尻尾の巻いたお姫様─刑部姫物語

written by overQ

妖怪おさかべ

青行灯天守閣の五層目に夜な夜な灯がともる…
そんな怪異がつづく姫路城。
城主は若い侍に提灯を持たせ、
「あの灯をここに灯して参れ」

若侍が天守に登ると、年のころ十七八の女、十二単を着て、
「なぜこちらへやって来られましたか」
「主人の命にて、この提灯にその灯を灯して参れと」
「それではどうぞ、お持ちなさいな」

頂戴した灯を点した提灯をかかげ、侍が三層目まで降りたところ、
ふいに灯が消える。
ふたたび天守を登って、灯を乞うと、
女はしるしにと櫛をもたせる。

持ち帰った提灯の火は、侍が持つと灯るが、
城主が手にした途端、消えてしまうという不思議。
櫛は櫃の底にしまい置いたはずの形見。

心引かれたか、城主みずから天守に赴く。
が、そこには誰一人おらず。
すると不意になじみの座頭が訪れて、
「城主様おひとりではさみしかろうと思いましてな」

座頭は琴の爪を入れた箱のふたが開かず困っているという。
城主が、どれ渡してみせいと、手に取ると、
手にくっついたまま、離れない。
足で蹴り落とそうとすると、今度は足までくっついてしまう。
城主がのたうっていると、座頭は一丈もある鬼と化して、
「われはこの城の主なり。
われを疎かにするなら、この場で引き裂いてしまうぞ」

次に城主が目を覚ました時、すでに夜はあけていた。

「諸国百物語」(1677年)に描かれた、姫路城の怪異の物語。
泉鏡花はこれを元に、「天守物語」を著した。
ここに出てくる「侍」を、宮本武蔵とする巷説もあり。

天守閣に棲むこの妖魔は、

としひさしく播磨の姫路にすみなれて、
その身は人間のごとく、八百八疋のけんぞくを使う
於佐賀部という狐

と「西鶴諸国ばなし」(1685年)にもあって、つとに知られた妖怪「おさかべ」。

禁断の果実・おさかべの姫

長壁姫「おさかべ」とは、刑部姫のこと…といいます。
代表的な御霊である他戸おさかべ親王、その娘・富姫が、おさかべの姫。
またの名を、巻尾姫、と伝える。

他戸親王は、光仁天皇と井上皇后のあいだに生まれた、皇太子。
時の勢力争いの渦中、母・井上内親王が天皇を呪詛したとの嫌疑をかけられ、
(「しのびやかに、かんなぎどもを召しよせて、さまざまの物ども給はせて、みかどをずし(呪詛)したてまつりたまひき。」)
他戸親王も皇太子も廃されて、母子とも大和・宇智郡に幽閉される。
藤原百川の策略であり、どうやらともに毒殺されたらしい。

他戸親王に代わって天皇となるのが、山部王、すなわち桓武帝。
桓武天皇は、母子の怨霊をおそれ、
墓を築いたり、称号を追贈したり、神社を建てたりと、手厚く祀ることに。
早良親王の件もあり、御霊信仰がはじまります。

「水鏡」は、井上内親王がになったと伝える。
(「現身のまま、龍になり給ひき。」)
「井上」はイカミと読んで、井神=井戸の女神。水の女。
神話的な気配が動き出します。

じつは、富姫は、他戸親王と井上内親王の
禁じられた母子愛から生まれた子とカタられます。
(「水鏡」だと、母は56歳、息子は12歳ですが…ここが一番怖いかも :-$ )
また、親王は幽閉先から逃れたともされて、
すでに「物語」が発動、どんどん増殖しはじめてて、いい感じ。

龍神である女が、自分の息子と交わって生まれた娘・富姫。
おそらく、龍神自体の転生であって、神話的嗜好をくすぐる、燃える展開。

禁断の愛の果実・富姫は、
のちに姫路城の築かれる姫山のあたりの一族・角野(すみの)氏にかくまわれる。
やがて播磨の大領・角野明国の妻となり、
弘仁六年九月十五日に没したのち、姫山に祀られたと。

どこまでが「史実」で、どこから「物語」なのか。

角に棲む神


より大きな地図で 播磨魔所図絵(中播) を表示

姫山の北西角に、鷺井という井戸あり。
清水で知られたこの井戸は今もあって(再建されたもの)、
姫路城より古い由来を持つことになります。

鷺井あるいは櫻木井と記される。
「さぎ」の音がさきはうようです。
姫山も鷺山・櫻木山と呼ばれ、
姫路城を白鷺城というのは、その白く翼を広げた姿からではなく、
鷺山の城であったからと言われています。

この鷺井のあたりに、かつて角野社(角明神)が祀られていました。
角野氏の氏神です。
のちには、姫山の四隅八隅に角の社を建てたようです。*1
(今は角社として、総社の摂社となっています。)

角社

角野氏は姫山東の志深庄へ移り、代々国司となって、
志深政所、あるいは国府寺政所と呼ばれたといいます(「姫路城史」)。
国衙があるゆえ姫路は「国府」。国府の薬師が「国府寺」。
角野氏は、国府氏、国府寺氏と呼ばれた。
国府寺は、「こうでら」と読む。
この氏族は徳川時代になってから、町人頭をつとめる。

池田、本多、松平、榊原、酒井…
江戸時代、よそから転封されてきた新しい藩主たちは、
姫路城に入る際、国府寺氏の立会いが必要だったといいます。
国府寺氏が、姫路城=姫山の地主神の管理者のような役で見られていた。

国府寺氏は、明治21年10月21日、国府寺槇男さんの時、東京神田に移ります。
「槇男」というのは、刑部姫の別名「巻尾」と同じで、国府寺一族の思いがありそう。*2
城東小学校のあたりに、今も国府寺町の名が残ります。

この角野=国府寺氏の系譜のうちに、富姫も伝わったように見えます。*3

巻尾の姫の物語

昔、巻尾の姫君と申す人、坐しき。
宮を産奉りけるを、継母この宮を大路に捨てられたりけれ。
旅人哀れみ悲しみたてまつりて、急ぎ懐き取りたてまつり、
父の宮に申したりければ、取上げ給て親王に立たてまつり、
「汝は何国の者ぞ」
と御尋ありければ、
「播磨国の者なり」
と申す。
即ち、播磨守になされけり。

「峰相記」(1348年?)

これが富姫と国府寺氏のことを述べたもののようです。
槇尾姫は、皇子を生んで、道端に捨てる。
拾った旅人は、帝にお届けし、播磨守に取り立てられる。

「播磨守」となるものの名は示されない。
また、姫ではなく、その子を養育するのが大きな違い。
そして、巻尾姫は、どうやら他戸親王の子ではなくて、母となってしまっている不思議。

すでにほのめかしたように、この伝説の中で、母と娘はほとんど同一人物のよう。
系図は伸びていかず、ループしているように見える。
神話の時間は線ではなく円で、同じ劇を繰り返し続けるから。

捨て子と母子相姦…というテーマは、和泉式部と道命阿闍梨の伝説とよく似ています。

五条橋に捨てられた子は、比叡山に預けられ、立派な僧となる。
僧・道命は読経の朗々しさで知られるようになるが、それがもとで和泉式部と知り合う。
やがて式部と結ばれる道命阿闍梨。
しかし、じつは和泉式部こそが、五条橋に彼を捨てた、道命の母であった…

同じ悲劇が繰り返し上演され続ける、いまわしい巻尾の物語。
しかしこの輪廻から解脱してしまえば、もうそこには「二人が結ばれる愛」はないのかもしれない。
ダンテ「神曲」で、不死の愛を生きるものは、地獄に落されています。
彼と彼女は一体化して、巨大な渦(=巻尾)の中を永遠に旋回しつづけるのです。

妹背の山

大汝少御神おおなむちすくなみかみの作らしし 妹背の山を見らくし良しも

人麻呂(万7・1247)

人麻呂が詠んだ「妹背の山」が、姫山とその隣の男山のこと…といわれています。
そのあいだを、妹背川が流れていた。
今も人麻呂の頃と基本的には同じ地形が、この地に残っています。

川をはさんで、恋人同士は、離ればなれに。
七夕の牽牛・織姫のよう…また、イザナギ・イザナミもこんなふうであったか知らん。

この妹背の山の伝承がいちばんベースにあるんです。
この物語がずれつつ反復していると。
「背」の山は、長彦山と呼ばれていた。

この長彦(長日子)は播磨風土記に出てきて、
尾張連の祖と書かれています。
記紀では、尾張連の祖先は火明命
逃走する父神を追いかける暴れん坊の息子として、風土記の別なところにも現れる。

たぶん角野氏もこの流れに与していて、オサカベもそこに関わっています。
冒頭の百物語が、「火明かり」をもらう話になっているのは、偶然なんだろうか?
一種の肝試しのようなものですが、この世ではないところから火をもらう儀礼で、
「火の起源」を反復するもの。

千姫天満宮

男山には現在、千姫が本多家のために祀った天満宮があります。
姫路城から遥拝できるよう、東に向いて建てられています。

千姫は家康の孫。
七歳の時、豊臣秀頼のもとに嫁ぎますが、やがて秀頼は徳川によって滅ぼされる。
大阪城落城の時、秀頼の側室たちはみな殺される中、家康の命で脱出する千姫。
これはじつに複雑な思いであったはず。

その後、本多忠刻と再婚し、姫路城に移って、幸せな日々を送りますが、
それも束の間、やがて子が三才で亡くなり、夫・忠刻、姑、母と身近な人を次々に喪う。
出家して、江戸で暮らす千姫。

姫路にいたのは、わずか十年ほど。
でも、彼女にとっては思い出深い幸せの時代だったのかもしれません。
こころの半分はここに残してきて、
今も同じ千姫が同じ年頃のまま、そこにとどまって、
同じ物語を繰り返している…そんなことを思いました。

時間は線になって伸びるのではなく、巻いた尾のようにずれつつ反復する円環ですから。

¶ Footnotes:
  1. そののち、五層の天守を築いた池田輝政が、城内に「八天堂」を設けますが、この「八」は角野氏の祀った八神かもしれません。 []
  2. 「巻尾」は、役の行者ゆかりの霊峰・槇尾山と関係があるのではと思いますが、解明できませぬ。 []
  3. 国府寺氏は景行天皇の子孫と伝える系譜を持つ。ヤマトタケルの父・景行天皇は、「おおたらしひこ」の名で播磨風土記に再三登場。その息子のひとり「稲背入彦皇子」は播磨国造。 []

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