛筆だとまた事情は違うはず。
次の字との連絡という便宜上の問題も大きい。書き順には、筆で縦に書いてたときの名残があるので、横書きだといまひとつ不便なのもあるかもしれないじゃないか。でも、縦書き横書きで書き順を使い分けるのは、もっと実用的じゃない、などと。
そういえば、以前、アメリカ人が、「藤」という字を、まったくありえない順番で書いているのを見て、「ああ、やっぱり漢字って、絵文字(象形文字)なんだ」と、あらためて思わせられたことがあります。甲骨文をちょっと幻視しかけました。
子供のころ、書き順を覚えさせられるのは、すごくいやでしたが、まちがった(自分と違う)書き順を見ると、なんか「指導」したくなるのも、人情ですね。「田」という字を外枠から書くのを見てると、ちょっと神経を逆なでされます(笑)。どうでもいいようなことなのに、一言言わずにはいられない。
象形文字としての漢字の成り立ちから行けば、そのほうが正しい、という理不尽な強情を張るのも楽しい。
ああ、でも、マクドナルドの藤田田さんの場合は、この「田」という字はなぜか、どうしても外枠から(しかも二個続けて)書かねばなるまいという気もしてまいりました。まるまるバツバツ、という要領で。
書き順がわかってない文字は、たしかに、きれいに書きにくいです。
私は、「淵」とか「潟」という字をどうしてもうまく書けませんが、
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これは書き順に自信がないせいかと思います。書き順が手になじんで、「体が勝手に反応する」(イチロー)ようになってないと、うまく書けないものなのかな。
「蠅」なんて、もう見るからに、ダメぽそう。蠅は身近な昆虫なんで、よく観察した結果がこんなすごい文字になったのでしょうか。ともあれ、私が蠅と書くのを見て、人々は神経を逆なでされるでしょう。蠅の思う壺かもしれません。
あと、蠅という字を練習したあとの紙は人に見られたくないですね。もう、たちまち、ヤバい人に思われること必至。小さいフォントだとつぶれちゃうのも、象形文字としては、やれた感じでしょう。
小学生は、試験に書き順が出たりするのですが、1958年に文部省が示した「筆順指導の手びき」が標準となってるらしい。
同書には「ここに取りあげなかった筆順についても、これを誤りとするものでもなく、また否定しようとするものでもない」と書かれているとか。
書き順にこだわり、肯定したり否定したり、あれこれいうのは、スゴく日本的な気がします。書き順って、漢字の成り立ちという歴史的な背景に基づくものであり、綺麗な読みやすい字をすばやく書く上での実用性の中で工夫され、同時に、まあ、でも、どうでもいいことなんですよね。
ある監禁状態を別なそれで言い表すこと。これは、実際に存在するものを、存在しないもので言い表すのと同じように、理にかなっている。――デフォー